神狩 秀遥:伍
やれやれ、緊張する。どうして私は心が弱いのに、貧乏籤ばかり回ってくるんだ。
御所の座敷に一人――小夜子君も合流する事になっているが、それまで独り乗り切らなくてはならない。
襖が開き、黒嵐が入って来た。
話には聞いていたが、被っている半面は異様な雰囲気を漂わせ、私をより緊張させる。
続いて、扇で顔を隠した神皇。
また黒嵐。短いスカートから見える足が、更なる異空間を演出した。
「あの人」「誰かな」
頭を下げていると、隣の座敷から声が聞こえた。確かに二人の声だが、一文を代わって話している。
「面を上げよ」
以前に会った時と、変わらない姿の神皇が座っていた。外見が変わっていない。
真逆、強化を受けているのでは無いだろうな。
「ん……待て」
扇の陰で、口元から何かを引き出した。一瞬、扇から見えた指先には、黒い糸のような物が絡まっている。
「やはり剃髪させておけばよかった。食感は悪うないが、歯に絡むのが憎きところよ」
剃髪?
あれは髪の毛か?
――何だと?!
歯に挟まった髪の毛を出したのか?!
「爪も面倒じゃのう、鱗の如く喉に貼り付きよる」
全身から汗が噴き出し、背筋を悪寒が走った。
間違い無い。
神皇は喰っている。矢張り強化を受けているようだ。
「我慢せねばならぬのが、辛きところよな」
「我慢、とは?」
「妾はな……生きておるか死んでおるかも判らぬ、美しい者を見てから、死体こそ美しいと感じるようになってしもうた。死体の姿を心に刻み込むため、己が血肉とするのよ」
「死体をですか?」
「そうすれば、妾の心にずっと居ってくれる」
狂っている。
我が国の主は、既に狂っている。
「愚かしいと思うか?」
「い、いえ」
「自分でも、愚かしいと思うておる。じゃが、どうにも止められぬ」
自覚は有るのか。
だが、止められぬのでは意味が無い。害は同じだ。
「やっぱり」「怖いね」
「……あの、先程から声が聞こえるのですが」
「おお、入って参れ」
神皇が手招きすると襖が開き、二人の少女が入って来た。
二人は同じ着物に同じ顔、どうやら双子のようだ。
「山葵という姉妹らしい。借りを作ってな、ゼロから預かっておる」
山葵は知らないが、双子?
『二枚舌』を移植した双子か?
どういった経緯で預かっているんだ。
「一葉と」「二葉と申します」
そっくりな双子が目の前に、鏡写しのような黒嵐は部屋の隅に。座っている華美な着物しかり、自分が異世界に迷い込んでしまった錯覚を感じる。
嫌だ。
贋作なら見慣れているからまだしも、この奇妙な空間は、思わず逃げ出したくなる。
「しかし、双子とは美しいな」
扇の奥から見える神皇の眼が、妖しく光っている。
「美しい……くふ」
くふ?
何だ、そのおかしな笑い方は。
「止めなさい!」
襖が突然開き、小夜子君が叫んだ。
「何をしようとしているのですか!」
何をしようとしている?
神皇は美しいと言った。
先程、美しいものを心に刻む為、何をすると言った?
くふ――喰うのか!
「貴女達! 下がりなさい!」
入りながら、小夜子君は更に叫ぶ。双子は迫力に押され、隣へと戻った。
「貴女は何者ですか?」
「殺すぞ」
双子が退くのに代わり、黒嵐の二人が神皇の前に立った。
私の身体が強張り、全く動けなくなる。金縛りに遭ったようだ。
何だ、この二人の能力は。
「神狩博士、下がりなさい」
身動きがとれない私の首元を握り、小夜子君が後ろに引っ張る。二人から離れると、途端に身体の硬直は無くなった。ただの人間の私と違い、彼女は強化を受けている。だから、まだ動けているのだろう。
「ここは、わたしが」
両耳のピアスを掴み、ぶちりと引き千切った。
「おい、小夜子君」
「四の五の言ってはいられません。生死が掛かっています」
彼女は震えている。
「はぁ……はぁ……」
呼吸も荒い。
「もう神皇になんか会えない。今日しかない。わたしを止めなければ……救わなければ」
極度の緊張と、葛藤と戦っている。
血に染まったピアスを握り締め、両の拳にフッ、フッ、と息を吹き込んだ。
「大丈夫、できる」
私と黒嵐の間に立った。
「貴女達は……領域に入らなければいいんですね」
小夜子君の言葉に、黒嵐二人が息を呑む。
思い出した。
一定区域に効果を発揮する、精神への寄生型を移植した覚えが有る。黒嵐は仮面で顔がよく見えないから、区別がつかん。
「来なさい!」
彼女の言葉に、長いスカートが私の前に、つまり小夜子君の背後に回る。
「大丈夫だ!」
私は「危ないぞ!」と言おうとしたのに、逆の言葉を発した。
「小夜子君、安心しろ!」
まただ。
今度は「気を付けろ!」と言うつもりだったのに。
