五億年を過ごして
あの時はまだ若かった。お金はほしいし嫌なことは嫌だった。
今どきの若者だったら、スマホをいじっていてふと気がついたらとてつもない時間が過ぎていたということはあるだろう。
僕もあのことはそうだった。
君は「五億年ボタン」という話を聞いたことがあるだろうか。
話としては至ってシンプルで、一回ボタンを押したら別の空間に飛ばされてそこで五億年もの時間を過ごさなければいけなくなるというボタンである。しかし、この話をより面白くしているところはまさしく五億年さえ経てば記憶が消されて百万円を手に入れることができるというところなんだろう。
この点の解釈が人によって違うのが面白い。人によっては記憶が消されるから実質なにもしなくても百万円がもらえると解釈するものもいるし、記憶が消されるとはいえ五億年という果てしなく長い時間を過ごしている自分自身が存在するということで恐ろしく感じるものもいる。
話を戻そう。
あの頃の僕の目の前にもその五億年ボタンというものが置かれていた。
そして僕は、そのボタンを押してしまったんだ。
最初にあの空間に飛ばされてしまった時は、それはもう絶望という言葉でさえも表現できないほどの気分だった。あの気分は二度と味わいたくはない。五億年ボタンを押してしまう以前から五億年ボタンという話を知っていた僕は、とっさに状況が理解できていた。この場所で五億年を過ごさなくてはならないと。
けれども、僕はとても幸運な状況でこの空間に来ることができた。
そもそもあの時、僕は高校に行く身支度をしていた。その時に足元にあったあのボタンを踏んでしまったんだ。
なぜ踏む前にボタンがあることに気づかないんだっていう君のツッコミは痛いほどわかる。だけどあまりに一瞬のことで、僕は覚えていないんだ。そういう君だって、昨日の晩御飯を何時何分に食べたか正確に言えるかい?
確かスマホを見ながら移動していたか、あとはなんだか踏んでみたくなるような形をボタンがしていたからか、またはそれ以外かはさっぱり覚えていない。まぁ、なんせ遠い昔のことだからな。詳しくは君の想像に任せるよ。
ともかく、僕はあの空間にいつも高校に行くときと同じ身なりでくることができたんだ。
そう、後ろで背負っていたリュックサックも一緒にね。
それからというものの、僕は手につけていた腕時計を頼りに五億年生活を開始したんだ。ある意味異世界生活だ。転生したわけでもましてやゲーム要素もないし、ツンデレな幼馴染や心をいやしてくれる天使(幼女)もいない寂しく孤独な生活だったけれど。
まずはじめに、僕はあの空間の謎について調べることにした。
手始めに地面を叩いてみたり、蹴ってみたり、地団駄を踏んでみたり、ナイフでカリカリしたり。
するとナイフで傷をつけることには成功した。だけど穴を開けることは不可能だということは床を叩いた音でも明らかにわかった。
この事実がわかってからというものの、毎日を地面に傷をつけたり、削り取ってみたりするというどこかの四角い世界で生きるゲームかとつっこまれそうな生活を二千年続けた。
この二千年間のおかげで僕は拠点を築くことができた。この地面を構成する謎の物質のその謎な強度によって、細く切って糸のようにしてもナイフを使わない限りは絶対に切れなかった。てかなぜナイフで切れたんだ。
そうしてかれこれ一万年になろうとしていたとき、すでに僕はこの五億年生活を楽しみ始めていた。あのころの絶望ですら表すことのできない気分はもうさらさらなかった。
しかし、この生活が終わったらこの記憶はすべて消されてしまう。この事実だけが非常に厄介だった。
この「記憶初期化問題」を解決することがこの五億年生活の最終目標だった。
それからというものの、僕は日々の生活と同時進行でこの記憶初期化問題を解決することにした。
