77.恩人
「ここで立ち話もなんじゃ。戻って、茶でもいかがかな?」
じいは、アンと龍司を拝殿に招いた。
龍司は、気持ちを落ち着けるようにお茶を一口飲むと、アンに問いかけた。
「北斗、母さんが、お前を送り出す時に言っていた言葉を覚えているか?」
「もちろん」
『シン様を追いなさい』
それが最後に聞いた母の言葉だった。
「マヤは、何か知っていたのだろう。恐らく、ずっと昔から……。当主からは、マヤを探すのを最優先にしていいと言われた。しかし、マヤがお前に追うように言ったということは、シン様の身に危険が迫っているのかもしれない。そして、お前にも……。だが、お前のことは、どういう形でかは分からないが、きっと母さんが守ってくれるはずだ」
「……そうだね」
アンが返事をすると、龍司は一呼吸おいてから、再び話し始めた。
「ともかく、我々が知らないところで、何かが起きているのは間違いない。シン様のことは、お前に任せていいか? 」
「あぁ、もちろん」
シンに言ったことはないが、アンは子どもの頃から、シンに一生仕えようと決めて生きてきた。アンとシンは幼馴染だ。それは、シンの父である服部一族の現当主とアンの父である龍司もまた幼馴染で、今も龍司はシンの父の片腕として働いているから、というのもあるが、それ以前に、アンはシンに何度となく助けられたからだ。
中でも、あの時のことは今でもよく覚えている。
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シンが鬼になってかくれんぼをしていたとき、公園の茂みの陰に隠れていたアンは、見知らぬ女から、
「北斗くんよね? ママが北斗君のこと、あっちで探してたわよ」
と声をかけられた。
(ママが、知らない人に付いて行っちゃいけないって言ってた。それに、何だかこの人、嫌な感じがする……)
「ほんとう? じゃぁ、シンも呼んでこなくちゃ!」
と、シンを呼びに行くふりをして逃げようとしたが、女はいきなりアンの腕をぐっと掴み、
「シンちゃんはまだ遊んでていいんですって」
とアンだけを連れて行こうとした。アンは、女の手を振りほどこうとしたが、すごい力で全く歯が立たなかった。
(こ、怖い! 声が出ない……)
女がアンを抱きかかえようとしたとき、シンが、
「見っけ!」
と言いながら木の陰から飛び出てきて、アンを指さした。すると、アンは力が入らなくなったと同時に、女の力もふっと抜けた。見ると、抵抗しようとしていたアンに、女は刃物を突き刺そうとしていたらしかったが、シンが瞬時にアンを守るために、一族の大人たちがやっていたのを見よう見まねで覚えていた呪文の一つ、恐らく、保護の呪文でもかけたのだろう。アンが抵抗しなくなったので、女は刃物をサッとしまい、
「見られたんじゃ仕方ないわね」
と言って、シンをもう片方の手で抱きかかえた。
今思えば、当時のシンの力なら、一人ならば逃げられたはずだ。だが、大人と戦ってアンも助けてやれるほどの力はなかった。それに、大人に助けを求めに行っている間に、アンの居所が分からなくなると思い、シンはわざと女に捕まったのだろう。
だが、その時のアンにとって、シンが一緒にいてくれたのはとても心強かった。それでもなお、女に車に押し込められたときは、怖くてたまらなかった。
(助けて! お父さん! お母さん!)
恐怖で声が出ず、心の中でずっと叫び続けた。そんなアンの手をシンはずっと握りしめてくれていた。が、その目は、女をずっと見据えていた。まるで、
(アンに何かしようものなら俺が絶対に許さない!)
とでも言っているかのようだった。アンは、子ども心に、シンは只者ではないと感じたのを覚えている。
恐怖のピークは、女のマンションに着いたときだった。中には、見慣れない服装をした男女が何人かおり、皆、長い剣を腰にさしていた。
(外国人? どこか遠くの国に連れて行かれるの? それとも殺されちゃうの?)
アンがガクガクと震え、立っているのがやっとという状態だったとき、シンはどこを見ているのか分からなかったが、ただじっと静かに立っていた。しばらくそうしていた後、シンが小声で、
「アン、何があっても、俺がいいって言うまで声を出すなよ」
と言ってきた。アンはただ、コクリと頷いた。それが、その時アンにできる精一杯だった。シンは、後ろ手に縛られていた縄を外すと、アンの縄もほどいた。女たちは、子どもだと思って完全に油断していたのだろう。奥の部屋に移動し、酒を飲みながら談笑し始めた。
アンが覚えているのはそこまでで、次に目覚めたときは、マヤの腕の中だった。龍司がアンを心配そうに覗き込んでいたのと、その奥で警察官から質問をされ、淡々と答えているシンが目に入ったが、話の内容までは聞こえてこなかった。
記憶のない時間、恐らく、誰かによって気を失わされていたのだろう。その間に何があったかは、シンしか知らない。だが、誰から聞かれても、シンがそれについて語ることはなかった。
いずれにせよ、シンが守ってくれたことは間違いなかった。
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(俺はあの時から、シンのことは何があっても守るって決めてるんだ。あいつは俺の、命の恩人だからな)
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