花盗人
香りたかく咲き誇る花々。そよぐ風にふわりと揺れたのは、柔かな花弁を幾重にも重ねた大輪の芙蓉。
朝の光に解けてしまいそうなその白につい手を伸ばし、彼は美しい花を一輪、手折ってしまった。
「――あら?」
エレミアは首を傾げた。お仕着せのメイド服を纏い、手に大きな鋏を持った彼女は街外れの屋敷で働く女中である。
毎朝の日課として、花瓶に差す花をとりに来た彼女は、狙いの花が見当たらずに困惑していた。
「おかしいわね。昨日は確かに……。あら!」
昨日までは確かにあった、大振りの蕾をつけていたと思われる枝には、明らかに折られた跡が残されていた。
「まあ……。またかしら……」
頬に手をあて、溜め息をこぼす。エレミアの勤めるこの屋敷には、あまり人がいなかった。気難しい女主人の要望により、無口で真面目な使用人が、最低限必要な人数で働いている。
この広い庭も年老いた庭師が一人で手入れしているのだが、四季折々の花を咲かせる美しさはなかなか見事なものだった。
問題があるとすれば、人が少ない為に防犯が疎かに成りがちなところだ。
特に、この芙蓉の木は門のすぐ側にある。もしかすると、ふと通りかかった人が門の鉄格子の隙間から盗っていってしまったのかも知れない。
時折、そういったことがあるのだ。余程、この屋敷には人がいなさそうに見えるらしい。
「……仕方ないわね。別の花を探しましょう」
主の部屋に飾ろうと考えていた花を失ってしまって気落ちしたエレミアだったが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
連れ合いを亡くして以来すっかり塞ぎ込んでしまった大奥様の為にと、エレミアは庭の中で一番に美しく咲いた花を見繕うのだった。
花盗人が訪れたのは、その日の午後のことだった。
「――本当に、申し訳ありません。あまりに美しい花でしたから」
黄の強い鮮やかな金髪に、涼しげな水色の瞳。最新流行の紳士服をお洒落に着こなす優雅で凛々しい青年は、こんな田舎では滅多にお目にかかれない貴公子ぶりで屋敷のドアを開けて出迎えたエレミアの度肝を抜いた。
「これは、謝罪の気持ちです。こちらの庭に咲く花々には劣るでしょうが」
青年は驚きに固まったままの彼女へ、腕に抱えていた花束を差し出す。
「あ……、わ、わざわざありがとうございます」
はっと我にかえり、慌ててエレミアは差し出された花束を受け取った。どう見ても、庭に咲く花よりも豪華な花束だった。
「すぐに、大奥様をお呼びいたしますので……」
「ああ、いや。それには及ばない」
エレミアの言葉を途中で遮り、青年は再び苦笑した。
「こちらの主人の話は多少耳にしているんでね。無理に押し掛ける形になると、迷惑になるだろうからね」
人嫌いの年老いた女主人の噂は、有名らしい。エレミアは青年の言葉に頷くと、では、と尋ねた。
「せめてお名前をお聞かせ願いますか? 大奥様には、わたくしの方からお話申し上げておきますから」
その言葉に青年はエレミアを見つめ、何故か沈黙した。
青年の瞳が、じっとエレミアを見つめる。青年の薄い水色の切れ長の瞳は、冬の空を思わせる。それなのに冷たさとは真逆の熱を感じとり、エレミアは無意識に肩を震わせた。
「そうですね。では……私が名乗る代わりに、貴女の名も教えていただけますか?」
「え?」
何を言うのかと、エレミアは戸惑う。メイドの名を聞いてどうするのだろうと困惑する彼女に、青年は目を細め小さく微笑んだ。
「――今朝は、どうして庭に出ていなかったのですか?」
「え?」
「体調でも崩されましたか?」
「え、あの、いえ。出ておりましたよ? 少し、遅れてしまいましたけれど……」
突然の話題転換にエレミアが目を瞬きながら答えると、青年は一歩こちらへと踏み込みながら囁いた。
「そうでしたか。……実は、この屋敷の前は私のお気に入りの散歩コースでしてね。……いつも、美しい花と、花を選ぶ貴女を見ていました」
「……!」
低い声音に込められた甘い色気と瞳に宿る熱が持つ意味に、ようやく彼女は気が付いた。
絶句するエレミアの右手をとり、青年は艶やかな笑みを浮かべた唇で彼女の手の甲に軽く触れる。
――花盗人と、彼に目を付けられた女中との物語は、こうして始まるのだった。




