草薙 零:伍
屋敷で受話器を置く。
小夜子先生の話は、実に面白いものだった。
キツネ面――稲荷は神皇陛下だろうが、知らない黒嵐の名前が出たからだ。兄を疑う他に、疑うべき人が増えた。
時計屋。
参謀からは、そんな人物が入ったと言う連絡は来てない。
それは彼女も知らない人物なのか、二人とも意図的に隠そうとしているのか。
手帳を取り出し、詳細を書き込んだ。
研究所に居た頃から記憶の抜けを危惧し、何か有れば手帳に書き留めるようにしている。ペラペラと手帳を捲ると、何度も考えていた文字が目に入った。
――兄さんは何処に?
神崩研究所跡で発見された時、書き込んだ文章だ。
発見されたのは、他に綴、班、百合さんだけ。彼は居なかった。一体、何処に姿を消していたのだろう。
じっとしていても、良い考えは浮かばないな。少し散歩しよう。
上着を羽織り、入り口に向かう。
屋敷の中には、生活音が響いている。
広い屋敷に、百合さんとの二人暮らし――の筈だが、そこかしこから音が聞こえる。
掃除をする音。
洗濯をする音。
誰かの駆け回る音。
以前に音のする部屋を覗いてみたが、誰も居なかった。室内に置かれた薬缶からは湯気が溢れ、確かに今まで居た――ような痕跡は有るが、影は消えている。
人は慣れるもので、もう全く気にならない。
入り口の近くでは、百合さんが掃除をしてくれていた。
「お疲れ様です」
「どちらへ?」
「ちょっと散歩に行ってきます」
「御供致しましょうか?」
ふむ。
こんな機会は滅多に無いし、まあ良いかな。
「じゃあ、お願いします」
言葉を聞いた途端、彼女の影が伸びた。
蕾の如く彼女を包み、花のように開く。
「折角ですから、御目化しさせて頂きました」
珍しく白いドレスを着ている。短く撫で付けていた黒髪は肩まで伸び、白い肌に映えるよう、唇には朱い紅が引かれていた。
「いつもの姿も凛々しいですが、その恰好も綺麗ですね」
「有難う御座います」
言いながら、背中から日傘を取り出して広げた。骨の先には硝子製の飾りが並んでいて、風鈴のような音を立てている。
「洒落ていますね」
「さあ、参りましょう」
新緑の間から、木漏れ日が差し込む。
良い天気だ。
何もかも忘れてしまいたいが、悠長に構えている暇は無い。
「百合さん」
「何か?」
「時計を読む能力者に、心当たり有りませんか?」
「時計で御座いますか?」
「時計、です」
場を濁されたのが気に食わなかったのか、声色は低くなった。
「……神崩の女房が、その様な能力だったと思います」
「神崩博士の奥さんですか?」
「ええ、あの醜女です」
さらりと酷く言ったぞ。嫌いなのかな。
「博士の奥さんって、何処に居ましたっけ?」
「研究所が消滅する前、行方不明に為りました」
行方不明、か。
時計屋である可能性は、十分に考えられるな。




