神狩 秀遥:参
黒嵐の部屋に向かって、本部の廊下を歩く。
真逆、草薙特佐の召使がオリジナルだとは思わなかった。それならば、二人より一人を相手にする方がましだろう。隊長の無名に会い、研究記録について聞くつもりだ。
最初から聞きに行かなかったのは訳が有る。単純に怖いと思ったのだ。一度だけ会った事が有るが、その時に思った。
――これは、人じゃない。
強化の施術に伴い、何度も贋作を見てきた自分が直感した。そしてそれからは、接触を意図的に避けてきた。
だが今は、それでも会おうとしている。
もう自棄だ。
しかし、流石に二人きりで会うのは危険に思い、世輪傍に立ち会ってくれるよう連絡を入れておいた。
国からの援助が向けられた数日後、世輪傍は突然現れた。部屋に倒れていたのだ。酷く傷を負い、声帯は原型を留めていなかった。何処で行ったのか強化手術を終えていた彼女は、高まった治癒力でも再生が追いつかず、強化を重ねた上で整形までしなければ、傷の跡が残ってしまう程だった。
回復した世輪傍は、今までに無い強化を私に教えるばかりか、響子に自身の子宮の一部を移植させた。贋作のコアが欠けても二つ名を獲得している辺り、あの女の融合レベルが高いとしか言いようが無い。移植されて長い年月が経っているのか、数多の戦いをくぐり抜けてきたのかどちらかだろう。
黒嵐の居室前には、部屋から出て世輪傍が待っていた。短い袖と七分の袖が重なった、専用の黒い軍服で身を包んでいる。
「神狩、待っていました」
顔は美しいままだが、浮世離れした印象は濃くなった気がした。
「世輪傍、久しぶりだな」
「今からは、黒嵐の参謀です」
言いながら仮面を取り出す。そう言えば、黒嵐では仮面を着けて任務に就くと聞いた事が有る。
「先日、響子が入りました」
「ほう」
響子が……良く頑張っている。後で会いに行くか。
「予定は順調です」
予定など知らない。この女、何をするつもりだ?
「彼女には、まだまだ力を付けて貰わなくては。彼女の目的を達成するタメには更なる力が、絶対的な者と戦う力が必要です」
「また戯言か?」
「夢を語る者など、端から見ればそんなモノ」
「夢?」
彼女の口から、夢などという言葉が出るとは思っていなかった。
「例え輪廻の渦を外れ、独りになっても、己の信じるモノを護る。それが彼女の真実」
まるで自分の事のように嘯く。
被っている仮面と相まって、道化にしか見えない。
「アナタだけは、自分の娘の味方でいなさい」
紡がれる白々しい台詞も、姿のせいで本気なのか判らない。
「少なくとも、隊長が何を言っても応じてはなりませんよ」
やはり無名を庇護する方便か。
「入ります」
黒嵐の執務室には、大きな机を囲み椅子が並んでいるだけ。資料の棚すら無い。会議室の様相だ。神皇の特命が任務なだけに、書類を残すのも憚られているのだろうか。
「久しいな、神狩」
無名は椅子に腰掛け、抑揚の無い声で話した。仮面を付けているので、世輪傍と同じく表情が判らない。
やはり怖い。
全身に鳥肌が立ち、冷や汗が震える背中を滑り落ちていく。絶対的なモノに対する恐怖。内なる自分が、逃げろと叫んでいる。
私の震えを見付けてか、世輪傍が小さな声で耳打ちした。
「神狩、恐れていても震えては駄目です。畏れは人を人たらしめてしまう。仮にも貴方は随一の研究所を率いているのですから、隊長とは対等で居なさい」
背中に軽く拳を当てられた。どうやら、彼女なりに身内を気遣っているようだ。
「神崩の研究記録が欲しい」
「何?」
声のトーンに変化は無い。
私の質問を、どう受け取ったのだろうか。
まるで、声が吸い込まれてしまったようだ。空中に霧散するのではなく、見えない生物が音の震えを食ってしまった。そのくらい変化が無く、得体が知れない。世輪傍の発破が無ければ、ただの人である私は、続く言葉を絞り出せなかっただろう。
「……だから、記録を……」
「零を何度か訪ねているのだろう? そんな物は無い」
「ならば、どうやって」
言葉を続けようとしたところ、無名が手で遮った。
「貴様は、贋作を何だと思う?」
「何とは?」
「何処から来た何なのか」
この言い方、自分は知っているとでも言うのだろうか。
「人を殺し、人を喰う。行動は直情かつ本能的なのに、絶えず餌場に入り浸らないのは、一体何故か――」
「それは……そうだが……」
「贋作は、人が死に絶えれば消滅する存在。更に言えば、人の考えた恐怖の具現化だ」
「そんな馬鹿な!」
「事実だ。だから人の思う、聖なるモノが通用する」
「神器か」
「話が逸れた。人から生まれた存在だから、人が居なくなれば消滅する。奴等は本能的に、それを知っている。だから、絶えず市街地を攻め入るような真似はしない」
「ならば、どうして発生したのだ」
「別の世界に留まっていたが、容量が一杯になったのだろう。そして溢れた、この世界に」
「負の感情だけが、何故?」
「人が囚われ易いのが要因だ。楽しい事は直ぐに忘れ、反芻しない。だが恐怖や不安は、何度も何度も考える。溜まってきて、とうとう溢れてしまった」
「しかし、贋作を目の当たりにすれば」
「人は恐怖する」
そして更なる贋作が発生する。
悪循環だ。
本当だとすれば、既に溢れてしまった贋作を止める術は無い。人が絶滅しない限り。
「神狩。ここからの話は、二人だけになる必要が有る」
「隊長!」
世輪傍が、悲鳴にも似た声を上げた。無名の保身を気にしているのか、私の身を案じてくれているのかは判らない。
「神器に関する事だ」
どうする。
情報は可能な限り欲しい。
「分かった」
「神狩!」
「多層回路、出て行け」
二つ名で呼ばれた世輪傍は、躊躇しながらも静かに部屋を出た。
「――さて神狩、出向いてくれて助かった。こちらからは無理だったからな。神崩を憎む貴様だからこそ言える。味方になれ」
「味方だと?」
「本当の敵は、贋作などでは無い。先刻までの話は、参謀が居る為に吐いた嘘だ」
「詭弁か? 策を弄しているようには見えんが……」
「信用出来る人物が必要だ。その点では、お前は及第点に中る」
貴様に信用されても、困る。
「――神崩には、まだ生き残りが居る」
「今の他に、という事か?」
「暗躍している」
「それは、オリジナルがクーデターを起こそうとしている。と考えて良いのか?」
「構わん」
とんでもない事だ。
オリジナルは『最低でも』一個師団に相当する。
「正確には、起こそうとしている、では無く、既に起こしている」
「それは……」
「そう、神崩消滅だ」




