とある勇者召喚の一幕
ある世界に、とてつもない脅威が迫っていた。
闇より来たりし世界の負を担うモノ。
光あれば闇が生ずる。
その世界には光の力と呼ばれる【治癒】術があった。
治癒の力は強力で、人々は長く健やかに生きるため、自然と繁栄してゆく。
しかし、世界はバランスをとるためにか、数百年に一度、闇の塊たる存在を生み出す。
――すなわち、【魔王】である。
からん、と音をたてて剣が石畳の床に落ちた。
「無理だよ、俺には出来ないよ……」
剣を落とした手で顔を覆うのは、十代半ばごろの少年だった。
黒い髪と瞳を持つ、異界より呼ばれし希望の存在。
【勇者】は、己が召喚された理由を聞いたとたん、与えられた剣を落とす程に狼狽し、弱々しくその場にしゃがみこんだ。
「俺……俺、運動音痴だし、虫一匹殺せないヘタレだし、暗いとこだと早足になるくらいビビりだし、血をみると立ち眩みするし、ゲームをクリアしたことないくらい飽きっぽいし、マラソンだって完走すら出来ないし、もちろんケンカしたこともないし、携帯ないと生きてけないし、枕かわると寝れないし……勇者なんて無理だよ!!」
謁見の間に、勇者の悲痛な叫びが響く。
「陛下、いえ、お父様……」
勇者を召喚した巫女であり、王女でもある美少女が国王を見つめ、穢れを知らぬ象徴のような白い手を組み合わせる。
「王女としてならば、個より公を優先するべきだとわかっております。ですが、この度のことはあまりにも……」
「……おそれながら、某も理由は違えど、姫と同意見にござります」
王の傍らに控えていた筋骨隆々とした将軍も、弱々しい勇者の姿に眉をひそめていた。同様に、大臣達や神官も、懸念を隠せない。「た、頼むよ。帰してくれ! 俺には病弱な母親とリストラされた父親と無職な兄とリア充な妹と脇役ハーレムな弟がいるんだ! 俺が、俺が帰らないとあの家は!!」
まったく意味はわからないが、勇者の悲壮な訴えに、皆は互いに顔を見合せ、王へと視線を向けた。
それらの視線に込められた諦観や哀れみを感じとり、王は目を伏せる。
そして、慈悲と人徳で民に慕われる王は命を下した。
――すなわち、勇者を帰還させよ、と。
「あ、ありがとうございます!」
再び光に包まれ、もとの世界へ帰ってゆく勇者を見送り、王女は父王に尋ねた。
「お父様、帰してしまって、本当によろしかったのですか?」
「ああ。私は自分達が甘えていたことに気づいたのだよ。私達の世界を、あんなに弱々しい少年に託すなど、無責任で愚かしいことだ、と」
王は頭を振って溜め息をつくと、表情を引き締め、居並ぶ臣下へと告げた。
「これより、我が国は率先して魔王軍との戦いに備える! よいな!」
その言葉に、臣下達は決意に満ちた一礼をもって応じた。
――そして世界は滅びたのだった。