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公爵令嬢のその後

作者: 黒桐

初投稿です。

諸事情によりネットカフェ投稿のため、感想に対する返信等が行えません。

ご了承ください。


11月5日「双子の学園生活」連載始まりました。

 東の大国ザッハート王国。

 他の国々に比べて極端に魔獣が少なく、田畑を荒らされることがないため農耕で栄える国だ。

 この国には他国にはない独自の教育機関が存在する。

 王立ルガール学園。

 初代ザッハート王の名を関するこの学園には日々多くの貴族子弟、令嬢が通っている。



「ヴァルゴ公爵家令嬢、アイリス・ヴァルゴ。君との婚約は破棄されることが決まった。父上の了承も得ている」


 その言葉を口にしたのはザッハート王国第一王子であるルーベンス・ザッハート・リブラ殿下。わたくしの婚約者、であられたお方。

 ここは学園の中心に立つ生徒自治会の執務室。自治会長を務めるルーベンス殿下の周りには役員であるクロムウェル・エアリーズ様、ブリット・トーレス様、エドワード・ヴァーチェ様が並んでいる。

 そして彼らに守られるようにリリエッタ男爵令嬢が怯えた様子でこちらを見ていた。


「理由は君自身が一番判っているだろう。パイシス男爵家令嬢、リリエッタ・パイシスに対して行った悪意ある行為の数々は君が次期王妃に相応しくないことを示している。……なにか弁明はあるか?」


「いえ、ございません」


 弁明などする気もない。

 婚約した10歳の頃から王妃となるべく教育を受けてきた者として、わが身可愛さに言い訳なんて恥でしかないし、次期王妃という肩書きが、それを背負っていたわたくしの言葉がどれだけの影響力を持っていたかを理解できていなかった愚か者が弁明など出来ようはずもない。


「……そうか、君にも公爵令嬢としての立場があるゆえリリエッタ嬢に対して頭をさげて謝罪しろとは言わない。ただもう二度と彼女に近づくな。それでこの話は終わりとしよう」


「はい、ご配慮ありがとうございます。ルーベンス殿下」


 一礼して退室する。

 そのまま出入り口までむかったわたくしは、一度だけ振り返るとゆっくりと腰を折る。


「ごめんなさいリリエッタ嬢、そしてルーベンス殿下、殿下の夢がかなうこと心より願っております」


 誰もいないこの場所でわたくしは頭を下げた。



 整地された道を走る馬車の中、車窓から広がる麦穂畑をぼんやりと眺めていた。

 窓を埋め尽くさんばかりの黄金の稲穂は風にゆれ、実りの確かさを示している。

 あれから、ルーベンス殿下との婚約破棄から早半年が過ぎていた。

 殿下はわたくしの今後を考えてくださり事を荒立てないように取り計らって下さったが、それでも隠せるようなものではなく、格下の男爵令嬢に勘違いから嫉妬した末に王子から婚約破棄された愚かな令嬢としてわたくしの名は貴族たちの間に広まってしまった。

