第三章(3)
騎士祭の最後には花火が打ち上げられ、それで祭りは締めとなる。
その花火を観終わった後、キールは女の子三人を引き連れて騎士学校の女子寮の方に向かって歩いていた。ラッセルが見たら発狂しそうな光景だが、キールにしてみれば、フィーネとエリス、イヴのどこも変わり映えしないメンバーなので新鮮味の欠片もない。
祭りが終わったのでキールは彼女たちを送って行く最中だった。王都から女子寮は人気のない場所を通りはするが、それほど離れているわけではない。三人で帰ればいいと思うのだが、こんなやり取りがあり、こういう結果になった。
『か弱い女の子たち三人で帰れって言うの?』
『か弱い? ははは』
『……何がおかしいの? こっちとしては冗談なんか何一つ言ったつもりはないんだけど』
『槍を掴むな。エリスとイヴはともかく、そんな喧嘩っ早いおまえのどこがか弱いんだ?』
『うるさいわね。ごちゃごちゃ言わずに付いてくればいいの。そ、その、昨日エリスのエスコートのお礼にとっておきのお茶でもご馳走してあげるから』
槍を掴まれたら頷かざるを得ない。最近、フィーネの『脅迫』と『お願い』が同じ意味になりつつある気がしてならない。とは言え、不器用なフィーネに料理はまるで期待できないが、舌は確かなので彼女の言う『とっておきのお茶』には多少なりとも興味があるわけだが。
そういう経緯があり、キールは三人を送っていた。
先頭を歩くイヴは鼻歌交じりでご機嫌だ。その理由にキールは心当たりがあるが、他の二人は見当が付くはずもない。エリスがその理由を世間話がてらに訊ねた。
「イヴさん、祭りがそんなに楽しかったんですか?」
「ん、それもあるけど、最後に花火が上がったでしょ? 私、花火が大好きなの。初めて見た時、びっくりして腰抜かしちゃったけど。――ねっ。キールも覚えてるでしょ?」
「……ふーん。二人で見たんだ。仲がよろしいことで」
極上の笑みを浮かべるイヴと不機嫌そうに唇を尖らせるフィーネ。フィーネのイヴに対する態度が少しは丸くなったように思えたが、こういう顔を見るとそうでもないのかもしれない。
その相反する顔に挟まれながら、キールはイヴの言葉に「ああ」と頷いた。忘れるわけがない。キールにとってあれは初めて見た花火だったのだから。
いや、初めてだったのは花火だけではない。祭り。友達。キールもイヴも『外』の世界に触れたのが初めてだった。あの日からキールの人生観は変わったのだ。
その時と変わらないイヴの明るい笑みを見返すキール。その耳に突如、どこか不吉な男の声が聞こえてきた。
「そんなに花火が好きなら実際に味わわせてやろうか? 四肢が弾け飛ぶ気分だと思うぜ」
不穏な言葉が聞こえ、四人は一斉に正面を向いた。火の入った街灯に照らされた女子寮へと伸びる道の先、キールたちの行く手を阻むように一人の男が立っていた。
白いシャツに黒いズボンを履いた長い黒髪の青年。シャツはボタンが全て外してあり、着るというよりは羽織っていると言った方が正しく、そこから適度に鍛えられた体が見えている。何より特徴的なのはその顔の左半分。左目を縫い付けるように走る剣で斬られた傷跡、それを覆い隠すように入れられているのは赤いサソリの紋様だった。
敵だと悟らせるには充分な殺気。そして、キールには感じ取れる血の臭い。あの男が殺してきた人間の数は十や二十では済まないはずだ。
「手間を取らせるなよ、花彫。わざわざこんな島国にまで足を運ばせやがってよ」
それでイヴが彼の狙いだとキールは理解し、腰に差した二本の剣の柄を握った。そこに疑問はない。彼女が狙われる理由をキールは知っている。
一方、『花彫』という言葉が何を示すのかはわからずとも、その明確な殺意を受けてフィーネは反射的に槍を取り出した。それをフィーネが伸ばす傍らで、エリスも拳を構える。やや緊張した面持ちなのは、まだ場数を踏んでいない一年生であることと、まさかリルアルド内で戦闘になるとは思っていなかったことが要因だろう。
