幻を視る
「ふぁ~あ……」
時刻は日付変更線を超えた頃。
ただじっと待っていた海藤は溜まらず欠伸を漏らす。
「まあ、夜を狙うのは分からんでもないけどな……
ずっと待ってる身にもなってくれってんだ」
準備運動のように手足を動かしながら、敵を待つ海藤。
ふと外を見ると、昨日よりも更に激しく雨粒が地面を打ちつけている。
「……台風でも来たか?」
そばの窓ガラスが音を立てて揺れているところから、どうも外は嵐のようである。
「やれやれ、本当にこんな日に来るのかね?」
悪態をついてみるも、今日要人を狙いに来るのは様々な情報筋から間違いはなかった。
問題は、いつ来るか……
海藤は退屈しのぎにダブルイーグルを取り出すと、部屋の一角に照準する。
と思ったら突然発砲。
その弾道の先には赤い髪をした女が立っていた。
「今のをかわしたか……」
海藤は硝煙を一息で吹き消すと、不敵な笑みを浮かべる。
それに対して女は驚いたような顔を隠せない。
「いつからいたのかってのは全く気づかなかったけどな。
ただ、オレを殺ろうと一瞬殺気を膨らませたろ?」
更に驚く女。この男、そんな僅かな気配の流れを読んだというのか。
間違いなくこの男は、強敵―― そう判断した女の反応は素早かった。
両手に持つ二本の短刀を振りかぶり、海藤に向かって駆ける。
その直線的な動きに対して狙いを付ける海藤だが、女の姿が曖昧で狙いが定まらない。
「なるほど、これがファントムって言われるワケか……」
どうやらこの女は気配を完全に絶てるらしい。
……いや、正確には気配が元々存在していないというのが正しいだろう。
どうりで、いつからいたのか気づかないわけだ。
「こいつは手ごわいねぇ……」
そう呟いている間に接近していた女は短刀を横なぎに振る。
それを屈んで避けた海藤に対して今度は上から垂直に短刀が振り下ろされるが、
ダブルイーグルを頭上にかざすことで短刀を防ぐ。
更に屈んだ状態から足払いをかける海藤だが、それは読まれていたのか跳躍され簡単にかわされる。
だが海藤の攻撃はそれだけで終わらず、最初に横なぎに振られた相手の右手首を左手で掴んで引き寄せると、そのまま床に体を叩きつける。
痛みに顔を歪ませるも横転しながら海藤と距離を取る女。
「どうした、この程度じゃねぇだろ?」
女の直感は警告を出していた。
この男、昨日殺ったSPよりも確実に実戦慣れしている。
気を抜けばやられるのはこちららしい。ならば――
女の姿が今まで以上に視認しにくくなる。
そして体の輪郭がぼやけたと思ったら、
一人だった女がいつの間にか二人に分かれていた。
「なるほど、こいつがテメェの本気ってわけかよ」
敵が二人に増えようが海藤のやることは変わらない。
一人目が音も無く背後にしのび寄っていたことを察知した海藤は、
まずその凶刃を体を僅かにひねることでかわす。
だが先ほどと違い敵は二人。
その隙に正面から接近していた二人目の刃が、回避中の無防備な海藤を襲う。
流石の海藤もかわしきれずに右肩を切り裂かれるが、
「んのやろう――ッ!!」
無茶な体勢にも関わらず、ダブルイーグルで正面から来ていた女の短刀を弾き飛ばす。
更に体勢を整え、背後の女を体当たりでよろめかせると、
予想以上の抵抗をされ呆然としていた正面の女が持っている二本目の短刀も撃ち落す。
そして無防備になった正面の敵の胸倉を掴むとそのまま壁に叩きつけ、
女の眉間にダブルイーグルの銃口を向ける。
「チェックメイトだ」
その一言で戦いの終わりを告げた。
女は自分の敗北を認めると、死を覚悟して静かに目を閉じた。
いつの間にか分身は消えている。
だが、いつまでたってもそのトリガーは引かれることは無かった。
不思議に思って女が片目を開けると、
海藤はずっとこちらを睨みつけたまま硬直している。
「解せねぇんだよ」
ふと呟く。
言葉の意味が分からず、
「――殺せ、任務を遂行できなかった私に生きる価値は無い」
淡々と、だがよく通る声で始めて女は口を開いた。
「それが解せねぇ。
一見プロの暗殺者のような手際を見せたと思うと抜け目があり、
昔のオレのように戦い自体を楽しんでいる感じでもない」
「何が言いたい。
私はただの暗殺者だ、それ以上でもそれ以下でもない」
海藤は瞳の奥まで覗き込むような目で女を見据える。
「何か、違う……
オレやプロの暗殺者と違って、お前のシゴトには何の覚悟も感じねぇ」
「なんだと?どういう――」
女の言葉を遮って、海藤は落ち着いた声で言う。
「お前、本当は殺しなんてしたくないんじゃねぇのか?」
女はその海藤の言葉に対し大きく目を見開く。
そして見開かれた瞳の奥から何かが溢れ出して――
彼女の頬を伝って、一滴の雫が落ちる。
「お前――」
女は自分が涙を流していることに気づくと、涙を隠すように俯いて唇をかみ締める。
「貴様に…… 貴様に何が分かる……ッ!」
怒りと悲しみが混じったような声音。
「これしか…… 人を殺すことでしか、私の存在は認められないッ!
そんな気持ちが、貴様に分かるものかッ!!」
女は呆然としている海藤を突き飛ばして、
近くの窓を体全体で割って転がるように外へ逃げていった。
それを黙って見送る海藤。
未だ外は風雨が激しく吹きすさんでいた。
海藤には、地面を激しく打ち付ける大粒の雨が彼女の流す涙と重なって見えた――