86.アンの髪色
振り返ると、柱の陰からアンが現れた。王族付きの精霊がかけた魔法を無効にできる者がいる。それが直系の王族だ。精霊を伴わないアンが扉を難なく通過できたのは、直系の王族の血を引く証であった。当然、国王も扉を開けられるが、それはお付きの者がすることであり、王自ら扉の開閉をすることはほぼない。
マヤは絶句した。何か言わなければ、と思うものの、何の言葉も思いつかず、ただただアンを見つめることしかできなかった。
アンは、片手で頭をグシャグシャっとかきながら、そんなマヤの方にゆっくりと歩み寄りながら、にっと僅かに笑みを浮かべ、
「母さん、その服、よく似合ってるね」
マヤは、他の王族付きの聖霊たちが着ているのとよく似た騎士のような服の上から、胸にアーム王国の紋章が入ったマントを羽織っていた。が、アンがここへ来てから目にした制服のどれとも違い、どこか古めかしいデザインだった。
「それ、どこかにずっと仕舞い込んでたってわけ? ていうか、俺って母さんの子じゃなかったんだ?」
「北斗……いつから……」
マヤは、アンから矢継ぎ早に繰り出される質問に答える気力も削がれ、なんとか声を絞り出して、最も気になることを尋ねた。アンは、ふっと口端を上げながら小さく笑うと、
「やだなぁ、母さん、忘れたの? 俺、これでも一応、忍びだよ?」
家に帰って来るときは、いつもドアをバーンッと勢いよく開け、いつだってにぎやかに過ごしていた息子が、マヤも気配を悟ることができないほどに腕を上げていたことに、母として嬉しくもあったが、このような形で事実を知らせることになろうとは……
「さっきの話からするとさ、俺ってこっち戻ってきちゃ駄目だったんじゃないの? 何で母さん、俺にシンを追えって言ったんだよ。当主がそう言ったから?」
「……いいえ。あなたが言う通り、あなたを連れて城から出て行ったときは、二度と戻って来るつもりはなかった。でも、ゲートを越えて服部一族の住む森に着いたとき、光の柱が降りてきたの」
「光の柱?」
「えぇ。光の柱が降りてくるのは、始まりの令嬢が生まれるとき。そして……勇者が生まれるとき」
「え?」
「あなたとシン様が同じ誕生日なのは知っているわよね?」
「……つまり、どっちが真の勇者か分からなかったってこと?」
「そう。そして、真の勇者かどうかは、五大精霊にしか分からない」
「あ~、それで俺も石を探す一行に含める必要があったって訳ね」
「えぇ」
「ふうん……そっか~。いやぁ、やっぱ母さんの方が何枚も上手だね。俺もだいぶ演技力ついたと思ってたけど、まだまだ母さんにはかなわないな。ハハ……
で、結局どっちが真の勇者だったの? 父さんが、母さんは俺を守るためにいなくなったって言ってたけど、仮に俺が勇者だったりすると、なんか悪いことでもあんの?」
マヤは、すぐには答えずに、一度アンから視線を外して目を閉じると、深呼吸をした。
「真の勇者は、恐らくシン様でしょう。問題は……あなたの髪色が変化していっていること」
アンは思いもよらぬ方向に話が飛んだことに一瞬拍子抜けしたが、確かに気になっていることがあった。
「俺の髪色って……もしかして、最近急に白髪が増えてきたこととか?」
「それは、白髪ではなくて銀髪よ。アーム王国の王族の証でもあるわ」
「……けど、俺のはもともと黒髪じゃん? ちょっと銀髪が生え始めたからって……」
「王族に双子の男児が生まれた場合、一人は銀髪、もう一人は黒髪で生まれると言い伝えがあって……」
マヤは、それだけ言うと、口を閉じた。黒髪で生まれた子が、国を滅ぼすと言われていることまでは伝えることができなかった。そして、その子が生き延びた場合に髪色がどうなるのか、またそれが何を意味するのかは、マヤにも分からなかったのだ。
アンは、これまでずっと引っ掛かっていたものが、すうっと溶けていくのを感じていた。薄々気づいてはいた。自分が両親の実の子どもでないことを。龍司が実の父でないことは物心つく頃には知らされていたし、誰もが知る事実でもあった。しかし、シンや龍司も含め、他のだれも、マヤまでもアンの親でないとは思っていなかった。アンは、マヤの連れ子ということになっていたからだ。
しかし、いろいろ疑問に思うことはあった。マヤがイギリス人だということは知っていた。アンの顔立ちも完全に西洋人だ。しかし、マヤとは明らかに似ていない。だが、それについては、父親似なのかもしれないと思うことにしていた。それよりも不思議なことがあった。マヤはいつまで経っても綺麗なままなのだ。最近では美魔女などといって、四十代、五十代でも綺麗な人はたくさんいるが、龍司と年齢はさほど変わらないはずなのに、並んでいるのを見ると、もはや親子と言ってもよいほどだ。アンといれば、姉弟と思われた。彼女かと疑われたことも何度もあり、女の子達と泥沼になりかけたことは一度や二度ではない。それもあって、特定の彼女を作るのを面倒がっていた部分もある。
だが、そんなことよりも不可解だったのは、アンの髪をずっと染めていたことだった。マヤはお風呂で、いつもアンに、
「あなたの肌色にはこれぐらいの明るさの髪色の方が似合うから」
と言って、いつも明るいブラウンに染めてくれていた。アンのもともとの毛色はシンと同じく黒だ。いや、シンよりも濃い漆黒なのだ。日本にいるのなら、黒の方が断然目立たないはずなのに、マヤはアンが赤ん坊の頃からこの色に染めていたと龍司から聞いた。
「なるほどね。言い伝え通り、本当に黒髪で生まれてきちゃったと。けど、それはあんまり……っていうか全く歓迎されてなかったってことだよね? で、国外に逃げて、それを隠そうとして染めてたってわけか……ハハ」
アンの乾いた笑いがシンと静まり返っている室内に響いた。
「アルバート……」
エレノアが震える声でその名を言うと、アンは、
「アルバートね……俺、エステルちゃんに付けてもらったアンドリューってここでの名前、結構気に入ってるんだけどなぁ」
と可笑しそうに笑った。場にそぐわないその笑いに、今、アンがどれほど無理をしているのか、エレノアには痛いほど伝わってきた。エレノアが口をつぐむと、アレクサンダーが代わりに、
「アンドリューか。エステルは名付けの才もあるようだな」
と少しだけ笑みを浮かべて答えた。が、すぐに硬い表情に戻すと、
「ちょうど来たようだな」
と開かれる扉を見ながら言った。
お読みくださり、ありがとうございます!
次回、扉から入って来たのは……
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