桔梗 小夜子:肆
目の前に炎が広がった。
「ち、ちちち、近えー!」
近い近い近い!
死ぬ! 燃える!
神狩 響子め、なんて女だ。そりゃスタイルは上だからって、何をしても許されると思っているのか。この。
いきなりスライディング。
「アブゥ!」
わたしの足をすくう攻撃に、変な声を上げながら倒れる。
「ナニしやがる!」
その時、『外』から軋んだ音が響いた。
「あの音は?」
「シカトすんな!」
「……あの音は?」
「鏡だよ! 開いたンだろ!」
直ぐに駆け寄り、鏡を覗き込む。
「オイ!」
三面鏡に光が点り、連なった鏡面の向こうに、響子が立っている。
「ん……んー?」
「ナンだ、どうした?」
首を傾げていると、横から本人も覗く。
『開いてネェのか?』
「行きます!」
響子が写っている事など構わず、わたしは鏡に滑り込んだ。
「えっ……置いてくな、コラ!」
一緒に走り出す。
「……あ……ああ……」
後ろから贋作が追って来ているみたいだが、構ってはいられない。
「おりゃあぁぁぁ!」
「あああああああ!」
二人で負けじと叫びながら、果てしない鏡を潜り続ける。止まってなるものか。
三面鏡から出ると、やっぱりもう一人の響子が立っていた。
「くふ」
奇妙な笑い方をしている。
「あン?」
同時に鏡から出た響子は、別の自分を見て訝しげな声を上げた。
「弱くもないが強くもない。無能な女、後は任せよ」
続いて贋作も這い出て来る。
「チッ……初撃、足を掴んできます」
もう一人の響子は、時計屋さんの言葉を聞き、その場でジャンプ。
言葉通り足を掴もうとした腕は、虚しく空を切った。
「くふ」
そのまま着地で腕を踏みつけ、動きを封じる。
「ああぁ……」
「あまり美味くもなさそうじゃが……喰ろうてやろう。妾を前にして姿も見せぬ下郎め、その下卑た肉を見せてみよ」
繋がったままの鏡に手を入れ、贋作を引きずり出した。
一気に引き抜かれたが腕は踏まれたままなので、勢いにぶちりと引き千切れる。
「あ……あ……あ……」
「汚い口を開くな……くふ」
踏んでいた贋作の腕を持ち上げる。有り得ないくらい膨らんだ顔が、その腕を丸呑みした。
「ナンだ……コイツ……」
本物響子が呟く。自分の顔が人の腕を丸呑みにしていたら、そりゃ引くだろう。
「ふむ、やはり不味い」
「ああぁぁぁ……」
「喋るなと言うておる」
響子が揺らいで見えたかと思うと、分厚い鉄板へと姿を変えた。
これ……変化……?
そそり立つ鉄板は、そのまま床にひれ伏す贋作に倒れた。
ぐちゃり。
ぐちゃり。
わたしのトラウマを刺激する音がする。
倒れた鉄板が人に姿を戻し、潰れた贋作を喰べているのだ。
「オイ、時計屋……」
「チッ……先程の客人です」
やがて贋作を喰べ終えた人が、その場に立ち上がった。
縁日で見るようなキツネ面を被り、黒い軍服を身に纏っている。黒を基調としてデザインが違う黒嵐の軍服だが、彼女――わたしより可哀相な大きさに膨らんでいる胸の女性には、全身に金色の刺繍が施されていた。
何て派手な。
軍服の黒さなんてあったもんじゃない。例えて言うなら、喪服で空色の傘を差しているようなもの。
「……くふ」
この人は――駄目だ。
わたしの中の悪意だ。
心がどうなっているのか判らない。響子はどう思うだろう。
『面を付けたままで、どうやって喰ったンだ?』
あ、そっち?
うーむ、確かに。
「っつーか、テメー誰だよ」
「稲荷と言う、埣と同じ黒嵐が一人よ」
「ヘンなヤツ」
「初対面に無礼な女、主も喰われたいのか?」
「イヤに決まってンだろ、カンベンしろ」
『この女、どっかで会った気がすンな。まさか神皇か?』
え、神皇陛下?
『イヤイヤ。コレほどの力があンなら、自分で鏡を始末するだろ』
そうそう。
『でも、表立って動けネェっつー理由はあるか』
それはありますね。
『少なくとも御所にいたんじゃ、人の目もあるし親族もいる。鏡に手は出せネェかもな』
なるほど。
『でも黒嵐に依頼して持ち出したら、後はテメーが動きゃいい』
「可能性はありますね」
「……あ? オメー、いきなりナニ言ってンだ?」
しまった。
余りに大きくて、自然に聞こえる『声』だったから、つい普通に言葉を返してしまった。
「い、いえいえ! 喰われる可能性があるってボケですよ」
「不吉なコト言うな」
「……さて、久しぶりに喰えたことじゃし、妾は帰る」
二人で話していると、お稲荷さまが口を開いた。
「つーか汚してネェで、片付けてけよ」
響子の言葉を無視して三面鏡を拾い、ごく自然に出て行った。
「オイ!」
彼女は危険だ。
その行動を、止めなければ。
次に出会ったら、命を賭けてでも彼女を止めよう。
わたしは、わたしの残滓と向き合うべきだ。
「このままじゃ死ねませんね」
「あ? ナニ?」
そこで、押し黙っていた時計屋さんが口を開いた。
「チッ……やはり貴女は、死なないのですね」
どういう意味ですか?
「ナンだよ、オメーまで失礼なヤツだな」
「帰ります……チッ」
「待てや! コトの発端なら、片付け手伝ってけ!」
響子の言葉は、再び無視されて時計屋さんの背中に反射した。
「あー」
深い溜め息を吐いて、彼女は自分の部屋を見渡す。煤と肉片で、はっきり言って酷い有様だ。例えて言うなら、焼肉の終わったご家庭の鉄板。鉄板さんが荒らしただけに。
「わ、わたしも帰りまーす」
「あぁ?」
がっしり腕を掴まれる。
さっきの贋作にしか見えませんよ。
「お、お客ですよね? お邪魔しましたあ」
「客じゃない、メイドだ」
「へ?」
「メイドよ、掃除しろ」




