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リルアルドの騎士学校  作者: シロ吉
第一部
17/43

第四章(3)

 フィーネはゆっくりと目を開けると、見知らぬ天井が視界に飛び込んできた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。太陽の高さから見て時刻は昼前と言ったところだろう。毎朝、同室のエリスよりは起きるのは遅いが、寝起きはいいフィーネは瞬時にそれを理解した。

 視界に続いて他の感覚も目覚め始め、誰かが近くにいる気配に気付いた。そちらに目をやると、イヴが椅子に座っていた。眠っているようで、頭を上下させている。彼女も疲れ切っているのだろうが、フィーネに付き添ってくれていたようだ。

 フィーネは改めてこっくりこっくりと船を漕ぐその少女を見つめる。どこから見ても普通の少女だ。とても伝説とさえ言われる一級の彫り師になんか見えやしない。だが、彼女が『銀』という危険な組織に狙われているのは疑いようのない事実だ。フィーネの脇腹の痛みがそれは夢ではなく現実だと教えてくれている。

 起き上がろうとして、脇腹が大きな痛みを生み出し反射的に「――つぅっ!!」と呻いた。痛み止めは打たれていたが、その効果はすでに薄らいでいる。その声が聞こえたようでイヴが目を覚ます。そして、フィーネが起き上がるのを手助けする。

「フィーネ、無理しないで」

「ありがとう」

 フィーネの言葉に頷き、イヴは傍らの棚の上に置いてあった水差しに手を伸ばした。その中身をコップに注ぐ。

 その横顔を見て、フィーネはいたたまれない気持ちになった。フィーネも羨ましいと思った金色の髪。それが今や半分――肩甲骨辺りまでの長さになってしまっている。しかも、町にあるような専用の場所で切ったわけではないので、切り口が斜めになっている。女の子としてはあまりよろしくない見栄えである。

 これはフィーネが油断してしまった結果のものだ。騎士学校に入って一年以上が経つ。スラムにいた頃とは違う修羅場もいくつかくぐってきた。油断をすれば死に直結するといい加減わかりつつあったはずなのに。

「ごめんね」

「ん? 何が?」

 唐突なその謝罪にイヴは首を傾げながら、水を注いだコップを差し出した。それを受け取って一口飲んでから続ける。

「その髪。私のせいで短くなっちゃったでしょ?」

「別にフィーネのせいじゃないよ。突き飛ばしたのは私の判断なんだし。またすぐに伸びるから、そんなに気にしないで」

「イヴがそう言ってくれるなら、そうするけど……。だけど、よくとっさに体が動いたわよね」

 仲間と守り合うのは戦いにおける鉄則だ。それでも、頭ではわかっていても行動に移せないのが人間だ。特にあんな命の危険性がある時には恐怖で体が竦んでしまう。よほどのことがない限りはあんな風には自分の命を賭けてまで他人を救えたりなんかしない。

 すると、イヴは心底不思議そうに言った。

「そういうのが友達なんじゃないの? 友達が危ないって思ったら体が勝手に反応するものだって本に書いてあったし、実際それは正しかったんだけど……。もしかして違うのかな?」

「えっと……。間違ってはいないなんだけど……」

 イヴのその単純明快な解答にフィーネは困惑した。イヴは前にもフィーネを友達だと呼称した。だが、イヴに対するフィーネの態度は決していいものとは言えなかったはずだ。それなのにどうしてそこまで命を賭けれるほどの友達だと思えるのか不思議だった。

 その感情を読み取ったのか、イヴは「えへへ」と締まりのない笑みを浮かべて言う。

「私は世界を見たいって夢があるけど、それとは別に友達とこうしてお話ししたいって思ってたの。同年代の友達ってキールしかいなかったから」

 イヴは一級の彫り師だ。その宿命を背負わされて、ずっと閉塞的な空間で生きてきた。

「……ああ、そっか」

 フィーネは納得する。

 スラム街で泥に塗れていたフィーネと、ずっと身を隠して生きてきたイヴ。育ってきた環境も考え方も性格も違う二人だが、この場所にいる根源はおそらく同じだ。

 生まれや育ちで自分の可能性を諦めたくはないということ。それが渦巻いているからこそ、イヴはクロムガルドから逃げ出したのだろうし、フィーネは差し出されたキールの手を掴んだ。

