紅の魔女
魔女――アイリ・ウォンは、日課の見回りを終え森に入った。
「まったく」
(今日も帰って来ないのか、あのバカ者めえい)
彼女の入った森は、痩せた木々が並んでいる。だが、決して枯れている訳ではない。
魔女の森。
アイリの住む森を、人々はそう呼んでいる。馬車がやっと通れる幅の林道から外れ、その中に立ち入れば、決して生きて帰れない。木が生きて意志を持っており、森に迷い込んだ者を襲い、生き血や骨肉を養分とするのだ。アイリともう一人だけが、普通に出入り出来る。木達は勝手に身を避け、二人の為に道を作る。
「ただいま……みんな、今日もダメだったよ」
落ち込む彼女に、木々は枝を差し伸べた。
「気を遣わせてゴメンね」
アイリは歩きながら、伸びた枝を優しく撫でる。
(もう何十年たったろう……遅いよ)
森の中心に着くと、小さな池とアイリの家があった。
そこに、家畜の悲鳴が聞こえてくる。
(もおう、また?)
大切にしている家畜が、傍の大木に持ち上げられていた。
「そうやって遊ぶのは止めて。彼女は、私に大事なお乳を提供してくれてるんだからね」
アイリが言うと、木は抱えている家畜を、そっと下ろす。
「よろしい」
家畜の頭を撫で、懐から木の実を取り出して与える。
「滋養に効く実、良い乳を出してね」
保管していた枯れ枝を盛り、手を翳して火を灯した。
彼女が魔女と呼ばれる由縁――魔法だ。
世界には、魔法と呼ばれるモノが存在しない。正確には、彼女と弟子しか魔法を使えない。加えて、彼女は不老不死である。見た目は二十代ながら、既に齢二百を超えている。
懐からキセルを取り出し、葉を詰める。先を手の平で囲い、その中にも火を灯した。
赤い火を見て空を仰ぐと、こちらにも朱が差している。
「そろそろ夕飯を作らなきゃね」
家に入り、食料棚を眺めた。
(あっちゃー、食材買い忘れてた。もう保存食しか残ってないや)
空間だらけの棚から、干した肉と野菜を取り出した。
ぎこちない手付きで、肉を枝に突き刺して並べる。
(あぶっ……刺され、この……刺さって)
小ぶりの鍋に、適当に砕いた野菜と、瓶から取り出した香草を入れる。煮ている間に、粉を練って生地を焼く。煮戻した野菜と、焼きあがった肉を生地で挟んだ。
寒くない限り、彼女は外で食事を摂る。
焚火の横に置いた丸太に座り、火を眺めながらサンドイッチを頬張った。
齧るごとに肉の油と野菜の旨味が広がり、生地に染み込んでいく。
「うーん。我ながら上出来ですな」
独り言が空に消えた。
(おーい、飯炊き係。早く帰ってこーい)
翌日、彼女は朝早く森を出た。林道を抜けて、すぐ傍の国に入る。
「お、アイリさん。おはようございます」
「おはようございます。奥さん元気ですか?」
門番と話していると、行き交う人々から声を掛けられる。
「アイリさん、久しぶり」
「今日は、どうしたんだい?」
住む森は恐れられているが、アイリを悪く思う人間は居ない。
彼女は美人な上に人当たりも良く、持ち前の知識で人々に様々なアドバイスをしている。また、この小国バロミュスは、彼女の森が入り口に在るお陰で、隣国からの侵攻を防げているのだ。入り口には魔女の森、周囲は断崖に囲まれた天然の要塞。高価な特産物による行商で、国は成り立っている。
「お弟子さん、帰って来た?」
「……え?」
一瞬で、周りの空気が凍りつく。彼女にとって、これは禁句だ。
「それが、まだ帰って来ないんですよ。こんな美人の師匠を置いて、ホントに……」
そうして、延々と彼女のグチを聞かされる羽目になる。
「……アイリさん、もうその辺で。もう昼だし」
「えっ?」
空を見ると、太陽は真上まで来ていた。
アイリが狙っていた朝市は、とうの昔に終わっている。
「あああ」
頭を抱えながらしゃがみ込む彼女に、門番が肩を叩く。
「ココは安いから、朝市逃しても大丈夫だよ。ね? 元気出して?」
深く息を吐きながら、アイリは立ち上がる。
「うん」
目には、うっすらと涙を浮かべている。百歳を超えていてこの愛嬌なのだから、皆から慕われているのだろう。
市場はほとんどが昼食を摂っていたが、彼女が顔を覗かせると、皆が店先から出てきた。
