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リルアルドの騎士学校  作者: シロ吉
第一部
12/43

第三章(4)

 爆破の特性を使う紋章師とキールたちの戦いの音には、もちろん気付いている。気付いていないはずがないが、フィーネはとてもそちらの援護に気を回せるような状況ではなかった。

「――ぐぅっ!!」

 フィーネは槍の柄に伝わる衝撃に顔をしかめつつ、蹴りを放つ。それによって攻撃が一旦止まり、フィーネに攻撃を仕掛けていた人物は距離を取った。

 フィーネから離れたのは少年だった。小柄な体と幼さが濃く残る顔立ちの子供。下手をすれば、まだ二桁にも届いていないのかもしれない。

 その右手にはキールの持つものと似た刀身の短い剣。彼も二つ使うのか、もう一本背中の鞘に収まっているが、それが抜かれる気配はない。

 何合か打ち合い、フィーネは彼の攻撃を防ぎ切った。恐ろしいまでの猛攻。剣一本であれだけの手数を繰り出し、なおかつ身軽なので、どんな体勢からでも攻撃することができる。その攻撃方法も剣と同じくどこかキールと似通っていたために、彼と何度も模擬訓練を行ったことのあるフィーネは何とか攻撃を凌げた。ただし、次の攻撃も防げるとは限らない。騎士学校で実戦経験を積んできたフィーネがそう思うほどの実力者だ。

 先ほどから閃光が何度も走り、爆発音が鳴り響いている。一つは近くて行われている戦闘のもの。もう一つは王都の方で上がっている終わったはずの花火のもの。

「あんた、何者?」

 その二つが混じり合う空間で、フィーネは槍の先端を少年に突き付けて言った。これほどの戦闘技能を持つ連中が、ただの人攫いのようなチンピラなわけがない。明らかにどこかで戦闘訓練を受けた人間の動きだ。

 少年は何も答えない。無機質な――しかし、どこか爛々とした瞳でフィーネを見続けるだけだ。仮にどこかの組織に所属する人間だとすれば、答えないのは当然だと言えた。

 わかるのはあの青年と同じくイヴが目的であることだけ。『花彫』という言葉が何を指し示すのかは見当もつかないが。

 こんな危ない連中に狙われるようには見えないイヴに向かってフィーネは訊ねる。

「イヴ、あなた実戦経験――ってか、実際に人を殺めた経験は?」

 持ち運びがしやすいように二つに折り畳んであった弓を広げたイヴが首を横に振った。騎士学校に入ってまだほとんど時間が経っていない。遠征に出るには早過ぎる。普通の獣よりも凶暴な魔獣相手に弓を使用していたらしいので素人ではないのだろうが、それと人間を相手にするのでは勝手が違い過ぎる。主に精神的に。

 彼女が人を殺めた経験がないのは予測していたが、これでこの手強い相手をフィーネ一人で相手にしなければならなくなった。

「なら、援護だけでもいいからお願い」

「……それはできるけど、その」

 煮え切らない返事にフィーネは一瞬イヴに目をやる。彼女は胸を押さえていた。そんな彼女の姿を見て、フィーネは騎士学校の先輩として助言を与える。

「……人殺しなんてしたくないのはわかるけど割り切りなさい。自分の命でも何でも守りたいものがあるなら、何かを犠牲にしなくちゃいけない時もあるの。例え誰かの命であっても。騎士をやり続けるつもりなら、そういう場面がこれから何度も出てくるわよ」

「うん。それはこの学校に来てた時から覚悟はしてた。私が私を張り続ければ誰かが傷付くかもしれないって……。けど、そういうことじゃなくて、その、今日は胸当てがないから……」

 イヴもまさかこんな事態になるとは想像もしていなかったのだろう。武器は持っていても、それはあくまでも騎士の義務として持っているだけ。戦闘の準備はしていない。

 胸が弦に当たるとなると、痛い上に狙いが大きくずれる。普段から胸が大きくなるように努力して、その全てが徒労に終わっているフィーネとしては実に腹の立つ言葉だ。嫉妬に塗れた感情をどうにかその小さな胸の内で押し殺して、フィーネはイヴに指示を出す。

「……とにかく援護をお願い。当たらなくてもいいから」

 当たらずとも牽制にはなる。フィーネはどこか脱力を覚えながらも、槍を腰だめに構えた。

 硝煙の香りが充満している。煙も徐々に濃くなりつつある。花火の閃光が瞬き、フィーネはそれを合図に駆け出した。

 フィーネはそれを鋭く突き出すが、少年はそれを右の剣で下にそらした。そのまま石畳の隙間に突き刺さり、少年が拳を振りかぶる。だが、少年の筋力ではフィーネに大きなダメージを与えるには至らないはずだ。従って目などの急所を狙うものだと思われる。

