未来屋
『獏』・・・体は熊、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎にそれぞれ似て、夢を食べる生物。
もちろん、そんなのは架空の生物に過ぎない。
本当の獏は、人間となんら変わりのない姿をしているし、食べるのは睡眠中に見る夢ではなく、将来こう在りたいと言う夢。
その夢の為の努力とか、気力とか、そんなものがたまらなく美味しいらしい。
――――僕の御主人様は獏だ。
*未来屋*
裏通りの薄暗い町並みの中に、その店はある。
『未来屋』。そんな看板を掲げた、一風変わった小さなお店。其処が僕の住処であり、御主人様の店である。
「さて、ティータイムはお仕舞いです。そろそろお客様がお見えになりますよ」
それは、ある日の長閑なティータイム。
僕が御主人様の膝の上でのんびりお休み中のそんな一言だった。
まぁ、よく在る事では在るのだが。
重い腰を上げて店のドアに向かった。
「いらっしゃいませ」
ドアが開けられお客様が入ってくる。
お客様をお出迎えすること。
それが僕の仕事だった。
「あれ、ここは・・・?」
さて、今日のお客様は17、8才の女の子。
「お店?あれ、私なんでここに・・・。鏡がいっぱい・・・」
彼女は店内を見渡し、不思議そうな素振を見せた。
彼女の言うとおり、この店に並んでいるのは沢山の鏡たちだ。
昔の西洋のアンティーク系の物も在れば、最近のコンパクトミラーまで、様々なものがある。
「いらっしゃいませ」
「貴方がこのお店のオーナーさん?」
「いや、僕はただの・・・」
「クス、可愛いオーナーさんね」
どうやら、いや、やはりと言うべきだ。
僕の言葉は彼女には伝わっていない。御主人様には伝わるので不自由に思った事はないが、僕の言葉は人間には伝わらないらしい。
しかし、僕は彼女に気に入って貰えたのか、僕の頭を撫でてくれた。
「未来屋へようこそ。私がここのオーナーです」
そんな時、奥から、御主人様が出てくる。
「あ、やっぱりこの黒猫さんがオーナーってわけではないんですね」
彼女は僕の頭から手を離し立ち上がり、僕は御主人様の元へと駆け寄った。
「あの、ここって何のお店ですか?」
「未来屋、ですよ」
僕の言葉はお客様に通じないので、ここは御主人様に任せ、僕は静かに会話を聞くに限る。
「未来屋?」
「ええ。鏡をご覧になってください」
そう言われ、彼女は近くの鏡を覗き込んだ。
普通の鏡ならば、そのままの今の彼女の姿を映す。
しかし、其処に映った彼女はナース服を着て笑っていた。
それは、10年後の未来の彼女。
「・・・!?これ、鏡・・・ですよね?」
「それは貴女の未来の一つです。ほら、ほかの鏡にはまた別の未来の貴女が映っていますよ」
御主人様の言う通り、周りの鏡に映っている姿は教師として働いているもの、ウエディングドレスを着ているもの、歌手として歌を歌っているもの等など・・・様々だった。
「これは・・・何?」
「ここにある鏡は全て、見た人の未来を映します。
貴女はその映った姿を見て、自分がなりたいと思う姿が映っている鏡をお持ち帰り下さい。
そうすれば、その鏡が貴女をその未来に導いてくれるでしょう」
「つまり・・・それが未来屋ってことですか?」
「ええ」
彼女は比較的頭の回転が良いほうみたいだ。
たまに、御主人様の説明を聞いてもまだ理解できない人もいるから。
「さぁ、お好きな鏡をお選び下さい」
「あの、本当にその鏡があれば、その未来になるんですか?」
「もちろん。
貴女は努力も何もしなくても、訪れるのはその未来だけです」
理解した、ようではあるが、やはりまだ半信半疑の様子。
鏡を不思議そうに眺めているだけで、選んでいる様子はない。
「この鏡、何円ですか?
あの、ごめんなさい、私あまりお金持って無くて・・・」
突然、少し照れくさそうに彼女はこう言った。
持ち合わせが少ないのを気にして選んでなかったのだろうか・・・?
「お金はいりません。
ここで鏡を持って帰ったとして、貴女が何かを失うような事はありませんよ。
あえて言うなら・・・これから貴女がする余計な事、は無くなりますが。
それは貴女にとって損ではないでしょう?」
御主人様にそう言われても、彼女は考えるような様子をし、選び始めない。
早く選べば良いのに。
彼女は思い通りの未来になり、御主人様はおなかいっぱいになれる。
今までのお客様は、御主人様にそう言われると、喜んで鏡を選んでいた。
これは人間にとっても、獏にとっても特になる、取引。
きっと、彼女も今に鏡を選び始める。
そう思った。
のに。
「あの・・・」
「どうしました?」
「やっぱり、鏡を貰わずに帰るって言うのは駄目ですか?」
なんて事言い出すんだろう。初めて聞いたその言葉に、驚きを隠せない。
「何故です?貴女にとってもいい話、だと思いますけど」
「でも、私、夢は自分で、自分の力で掴みたいんです。
それに、これからすること全てに無駄な事なんてないと思いますから。
だから、これからする事が減っちゃうって事は、私にとって損なんです」
「損・・・ですか・・・?」
「はい。
それに・・・さっき、お好きな鏡(未来)をお選び下さいって言いましたよね。
なら私は、ここで鏡をもらって帰らない未来を選びます」
御主人様も僕も、彼女の言葉に呆気に取られた。
確かに、彼女の言う通りだ。
でも、僕の知る限り、人間って、そんな生き物でないはずだった。
楽を望み、安定した人生を目指して生きている。
そんな生き物が、人間のはず。
だから、今までのお客様は喜んで鏡(未来)を持ち帰ったんだ。
「・・・・」
「あ、やっぱり駄目ですか?
お店の中に入ったのに何も買わずに出ちゃうなんて失礼ですよね?」
彼女が、本気でそんな事を悩んでいるものだから、僕も御主人様も、笑ってしまった。
もちろん、声を堪えて、だけど。
こんな人間がいるんだと、感心した。
「いえ、結構ですよ。頑張って貴女が掴みたい未来を、自分の力で掴んで下さい」
「ありがとうございます!」
――そして、彼女は帰っていった。
結局食事は手に入らず、また二人きりのティータイムが訪れた。
僕は指定席の御主人様の膝の上に座り込む。
「御主人様」
「何だい?」
「あんな人間、いるんですね」
自分の力で進もうとする、そんな彼女を見て初めて、人間というものに興味を持った。
すると御主人様は
「あぁ。昔は結構ああ言う人間もよくいたんだけどね」
最近は滅多に減ってしまった。
そう言って、笑った。
「私はそんな人間のほうが好きだよ」
「御主人様、でもそれでは食事が・・・!」
そんな事を言い出すから、僕は慌ててしまった。
確かに彼女のような人間は素敵だと思ってしまったけど。
御主人様が食事が出来なくなってしまうのは困る。
「わかっているよ。ほら、また次のお客様が来たよ。彼から、食事はいただくとしよう」
「はい、御主人様」
人間と会話が出来ればいいな。
そんな事を考えた、ある昼下がりのこと。
「いらっしゃいませ」
ここは獏が経営する未来屋。
未来を手にし、努力をする事を忘れる人間になるか
自分の未来は自分で手にいれようと日々努力を繰り返すか
「さぁ、お好きな鏡(未来)をお選び下さい」
--Fin--