 だからこそ強く思う。国家や血なんかに振り回させたくないと。

 自分の行き先を選べるのは自分だけなのだから。

 それをフィーネが再確認したところで、病室のドアが開いた。最初、クラスメートがお見舞いにでも来てくれたのかと思ったが、入ってきたのはそんな心安らぐ人物ではなかった。

「おーっす。大人しく寝てたー? そして、起きてるー?」

 やってきたのはアインだった。風呂にでも入ってきたのか、今朝とは服装が違う。身なりがきちんと整えられている。ついでにどういうわけか布に包まれた棒状のものを持っており、部屋に入ってくるとそれを壁に立てかけた。

 その後ろからやってくるキールとエリス。キールの腕には紙袋が抱えられていて、その中にはつやつやとしたリンゴが顔を覗かせていた。

「喫茶店で休憩してたところを見かけてね。運がよかったわ。探す手間が省けて」

 アインは笑いながらキールが持っている紙袋の中に手を突っ込み、無遠慮にリンゴを掴み取った。断りもせずにそれをかじる。フィーネはその教官の行動を半眼で見つめる。

「教官、行儀が悪いですよ。一応、女性なんですから……」

「何よ。エリスは喫茶店で寝てたし、あんたもベッドで眠れてたんでしょうけど、こっちは昨日からほぼ徹夜なのよ。戦闘やら報告やら、挙句に王との謁見まで済ませてきたんだから、もうクタクタなの。別に意中の男がいるわけでもあるまいし、この程度大目に見なさいよ」

「……ちなみに教官にとっての理想の男ってどういう人ですか?」

「あたしが本気を出しても死なない奴」

 さすがは戦場で暴れ回った『血風』だ。男の趣味も一味違う。

 しゃくしゃくとリンゴをかじるアインを横目にキールはイヴが先ほどまで座っていた椅子に腰かけて、別のリンゴを紙袋から取り出す。ナイフでその皮をむき始める。

「で、どうだったんですか? 王と謁見してきたって言ってましたけど」

「ああ、ふぉれね」

 リンゴを飲み込んでから、アインはとんでもないことを言った。

「クロムガルドの『銀』の追撃部隊、この場にいる全員だから」

 アイン以外のその当事者が全員固まる。たっぷり数秒を要してその言葉の意味を飲み込んだ後、フィーネが「はぁっ!?」と叫んだ。そのおかげで再び脇腹がずきんと痛んだ。

 エリスが慌てて駆け寄って背中を擦ってくれる一方、キールがいぶかしむような口調で訊く。

「……なんでこの面子なんです?」

「もちろん理由はあるわよ。クロムガルドには現在使者を送っている。だけど、相手は公にはされていない組織。しらばっくれられるのは目に見えてる」

「でしょうね」

 フィーネは頷いて、キールが切り分けたリンゴを一つ摘んで口に運ぶ。

 あの『銀』という連中の目的はあくまでもイヴの確保。リルアルドとの戦争ではない。なので、余計な火種をくすぶらせるのは避けようとするはずだ。

「けど、牽制にはなるし、万が一素性が特定できる動かぬ証拠でも出ればそれだけで戦争になる。こっちも死者こそ出なかったけど、これだけ喧嘩を売られてんのよ。王もキレてるし、かなり強い抗議が行ってるはず。使者が到着したらすぐに撤退命令が出されるでしょうね」

「な、ならそれを待ってればいいんじゃないですか?」

 エリスの言葉にアインは首を横に振った。

「相手も自分たちの素性がバレてることぐらいは読んでるでしょ。だから、最初から短期決戦を望んでるはず。今日中――少なくとも明日中には仕掛けてくるわよ。しかも、初日よりも死に物狂いでね。ああいう組織の連中に失敗は許されないでしょうからね。その前にこっちから出向いて叩き潰してやるのよ」