 醜聞を抱えたわたくしにまともな嫁ぎ先など見つかるわけもなく、父は追い出すようにわたくしを同じく醜聞を抱える辺境伯の側室として送り出した。

 辺境伯。

 この国の東には”世界の果て”と呼ばれる断崖があり、そこから先には果てのない雲海が広がっている。その断崖に接する南北に縦長の領地を治めている齢六十を超える老人だ。

 滅多に王都に出てくることのない辺境伯とは名ばかりの田舎貴族で、三十以上も離れた令嬢を手篭めにして無理矢理妻に迎えたことから社交界では好色爺と呼ばれている。

 この婚姻を伝えられたときも、どこか他人事のように感じてしまっていた。


「レニー、わたくしなどについて来て本当に良かったの?」


「その質問も何度目でしょうかね。答えは変わりません、わたしはずっとお嬢様のおそばにおります」


 幼いころから専属の侍女として傍にいてくれた彼女は、屋敷にいた侍女の中でひとりだけ辺境にまで付いてくること選んだ。

 それがありがたくて、申しわけなくて、それでも感謝の気持ちのほうが大きいからありがとうと感謝を口にする。


「この穀倉地帯を抜ければ辺境伯領です。話によれば迎えが来ているそうですから、そこで馬車を乗り換えることになるでしょうね」


 それからしばらく馬車に揺られていると畑が途切れる。

 視線を道の先に向けると背の高い人影が複数見えた。馬車がだんだん近づいていくと次第に姿がはっきりとわかるようになる。

 青年と老人と女性が一人ずつそれぞれに馬に乗っている。背が高く見えたのはそのせいだろう。

 あちらもこちらに気づいたのだろう、三人とも馬を進めて近づいてくる。

 そうしてお互いの顔がわかる距離まで近づいたところでお互い止まる。


「馬上より失礼、ここより先はミソロジィ辺境伯領であるがいかな御用であろうか?」


 老人が御者に尋ねる。御者がこちらの身分を説明する間その老人を観察する。

 従士というには威厳のようなものを感じられる、おそらく辺境伯に仕える騎士なのだろう。

 皺の深い顔は確かに年齢を感じさせるが、老いを感じさせない真っ直ぐな背筋に鋭さすら感じさせる目。腰に佩く剣はたしか”斬鉄”と呼ばれる国内でも滅多に使い手のいない片刃のサーベルだ。

 かの辺境伯があの剣で鎧を切ったという法螺を吹いたことからその名で呼ばれるようになったと聞いている。


「お勤めご苦労。ここより先の護衛はこちらが引き受けよう」


 話が終ったのだろう、老人はそう言うと馬を下りる。挨拶のためだろう残りの二人も続けて馬から下りた。


「お嬢様、こちらもご挨拶しましょう」


 騎士相手ならば馬車の中から一声かけるだけでよいのだが、乗り換えることになる以上一度外に出ることになるため、レニーは先に下りると手を差し出てくる。


「ごきげんよう、わたくしはヴァルゴ公爵家令嬢、アイリス・ヴァルゴと申します。よろしければお名前をお聞かせいただけますか」


 挨拶するわたくしに老人は笑みを浮かべて口を開く。


「ご丁寧な挨拶痛み入る、わしの名前はルーカス・ミソロジィ。この先の辺境伯領を治めるしがない老いぼれだよ」


 え……。

 頭が真っ白になる。体が膠着する。隣にいるレニーも言葉を失っているのが判る。

 目を瞬かせて改めて老人を、いや辺境伯を見る。


「どうかなされたかな、可愛らしいお嬢さん」


 驚きに言葉を失うわたくしを、夫となる辺境伯は目じりのしわを深めて笑っていた。



 嫁いできてから一月。

 宛がわれた部屋で裁縫をしていたわたくしは、手を止めて物思いにふける。

 この一月は驚いてばかりの日々だった。

 あの日、ルーカス様とともに出迎えにきていた女性は正妻であるアイラ様だった。

 呆然としていたわたくしをアイラ様は満面の笑みと抱擁で歓迎してきた。太陽のような明るさを感じさせてくれる彼女は、とでもではないが辺境伯の醜聞にある”辺境伯に手篭めにされた”女性とは思えない。

