3
メアリーさん走り去る。
漸く自分の身体の違和感に気づいて
自分の手に触れて見る。
折れそうに細い手に鋭い爪
強靭な後脚に毛で覆われた全身としっぽ。
微かに風を感じるヒゲの感覚!
この開けた場所では落ち着かないのか
ヒゲがそよいで鼻がヒクヒクと情報収集する。
鋭くなったように感じる嗅覚には
いつもよりずっと強くて身体中に重く感じる
様々な匂いの情報。
目の前のアーモンドの香ばしい匂い、
乾いた埃と自分と違う生き物の匂い。
遠くの人の声に心臓の鼓動がはねて
今すぐにでも駆け出したい。
結局、アーモンドを諦めて
作業台を飛び降りると廊下に走り出た。
廊下の突き当たりまで来ると
壁を斜めに駆け上がり
通気孔に飛び込んで一旦静止する。
勝手に高まる鼓動と無意識の逃避行。
身体とまるで一致しない思考の訳に
やっと思い当たって呆然とした。
これは私の体ではなく
メアリーさんの身体だったのかと。
身体を動かす本能は動物そのもので、
それについていけないちぐはぐな私の意識。
どうやったのかまるでわからないけれど
私の意識だけがメアリーさんに
乗り移ったみたいだ。
私の体はどうなってしまったのだろう。都合よく意識不明のままで待っていてくれるようなそんな都合のいいことになるとはとても思えなかった。あの最後に感じた痛みは、あまりにも激しくてとても耐えられなかった。
心残りはないけれど
この町に来て借りた部屋に
無理やり運び込んだあの猫足の独り掛けソファで
熱々のチャイを飲むのが好きだったな。
メアリーさんはこの場を動かない。
眠ってしまったのだろうか。
通気孔の遠くからいつまでも聞こえる人声が
ふっと遠くなった。
アーモンド食べたかったな。