 アインは芯だけ残ったリンゴをゴミ箱に投げ捨て、パンッと左の手のひらに右拳を叩き付けた。その好戦的な笑みを見て、フィーネは確信する。

「……その作戦を考えたのって教官でしょ?」

「当然。王に力説してやったわ。先手必勝の理論って奴を」

「いえ、奇襲を受けてる時点で俺らは後手に回ってるんですけど……。――ぐはっ!?」

 水を差すようなことを言ったキールの顔面に蹴りを食らわせるアイン。そこでエリスが最初に全員の頭に浮かんだ質問を再度訊ねた。

「それで、どうして私たちなんですか? 正直、私なんかよりもずっと強い人たちがいると思うんですけど」

「おそらくだけど、今回入り込んでるのは十数名の部隊。その中で実行部隊と思われるのは限られてる。その実行部隊と交戦経験のある連中――つまり、あたしたちがそいつらと戦うの。他の連中は別の騎士たちが引き付ける。交戦はほとんどせずにね」

 その意味にいち早く気付いたキールが「なるほど」と呟いた。

「リルアルドの騎士としてではなく、昨日の意趣返しってことにして個人として攻撃するってことですね」

「そういうこと。あたしたちと全面的な戦争をするつもりはないみたいだからね。これを外交的な問題に持って行かずに、あくまでも個人的な理由で彼らと戦ったってことにするのよ。クロムガルドが後ろにいたなんて知らなかったってことにしてね」

「だけど、ちょっと厳しい言い訳じゃないですか?」

 フィーネは神妙な顔でそう突っ込むが、アインは肩を竦める。

「厳しいのは百も承知。だけど、あっちも『銀』なんて危ない部隊送り込んで知らぬ存ぜぬで通すはずなんだから、猿芝居はお互い様でしょ」

「いやいや、説得力としては割とあるんじゃないか? クロムガルドも知ってるだろうけど、こっちには目が合っただけで襲われるって噂があるぐらい凶暴な『血風』様がいらっしゃるんだ。その人に喧嘩を売ってるんだからな。個人的に殴り込みがかけられたとしても何の不思議も……ぐぶっ!!」

 余計な分析を付け加えたキールが再びアインに蹴り飛ばされる。つま先が鼻に突き刺さったようで鼻血を垂れ流すキールをよそにフィーネは見る。

「内訳はもう決まってるんですか?」

「ええ。おそらく相手の実行部隊となる人間は四人……だったけど、一人はもう死んでるから三人。あんたたちが見たっていう二刀の子供と長剣を使う青年。それから、あたしに絡んできた氷使いの女」

 顔を合わせて戦闘を繰り広げたのはこの三人。他は妨害工作は色々としてきたらしいが、面と向かって戦闘は繰り広げてはいないと報告を受けている。リルアルドの騎士とやり合うつもりがなかった証拠だ。

「まず氷使いはあたし一人で相手をする。二刀の子供の相手はフィーネとエリス。長剣使いにはキールとイヴ。以上。何か質問は?」

「ちょっと待ったっ!!」

 イヴはぼーっとしているし、エリスは混乱して何も言えずにいる。キールは鼻血を止めるので忙しい。どいつもこいつもそんな調子だったので、フィーネが代表して抗議する。

「む。何よ? 何か問題でも?」

「大ありです! 内訳おかしくないですかっ!? 私、怪我人なんですけど!!」

「最初からここにいる全員だって言ってるでしょ。それにあんたが怪我人だってことも考慮してるからエリスと組ませるんじゃない。報告だとその子供の紋章の特性、まだ把握できてないんでしょ? だったらエリスと組ませるのが最適だと思うんだけど」

 確かにエリスには紋章師に対して絶対的に有利な左目がある。彼女がいれば、あの少年の紋章の特性は見抜けるだろう。だが、彼女はまだ経験値が足りない。その部分をフィーネが補う。

