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リルアルドの騎士学校  作者: シロ吉
第一部
13/43

第三章(5)

 クロムガルド帝国の暗部組織『銀』。十二色の騎士団とは別方向から国を支える重要な機関。その中の幹部で、代わりなど見つかるはずがない一級の紋章師。貴重過ぎる人材。それが爆破の特性を持つ青年、ゼーレン・カリリウスの現在の立場だった。

 しかしながら、ゼーレンは最初からその立場だったわけではなかった。

 ゼーレンは今回の作戦で同じ先遣隊の指揮官として派遣された幹部候補の少年――テオ・ヒューストンのように生まれた時から『銀』にいるわけではない。『銀』に拾われたのは今のテオぐらいの年齢の時だ。

 貧しい家庭に生まれ、幼少期にどこぞの変態貴族にはした金で売り飛ばされた。そこで奴隷同然の扱いを受け、それに我慢できなくなってその貴族をナイフで刺して金を奪い、屋敷から逃げ出したのはまだ年齢が二桁に達する前だった。

 だが、そこから半年もしない間にゼーレンは餓死寸前で道で行き倒れた。そんなゼーレンを『銀』が半ば拉致同然で拾ったのである。

 ゼーレンのように浮浪児を『銀』が拾って構成員にするのは珍しくない。そういう存在は消えたとしても特に悲しむ人間もいないので、『駒』として最適だ。むしろ、ソフィアのように真っ当な道を歩いておきながら、『銀』に落とされる方が稀なケースだ。

 そうして『銀』に入ったゼーレンだが、お世辞にも戦闘の才能があったとは言い難かった。血反吐が出るような訓練を受けても、ゼーレンは体術も剣術も凡人の域を抜け出せない。テオのような俊敏性も、フレッドのような見事な剣技も習得できなかった。

 ゼーレンは元来不器用な人間だ。家では手伝いもまともにできないからこそ売られたのだろうし、貴族の家では失敗だらけで肩身の狭い思いをしてきた。『役立たず』というレッテル。それをもうゼーレンは二度と張られたくはなかった。

 それでも現実というのは非情である。ゼーレンは戦闘に適したものを何一つ持ってはいなかった。あるとすればただ一つ。他人に対する劣等感。自分の前に立つ人間は全て消えてしまえという欲望のみ。

 その欲望が具体的な形になったのは、突然のことだった。国から一級の紋章を入れるように命令が下ったのだ。突然降って湧いた話に周囲はもちろん本人も驚いたが、この機会を逃す手はない。一級の紋章師になれば、自分の足りない部分を補って余りある特性を入手できるのかもしれないのだから。

 結論から言って、その予感は正しかった。訓練中の事故で負った傷――自分の弱さを覆い隠すように入れてもらったサソリの紋章。それは自分の欲望を具現化したかのような爆破の特性だった。

 それからだ。ゼーレンの人生が一変したのは。手に入れた爆破の特性は非常に強力で、加えて一級の紋章ということで念じるだけで爆破個所も規模も思いのまま。戦闘能力だけを見れば、十二色の騎士団長にも勝るとも劣らない存在だった。だからこそ今までは見向きもされなかったはずのゼーレンは、例えば些細なミスをしたという理由だけで部下を殺したとしても何の咎めも受けないほどの権力を『銀』の中で得た。

 最強の紋章師である自分。誰も敵わない存在。そう信じてきた。

 ――今の今までは。

 リルアルドの騎士たちが手強いことは有名だ。だが、この一級の紋章師である自分さえいれば、どんな相手でも叩き潰せる。それこそ羽虫を潰すように。

 そのはずだったが、ゼーレンは今明らかに劣勢に追い込まれていた。

「ちぃっ!! チョロチョロとっ!!」

 ゼーレンは少年が立つ方向を起爆した。人の四肢を引きちぎるには充分な威力。しかし、伊達に何人も起爆してきたわけではない。今のに手応えがないことはわかっている。

 あの銀髪の少年は一級の紋章師だ。特性は『移動』というところだろう。どこからでも消えることができるし、どこにでも現れることができる。自分の体、もしくは身に付けたり手に持ったりした物にしか作用しないようだが、一級の紋章ということでまったく予測もできない場所に姿を現せる。厄介極まりない紋章だ。

 そして、少年は接近戦を挑んでくる。ゼーレンの紋章は最強だと自負しているが、唯一弱点を上げるならば接近戦に非常に弱いという点である。その特性上、自分さえも巻き添えにしかねない。

 だが、ゼーレンはその弱点を晒すしかないことを理解していた。あの少年の攻撃手段は剣。ならば、現れるのはゼーレンのすぐ側で、あの剣の間合いしか考えられない。ゼーレンは自損覚悟で自分の周囲を爆破した。