普段は大都市を建設してみたり、数学の未解決問題を解いたりしながら過ごしていた。なんといってもやはり電子辞書には暇つぶしという点で大いに助けられた。あの空間では時計も電子辞書も電池が切れることはないというなんとも奇妙な減少のおかげで、高校生用電子辞書に収録されている内容をすべて覚えるというのはとても楽しい暇つぶしだった。またこの暇つぶしのおかげでなんとしても「記憶初期化問題を解決しようというモチベーションを保つこともできた。
電子辞書を丸暗記してしまい、押す前の世界では「超絶生き字引」または「歩くウィキペデェア」と呼ばれるような存在になった。そのあともいろんなことをしたけれど、孤独感を紛らわすためのロボット郡を作り終えたあとは、「記憶初期化問題」を解くことだけに集中する生活(20時間寝て4時間考える)となっていた。
「記憶初期化問題」を解くのは非常に難しかった。非常に長く苦しい戦いだった。なにを考えたらいいかがわかるまで約十万年もかかってしまった。(考えた時間換算)
だが君はもう察しているのだろう。まぁ五億年も過ごした僕になら手に取るようにわかるさ。
3億年たってからようやく記憶初期化を防ぐ方法を編み出すことに成功した。江戸幕府が続いた時間ぐらいは毎日スキップしながら喜んでいたと思う。
そうして五億年という長くて長いような時間を過ごした僕は、記憶と体と愛用品たちとともにこの世界に戻ってくることができた。もとの世界に帰ってきてから初めて母親のお味噌汁を飲んだ時は感動して泣いてしまって、母親からまるで不審者を見るかのような目で見られたことも当時も全く気にしなかったし今となってもいい思い出だ。
しかし、無事にこの世界に戻って気がついたことがある。
この世界、いろいろ直すべきところしかないな。と。
あれからというものの、僕はまずお金を稼ぐことから始めた。
まぁちょっとした時差ボケのようなものでたったの百億円を稼ぐのに一ヶ月という長い時間をかけてしまった。もったいない。
そして金を稼ぐコツはつかめた僕は、すべての業界に手を出した。
あるときは世界一の名探偵とも言われた。まああの空間でも暇つぶしがてらロボットが殺ロボット事件を起こせるようにして時々暇つぶしができるようにしていたから、だいたいの事件が経験的にわかってしまった。これは推理というのかはわからないがまあ事情さえ知らなかったら名探偵に見えるのも無理はない。
日本の経済成長率は二十%を超えるようになったし、環境問題や食糧問題、エネルギー問題という今まで人々を絶望させてきた代物はすべて解決しておいた。
そのせいか、日本人なのにアメリカ大統領に就任してしまったし、ノーベル賞も全種目コンプリートしてしまった。
過去の自分とはいえ、自分のしたことを話すのは本当に恥ずかしい。
必要以上に目立つことは避けるべきだった。まぁ、何回も暗殺の対象にされたけど、あれがあったから多少は良かったのかもしれないと思ってるけどね。世界一と呼ばれる暗殺者の暗殺手段を完膚なきまでに封じ込み、その上暗殺者に面と向かって4時間説教して空が明るくなる前に更生させるのは今までで最高の娯楽だった。
…また話が脱線してしまったな。悪いな。
そうそれで、不老不死の方法を実践しながら表舞台から退き、裏から世界を支え始めるようになってから今に至っているってわけさ。まぁちょこちょこ手は出してるけどね。まぁ気付けるやつがいたらそれはそれで抗体の時期だということになるんだけどね。
こちらの世界で暮らしている人々を見るのもなかなかの娯楽だけどね。時間をせかせかつかったり、のんびり使ったり、「時間節約術」とかいうセミナーを受けて時間を多く使っていたり。でもこころのどこかで羨ましがっているんだと思う。そのどういう使い方をしても「あなたの時間」という時間を持っている彼らがね。
あ、自己紹介をしろだって?日本人ってやたらと自己紹介好きだね?まぁそのうちわかるよ。いやでもね。
君がこの世界の主と呼ばれるようになるころにはね。
読んで下さりありがとうございました。
オチが果たして落ちになっているのか不安ですが、まぁそのあれですね。
五億年こわい。