思考と行動の反転――これが目の前に立つ黒嵐の能力か。
服装から察するに、神皇の前に立つ黒嵐は逆の能力を移植した者だな。
二人の領域へ一度に入ると、反転と正転が伝達系で衝突し、対象は全く動けなくなる。それが先程の硬直なのだ。
「埣は何者じゃ?」
黒嵐の陰から、神皇が声を出した。
「お稲荷さま、先日お会いしましたよ?」
「そう言えば居ったかのう、忘れてしもうた」
「例えて言うなら、悪夢を食べに来たバクです」
「ほう」
「いきますよ」
黒嵐の二人が、同時に踏み出した。
挟まれた彼女は、垂直にジャンプして前後に開脚――硬直する筈だが、予め蹴り上げた足で、迫る二人の顔を蹂躙する。
そのまま神皇の前に立つ、短いスカートの黒嵐へ突進した。
「思考そのまま、でしたね」
握った拳を鳩尾へと打ち込み、顎を下から打ち上げ、よろめく黒衣にワンツーを叩き込み、再び鳩尾を殴る。面白い程、その攻撃が当たっている。
「避けられませんよ? 貴女が避ける方向は分かりますからね」
凄い。
「後ろから来てますね」
背後から迫る黒嵐の片割れに、前方の女を飛び越える。頭を蹴って、近寄ってきた黒嵐へとぶつけた。
その陰で屈み、走り出す。
「領域へ入る前に考えて、攻撃したまま近付けば問題ありません」
加速した体勢からジャンプし、飛び蹴りを二人に叩き込んだ。
「ふう」
沈んだ黒嵐を前に、息を吐く。
強いな。
「さて、次こそキツネ狩りです」
「……くふ」
「うるさい……『声』ですね!」
言いながら、彼女は握っていた拳にスナップを効かせ、神皇へとピアスを投げつけた。強化された筋力で放たれたピアスは、正確に、且つ素早いスピードで眼に突き刺さる。
「が!」
「美しいと執着するなら、そんな腐った眼は捨ててしまいなさい」
「貴様!」
「あまり動かすと、本当に失明しますよ。ね? 神狩博士?」
いきなり私へ振られても、対応に困る。
「あ、ああ」
「神狩博士に取ってもらいましょう。だからお稲荷さま、聞き分けて下さい」
「ぐ……う」
「ごめんなさい、は?」
「うるさい!」
神皇の手が伸びる。
巨大な蛇と成り、小夜子君に大顎を広げた。
「貴女が黙れ!」
握られた手を振るう。
「ぎゃ!」
神皇が肩を押さえた。
蛇の口から入ったピアスが、直線となった腕を貫き、肩に達したのだろう。
「ごめんなさい、は?」
「貴様……なんじゃ……?」
「貴女ですよ。今なら大丈夫です。今すぐ、そのくせを直しなさい」
「駄目じゃ!」
今度は着物の下で足が畝った。何かに変化したな。
「ミミズですか!」
小夜子君が前方に跳んだ。
刹那、大きな蚯蚓が、彼女の居た畳を跳ね上げる。
「もう一人は嫌じゃ! 皆と、皆と一緒に居るのじゃ!」
そうか、神皇は――この子は幼いのだ。
幼いまま過ごしてきたのだ。
焼き付いた憧憬に固執して死体愛好者となり、身に宿る異形に負けて――彼女は脆い。痛みへの耐性も低い。戦闘経験が少ないからだ。対して小夜子君は強い。己を奮い立たせている。きっと、自分の中の『何か』と戦っているのだろう。
「ごめんなさいと言いなさい! 今なら、まだ引き返せる!」
飛び上がった小夜子君が、神皇の頭を叩いた。
「――ご」
「ご?」
「ごめん……なさい……」
眼と腕からピアスを抜き取り、小夜子君と私のハンカチで包んだ。
黒嵐の二人は、項垂れながらも部屋の隅に腰を下ろしている。
「幸い浅かった。応急処置だけで、直ぐ回復するだろう」
「お稲荷さま、もう喰べるのは止めて下さい」
「何故じゃ? 腹が減ったら喰う。死した者を敬うために喰う。妾は、当然のことをしているまでじゃ」
いきなり、小夜子君が神皇の頬を叩いた。
「なにをする!」
反論を聞かず、ばちん、ばちんと何度も叩く。
「止め……止めて、くれ」
神皇の眼から、涙が零れ落ちる。泣き顔まで、まだ子供のままだ。
「聞き分けのない子供を叱るのは、大人の役目です」
小夜子君は優しく微笑み、頬を伝う水を拭った。
「貴女は一国の主として、強くならねばなりません。国民の手本となり、揺るぎない道標となるのです」
「いやじゃ。喰わぬとは、また一人になることじゃ……妾は、もう一人になりとうない」
両親が死に、精神が不安定となった状態で贋作を受け入れたのだろう。だから色々なものが混ざり、歪んでしまった。
「不安ならば、もっと大人を頼りなさい。その為に居るのだから」
そして、優しく頭を撫でる。
「貴女は大丈夫。言ってごらんなさい? 自分は大丈夫だと」
「わ、妾は大丈夫だ」
「そう言えるなら、大丈夫なんですよ」
「わ、わかった」
「……は、はあああ」
その途端、小夜子君は力が抜けて座り込んでしまった。




