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万屋、霹靂3

 女は手鞠を胸元に抱きしめ、深くうなだれる。唇から細く流れるのは、優しく悲しい子守唄。

 眠れ眠れ、いつまでも。 この腕の中で、永劫に。



   *****



「どうも、お初にお目にかかります」


 そう頭を下げた男を、エルムドは僧服の女主人の後ろに控えたまま、どこか落ち着かない気持ちで眺めた。

 先ほど店にやって来たこの男は、川一つ向こうの大店、砂金いさごの跡取り息子で、原 幸作と名乗った。

 ゆったりと頭を上げた男はまだ若い青年で、黒に近い藍色の髪をオールバックにした、なかなかの男前だった。改めて眺めても、妙なところは見当たらない。

 だというのに何故か落ち着かない。エルムドは奇妙な感覚を持て余していた。


「砂金屋、か。ここの事は誰に聞いた?」


 唇から煙管を離した女が笑みを浮かべる。どこか艶めかしくさえ感じるその姿を前にして、原は好奇心を滲ませた笑顔で告げた。


「三津屋の方からです。なんでも、長いことお世話になっているとか」

「あちらか」


 煙管に目を向けたのは女だけではない。エルムドも同じく目をやっていた。


「まあ、お互いに、といったところだが」


 再び煙管に口をつけ、一服。緋い唇から細く煙を吐き出すと、女は切れ長の瞳を愉しげに細めた。


「……俺のことはどこまで聞いている?」


 僅かな沈黙の後、原は感情を排した声音で答えた。


「影追い。――そう呼ばれている、優秀な払い人だと、聞いております」


 エルムドは思わず目を剥いた。まさか、あの捻くれ者の三津屋の旦那が、そこまで教えているとは予想していなかったのだ。

 原は目に力を籠めて女を見つめた。


「私の話を聞いて頂けますか、――八月殿」


 僧服の女、いや、八月はもう一度煙管を咥え煙を吐き出した。そして、己を睨むように見つめる男へと優美な笑みを向けた。


「……まあ、聞くだけは聞いてみよう。ただし」


 喜びをあらわにする男に八月は笑みを浮かべたまま釘を刺す。


「受けるかどうかは、気が向いたら、だがな」

「それでも構いません」


 言い切った声音の強さには、追い詰められた者が持つ怯えの色がかいま見えている。

 それでもなお、エルムドの胸中には一抹の不安が巣食ったまま、何故か拭い去れずにいたのである。



   *****



 原の語った内容は、確かに彼らの領分であるように思えた。


「二月の間に三人も、か」


 初めは住み込みの下働きと女中が居なくなったのだという。

 若い男女、それも男の方に借金があったことから駆け落ちの噂が上がり、ひとまずはそれで落ち着いた。


「ですが、また……今度は出入りの商人が私達の屋敷で行方不明になりまして」

「どういった状況だったか聞いても?」

「ええ。とはいっても、取り立てて話す事はありません。たまたま商談に来ていた馴染みの商人が、廁に出た後部屋に戻らず、そのまま帰ったのだろうかと父と話していたのですが……」

「実際には居なくなっていた、と?」

「はい。その商人の家族が行方を探しに来て……どうもこれは妙だ、と」


 そこまで話を聞いて、エルムドはつい口をはさんだ。


「ですが、それだけじゃあまだ妖が関係してるかわかりませんよね」


 エルムドの口調は彼が思う以上に硬く、八月が何かを推し量るかのように、ちらりと彼を見る。原の方も少々戸惑いをみせたが、すぐに頷いた。


「ええ、その通り。それだけならば」

「……他にも何かあったか」


 八月の言葉に原は視線を落とし、躊躇いがちに告げた。


「……女の、声が」


 エルムドはぞくりと背筋をあわだたせる。ひんやりと空気が冷えた気がした。


「聞こえる、気がするんです」

「……どのように?」

「よく、わかりません。寝ていても、起きていても、どこからか……」


 原はひとつ息を吐き出すと、疲れた様子で首を振った。


「……母はすっかり参ってしまっています。父も弱気になっていて。気のせい、とも考えたのですが、両親を少しでも安心させてやりたくて」

「ここに来た、か」

「はい」


 八月は一通りの話を聞き終えて目を伏せた。静かに考える麗人を、原はすがるように――エルムドは反対したい気持ちを押さえ、見つめていた。


 暫し後、煙管を咥え煙とともに赤い唇から吐き出された答えは、『まあ、行くだけ行ってみてもいいか』であり。

 喜ぶ原を横目に、どうしても不安を押さえることが出来ず、エルムドは膝に置いた両の手を固く握りしめたのだった。

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