第87話 刺客
先程の元気はどこへやら、エイガは呼吸が浅くなり、瞳孔は小さくなっている。いつも委員長を見ると目を輝かせていたエイガが過呼吸でも起こしそうなくらい怯えている。その事実から何かあったことを察したのかモイは杖を取り出すと、震える手を鼓舞するようにしっかりと握り直した。
モイが怯えたエイガを庇うように前に出る。
「モイ……」
モイの頭に先程ノーマンが言っていた言葉が木霊する。
『おそらく洗脳だろうな、あいつの幻精霊なら意志の弱い子供の洗脳ぐらい簡単にできる』
目の前の委員長を改めて見据えたモイ。こちらを見つめる感情のこもっていない目、手に握られている大きな杖。
委員長改め秋山をモイはエイガほど知っているわけではなかった。そもそも喋った記憶も数えるくらいしかない。しかし秋山が正気の沙汰ではないことは戦いに不慣れなモイでもわかった。彼の背後についた溢れる狂気と殺意がそれを十分に証明してくれていた。
「あれ、栗原さん僕と戦うつもり?」
秋山が秋山自身を指差しながら目を丸くしている。モイは魔力を杖の中で練りはじめ、杖の先が仄かに赤く光っていた。
「君たちそんなに仲良かったっけ?」
首を傾げながら秋山も杖を構える。
――あなたこそ、エイガと仲良かったでしょ。なんでそんなところに立ってるの?
モイはそう頭の中で考えたが、委員長に伝わるはずがない。委員長から見れば、モイはじっとこちらを見つめているだけだった。委員長はしばらくモイの何か言いたげな顔を見つめていたが、ハァと軽くため息をつく。
「だんまりか、相変わらず君は変わらないね」
モイはあぁそうだった、伝わらないんだと思い出す。しかし今黒板を書いている暇はないし、書けば確実に仕掛けてくるとモイは思った。そのまま黙って杖の中の魔力をさらに練る。
二人の間に沈黙が流れる。ピチョンと朝露が落ちた音を皮切りにモイは大きく杖を横に振った。
――火の精霊たちよ、我が魔力を捧げ身を焦がすようなその力を我に与えよ、"烈火の業"
そう頭の中で唱えれば、モイの周りを細い炎の柱が囲んだ。
「へぇ、一ヶ月の凡人にしてはいい腕だね、じゃあこれでどう?"滅魔の剣"」
そう秋山が唱えると空から大量の光る剣が降ってくる。それを見た瞬間モイは咄嗟に出していた炎で剣を相殺しようと杖を上に掲げ炎の渦をあげる。しかしその剣は炎はすり抜け、当たりそうだったモイの体をもすり抜けてしまう。
「!?」
どういうことかとモイが戸惑っていれば、燃え終わった炎をかき分け、横から蹴りが飛んできた。モイがその剣の対応に気を取られている隙を狙って秋山が一気に距離を詰めてきたのである。――あぁまずい、この勢いで蹴られたら死ぬ。モイはせめて防御しようと顔の前に腕を組む。
「モイ!!」
エイガが咄嗟にモイを抱き寄せ庇った。モイを庇いもろに秋山の蹴りを食らったエイガは壁に大きなクレーターを作ってカハッと大量の血を吐いた。その吐いた血がモイの頭や顔にかかり、モイは目を見開く。
「――!!」
モイは声にならない悲鳴をあげ自分を抱き締めているエイガの腕を急いで振り払い、壁に沿ってずり落ちたエイガの体の状態を確認する。か細くはあったが、息はしている。モイはひとまず安堵のため息を吐いた。
「あ、ごめん。腕の一本くらい吹き飛ばして戦闘不能にするつもりだったんだけど」
その言葉にモイは自分の片腕を確かめるようにもう片方の腕で触りヒュッと喉を鳴らした。本当にこれが1ヶ月前一緒に学校で授業を受けていた人間だというのだろうか。モイはエイガを殴られた怒りより薄ら寒い恐怖を感じた。
「エイガくんが庇ったせいで変なとこ当たっちゃった。死んでない?死んでたら僕アレーシア様に怒られるんだけど」
なんでもないことのようにそう淡々と語る彼にモイは呆然とするしかなかった。この気持ちはなんだろう、失望?恐怖?それとも怒り?得体のしれない感情がモイの胸にベッタリとくっついている。
「生きてんの?しんでんの?それくらいは分かるでしょ?」
そう首をこてんと傾げながらそう聞いてくる秋山。その言葉にモイはキッと秋山を睨んだ。
モイは改めてエイガの状態を見た。おそらく骨が何本か折れている、それくらいの衝撃だ。以前緑の塔でグリズという男に殴り飛ばされた時より壁に残ったクレーターは大きかった。
松明に照らされ、エイガの破けた服の隙間から覗く腹や、腕、肌が見える全てに赤や黒の斑点が現れだす。
このままだと今生きていても死んでしまう。両親の治療している姿を何度も見てきたモイはそう直感した。だが、モイは両親を見ていただけで具体的な治療方法なんて知らない。
『女神に祈りを捧げることで複雑であるはずの魔術式を簡単に行使できる。だから使うだけならモイ、お前でも使える』
ふと数日前に言っていたあのノーマンの言葉を思い出した。
――使うだけなら、私でもできる。
きっとそんなに簡単なことではないだろう。難しくないなら、色んなところでノーマンしか治せないなんて言葉は出てこないはずだからである。しかし今やらなければエイガが死んでしまう。
モイは覚悟を決め、あの緑の塔に赴いた際、耳にタコができそうなくらい聞いたあの呪文を心の中で唱えた。
――癒やしの女神イランテスよ、この者に祝福を