「この魚どう? 新鮮だよ? 崖から一本釣りしたの」
「う、嘘だあ」
「ホントホント、アイリさんが、この前に教えてくれたじゃない」
「そ、そうだっけ?」
「そうだよ。忘れちゃったの?」
泣きまねをする店主に、彼女はオロオロと右往左往する。
「買う、買いますよお」
「ホント? じゃあ安くするよ」
「もう商売上手ですね、親父さん」
「……アイリさんが騙されないか、おじさん心配だよ」
女王が亡くなった王国で、彼女は代わってカリスマを得ているのだった。
森を構えて十年ほど経ったある日、一人の若者が入って来た。
目的は、魔女の討伐。
当時のアイリは、稀に買い出しにバロミュスに潜り込むぐらいで、人と関わりを持っていなかった。『紅の魔女』については人々に知れ渡っている。国にとって、いきなり眼前に魔女の森が現れるという、天災に等しき事件だった。
国自体も、酷く荒れていた。
王は亡くなった王妃の代わりに、隣国から妃を娶った。その王が病に伏せて表舞台から姿を消すと、王妃は国民に圧政を強いた。
先代王妃の息子は人柄も性格も良い人物だったので、今の王妃へ強く意見した。すると、生きては戻れない魔女の討伐を命令されてしまったのだ。
彼は、信頼する何人かの部下達と森に入った。
だがその矢先、部下達は木々に尽く取って喰われた。
それでも彼は奮戦し、たった一人でアイリの住む森の中心部まで辿り着いたのだ。
半死半生だった彼を、彼女は自身の受けた儀式で救う。
外法師の儀――アイリは、正式に言えば魔法使いでは無く、外法師と呼ばれる。武技に長け、かつ魔法も扱う不老不死の人種――人の道から外れた、外道。
彼女は、意識を失っている彼と目合った。
他に彼を救う方法を知らなかった。外法師は異性と交わり、その命を不老不死に近いモノへと変える。彼は絶対的な生命エネルギーを得て、アイリと同じく魔法を扱える人種となった。
息を吹き返した彼を、弟子として傍に置いた。自身の剣技を叩き込み、魔法の何たるかを教えた。
だが、本当はしなくても良いことだった。
外法師は儀を終えた後、もう一つの儀式を行う――儀を施された者が、先代を殺す――そうすると、先達の記憶や知識は、後代の身体へと流れ込む。外法師は、外法師によってのみ、殺すことが可能。何故なら、外法師は外法師が使う『外道の法』でしか死なない。加えて、通常なら外法師は二人一時に存在してはならない。外法師の異常な生命エネルギーは、周囲の命を捻じ曲げる程に強力なのだ。この森とて、アイリが何か細工をした訳でも無い。ただ存在するだけで、命が強まる。そんなものが、二人同じ場所に存在してはならない。
だが、アイリは続く儀を行わなかった。
独りで放浪していた彼女は、家族が欲しいと思ってしまった。
修行を行いつつ、周囲の歪みを人知れず修正する。忙しいながらも平穏な日々だった。
そうした生活が十年ほど続いた時、国で異変が起きた。後の女王も病に倒れ、その連れ子が代を継いだ。
弟子となった男は可愛がっていた義妹を助ける為、仮面を着けて国に戻った。
しかし、平穏な日々など無かった。
何処から噂を聞きつけたのか、他国からの侵略が開始された。
彼は戦った。
だが健闘も虚しく城まで攻め込まれ、若い女王は死んだ。
彼は怒り狂い、叫んだ。
それまで傍観を決め込んでいたアイリも、彼の為に前線へ出た。
二人で敵を完膚なきまでに叩きのめし、退けた。
戦いが終わっても、彼は己が弱さを責め続けた。
アイリは居た堪れなくなり、彼に秘術を行った。
外法師の秘術――異世界への転移。
アイリは、彼を送った。
でもいつか帰って来るんじゃないかと、居を移さず、彼の愛した王国の復興に尽力した。
そして今は、先代の親族が王国を治めている。
家に戻ると、既に火が炊かれていた。
(あれ? 消し忘れたっけ?)
彼女が首を捻っていると、
「お帰りなさい」
家から顔を出す者がいる。
「あー!」
「え?」
「あー!」
「どうしました? しっかり!」
「遅い! 遅いよ!」
「戻って来てしまいました」
「まったく!」
エプロンで手を拭きながら、ゆっくりとした動作で出てくる。
姿を現したのは、草薙 零――アイリの弟子だった男だ。




