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89.入れ替わり

(怖い……私の知ってるアンじゃない。でも……!)


一瞬怯みそうになったルビーだったが、


「アン!」


と叫びながら、全速力でアンに向かって突撃した。五代精霊の中で、最も速いスピードを有するのが風の精霊だ。

 一方、アンは、忍びである服部一族の中でも、動体視力に優れていた。加えて今は魔法の力も増大している。それでもルビーのあまりの速さに、アンは一瞬ルビーを見失った。次に気づいた時には、ルビーはアンの懐まで入り込み、風玉を力の限りアンに押し当てていた。


「うっ……貴様! 一体何を……」



アンとは全く違う何者かの声が室内に響き、ルビーを振り払おうと腕を振り上げた。


(来る!)


ルビーは痛みを覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。肩をすくめながらも、アンから離れまいと足を踏ん張った。


それを見ていた一同にも緊張が走った。ルビーが危険に晒されていることは分かっていても、今攻撃を加えればルビーまで巻き込むことになる。皆が手をこまねいている間、ルビーは何度もアンから放出されるオーラの風に吹き飛ばされそうになりながらも必死に耐えていた。


(……? アンからの攻撃がない?)


ルビーは不思議に思いながらも、とにかく、母なる風の精から授かった風玉をアンに押し付け続けた。



 実際には、どれぐらいそうしていたかは分からなかったが、そこにいた者たちにとって非常に長く感じる時間が経った時、アンの周りの魔法のオーラが徐々に収束していった。


オーラの熱風が強すぎて、ずっと目をぎゅっと閉じていたルビーも、風が止んだことに気づいた。そっと目を開けると、目の前にはアルフレッド王太子が呆然と立ち尽くしていた。と思いきや、それは、髪が全て銀色になったアンだった。



「アン……?」


ルビーが恐る恐る声をかけると、アンは、


「俺……」


とだけ呟き、自分の両手のひらをじっと見た。その後、部屋の様子を確認するように、ゆっくりと視線をずらしながら見渡していった。


 入ってきた時には、華美過ぎず、アンティークな色調が心を穏やかにさせてくれるような調度品が綺麗に置かれていたが、今は見る影もないほどに荒れていた。



自分の身に何が起こったのか、アン自身も訳がわからず、混乱しているようだった。アンは、ハッと思い出したようにもう一度、今度は素早く周りを見渡し、皆が自分に向けて攻撃体制をとっていたらしいことに気づくと、苦笑いを浮かべてボソッと言葉を漏らした。


「俺……マジでやばい奴なんじゃん? もしかして、生まれてきちゃいけなかったとかいうレベル?」



アンのその言葉に、王妃が苦しそうに顔を歪め、目に涙を溜めた。いつ何時も動じる素振りを見せたことのなかった国王でさえも、眉間に皺を寄せ、目を閉じてぐっと何か言葉を押し殺しているようだった。


極め付けは、マヤだった。マヤからは、アンが期待するような言葉が聞かれないどころか、両膝をついたまま両手で口を覆い、涙をボロボロとこぼしながら、嗚咽を漏らしていた。



それを見たアンは悟ったように、


「ハハ……そういうこと……」


と引き攣った笑顔を見せた。その悲しみに満ちた表情を見たルビーは、アンが今にも消えてしまいそうな不安に駆られ、咄嗟にアンを抱きしめた。


「そんなことない! そんなこと絶対ない! そんな訳ないじゃない!」


何と言えばいいのか分からなかったが、ルビーはとにかく力の限り、ぎゅっとアンを抱きしめながら、繰り返し繰り返し伝えた。アンの目から一筋の涙が頬を伝った。





 アンの力が収まるのと入れ替わるように、アルフレッドの状態は悪化していった。いや、変化していった。



 アルフレッドは、一度ぶるっと身震いしたかと思うと、うめき声を上げ始めた。その声は次第に、側にいるエステルだけでなく皆にも聞こえるほどに大きくなっていった。


「うぅっ……うぁああっ! ぐっ! あぁぁああっ!」



自身の首を締め上げそうな勢いで、両手を首元に充て、ぜいぜいと苦しそうな呼吸を始めた。



さっきエステルだけに見せた額の生え際から、アルフレッドの髪色が少しずつ黒へと変化し始めた。


瞳の色は赤黒くなっていき、自分の体を自分で支えることができる程度に力が回復したところで、アルフレッドは、エステルに頼んだ。


「エシー、これで私を刺すんだ」


そう言いながら、自分の腰に刺してある剣を抜き、エステルに差し出した。その様子をシールドの中から見守っていたエレノアは、


「あぁっ……!」


と両手で口を覆い、気を失って後ろに倒れそうになったところを、隣にいたアレクサンダーが咄嗟に受け止めた。




エステルは、アルフレッドの言葉に被せるように言い放った。


「そのようなこと、する必要はありません!」

「エシー、そなたは賢い。こうなることは見当がついていたのであろう? だからずっと、私とアルバートを会わせないようにしていた。違うか?」



いくら王宮が広いとはいえ、ここまで家来の間で噂が立っていながら、これだけの期間、二人が出会わずにいられるはずなどなかった。誰かが意図的に仕向けない限りは……。



「このまま私を生かしておけば、今度は私が悪魔の化身として復活することになる。そして、それが唯一、我が弟を救う道なのだ。私が自ら命を絶った場合、それは成し遂げられないのだ」


エステルは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに否定した。


「お優しい兄上が、悪魔の化身になど、なろうはずがありません! 他に方法はあるはずです!」

「エシー……禁書の間に、ノートが一冊なかったことに、そなたも気づいているだろう。あれは、私が持っている」

「兄上が?」

「あぁ。そこに、全てが記されている。それを読みなさい。ノートは、私の部屋に隠してある。タペストリーの……」



そこまで言うと、アルフレッドは、


「ぐぁっ!」


と再び悶え始めた。呼吸がさらに荒くなり、ゼイゼイと音を立てながら息を吸っている。今や、離れている皆から見ても分かるほどに、髪の色はみるみるうちに黒へと変化していった。



「エシー、もう時間がない! 頼む! 私をお前の優しい兄のまま逝かせてくれ」



王位継承者として教育を課されるようになってからというもの、その時々の状況や相手の意を汲んで先に行動を起こすことが常になっていたエステルにとって、アルフレッドからお願いされるのは、これが初めてだった。黙ったまま見つめてくるエステルに、アルフレッドは苦しそうに、しかし何とか笑みを作りながら、


「最後まで、そなたには辛い役割をさせることになってしまい、本当に申し訳ないと思っている。しかし、それでも、これが皆のためになる唯一の方法なのだ。 エシー、頼む!」



エステルが、アルフレッドを真っ直ぐに見つめていると、ついにアルフレッドの髪が全て黒くなった。途端に、さっきまで冷え切っていたアルフレッドの魔法のオーラが猛烈な勢いで熱を帯び始めた。これ以上、正気を保つのは無理だと悟ったアルフレッドが、


「エシー、早く!」


と大声で叫んだとき、エステルがふっと笑顔を見せた。もう長らく笑ったことのなかったエステルの微笑みを見たアルフレッドは、目を見開き、表情を強張らせた。




 エステルは目に力を込め、アルフレッドの手を両手で握りしめて言った。


「兄上、悪役は私が引き受けます!」

お読みくださり、ありがとうございます!


次回、エステルは何をしようとしているのか?!


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