その三人の姿を見て、隻眼の青年は心底おかしそうに笑う。青年の右目がイヴを捉える。それで狙いがわかったのか、フィーネが守るようにイヴの一歩前に出た。
「おいおいおいおい、ちょっと待てよ。俺としてはそいつを引き渡してくれさえすれば、おまえらとやり合う気はないんだけどな」
「はっ。嘘を言うな。その目は殺戮を楽しむ人間の目だ。それにその血の臭いは誤魔化しようがないぞ」
イヴを渡したとしても、獲物を逃すような人間ではない。そもそもイヴを――騎士学校の仲間を売るなんて行為をここにいる全員が容認できるはずがない。
キールとフィーネがそれぞれ一年生を守るように臨戦態勢を整えるが、青年はにやにやと笑うだけで動こうとしない。ポケットに手を入れたままで腰の剣を手に取ろうとしないが、その殺意は拭い去れない。
そのキールの嗅覚が正しいと裏付けるようにエリスが叫んだ。
「――離れて下さい!!」
切羽詰まったエリスの声。彼女が危機を感じたということは、それはどんな預言者の言葉よりも信頼に値する。キールたちはそれぞれ跳んだ。
先ほどの花火に似た爆発音。ただし、その大きさはまったく違う。鼓膜が破れそうになるほどの音と熱風が肌に叩き付けられる。それほどまでに爆発の位置が近かった。
爆発が起きた。何が何だかわからなかったが、それだけは理解できる。言動からしてこの青年が原因で、エリスが反応したということは紋章術なのだろうが、そんな素振りは一切見られなかった。
わかるのは目の前の男が敵だということ。キールはとりあえずラッセルに磨いてもらったばかりの剣を二本とも抜き、一番近くにいたエリスの側に寄る。
「大丈夫か、エリス」
「な、何とか……」
四つん這いになった状態で顔を上げるエリス。受ける印象がいつもとは違う。髪型が違うのだ。いつもは左目を隠している彼女だが、今はその前髪が上げられている。先ほどの爆風で乱れたわけではない。あえて晒しているのだ。コンプレックスの塊であるその左目を。
キールは改めて周囲を確認した。青年が立っている場所からキールたちが先ほどまでいた場所を通過して、その奥まで一直線上に穴が開いている。辺りには白い煙。やはり爆発が起きたようだ。
イヴとフィーネは穴の向こう側。キールたちを隔てている穴は深く、しかも広い。
「フィーネ、イヴ! そっちは無事か!?」
代わりに声をかけるキール。それに答えたのはフィーネだった。
「大丈夫よ。イヴも無事! 今からそっちに合流――したいところだったけど、ヤバそうなのが来たわ。ちょっとそっちには行けそうにない」
一瞬だけ視線を送ると、キールが使っているような片刃の剣を右手に持った子供がどこからともなく現れ、フィーネたちに向かって歩いている。子供ではあるが、その雰囲気が只者ではないことを悟らせた。
「――キールさん、来ます!」
エリスの声。それに呼応して、彼女を小脇に抱えるとその場から横に跳んだ。次いで襲いかかる爆発音と炎の花。
「ちっ。テオの野郎の方に花彫は行きやがったか。――まあいいさ。機会はいくらでもある。まずはこっちで楽しませてもらうとするか」
死の気配が付きまとう笑みを浮かべる青年。
強力な紋章術だが、派手過ぎる。町からは多少離れてはいるが、その爆発音を聞けば騎士たちが駆け付けるのは時間の問題だ。キールがそう考えた直後、パッと空が明るくなった。次いで大きな爆発音が鳴り響く。終わったはずの花火が再び上がり始めたのだ。
それが何のために上げられたのかキールは一瞬で理解した。この爆発の音を誤魔化すために上げられたのだ。ということは、この国に入り込んでいるのは一人や二人ではない。おそらくはこの道も今ごろは何らかの手段で封鎖されていると見るべきだ。もちろん、それらはすぐに撤去されるだろうが、今のキールたちにとってその時間は永遠にも等しい。それを悟り、キールは舌打ちをした。
すぐに援軍が来ることを期待できない以上、あの青年を無視してフィーネたちを助けて撤退したいところだが、浴びせかけられる殺気がそれを許さない。