 理屈はわかるが、何となく釈然としないフィーネが何か言おうとする。その前にイヴが口を挟んだ。

「あの長い剣の人とキールが戦うの? あの人の実力はたぶん半端じゃないと思うけど」

「それは同感。あいつ――フレッド・シーカーは『銀』の中でもぴか一の腕前だ。あいつの剣の腕は下手すれば教官並みですよ」

 キールの言葉にアインは「ほう」と片眉を持ち上げた。滅多にいない自分と同等の戦闘力を持つというその男に興味を持ったらしい。

「じゃあ、教官が相手するべきなんじゃないですか?」

 この中で一番の実力者は言うまでもなくアインだ。だとすれば、彼女をぶつけるのが最善のように思える。アインも興味はあったようなので、悪い話ではない。

 だが、アインは首を横に振った。

「ちょっとおいしそうな相手だとは思うけどね、今回はあたしはパス。清算したつもりだったけど、残してきたものがあったみたいだから。今回はそっちが優先」

 おそらくはその氷使いと何らかの因縁があるのだろうとフィーネは推測した。それを裏付けるようにアインはキールに言う。

「その男とは同僚だったんでしょ? エリスからの報告も受けてるから、色々とあったことも大体把握してる。あんたも浅い因縁じゃないんでしょ?」

 エリスはキールに向かって頭を下げる。個人的なことだったので告げ口したような気分になったのだろうが、それは騎士としての義務だし、何より彼女もキールが心配だったのだろう。それをキールも理解しているようで苦笑するだけで特にとがめようとはしない。

「だから、そいつの相手はあんた。清算すべきものは自分でしっかり清算してこないと後味悪いわよ。まあ、でも一人じゃ辛いだろうからイヴを付けてあげるってことよ」

 アインはイヴの肩に手を置き、耳打ちする。声は聞こえなかったが、「頼んだわよ」と言っているのが唇の動きでわかった。アインもキールの様子がいつもと違うと気付いているらしい。

 イヴが「ん」と頷くのを確認すると、アインは壁に立てかけていた布に包まれた物体を手に取った。すでにこの話の流れからあれが何なのか見当が付いている。

「あんたの武器、壊れちゃったでしょ? 代用品。城の武器庫から見繕ってきたから」

 手渡される布に包まれた棒状のもの。フィーネがその布をはがすと、案の定、槍が姿を現した。壊された愛用の槍のように折り畳めるような機能はないが、確かにいい槍だ。

 磨く必要もない矛先を見つめ、フィーネは一つの疑問が頭に浮かんだ。

「……教官、その作戦っていつ決行なんですか?」

「今から」

 アインの言葉を合図とするように白衣を着た女医が病室の中に入ってきた。手には注射器。鎮痛剤だと一目でわかった。

 アインとの付き合いもそろそろ長くなってきた。なので、彼女が一度言い出したら聞かない性格だと重々承知している。それでもフィーネは一応言う。

「これって奇襲ですよね? 普通、夜とかに仕掛けませんか?」

「いや、悪い選択肢じゃないぞ」

 それに答えたのはキールだった。

「奇襲ってのは基本的には夜に仕掛けるもんだろ。けど、それは相手もわかってる。特に相手は『銀』なんて暗部連中だ。自分たちも夜に仕掛けることが多かっただろうしな。当然、夜の方が警戒が厳重になるさ。それに奴らは夜目が利くように訓練されてる。俺も含めてな。下手に夜襲をかけるとあっという間に追い込まれる。だから、昼間の方が有利な点が多いんだよ。ってことでしょ、教官?」

「そういう考えもあったけどね。あたしの個人的な理由としては、これは酒の入らない喧嘩。素面の喧嘩は昼に限るでしょ」

 アインは好戦的な笑みを浮かべる。その答えに呆れつつ、フィーネは鎮痛剤を脇腹に打ってもらうために服をめくろうとする。その際にキールの視線に気付き、ギロッと睨んだ。

「見るなっ!! ってか、さっさと出て行きなさいよ!」

「自意識過剰過ぎだろ!? 大体、見られて何か困るのかよ!? イヴ並みに胸がでかいならともかく、おまえのスタイルで欲情なんかしねえよっ!!」

「……キールって私の体で欲情するの? お祖父ちゃんが女は軽々しく人に肌を見せちゃいけないって言ってたけど、キールが喜んでくれるなら……」

「い、イヴさん! 服のボタンを外そうとしないで下さい! キールさんもそれを凝視しないで下さいよ!」

「エリスが慌ててるのはどうしてなのかしら? ――うーむ、酒だ! こんな面白い構図を前にしてなぜ酒がないのか! 肴としてはこれ以上ないというのに!」

 地団太を踏むアインとキールを病室の外に連れ出すエリス。

 まだイヴが来てたったの数日。見慣れたとは言い難い日常の風景。陳腐な言葉ではあるが、何度か死線をくぐり抜けた身としてはその光景は何よりも尊いと感じる。それを守るためならば、こんな怪我ぐらいは大したことはないように思えるから不思議だ。

 自分の体から湧き上がる得体の知れない力に後押しされるように、フィーネはいつもとは違う感触の槍の柄を握り締めた。


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