 彼はどうやらフィーネと同じタイプだったようだ。武器と体術を織り交ぜた戦い方。槍が地面に突き刺さったとしても何の問題もない。フィーネは刺さった槍をなるべく垂直に近付け、その柄を支点に体を回転させる。遠心力を味方に付けたフィーネの蹴りが、攻撃態勢に入っていた少年の体に炸裂した。

 いや、当たりはしたが、完璧には決まっていない。不意を突いた一撃を少年はフィーネの蹴りが飛んでくる方向と同じ方向に体を流して、衝撃を逃がしたのだ。おかげで手応えはほとんど感じられず、少年もまるでダメージを受けた様子はない。少し距離ができただけ。

 そのまま再度襲いかかろうと少年が足に力を入れたのが見え、フィーネは身構える。その耳に聞こえてきたのは風を切る音だった。次いで、少年が剣を振るい金属音が響く。

 地面に落ちたのは一本の矢だった。考えるまでもなくイヴが放ったものである。実戦経験がないので狙った位置は命が奪えない肩の辺りだったが、それでも少年の足を止めたことから仕事は果たしてくれたものと思われる。そういう意味ではこれ以上ないタイミングだった。

 攻撃が止んだので一旦仕切り直される。フィーネは槍を石畳の隙間から抜きながら言う。

「……恐ろしいガキね」

 身体能力、判断能力、そして戦闘能力。どれを取っても一級品だ。騎士学校の生徒の中でもこれほどまでに動ける人間はそうそう見つからない。ましてや相手は子供。どんな環境で育ってきたのか疑問に思う。

 疑問には思うが、そんなことを気にしている余裕はなかった。キールたちのことが気がかりだ。一刻も早くこの少年を倒さなければならない。

 そんな逸るフィーネの心を正気に戻したのはイヴだった。

「落ち着いて、フィーネ。そのまま飛び込んだら死ぬ。あの子、この殺し合いを楽しんでる」

 息を呑んだ。直情的な部分があることをフィーネは自覚しているが、それを大事な場面では表に出さない自信はあった。弱味を見せれば蹂躙されるスラム街。そんな環境下にずっと身を置いてきたのだから。ここ数年は心の底から信頼できる仲間には感情を見せられるようにはなってきたが、戦闘の際にはその経験が未だに活かされる。

 そのフィーネの心情を容易く言い当てられた。しかも、表情すらも見えない背後から。

 そんな驚愕を露わにするフィーネとは対照的に、少年は唇の両端を持ち上げた。イヴの指摘が正しいことを証明するように心底楽しそうに。

「はははっ。やっぱり情報通りみたいだね、花彫。それにお姉さん、結構楽しいね。リルアルドの騎士はなるべく殺さずにしておけって言われたから、本気を出さないようにしてたけど、お姉さん相手なら少し本気を出しても死にはしないよね」

 爛々と目を輝かせる少年は何も持っていなかった左手を静かに肩の方に伸ばした。そこに背負っている剣も抜いた。ここからが本番なのだろうかと、フィーネは槍を握り直す。

 その左手の剣をフィーネに向かって投げ付ける少年。唐突な行動ではあったが、キールも模擬戦で投げ付けることがある。その経験からフィーネは冷静に槍の柄でその剣を防ぐ。それが槍の柄に当たった時にはすでに眼前に少年が迫っていた。

「ひゃはっ!!」

 楽しそうな笑い声を上げて、少年がフィーネの槍の柄に剣をぶつける。それに合わせて槍を押し出すと、少年の剣を保持した右手が大きく弾かれた。フィーネはそれに合わせて膝をぶつけようとして、不意の衝撃にバランスを崩した。

「フィーネっ!!」

 焦ったイヴの声を聞きながら、フィーネは前のめりに倒れる。少年を巻き込みそうになったが、彼は後方に跳んで一緒に転倒するのを免れた。何が起きたのかわからないフィーネは倒れながらも衝撃が与えられた背後を見る。イヴが長い金の髪をなびかせてフィーネを押し倒そうとしていた。

 その横から迫るものを目の端で捉える。先ほど弾いた少年の剣だ。それが横から薙ぎ払われるようにフィーネの首があった場所を通過した。代わりにイヴの美しく長い髪の半分ほどをいただいて。

 なぜあの剣が横から振るわれたのかわからない。先ほど確実に別方向に弾いたはずだし、あんな動きは物理法則に反している。その理由はさっぱりわからないが、やるべきことはわかっている。

 フィーネは左手を少年に向かってかざし、紋章術を発動させた。いつもエリスの髪を乾かす際に使用するような優しいそよ風なんかではない。自身が出せる最大出力。しかし、その直線上は煙で姿は見えないがキールたちが戦っている方向だ。邪魔する可能性もあるので、一瞬だけの突風を少年に浴びせかけて怯ませた。