青年の手はまだポケットに突っ込まれたままだ。この間合いならば、紋章術を使用して一撃で仕留められる。
その一歩を踏み出そうとして、キールの視界が横にずれた。脇腹の辺りにどこか柔らかさを感じさせる衝撃。その正体はエリスの小柄な体がぶつかってきたもので、彼女はキールを横から押し倒そうとしていた。キールはその衝撃に逆らうことなく、エリスと共に倒れた。
それから一瞬遅れて、キールの頭があった場所が爆破された。
これは明らかに紋章術だ。特性は『爆破』というところで、明らかに三級の紋章ではない。強力な特性だが、気になるのはそこではなかった。
紋章術には何らかの予備動作が必要になる。ほとんどわからない――例えば『見る』という行為でも確実にそれを発動させるための動作が必要だ。
なのに、あの男が爆破する際、それらしい動きは見られなかった。ポケットに手を突っ込んでいた手も観察していたが、動いた様子はない。それなのに爆破された。
「――あん?」
訝しげな声を上げたのはそんなことを考えていたキールではなく、青年の方だった。
「どういうことだ? おまえ、どうして俺が爆破する場所がわかる?」
その開かれた右目で青年はエリスを睨む。騎士学校に通う騎士見習いでありながらも、人の悪意に満ちた視線に慣れていない――というよりも慣れ過ぎているエリスは微かに身を強張らせた。その視線から守るようにエリスの前にキールが立つ。
青年に教えるつもりはないが、エリスが彼の爆破地点を読めるのには無論理由がある。その秘密は彼女の左目だ。あれは単純に目の色が違うという身体的特徴によるものではない。それならば、エリスがあそこまであの目にコンプレックスを抱くことはなかった。
あの色の違う左目は紋章だ。
普通、紋章というものは後天的に入れられる。特殊な道具を使って肌に直接的に紋様を刻み込むのだから、目などに彫ることはできない。
エリスの紋章は後天的に入れられたものではなかった。稀に紋章を宿して生まれてくる人間がいる。それはコアによる影響だと言われているが、未だにその原因は解明されていない。
その稀有な事例がエリスだ。その左目が有する特性は相手の紋章の影響を受けたコアを見抜けること。エリスが言うには、その部分のコアは色が違って見えるらしい。どんなわかりにくい予備動作であっても、その特性を発揮する一瞬前に気付ける。攻撃性は皆無だが、その優位性は非常に高い。
「キールさん! 正面から一直線上です!」
その警告に反応して、キールはエリスを抱えたまま横に跳んだ。熱風が肌に叩き付けられるが、キールは意に介さず、剣を持ったまま懐に手を伸ばしてナイフを取り出した。器用にそのナイフだけを青年に投げ付けた。
傷を与えるという狙いももちろんある。だが、この行為はそれよりももっと重要な目的が含まれていた。そして、それはキールのナイフが爆炎に阻まれたことでキールは確信を得た。
エリスを地面に下ろし、キールは剣を逆手に持ち替えて言った。
「あんた、一級の紋章師だろ?」
「――えっ!?」
驚きの声はエリスのものだった。その反応は当然だ。一級の紋章師なんて一生かかっても会えるかどうかわからない存在なのだから。
キールの問いかけに青年はにやりと笑って答える。
「へえ。よく気付いたな」
「今のナイフ、こっちを見ずに爆破しただろ。しかも、気配で気付いたにしても爆破までのタイミングが短過ぎる。ポケットの中で指を動かした様子も、時間もなかったはずだ。つまり、予備動作もなしに紋章術を発動させたことになる」
一級の紋章師、最大のアドバンテージはまさにそこにある。二級の紋章師は四大元素の法則に縛られることはないが、紋章術を発動させるための何らかの動作が必要になる。それが見抜ければ、避けるのは難しくない。
対して一級の紋章師は、その動作すらも必要ない。念じた瞬間に任意の場所で紋章術を発動させることができる。エリスのように自身の特性に変化させたコアを見ることでもできない限り避けれない攻撃だ。
