幕間(白銀の会合)
アイロシオン大陸最大の帝政国家、クロムガルドが有する『銀』は決して表舞台には立たない組織だ。いや、『立てない』と言った方が正しい。隠れて要人の警護をすることもあれば、その要人を暗殺することだってある。他国自国問わずにだ。クロムガルドの影の部分を一身に背負っているのだから、立てるわけがなかった。
そんな暗部の組織の長――シーモアと呼ばれる男はクロムガルドの帝都『クロム』にある城『フェロクロム城』の中にいた。
城の中でもトレードマークというべき、仮面は外せない。こんな目立つ仮面を着けた怪しい人物が、帝王がいる城の中を堂々と歩き回るわけにはいかない。
帝都『クロム』の様々な場所にある城に繋がる通路。ちなみに本来は入るためではなく、脱出するために使用されるものだ。シーモアが歩いているのは、そういう通路だ。
シーモアは幾重にも張り巡らされた通路を知り尽くしている。迷うことなく、薄暗くかび臭い道を歩き、シーモアは目的地に辿り着いた。
一見すると行き止まりのような壁。本来ならば脱出用の隠し通路なので、こちらから開くようには作られていない。その壁をシーモアが叩いて合図を送ろうとしたところで、横に壁が動いた。
その壁の向こうにあったのは、赤い絨毯が敷き詰められた部屋だった。窓から射し込む光にシーモアは仮面の奥の目を細めつつ、その部屋に足を踏み入れた。
「まるで見てたかのようなタイミングだね」
「ふふ。ただの偶然ですよ」
そう言って、本棚に偽装されたドアを閉める眼鏡の女性。びっしりと本が敷き詰められているが、それは見せかけだけだ。女性の細腕でも開け閉めができるように中身は空だということをシーモアは知っている。
そこは実に殺風景な部屋だった。机と偽装された本棚の他にもう一つ本物の本棚があるぐらいのものだ。それから、壁に白銀の剣が飾られている。
その剣とこの部屋の主が、シーモアの言葉に笑いながら答えた眼鏡の女性である。剣と同じく白銀の長い髪に眼鏡をかけた女性。かなり華奢な体に細面なので、枯れ木のような印象を受ける。その吹けば飛びそうな体を覆い隠す白いマント。これを身にまとっていることが、彼女が今現在職務中であることを教えていた。
シーモアが長を務める『銀』がクロムガルドの裏の顔ならば、この国が誇る十二色に分けられた騎士団が表の顔だと言える。その騎士団長には王直々にそれぞれの色のマントが贈られる。それがこの女性がまとっている白いマントである。
十二の騎士団の総長を務める『白』の騎士団長、それがこの女性、シルヴィア・トリスケンの肩書きである。
「こうして顔を合わせるのは久しぶりですね」
「そうだね。変わりなさそうで何よりだ」
「あら。こういう時は『綺麗になった』と言葉をかけるのが、乙女に対する礼儀だと思うんですけど?」
「はは。自分のことを乙女なんか言うのかい? 何百年も生きてる君が」
「あらあら。女はいくつになっても乙女なんですよ。女心の修行が足りてませんね」
悪戯っぽくシルヴィアは口元に人差し指を当て、シーモアは肩を竦めた。
シーモアが口にした通り、正確な年齢は覚えていないが、何百歳にもなる女性だ。当然、人間ではない。エルフと呼ばれる種族である。白銀の髪をかき上げれば、人間のものよりも長く先の尖った耳が姿を現す。
シルヴィアは部屋の隅に目を向けた。
「ニーナ、悪いんですけど、外に出ていてもらえますか?」
「はい」
抑揚のない声で返事をしたのは、部屋の隅に立っていた前髪の長い少女だった。二十歳は超えておらず、成人したばかりと思われる少女。この場にいるということは総長の護衛のようにも思えるが、服装は町娘のようなかわいらしいもので、剣も持っていない。しかし、それよりも異様なのは、その雰囲気だった。
『銀』の構成員が使う隠形とは違う、生気を感じさせない佇まい。シーモアはもちろん気付いていたが、一般人ならばシルヴィアが声をかけるまでその存在に気付けなかっただろう。まるで人形のような雰囲気だ。
しかし、人形ではないことを主張するように、ニーナと呼ばれた少女は返事をして足音も立てずに部屋を出て行った。
これまた音もなく閉じられた扉を見つめながらシーモアは問う。
「あれが最近、噂の付き人かい?」
「ええ。とは言っても、お茶汲みぐらいしかさせてませんけどね」
シルヴィアは「ふふ」と笑う。
「また総長の気まぐれが始まったって言われてるよ。得体の知れない浮浪児を拾ってきたって」
「そうでしょうね。それなりに人事の人にも小言を言われましたよ。『慈善事業みたいな気分で正式な手続きも踏まずに、勝手に騎士を増やさないでくださいって』って」
シルヴィアの勝手な行動は今まで何度も行われている。それに振り回される周りは大変だろう。
しかし、シーモアは知っている。決してそれが『気まぐれ』などではないことを。あの少女の件も、何かしらの思惑があってのことだと確信している。与えられた二つ名は伊達ではない。
シルヴィアはギシッと音を鳴らして椅子に深く腰かけた。書類が横に積まれた机に両肘を乗せて、顔の前で組ませるとシルヴィアは「さて」と話を切り出した。
「報告は受けてますよ。どうやら手ひどくやられたそうですね」