「――うっ!!」

 熱風が肌を焼く。シャツの一部が破れて、その下にある皮膚にも火傷を負い、ゼーレンは顔をしかめるが、この程度の損傷は仕方がない。絶対的な一級の紋章を持つゼーレンとしては仕方ないと認めざるを得ない事実が許せないが、ここで死ぬよりはマシだ。

 しかし、それだけの代償を払ったというのにゼーレンの予測は外れていた。ゼーレンの紋章によって作られた煙。その中から伸びてきたのは剣を握った少年の腕だった。

 とっさに右手に持った剣を振るい、その剣を何とか弾く。間髪入れずに少年がいると思われる方向に一直線上に爆炎の花を咲かせる。だが、それよりも一瞬前に少年は紋章の特性で移動したようで気配が消えた。煙が晴れて、視界が確保された時、少年は仕切り直すように少し離れた場所に立っていた。

「……何なんだ、おまえ」

 ゼーレンは普段は使う必要のない剣を構える。

 リルアルドの騎士にしても、この少年は異常だ。先ほどの攻撃はゼーレンが自分の周囲を爆破すると見越した上で、その射程外にその身を移動させたのだろう。恐ろしいまでの勘の良さ。それはこれまでの経験で培われたもののように思える。

 ただの騎士――いや、この道の先にあるのは騎士学校の寮なので、騎士見習いである可能性が高い。どう見ても実戦経験が一年そこそこの人間の動きではない。

 加えてあの目。どこまでも無機質で、息をするようにゼーレンを殺そうとする。あれも成人したばかりの子供のものとは思えなかった。

 騎士学校の生徒というだけではない得体の知れない少年。だが、ゼーレンにとってはこの少年は殺さなければならない相手だ。任務の邪魔だからという理由ももちろんあるが、それ以上にこの少年がゼーレンと同じ一級の紋章師だからだ。

 この少年がいると自分の存在価値が揺らいでしまう。自分の代わりなどいない。それこそがゼーレンを支えているものだ。だからこそ、ゼーレンは殺すのだ。自分の価値を揺るがそうとする存在――同僚であるフレッド・シーカーや一級の紋章師であるこの少年、どういうわけか起爆する位置がわかる少女、それからあの碧眼を持つイヴ・ハーデルラント。

 その強い殺意に突き動かされるように、ゼーレンは紋章術を発動させる。自身の持てる最大規模の紋章術を最速で発現させる。二級以下では出すことができない速度と規模の紋章術が銀髪の少年に襲いかかった。

「キールさんっ!!」

 あの起爆位置がわかる小柄な少女がその爆発を見て叫ぶが、ゼーレンの目つきは鋭いまま。数人を一撃で消し飛ばせるほどの威力。しかし、ゼーレンはその程度で少年が仕留められるとは思っていなかった。

 ゼーレンは身体能力は大したことがないと自分でも認めていたが、観察眼に関してはそれなりに優れていると自負していた。

 あの少年の紋章術である『移動』。その特性の本質は空間と空間をつなぐことにあると、ゼーレンは予測していた。おそらくはドアのようなものがあり、それをくぐると設定した出口に現れる。そういう紋章の特性だと思われる。その証拠に彼は立っている状態から突然消えたりはしない。必ず移動の最中に消える。それがたった一歩分の移動であっても。

 従って奴を確実に殺せるタイミングは現れた直後だ。現れるのはゼーレンを一撃で仕留められる場所。

 ゼーレンは爆風の熱を全身で感じながら神経を集中させる。今まで培ってきた経験を全て動員して、その場所を少しでも早く割り出そうとする。そして、その努力は実を結ぶことになる。

 紋章術を使用した直後のゼーレンが感じたわずかな殺気。それはゼーレンの首筋に感じられた。お互いに一級の紋章師だが、あの少年の紋章術には攻撃性はない。ならば、念じるだけで爆破できるゼーレンの紋章術の方がわずかに早い。

 ゼーレンは振り向きつつ、紋章術でそこを爆破した。相手の命が爆ぜる感覚。肉が焼ける香り。血が雨のように体に降りかかる感触。

 それをゼーレンが感じたと錯覚し、唇を釣り上げた瞬間だった。先ほど感じた底冷えするほどの殺気が頭上から発せられた。わけもわからないまま、とっさにゼーレンは足を半歩後退させる。