 失礼だとは思いつつも、そのことお尋ねしたわたくしにアイラ様は、


「ああ、王都での旦那様の噂のことね。本当のところは、幼いころに一目ぼれした私が周囲の迷惑顧みずにアプローチしただけなの」


 そう恥ずかしげに笑って答えた。

 その後従者だという青年と共に三日かけて到着した屋敷でも驚くことばかりだった。ルーカス様たちは三人だけで各々が役割分担をして生活していたのだ。

 ルーカス様は薪集めや水汲みを毎日行い、

 アイラ様は裁縫や食事の用意をし、

 掃除や雑用は従者の青年が全てをこなす。

 その貴族らしからぬ生活にはレニーも言葉を失っていた。

 しかも二人はわたくしを我が子のように扱う。

 アイラ様は朝の抱擁に始まり、並んでの食事や散策、夜は同じベットで就寝と明け透けに愛情を向けてくる。

 ルーカス様も言葉こそ少ないが、王都での生活との差に苦労しないようにといつもわたくしを気にかけて下さっている。

 王都での評判などとは間逆といっていい、純朴で温かなお二人。

 だからこそわたくしは、辛い。

 罰だと思っていた。

 この婚姻はルーベンス殿下の期待を裏切った罰なのだと受け入れていた。あまんじてその罰を受けようと思っていた。辺境の空からあの方が夢を叶えられるのを願う日々を送ろうと覚悟していた。

 でもルーカス様は優しくて、アイラ様は明るくて、二人からのたしかな親愛を感じる日々。

 だからこそわたくしは、辛い。


「これが、これこそがわたくしに対する罰なのでしょうか」


 ポツリとこぼれる言葉。

 この屋敷で生活するようになって数日もすれば嫌でも気づいた。

 この屋敷にはお二人の子供がいない。

 学園に在籍しているから不在というのではない、お二人の間にはひとりも子供がいないのだ。

 おそらくだが、父であるヴァルゴ公爵は王都の貴族と婚姻がほぼ無理となったわたくしをこの領地に介入する足がかりとするために側室として送り出したのだ。

 手篭めにされて子をなせばそのままその子はこの領地の後継者となり、たとえ子が出来ずとも縁戚ということで養子を送り込むことも出来る。

 たとえわたくしが自ら命を絶ったとしても、その死を使うのは確実だろう。

 わたくしはここにいるだけでルーカス様たちの穏やかな暮らしを壊す害悪なのだ。

 これが、この胸を刺す痛みがわたくしの背負う罰だというのはあまりにひどい。


「アイリス、なにか心配事でもあるか。ずいぶんと表情が暗い」


 投げかけられた言葉に驚く。

 声のしたほうを見れば、すぐそばにルーカス様が立っていた。


「あ、旦那様」


「ルーカスでよい。アイラの真似をする必要はないよ」


 笑みを浮かべ、頭を撫でてくる。

 父の思惑に気づいていないのでしょうか。いえ、そんなことはないですよね。

 ふとそんなことを考えたが、自然と否定の言葉が浮かんだ。

 この一月で、思慮深い方なのだということが判るくらいにはルーカス様を理解できている。

 なぜかと問えば、答えてくれるだろうか。


「あの、ルーカス様。お聞きしたいことがあります」


「ほう、何かな、アイリス」


 向けられた優しげな瞳に、言葉が詰まる。

 聞いてしまえば、この関係がおわってしまうをわかるから、この穏やかな生活がわたくしにとっても変えようない大切なものになってしまっていると理解しているから。

 だから、わたくしは、


「あの、もっと、なにかわたくしが手伝えることはないでしょうか。王都では刺繍くらいしかしたことがありませんでしたから、こうして裁縫しかすぐできることはありませんけれど探せばわたくしにも出来ることがあると思うのです」


