「在野さん失踪事件」
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――わたしには欠陥がある。
それに気がついたのは、物心がつくよりも前の話なのですが、それが異常だということを知らされたのは、割と最近の話で、それまでは例えば耳を動かせるとか、そういう類の、宴会芸にすらならない、ごくごくささやかで、退屈な特技だという認識でいたわたしでしたが、それを目の当たりにした友人の悲鳴と糾弾で、ようやく自分が化け物だということを思い知ったのです。
ここ、聖峰女学院は、そういった理由で捨てられた少女たちが集められる現代の姥捨て山です。
ゴミはゴミ箱へ、化け物は聖峰へ。そんな感じのノリと使命感で、親族に切り捨てられた乙女の数はおよそ三〇〇人。
それだけの数の人間が共同生活を送っているのだから、物騒な話題には事欠きません。ましてや世間から怪物の烙印を押された乙女たちが詰め込まれているのですから。
がり。
わたしのルームメイトだった山――……なんとかさんも、今月の頭に失踪してしまいしたし。
嗚呼、入寮初日に東京バナナを差し入れてくれた山――……なんとかさん。笑うとえくぼができる可愛らしい人でした。
でも毎朝のように山――……なんとかさんの咆哮で目が覚めてしまうから、実のところあまり好きにはなれなかったのですけども、今にして思えばわたしは山――……なんとかさんのそれに、少し安堵していたのだと思います。あの咆哮を、あの悲痛な叫びを聞くことで、嗚呼、わたしはまだ、まともなんだ、と。そう思えましたから。わたしはまだ、人間なんだと、そう感じることができましたから。
がり。
きっと山――……なんとかさんは、食べられてしまったのでしょう。
深い針葉樹の森と、高い煉瓦の壁に閉ざされたこの学院から、山――……なんとかさんのようにどこか間の抜けた娘が逃げ出せるとは到底思えません。ですから、山――……なんとかさんはきっと、悪い魔女に食べられてしまったのです。
わたしたちを化け物で、お伽噺にでてくる狼だとするのなら。
彼女たちはやっぱり魔女と呼ぶべき逸脱した存在なのだと思います。
それはこの学院の生徒の総意で、彼女たち自身もそのことを自覚しているのでしょう。だから、わたしたちのことを平気で喰らうのでしょう。殺せるのでしょう。お願いです、なんでもしますから、食べるのをやめて下さい。
がりがり。
「ごめんね、何を言っているのかわからないや」
パンくずの魔女の片割れは、右手を顔の前で立てて、軽い調子で謝りました。
わたしの必死の懇願は、けれど彼女には届きません。舌が引き抜かれてしまっているから。顎が砕かれてしまっているから。ぽたぽた、とトンネルの天井から滴る水滴のように、わたしの顔から血の滴がこぼれ落ちていきます。
「ごめんね、姉貴は人間しか食べられない体質でさ」
わたしは己の愚かを嘆きながら、目を瞑ります。
やっぱり、魔女には関わるべきではなかったのでしょう。律儀にも東京バナナの恩に報いようと、侵しの家に足を運んだのが運の尽き。
がり。
そんな、いやに鈍い音が頭頂部から聞こえて、わたしの視界は真っ黒に染まりました。そこでわたしの意識は途切れ――……ません! なんということでしょう。
砕けたはずの顎が、引き抜かれたはずの舌が、今現在も噛みつかれている右の頭部が、再生を始めます。痛いです、すごく、すごく痛いです。あんまり痛いから、精神も壊れてしまうけれど、それさえも元通りに戻ってしまうから、この苦しみから逃れる術は今のところ思いつきません。
まだ幼かった頃、手に持っていた色鉛筆が右の眼球に突き刺さったその瞬間を、嫌でも思い出します。延々と、そしておそらくは永遠と、脳裏には走馬灯が流れ続けます。
がりがり。
ああああ痛い痛い痛い痛い痛い熱いあああ痛い痛い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い熱い痛い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いああああ痛い痛い痛い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いアアアア痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いああああ痛い寒い痛い痛い痛い痛い痛い寒い痛い寒い痛い痛い痛いあああああ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い寒い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い寒い。
猫を助けようとして、車に轢かれたわたし。そして千切れたはずの右腕と左脚が再生するその姿を目撃して、甲高い悲鳴を上げた友達の、池――……なんとかさん。わたしを化け物だと罵って、糾弾した池――……なんとかさん。彼女も、そういえば最期は、今の私のように泣いて懇願しましたっけ。もう殺してくださいって。
でも池――……なんとかさんは、幸せです。だって、簡単に死ねたのですから。
がり。
「あ、そうだ。思い出しました」
わたしの突然の発言に、パンくずの魔女は小首を傾げます。
「山田さんは、実家に帰省したんでした」
「誰それ」
パンくずの魔女は、小馬鹿にした風に笑います。
世間は今は夏休みの真っ只中で、ご多分に漏れず聖峰女学院も夏期休暇の真っ最中で、どんなトリックを使ったのかは知りませんが、正式な外出許可を勝ち取った山田さんは、実家で怠惰なサマーバケーションを楽しんでくる、そう言って寮を後にしたのでした。
「あ、転校生の山田さんに、魔女とは関わらないようにってクギを刺すのを忘れてしまいました」
ごり。
ごりごり。
――嗚呼、可哀想な山田さん。きっと山田さんも、秘密の花園、聖峰女学院でわたしのような末路を迎えるのでしょう。
「まったく、嫌になりますね」
これからわたしに降りかかるは、世にも恐ろしき生き地獄。どうしたら、楽に死ねるかを考えて、早く殺してください、と哀訴嘆願する毎日。
それらを思えば、聖峰女学院での生活は幸せで、よくよく考えるとやっぱり不幸で、いやいやでもそれでも、側だけ見ればそこそこ幸せだったような気がしないでもない、例えるのなら幸福な悪夢の中で微睡んでいるような、そんな日々でした。
そしてわたしは、いつも彼女の咆哮で目を覚ますのです。
いいえ、今は違いました。
パンくずの魔女が、わたしの頭蓋骨と脳みそを咀嚼するその音で、目覚めるのです。
がりごりがり。
「お願いですから、早く殺してくださいね」
がり。