 それと同時に空中から何かが降ってきた。次いで、左腕に激痛と酷い喪失感を覚え、顔をしかめるゼーレン。それでもその降ってきた物体から距離を取った。

 目の前に降り立ったのは逆手に剣を持った瞬間移動の少年。その片方の剣からは血が滴り落ちており、ゼーレンはそれに促されるように激痛を生むその場所に視線をやった。

「――っ!!」

 思わず叫びそうになった。そこにあるはずの腕。肘から先の部分がなくなっている。無意識のうちに先ほどまで自分がいた場所に目をやると、その腕が落ちていた。

 ゼーレンが自分の紋章の特性を見抜いているのを少年は悟っていたのだろう。だからこそ、一瞬だけ姿をゼーレンの後方に現して、攻撃もせずに頭上へと移動したのだ。注意を引くためだけに。ゼーレンはそれにまんまと引っ掛かった。

 今まで経験したことがないような激痛。その痛みと腕がないという状況に気が狂いそうになったが、ゼーレンを正気につなぎ止めたのは、少年に対する凄まじいまでの憎悪だった。

 ゼーレンは間違いなく一瞬だけ正気を失った。それは戦闘において致命的な隙。その間に少年はゼーレンを殺せたはずだった。どこまでも冷徹な瞳。優れた暗殺者の目と身体能力を有してきながら、彼は攻めようとしない。真意は不明だが、それを侮られたと思っても無理はなかった。その怒りこそがゼーレンの意識をつなぎ止めた。

「舐めてんじゃねえぞ、小僧っ!!」

 まさか腕一本を落とされて、もう正気に戻られるとは思っていなかったのだろう。初めて少年の顔に動揺が走った。

 少年が距離を取るが、ゼーレンの紋章術が発動する方が早い。狙いはあの目。絶対に負けられない相手――フレッド・シーカーを思い出させる冷たい目だ。しかし、少年が飛び退ったことで完全には当たらず、額から血が溢れ出す。目に入らないように少年はそれを右手で拭い、ゼーレンを見つめた。

 息を弾ませながらも残った右手で剣を構えるゼーレン。剣や体捌きは真っ当な騎士のものとはとても言い難かったが、この少年は手強い。右肩の辺りの傷と額の傷。どちらも戦闘に支障をきたさないほど軽い怪我で、その代償はゼーレンの左腕。あまりに割に合わない。

 もうわかっていた。この少年の戦闘能力はゼーレンよりも上だ。

 それを認めた時、ゼーレンの口から「ははっ……」と乾いた笑い声が漏れた。なんだか、自分自身の滑稽さがおかしく思えた。その笑い声はゼーレンを支えていたものが崩れ去った音だったのだろう。

「なんだよ? 俺が手に入れたものってのは無駄だったのかよ……。俺はただ認めて欲しかっただけだ。俺以外のものを全部吹っ飛ばして……。一級の紋章を手に入れても、俺はこんなガキに負けるってのか……?」

 そんなことをゼーレンが言い出したのを不審に思ったのか、少年は額から血を流しながら眉をひそめる。少年にはわからないだろうが、その価値観は死にたくなるほど苦しんだことで、ゼーレンにとっては全てだったもの。それが根底から覆されたゼーレンはこう考えた。

 ――自分の存在に価値なんかないと。

 それに気付かされた瞬間、自分の心臓が一際強く高鳴るのをゼーレンは感じた。次いで左腕が落とされたものとは違う強い不快感が体中の神経を駆け巡る。体の神経を何かが蠢くような痛みに似た不快感。

「な、なんだ……?」

 その異変を感じ取ったようで、少年も戸惑ったような表情をした。その見開かれた目はゼーレンの顔の辺りで固定されている。確かにゼーレンのその不快感は顔面から感じているが、鏡もないこの状況では何が起きているのか確認することもできない。

「う、あ……っ!?」

 血管の中を何かが這いずり回るような感覚。それが顔から首を通って体中を巡る。不思議なのはその何かが通り抜けた部分が自分のものではなくなっているように感じること。そこにあるはずの痛覚や神経が奪われているように思えた。

 ゼーレンはたまらず膝をつく。石畳の上に強く膝をぶつけたが、痛みはまるでない。それどころか上下の感覚すらもあいまいになっていく。

 直感的に『食われている』とゼーレンは思った。その表現が一番正しい。自分の肉体が、精神が、存在が何かに食われているのだ。

 ゼーレンは狭まる視界の中で地面についた右手が見えた。その手を何かが這っている。

 それは黒いサソリの紋様。自分の顔に入っていたはずの紋章が、まるで生きているかのように動き回り、サソリは自分の体の方に向かっていく。そして、サソリが歩いた右手は墨でも塗られたかのように真っ黒に染まっていた。

 それを確かめることもできずにゼーレンは残っていた意識を全て闇の中に飲み込まれた。自身が描いた願いと共に。

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