 逃げてしまう。

 自分の弱さに内心泣きたくなりながら、ルーカス様に笑みを向けた。



 視界いっぱいに広がる麦穂の黄金畑。

 ルーカス様の背に体を預けて、馬上から辺りを眺めていた。

 視察と巡回のために領地を回るルーカス様とともに、さわさわと風に揺れる実りの中を進んでいく。


「主、今年も豊作のようですね」


「そうだな、どこの村も冬を越すには問題はなさそうだ。だが、塩や金物などがいくらか必要になっている村もある、帰ったら早々に届けてやらなくては」


「はい、準備しておきます」


 同じく馬にまたがり追従する従者の青年、ベルクラフトと会話するルーカス様。それを聞き流しながら物思いにふける。

 嫁いできてから早一年が経過した。

 こうして何度か視察に同行して気づいたのだが、わたくしは辺境伯の妻ではなく療養に来ている王都の貴族令嬢として領民たちに認識されていた。

 確かに嫁いできたなどとは考えもしないだろうが、まるでいまだお客様であるかのように扱われている気がしてもやもやとした気分になる。

 事実、寝室に訪れるのはアイラ様お一人で、一度としてルーカス様は訪れたことはない。

 いえ、何を考えているのでしょう。

 お二人はわたくしを娘のように扱ってくれている。それに不満なんてない。

 あるとすれば、それはわたくし自身の弱さにだけだ。

 結局、わたくしはルーカス様に問いかけられないでいる。ルーカス様の優しい顔を見るたびに決心が鈍り、逃げてしまう。

 以前のわたくしが今のわたくしを見れば、あまりの酷さに目をそむけてしまうほどの臆病さだ。

 それほどまでにこの穏やかな日々に甘えてしまっている。

 でも、今日は違う。今日こそはちゃんと話す。


「……ルーカス様、お願いがあります」


「む、なにかなアイリス」


 ベルクラフトとの会話を終えたルーカス様に声をかける。


「二人だけで遠乗りがしたいのです。以前、このあたりを案内していただいたときにこの近くに葉の色が変わる珍しい木があると教えてくださったでしょう。その木を見に行きたいのです」


「ふむ、たしかにここからならばすぐだな。ベル、しばらくここで待っていてくれ、すぐに戻る。アイリス、落ちぬよう腰に手を回してくれるか」


 言うや早いか、馬を走らせはじめるルーカス様。慌ててわたくしが腰に手を回して抱きつくとさらに速度とあげた。

 密着させた背からの温もりに鼓動が跳ねる。

 ちがう、そんなことない。あくまで驚きと問いかけへの緊張ゆえだ。

 畑を越えて、森をくぐって抜けた先、開けた丘の上に一本の木が見えてくる。


「どうかね、花を咲かせずとも葉そのものを赤く染める木だ」


 赤く鮮やかに葉を染めた木のそばで馬が止まる。


「綺麗ですね。王都ではこのような木を見たことがありません」


「うむ、せっかくだしばらくここで休憩するとしよう」


 馬をおりて木に背を預ける。そんなわたくしを見下ろすかたちでそばに立つルーカス様。

 その顔を見上げれば、まるで赤い葉を背負うような形になるルーカス様の顔がある。皺の深い顔に穏やかな笑みを浮かべている。

 幻想的ですらあるその姿から逃げるように顔を伏せて、口を開く。


「ルーカス様はなぜ、この婚姻をお受けになられたのですか?」


 返答を待つことは出来なかった。


「お気づきでないとは言わせません。父は、ヴァルゴ公爵はこの領地に介入するためにわたくしを使っているのです。

 なのになぜ優しくしてくださるのですか。なぜ笑いかけてくださるのですか。温もりに安堵してしまうのです。お二人のそばにいたいを思ってしまうのです。本当の家族になりたいとさえ思ってしまうのです。でもわたくしはお二人の生活を壊す存在なのです。

 わたくしは誰かを害することしか出来ないのですか。これがルーベンス様の期待を裏切ったわたくしが背負う罰だというのですか。答えてください!!」


 一度口を開けば自分でも驚くくらいに言葉は止まらず、最後には叫びになっていた。


「……王都にもこの領地出身の者は多くてね、定期的に手紙をくれるんだ。だからアイリスの王都での話もある程度は知っていた」


 その言葉にびくりと体が震える。


「王都の貴族の権謀術数に呆れていたそんなときだ、ヴァルゴ公爵からの書簡が届いた。一人娘をそちらに嫁がせるという内容の一方的なものだった。すでに王には話を通し、この書簡が届く頃には娘を送り出しているとまで書かれていたよ」


