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1、裏切り

 信長は、ぬかるんだ地面に腰を下ろすと、蓑笠を上げて木々の隙間から空を見上げた。


 降りしきる雨が、信長を含め、後ろに控える八人の武士たちの肩を濡らす。


 全員が全員、満身創痍で、信長に至っては白い寝間着の胸元が赤く染まって、裾が土汚れしていた。

 雨のせいで結った髪が崩れ、褐色の肌を汗と血の混じった雨の雫が伝う。


 後ろの武士たちも、皆、主に倣って農民が身に着けるような蓑笠を深く被り、表情を隠している。


 ――天正十年 六月 二日。

 明智光秀が謀反を起こし、本能寺に泊まっていた信長一行を襲撃。


 織田信忠自害、織田信長逃亡。

 その他、同行していた有力な家臣も戦死。徳川家康は生死不明。


 信長の小姓の蘭丸は、短槍を握って、片膝をついた状態で目線だけは空へと向け、分厚い雲の隙間に光が差し込んでいる事に気付いた。


「信長様、安土までもう少し――」


 蘭丸が振り向くと、こみ上げてくる嗤いを堪えられないといった様子で、信長は静かに肩を揺らし始めていた。

 蘭丸は何事かと思って、目を細め、他の武士たちも言葉を失う。


 信長はその様子を気に留めることなく、高らかと嗤い続けた。

 雨の音と信長の嗤い声だけが続く。


 信長は嗤いを収めて立ち上がると、木々の隙間から空を指さした。

 その先は、蘭丸が気付いた光景と同じで、分厚い雲の切れ目から陽光が差し込み、安土城と、その城下を照らしている。


「天は儂に味方したようだ。今頃、キンカン頭は儂の死体を見つけられず、焦っておる頃だろう」


  ◇◇


 安土城の天守に集められた武士らは、互いに顔を見回した。

 秀吉や勝家といった真に信長が重宝している家臣らの姿はないが、全員が全員、信長の父、信秀の時代から仕えていた古参の家臣で織田家の重鎮だ。

 もっとも、信長に代変わりしてからは秀吉や光秀といった新参の家臣に押され、日の目を見る機会は減ったが。


 彼らは異様な空気を感じ取っていた。


 城内の警備が異常に固く、そのほとんどが明智家の武士で、何より、一番の上座――信長が座るはずの席には、足利 義昭が座っている。


 義昭は、信長によって京都を追い出され備中国へと下向し、毛利家の庇護を受けていたが、元々、関係の深かった光秀と内通し、見事、信長を嵌めたのである。


 ただ、その事を伝えられておらず、光秀の謀反に協力し、信長へ京都周遊を進めただけの彼らに、その背景を知る由もなく、静かに胡坐をかき、ある者は義昭を鋭い視線で見据え、ある者は自身の家臣を近くに寄らせ、耳元で何かを囁いた。


「光秀からの連絡はまだか?」


 義昭の問いには、後ろに控えていた藤田 行政という武士が答えた。

 明智五宿老の一人で、光秀から、留守の間、織田家内の動きを監視せよと命令を受けていた。


「まだでございます。ただ、信長公の手勢は精々、百二十。精鋭揃いとはいえ、我が殿の兵力は一万三千。第六天魔王と呼ばれた信長公も、今回ばかりは万事休すでしょう」


 返答を聞くと、義昭はさほど興味なさそうに「そうか」と呟き盃を仰いだ。


 城の外では雨が降りしきっている。

 安土城を囲う堀にかかった橋は、各所、数十の明智の兵が固めている。


 橋の前の大通りに商品を広げた露店商らは、雨に打たれつつ、遠巻きにその様子を眺め、仲間内で密かに明智の謀反を噂した。

 聞かれれば打ち首だ、そう思っていたからだ。


 現に、光秀に留守を任された行政は、謀反を示唆する内容を放していた商人らを捉えている。


 安土城を中心とした城下を、鬱蒼とした空気とどんよりとした重い雲が取り巻き、町の至る所に明智の兵が立っている。

 戦を前にしたかのような静けさで、人々は家でひっそりと息を潜め、今後、起こるかもしれない事態に恐怖を抱き、それでも細々とした暮らしを続けていた。


  ◇◇


「殿、殿……!」


 森を抜けたところで、木の切り株に座っていた信長は、走ってくる家臣の声に気付き、顔を上げた。

 信長が何か言うよりも先に、蘭丸が「どうであった」と口早に聞く。


 その家臣は、息切れしながらも首を横に振った。


「無理です。安土城へと繋がる道は無論、城下町に続く街道にも明智の兵が立っていて、一歩たりとも入ることが出来ません。町中にも信長様の人相書きが出回っていて、明智の兵が周回しています」


 蘭丸がその家臣の襟をつかみ、グッと引き寄せた。


「何だと!?まさか、安土城が明智の兵に占拠されたのか?残っていた家臣たちは一体、何を……」


 蘭丸は一つの可能性に辿り着いたのか、まさかッ、と呟いて顔をしかめた。

 襟を握った手の力が抜ける。


「そうだ」


 それまで黙って聞いていた信長が口を開き、蘭丸を含め、八人の武士たちが一斉に振り返った。


「今、安土城に残っているのは父の代から仕えていた老齢の者ばかり。いまだ、儂の事を認めぬものも多く、不満を抱いておる者も多い。キンカン頭なら、その事に目を付けるであろうな」


「では――」


「岐阜城へ向かう。蘭丸、そなたは急ぎ、ハゲ鼠に戻ってくるよう伝えよ。儂も岐阜城へ着き次第、軍団長らへ、軍を引き連れ、岐阜城へ馳せ参じるよう命じる」

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