「まあね。さすがは音に聞こえし『血風』殿だ。紋章術なしなのに、凄まじい腕前だったよ。それにロンダルシアの王子。あれも並の実力じゃないね。まさか致命傷を受けるとは思わなかった」
「聞いた時は私も驚きました。あなたがそれほどの傷を受けるのは久しい話ですから」
と言いつつも、少しも驚いた様子を見せずに柔和な表情を崩さないシルヴィア。
「しかし、なるほど。『血風』の実力は未だに健在ですか。それに亡国の王子。やはりリルアルドは中々の粒ぞろいのようですね」
眼鏡の奥の瞳を閉じるシルヴィア。長い付き合いのシーモアにはわかる。あれは彼女の脳内のメモに情報が追加される時の儀式のようなものだ。彼女の情報量は膨大だ。もしも、あの脳内のメモが具象化するような事態になれば、この部屋は簡単に埋もれてしまうことだろう。
「だけど、あなたが致命傷を負うだけの収穫はあったのでしょう?」
「わかるかい?」
「昨日今日の付き合いではないですからね。あなたの顔を見れば、大体わかりますよ。とは言っても、上半分は見えないんですけどね」
自分で言った皮肉が面白かったのか、シルヴィアはクスッと笑い声を漏らした。
「それでどうだったんですか? リルアルドの『旅行』は」
「君も気にしてた『彼女』は元気そうにしていたよ。一応、クロムガルドに戻ってくる気はないかと訊ねたけど、きっぱりと断られたよ。よほど今の生活が楽しいみたいだ。年頃の娘らしい青春が遅れているようだしね」
「そうですか。それは残念ですね」
少しも残念そうには見えない。むしろ、どこか安心しているかのような表情だ。見逃した責任を少なからず感じていたのかもしれない。
「縁のある『花彫』もだけど、あの子の元気そうな姿が見れたのが個人的には一番の収穫かな」
「ああ。あなたの愛弟子ですか」
「うん。しかし、運命ってのは皮肉なものだね。死んだと思われていたのに、まさか『花彫』と出会って、一級の紋章師になっていたなんて。因果なものを背負ったなと心配したけど、それなりに使いこなしてるみたいだ。まだまだ伸びしろはあるように感じられたけどね」
「なるほど」
シルヴィアの眼光が一瞬鋭くなったのをシーモアは見逃さなかった。彼女の頭の片隅に愛弟子の名が刻まれたのだろう。もっとも、まだまだ脅威になるほどではないだろうが。
「『血風』の指導の賜物だろうね。剣の腕前、身体能力、その他もろもろも実力はあの頃よりも上がってるようだった。だけど、陰鬱としてたあの頃とは違って生き生きしてたように思えたね。年頃の男の子らしい青春を送ってるんだろう。リルアルドの王の妹との恋愛劇も少しばかり見れたし」
「まあ。それはちょっと気になりますね」
本当に興味があるのだろう。わずかにシルヴィアの目が輝く。意外にも彼女はこういうゴシップが大好きだったりする。
だが、シルヴィアはそれを押し殺して「ですが」と話を切り出した。
「その話は後にして、本題に入りましょう。任務の方はどうでしたか?」
「さすがに強硬策だったからね。無傷とはいかなかった」
『血風』を始めとしたリルアルドの上位騎士たちと交戦。殺さないようにはしたが、怪我も負わせている。これだけでも外交的には大きな痛手だ。
それに直接的な被害も出ている。リリーはかつての弟分と戦い負傷。命に別状はないが、しばらくはまともに動けないだろう。体もそうだが、精神的にも大きな負荷がかかったと思われる。
「彼女は精鋭の一人でしたね。大変でしょうが、『銀』の活動についてはあなたに任せます」
「了解。リルアルドからかなり強い抗議が来るはずだ。そちらは任せるよ」
「もちろんです。せいぜいご機嫌を取らせていただきましょう。それで、その見返りは?」
「地下に運ばせたよ。だけど、『加工者』の確保はできてないんだろう?」
「はい。ですが、あれをリルアルドに置いておくわけにはいかないでしょう。あれは……」
と言いかけたところで、シーモアの感情を機微に感じ取ったのか、シルヴィアは言葉を区切り、目を伏せた。
「失礼。これではまるで物扱いですね。一人はあなたの愛弟子だというのに……」
「いや、謝罪は結構だ。というよりも、謝られる資格は私にはない。彼――いや、彼らの死すらも利用しようとしているのだからね。その点で我々は同罪だよ」
「そう、ですね……」
シルヴィアはわずかに表情を曇らせた。しかし、それは一瞬で鳴りを潜め、シルヴィアは立ち上がり窓に向かう。
「ですが、この一件と言い、『空』の騎士団長の一件と言い、着々と鍵は集まりつつあります。気分がいいものばかりではありませんが、罪を背負ってでも私たちは鍵を揃えなければならないでしょう。『再戦』までそれほど時間は残されていないでしょうから」
「そうだね。この国を守るためにも」
シーモアはその意見に同意したつもりだったが、シルヴィアはそれには答えずに窓の外を眺めたまま言う。
「あなたの目的はそうでしたね。元々『銀』はそのために作られた組織でした」
「そうか。君の目的は微妙に違っていたね」
彼女が守りたいのはこの国ではない。
「そうです。私が守りたいのは、この愛すべき世界そのものですよ」
指を窓ガラスに触れさせるシルヴィア。
その窓ガラスに映るシルヴィアの表情。それは、『深淵』の二つ名を与えられた『白』の騎士団長の決意に満ち溢れた顔だった。