 そんな、押し付けるようなかたちでわたくしはここに送られていたなんて。


「そのことをアイラに相談すると言われたんだよ。そのご令嬢がこの地で自分なりの幸せを見つける手伝いをしてあげようとね」


 思わず顔を上げた。


「だからね、アイリス。君は幸せになっていいんだ。王都から声など無視しておけ。ここは辺境、世界の果ての地だからな、届きはないさ」


 そこには変わらず穏やかな笑みがあった。


「罰ならば今日まで苦しんだことが罰だろうに、これから先は貴族であるとか、わしら夫婦のことだとか、そんなものは気にせずに愛する者を見つけて思いのままに行動すればいい。後のことはわしらに任せれて、わがままに生きてみるのも良いだろう」


 貴族にあるまじき発言。それでも安心させてくれるその笑みに、けれどわたくしの心に生まれたのは、悲しみだった。

 自分がルーカス様に子供としか見られていなかったという事実が、ひとつの感情を自覚させる。

 秘するべき思いだとは判る。迷惑になるだろう、でも、思いのままに行動すればいいと言ってくれたのはルーカス様自身だ。

 すこしぐらい、わがままに幸せを求めてもいいのでしょうか。


「ルーカス様、わたくしは――」



 辺境伯領に嫁いできてから二年がたち、わたくしは双子の男女を出産した。


「ねぇ、見て、どっちもとっても可愛いわ、アイリスったらわたくしの分まで生んでくれるなんて」


 特にアイラ様の喜びようは人一倍で、わたくしと同じ栗色の髪の赤子に頬擦りしていた。はしゃぐその姿を見ていて自然と笑みが浮かんでしまう。

 男の子はアイラ様とルーカス様の考えたルークと名づけ、女の子はわたくしとルーカス様で考えたリーネと名づけた。

 それから子育てに奔走する日々だった。

 見稽古だと訓練の場に連れていくルーカス様と際限なく甘やかそうとするアイラ様の二人に、時に怒り、時に呆れ、時に笑いながら双子を育てていく。

 侍従であるベルクラフトや、彼と並んで仕事をするようになったレニーたちにも助けられながら、愛情を注いでいく日々。

 そして三人目の懐妊がわかると、アイラ様は喜びのあまり性別もわからないのに衣類を編み出すほどだった。

 そんな賑やかで幸福な日々。

 ずっと続くと疑うことすらしていなかった。

 突然だった。

 アイラ様が病に倒れたのだ。

 治療の甲斐もなく弱弱しくベッドに横になっているアイラ様。しかしその明るさにひとつのかげりもなかった。


「ねぇ、アイリス笑って、あなたの可愛らしい笑顔を見せて」


 ベッドに縋るようにしていたわたくしの頭を撫でてくる。しかしわたくしは泣くことしか出来ない。

 どれだけアイラ様に救われてきただろう。愛されてきただろう。

 赤い木の下で自覚した己の思いを伝えたわたくしは、屋敷に戻るとすぐにアイラ様に会いにいった。彼女の優しさにたいして裏切りのごとき行いをしてしまったと思ったからだ。

 しかし返ってきたのは怒声などではなく、笑い声。

 聞けば、わたくしがルーカス様を見る目の変化に気づいていたという。驚くわたくしに、


「だって同じ人を好いているんですもの。すぐに気づいたわよ」


 くすくすと笑うその姿はイラズラが成功した幼子のようだった。

 王都の令嬢たちが浮かべるそれとはまったく違う、アイラ様の笑顔。喜びの笑みにいくつもの種類があるなど知らなかった。

 今もまた、慈しみの笑顔を浮かべている。


「死ぬのが怖くないのですか? わたくしは怖いです、アイラ様がいなくなるのが怖い。一緒にあの子達の成長を見守れないのが悲しい。もっともっとお二人と一緒に生きていきたいのです」


