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今日も朝から何もする気がしない。折角の土曜日でお休みなのに…。一人娘の彩夏は隣の部屋でまだ眠っている。真理子は昨夜もまたやってしまった。
彩夏は今年から預かり保育もしてくれる幼稚園で年少組の3歳児クラスに入れたところだ。自我の目覚めからか、俗にいう魔の2歳児というか、悪魔の3歳児というのか、とにかく言うことを聞いてくれない。あたしもそれほど気が長いほうではないのは自分でわかっている。2度、3度と同じことを言っても聞かない場合は思わず手をあげてしまう。昨夜もそうであった。彩夏は夕食を食べているにもかかわらずタブレットが気になってしかたがない。実は真理子自身がずっと彩夏の相手をしなくてもいいように、ひとり遊びできる子供向けのタブレットを与えたのだが、幼児教育用アプリであるにもかかわらずゲームをしている感覚なのだろう、片時もタブレットを離さないでいる。視力の低下も気になるので、《1日1時間まで》とデジタル時計でアラームが鳴るようにセッティングしておくのだが約束を守らず、真理子が咎めてもまだタブレットを離さないでいる。結局無理やり取り上げて手の甲を叩いた。彩夏が泣き叫ぶので、さらに抱え上げてお尻を叩く。そんなことをたびたび繰り返していると、真理子自身何かあるたびに彩夏に手をあげて、虐待しているのではないかと自己嫌悪に落ちてしまう。こんなことをしていて、これからこの子をきちんと育てていけるのだろうか…。
真理子は今年 33歳になるシングルマザーだ。名前を聞けば誰もが知っている大手事務機器メーカーのグループ会社でシステムエンジニアをしている。夫の克洋は同じ会社の営業職であったが、彩夏が生まれる直前に、業務中の交通事故で他界してしまった。真理子と克洋は社内結婚で、結婚を機に所謂寿退社として真理子が退職していたが、業務中に他車からのもらい事故という事情だけに会社も便宜を図ってくれたようで、比較的スムーズに以前と同じ部署へ復職させくれた。しかも週3日間は在宅勤務なので延長保育は最小限で済ますことができる。これはこれで恵まれていると思うが、克洋の両親は既に鬼籍に入っており、出産や子育てついて援助してくれるような縁者親戚もなかったため、産前産後に発生する様々な物事については真理子の実家を頼るしかなかった。それでも真理子は真理子なりに一生懸命頑張って、やっと彩夏を保育園に入れられるところまで育ててきた。彩夏のことは可愛くて仕方がない。二重瞼の目元あたりが亡くなった克洋に似てきたようでさらに愛おしく思える。しかし言うことを聞いてくれないと、何故か怒りの感情スイッチが入って爆発させてしまうのである。相談する相手もいないので役所の児童相談所に出向こうかとも考えたが、まずは母に打ち明けてみようと、久しぶりに実家を訪ねることにした。実家は兵庫県内にあるが、真理子が住む大阪市内から車で1時間足らずで行くことができる。