第75話 心配
「で、では最近ヒデキの様子がおかしかったのも」
ヴァルカンがそう聞けばノーマンは髪をかき上げながらあぁと頷く。
「おそらく洗脳だろうな、あいつの幻精霊なら意志の弱い子供の洗脳ぐらい簡単にできる」
洗脳。物語の中でしか存在しないようなその言葉にモイは得体のしれない恐怖を感じて、うっすらとたった右腕の鳥肌を左手で撫でた。もうエイガは戻ってこないのかもしれない、あの時止めていればとモイの中で後悔が襲ってくる。
――あの、エイガって無事なんですか?
モイが震える手で黒板を見せてくる。
「保証はできない、アレーシアのことだ。本当に何やらかすかわからん」
モイの顔が真っ青になった。
別に大事な人という訳でもない、ただのクラスメイトだ。そう言い聞かせて気持ちを落ち着けさせようとしても心臓は大人しくなろうとしなかった。
「アレーシアの屋敷は色々やりすぎてブルムたちが近づきたがらない。だから細かくはエイガの場所がわからん。だが、ブルムが見ていないってことは下水道にでも落ちていない限り99%アレーシアの屋敷だ」
ノーマンがブルムと何かを話しているがどんどん会話が遠くなる。
エイガが、死ぬ?
その言葉が浮かんだ時、モイの頭によぎったのはあの時喧嘩のあとに見せた泣きながらもホッとしたような顔のエイガだった。
それが頭によぎった瞬間モイの呼吸が止まった。
――なんなのよ
モイは唇を噛んだ。
悔しい、こんなこと考えてしまっている自分がモイは悔しくて仕方なかった。
あいつが目に入るだけで腹が立って仕方がなかった。存在がうざったかった。ただ場を盛り上げるしか能が無いお調子者で、馬鹿で、いじめられている自分なんてどうせ見下しているのだろうと思っていた。
だからきっと内心で私は喜んでいるはずなのだ。大嫌いでうざったいやつが消えた。めでたいことじゃないか。私はそんなこと平気で思えるくらい性格が悪いはずだったろう。
「モイ!」
頭の中でこの一ヶ月何度も聞いた己の名がエイガの声で木霊した。モイは思わず耳を塞いだが意味があるわけがなく頭の中でエイガの声が聞こえ続ける。
あぁなんで私はあんな奴の声なんて覚えてしまったんだろう。気持ち悪いくらい純粋で、演じているんじゃないかってくらいに善良で、人の悪意を飲み込んで。
待て待て、なんで私がエイガの心配なんてしなくてはいけないんだ。あんな奴どうでもいいだろう。あいつさえいなければ――
そう自分の中で聞こえる言葉にモイは自分の心臓を落ち着けようと耳を傾けようとした。
大丈夫、結局クラスメイトと言っても人生の殆ど関わらないのだ。きっとエイガがいなくなろうと自分にある影響といえば、少し周りが静かになることくらいだ。
あいつなんてどうでもいい、きっとただ愛着がわいてしまっただけだ。いなくなったらすぐに慣れるに決まっているのだ。
モイはそう言葉を重ねて頭の中のエイガの声を塗りつぶしていく。
しかしモイの頭の中にいる消え入りそうなエイガはそんなモイにふと声をかけた。
「お、おはよう……モ……イ」
やけに大声なのに、最後になるに連れて歯切れの悪い言葉だった。顔は引きつっているし、身振りもどこか不自然で大げさ。
しかしその声を聞いた瞬間、モイの中にあったあの黒い言葉は全て消し飛んでしまったのだ。
そう、彼はぎこちなくそう私の名を呼んで朝の台所に立っていた。
あの――喧嘩をした翌日に。