「でも、それがわかったとしてもどうする? 俺が無敵だと思い知らされただけだと思うが? それとも、今から尻尾を巻いて逃げてみるか?」
「あんたのその殺気が逃がさねえって言ってるけどな。それにどのみちやるしかねえだろ。見習いだけど俺はリルアルドの騎士で、あんたは明確な脅威だ。排除する義務がある」
キールは逆手に持った剣を構える。言わせてもらえば、一級の紋章師だから無敵だと思っているのならば勘違いも甚だしい。特に相手がキールの場合は。
「エリス、こっちのことは心配しなくていい。自分の身だけを守ってろ」
エリスにそう告げると、キールは青年に真正面から駆け出す。その何の工夫もない移動を青年はにやにやと笑って見据える。
殺傷能力は高いが、爆破というのは一瞬だけだ。しかも、爆炎で殺した確証を得るのも微かに遅れる。
大事なのはタイミング。それをキールは勘で読む。しかし、その勘は一般人のものよりもずっと頼りになる代物だ。度重なる戦闘経験の中で培ってきたものなのだから。
キールがその勘に従って紋章術を発現させた。キールの紋章の特性は『移動』。それほど広い範囲ではないものの、一定の距離ならばどこにでも移動できるというものだ。
火炎の花が咲く。それと同時にキールは青年の頭上に移動していた。隠密行動に長けるキールは息を殺し、そのまま青年に剣を振り下ろす。相手の脳天に突き刺す寸前、キールの気配に気付いたのか、青年は前方に転がるようにして剣を避けた。
剣が空振りして地面に突き立てられる。その間に青年はようやく自分の腰にぶら下げていた剣を抜いた。あまり使い込まれた様子のない綺麗な剣。構えから見てもほとんど素人だとわかる。あれだけ強力な紋章だ。それなりには使えるのかもしれないが、ほとんど剣に頼るような事態にはならなかったのだろう。ここでキールと戦うまでは。
「おまえ、まさか……っ!?」
何かに気付いたように驚愕を露わにしながら、青年は紋章術を使用する。先ほどキールが避けれたのは運がよかっただけだ。しかも、口の動きにほんの少しだけ気を取られていたこともあり、今度は避けれなかった。
だが、傷は深くない。青年が動揺したので狙いが逸れたのか、肩口を掠める程度で済んだ。その衝撃でシャツが破れ、肩が露出する。ついでに体も半回転する。
「キールさん、大丈夫ですか!?」
「……掠めただけだ。何の問題もないさ」
強がりでもなければ、エリスを安心させるための嘘でもない。少しは火傷も負ったし、血も出たが、傷はそれほど深くはない。体を充分動かせる。
「花の紋様……。やっぱりおまえ、そういうことか」
青年はキールを睨んだ。その視線だけで人を殺せそうなほど鋭い瞳。
イヴのことを知っているとなれば、点と点を結び付けるのも簡単だ。
「予備動作らしきものはなし。何よりその花の紋様。おまえも一級の紋章師か」
「――えぇっ!?」
どこか間の抜けたエリスの驚愕の声。キールは無言。それは肯定の意につながる。
フィーネやエリスのような身近な人間にも話したことはないが、キールは青年の指摘通り、一級の紋章師である。今まで気付かれなかったのは、キールの紋章術が攻撃の手段ではなかった点と、バレると色々と面倒なので目線を送ったりして、予備動作が必要であるように誤魔化してきたおかげだ。
キールは右手の剣を逆手に、左手の剣を順手に持つ。青年も剣を正眼に構え、その肩を震わせて笑った。
「く、くくく。そうか。俺と同じ一級の紋章師か……。やっぱりあの女は生かしておけねえ。俺の価値が下がっちまうからな。でも、まずはてめえからだなっ!!」
その左目で敵の紋章術の発動場所を読み取れるエリスの警告を受けるまでもない。ただならぬ敵意からその爆破のタイミングを読み、キールは紋章術でその青年の攻撃を避けた。背後に回り込みキールは剣を振るうが、少しは修羅場をくぐってきていたようで、青年はその攻撃を使い込まれていない剣で止めた。そして、距離を取る。
お互いに一級の紋章師。滅多にお目にかかれない戦いが本格化し始めた。