第72話 ブリキの一番弟子
モイが悶々と考えていると、急に立ち止まったノーマンの背中にぶつかった。
「ついたぞ、ブリキの家だ。玄関にいると思っていたんだが、いないな?」
赤くなった鼻を押さえながらモイは、ブリキの家だと言われた目の前の景色に目を点にした。
――あの、ここ本当に家ですか?
そう書いてノーマンに黒板を見せる。
「まぁ、言いたいことはわかる。確かに言われてみればおかしいよな、徐々に変わると案外受け入れられるもんなんだが」
モイたちの前にあったのは、まるで地獄絵図だった。
切り立った崖と、崩れかかった大きな城。
その崩れたところには橋をかけるように段になっている棒、紐、滑車が渡されているが、どう見ても安全に通れるようには見えない。その上を人が歩き、その揺れた棒から落ちた人であろう人ががれきの下で伸びている。
ところどころ赤い血が垂れている所もあり、モイは緑の塔で見た衝撃とはまた違ったショックを受けていた。
――地獄ですか?
「まぁ、ブリキなりに考えた結果だ。言ってやるな」
自分が改めてノーマンに引き取られてよかったと心からモイは思った。
「む?そこにおわしますは、ノーマン様では?」
そう言ってノーマンに近づいてきて見下ろしてきた男がいた。
見下しているのではない、物理的に見下ろしているのである。
ほっそりとした華奢な体だった。
声をかけられるまで気づかなかったその存在感の薄さ。目に入っているのに、どうにも存在がはっきりしない。
執事のようなタキシードが消えてしまいそうな彼のふちをなぞっているようだった。
月の光を吸い込んでしまいそうな細く長くまとめられた烏色の黒髪を肩から垂らし、その顔は糸目を緩やかに曲げて穏やかな笑顔を浮かべている。
「あぁ、ヴァルカン。久しぶりだな」
「ノーマン様、ご無沙汰しております。本日はどうされました?」
その仕草は執事さながらの丁寧さ。
目の前のごりごりの光景とのギャップがすごすぎて、モイは思わず背景とヴァルカンの顔を見比べる。
「む?もしかしてそちらの小鳥のようにキョロキョロされているのが噂に聞くノーマン様のひな鳥ですか?」
「ん?あぁそうだ。モイ、こいつはヴァルカン。ブリキの一番弟子だ」
「へぇ、なんて可愛らしい」
じろりと少し頬を染めながらこちらに視線を向ける姿はどこか蛇のようだった。
細長い目のせいだろうか
この人、人相悪いな。
モイは心の中でそう呟きながらブリキという人物を思いだそうとする。
ブリキって確か、ノーマンさんの横にいた――。
モイはもう遠くなりかけていた選定式の光景を思い起こし、アレーシアでも、ノーマンでもないローブを探す。
あぁあのおじいさん。
モイが思いだしたような顔をするとヴァルカンはコクコクと頷いた。
「はい、わたくし僭越ながらブリキ師匠の一番弟子を務めさせていただいております。ヴァルカン=エウォールと申すものです、以後お見知りおきを」
そう言ってヴァルカンが手を差し出すと、モイはおもむろにその手に自分の手も差し出す。
するとヴァルカンはそのままモイの手を取ると、膝まづいてチュッとモイの手の甲にキスを落とした。