「もちろん、死ぬのは怖いわ。未練なんてあなたのおかげで増えてしまったぐらいよ。でもね、わたしは今幸せなの。心のそこから幸せだって思えるの」


「それは、なら、どうして」


 アイラ様の言葉の意味が理解できない。なぜそこまで自分の幸福に自信がもてるのだろう。


「それは簡単よ。未練を感じてしまうぐらいに、死にたくないって手を握るぐらいに、アイリスが嫁いできてからの時間が大切で最高に幸せな日々だったと思えるからよ。

 だからお願い、アイリスもここに来てから日々が幸せな日々だったと思えるなら笑顔を見せて」


 そう言ってわたくしの手を握ってくる。その手はわずかに震えていて、それでもたしかな温もりがあって、自分がアイラ様にいま出来ることは一つだと判って、


「アイラ様、わたくしはルーカス様に嫁いできて幸せです。アイラ様と家族になれて幸せです」


 精一杯の笑顔を浮かべた。



 アイラ様の死去の後、わたくしは三人目を出産した。

 ラミアと名づけられた蒼い輝きを宿す銀の髪と瞳を持つ女の子。銀の髪の中に小さな突起物を持つ赤ん坊に驚くわたくしを、ルーカス様はかわらぬ笑顔を向けてくれていた。

 それから体調が戻った頃、屋敷の地下へ招き入れられる。

 そして――



 それからしばらくして、

 ある日、王都から一通の書簡が届いた。

 それを外でルークとリーネの子守をしていたルーカス様に届ける。

 すぐに内容を確認したルーカス様は、目を閉じて一考するとすぐにわたくしに見せてきた。

 そこに書かれていた文面に驚く。

 ルーベンス殿下の結婚式への招待状だった。しかもご相手はあのリリエッタ男爵令嬢。おそらくあの一件が馴れ初めとなったのだろう。

 本来ならば夫婦で出席するのだが、伴うのは普通正妻だ。側室であるわたくしはまず出ることは許されない。けれど例外もあり、正妻が何かしらの理由で出席できない場合に限り、側室が出席することがある。

 アイラ様がお亡くなりなられたことでその例外に当てはまってしまっている。

 けれど、


「ルーカス様、わたくしはこの屋敷この領地で子供たちとのお帰りをお待ちしております」


 するりと言葉が口に出た。自分の口角が上がって自然と笑みになるのがわかる。


「ルーベンス殿下にとってわたくしはすでに過去でしょう。いまさらわたくしなどの顔を見ても気分を害されるだけですわ。ルーベンス殿下とリリエッタ様、お二人ともこれからの幸いを考えていただければよいと思うのです」


 心の底からわきあがる祝福、お二人の幸福を願う思い。


「わたくしはただこの世界の果てからお二人に幸あれと祈らせていただきます」


 翌日、ルーカス様は王都へ向かう。

 子供たちと共にその出発を見送ったわたくしは小さく、ほんの小さくため息をついた。

 それは、ちいさな罪の吐露。

 今が幸いであるがゆえの後ろめたさ。

 罰だと思っていた。償いだと覚悟してこの地に来た。

 でも待っていたのは幸福な日々。穏やかで温かな家族と呼べる人たち。

 だからこそ、清算をつけてないかのように感じて、迷惑をかけた人々に申し訳なくて。

 今のわたくしの幸福を知った誰かがそれを壊しに来ないか不安で。

 形にできない、けれど消えるこのない心の重さ。

 それは生涯、わたくしの心から消えることはない。

 でもそれでいいのだと思う。

 だからこそ今が幸いだと迷うことなく口に出来るのだから。


後日、王子のその後、侍女のその後を投稿予定です。


10月3日 王子のその後を投稿しました。

10月15日 侍女のその後を投稿しました。

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