 その間に二人は立ち上がって状況を確認する。イヴの腰の辺りまで伸び美しかった髪。それが今や肩甲骨よりも短くなっていた。少年の剣に切られたものであり、自分が勝ちを焦った結果でもある。

 髪は女の命だ。それを知っているフィーネは仇を取ろうと少年を睨み、目を見開いた。

 イヴの髪を切った剣が宙に浮かび、少年の斜め上でその切っ先をフィーネに向けていた。それも不可思議だが、信じられないことが起きた。

「――ひっ!!」

 女生徒からは『下手な男よりも男らしい』と本人としては不満極まりない評価を受けているフィーネが、珍しく年頃の少女らしい短い悲鳴を上げた。道路の脇――少年が現れた舗装されていない茂みからあり得ないものが現れたのだから、それも当然の反応だ。

「ゼーレンが壊しちゃったものだけど、持ってきておいてよかった。そっちは二人だし、こっちも追加しても大丈夫だよね? ちょっと壊れちゃってるけどさ」

 そう言う少年を挟むようにして立つ二人の人物。それはもう人ではなかった。辛うじて人の形を保った肉塊。片方は頭部がなく、もう片方は左の上半身が全てなくなっている。あの傷口から見て、やったのは爆破の紋章を持つ青年だろう。血が固まっているので死後数時間は経っていると思われる。

 わざわざ確認するまでもなく死体の二人。それはエリスが持っているホラー小説に出てくる化け物に酷似している。フィーネはあまりそういう怖いものが得意ではなく斜め読みした程度なのでうろ覚えではあるが。

 死体が歩くという苦手なホラー小説のような現実にフィーネはパニックになりかけるが、イヴが声をかけてきた。

「フィーネ、深呼吸して。あれは墨の力だよ」

「す、墨?」

 聞き慣れない単語。フィーネは声を震わせながら首を傾げた。イヴはフィーネとは違い、こういうものに強いのか、怖がったりせずに下唇に人差し指を当てて考えるような仕草をする。

「あ、えっと……そっか、紋章か。紋章の特性によるものなんだと思う」

 フィーネは納得する。紋章術だとすれば、どんな事態が起きたとしても不思議はない。例え死体が動いたとしても。

 首から上のない死体がフィーネに襲いかかってきた。だが、動きは鈍い。気味は悪いが、種さえわかれば恐怖心は薄らぐ。またすでにあれは死体なので、槍で胸を貫いたとしても、いつものように心に負荷がかかることはない。

 躊躇わずに槍が心臓を貫いたが、死体は止まる気配はない。元々から死んでいる上に、痛覚すらもないようで構わずに剣を振りかぶった。

 先ほどまでは死体が歩く現実に恐怖を覚えていたが、フィーネの体は効率的に動いてくれる。

「はぁ――――っ!!」

 その場で槍を横薙ぎに払い、無理矢理引っこ抜く。投げ飛ばされた死体はイヴに向かっていた左上半身のない死体にぶつかり、重なり合って倒れた。

 その間隙を縫うようにして、先ほど空中に浮かんでいた剣が一直線にフィーネに飛んできている。しかし、フィーネは慌てることはなかった。死体を投げ飛ばした際に、目の端でイヴが弓を構えているのが見えていたからだ。フィーネの信頼に応えるようにイヴは矢でその剣を叩き落とした。即席の組み合わせにしてはいいコンビネーションだ。

 フィーネはすぐに攻めようとはしなかった。剣は叩き落とされて地面に落ちたが、すぐに少年の手の中に収まる。さらに重なり合って倒れた二つの死体はゆっくりと立ち上がった。

「厄介な紋章ね……」

 紋章術の実態が掴めていない上に止めようがない。死体も武器も、ああやってすぐに戦線に復帰する。止めるには紋章術を使っている本人を倒すしかないが、あの少年も一筋縄ではいかないほど強い。

 そんなフィーネの焦燥とは裏腹に少年はますます楽しそうに笑う。

「いい動きだね。本当に強敵だ。やばい超楽しくなってきた。フレッド辺りには怒られそうだけど、僕の唯一の趣味なんだから抑え切れなくなりそ――」

 少年がそう言いながら、飛びかかるために前傾姿勢になっていた時だった。何かの異変を感じ取ったようにフィーネから視線を外した。この千載一遇の機会を逃すまいとしたフィーネも一瞬遅れて、それに気付いた。

 少年の視線の先、そこはキールたちが戦闘繰り広げている場所。フィーネもそちらを見る。

 煙がその空間には充満していて、少し離れた場所にいるキールたちの姿ははっきりと視認はできない。フィーネの紋章術を使用すれば、それを吹き飛ばせるのはわかる。わかっていながらも、彼女はそれを実行することを躊躇っていた。

 そこから感じる異質な殺意の胎動。それを確かめる勇気がフィーネには中々湧かなかった。

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