紅と白
――ここは、とあるホテルの一室――
警察本部警護課に所属する葛城誠司は、要人の護衛についている最中だった。
白いコートを羽織った葛城は、警護対象が眠る寝室の扉の前に立っている。
正確には、今葛城がいるのは要人の執務室。
自分のすぐ背後の部屋には、要人が無防備な状態で眠っている。
この寝室に続く扉だけは何としても死守しなければいけないと思いながら、
今の時刻を確認する。
「もう2時……か」
窓の外は既に闇が広がっている。
この執務室は用心のために明かりはつけているが、
この場所以外はどこも夜の闇一色に染められていた。
葛城が率いてきた部下達は執務室の扉の外で待機させているので、
侵入者がいようものならまず部下から連絡が入る手はずになっている。
このまま何事も無ければいいが、と思いながら、ひたすら時が経つのを待つ。
と、そこで急に執務室天井に付けられていた蛍光灯が明滅した。
「なんだ、もう電球が切れ掛かってるのか?
まったく、こういうときに限って――」
言いかけたところで葛城は腰を屈め、低い姿勢をとる。
「――妙だ」
突然周りから全ての気配が消えうせた。
そう、執務室の外にいるはずの部下の気配さえ消えていたのだ。
(やられたか……?だが、いつの間に?)
思慮をめぐらせていると、目の前の執務室のドアがゆっくりと開かれる。
葛城は咄嗟に特殊警棒を取り出しそれを右手に握ると、警戒心を最大に強める。
そして開けられた扉から、赤い髪をした女性がゆっくりと入ってくる。
「………?」
見たところ20歳前後ぐらいだろうか。怪訝に思うも、葛城は臨戦態勢を崩さない。
女性は執務室に入ると、まだ警護がいたとは思わなかったのか小首をかしげる。
一見普通の女性だが、その両手には刃渡り70cmほどの短刀が握られていて、
その刀身には鮮血が滴っていた。
間違いない、葛城の部下はこの女の手によって一人残らず殺された。
「……貴様が、最近巷を騒がせる連続殺人犯か」
女は答えず、ただ一歩ずつ葛城に近寄る。
「ここは通さん。ここを通りたければ、私を倒して――」
葛城の言葉はそこでいったん途切れる。
……妙な感覚を葛城が襲い、目の前の女が霞んで見える。
軽く首を振ってもう一度見据えてみるが、まったくそこに存在感が無い。
まるで幽霊でも見ているような、そんな錯覚に陥る。
「コードネーム【ファントム】――
なるほど、通り名の由来はこれか」
一人納得するように呟く葛城。
とそこで一歩ずつ進んでいた女はいきなり加速し、あっという間に葛城の懐に入り込む。
ただでさえ気配が読めないところにその緩急を付けられ、完全に反応が遅れた葛城は、
短刀の一撃を右肩に受けてしまう。
「チィッ!」
思考を切り替え、警棒を横なぎに振るがそれを軽くかわして――
いや、正確には既に回避行動をとっていたのだが葛城はその気配を感知できなかった。
まずい、と葛城は本能で感じた。
この敵には気配というものがまるで無いので、攻撃の筋が読めない。
辛うじて短刀を警棒で受けるが、もう一本の短刀が葛城の脇腹を抉る。
だがそれは葛城の計算の内だった。
脇腹を抉った短刀を掴んで相手の動きを封じると、警棒でその手から短刀を叩き落す。
ここまでやれるとは思ってなかったのか、一瞬相手の動きが止まる。
その好機を逃さず続けて警棒で相手の脇腹を殴りつける。
脇腹を押さえ、怯みながら後退する女。
このまま逃げてくれれば――と葛城は考えていたが、そこまで相手は甘くなかった。
女の姿が今まで以上に霞んで見えたと思うと、
まるで乱視にでもなったかのように女が二人になって見える。
そして今まで以上に気配が無くなったと思った時、一人を目の前に残したまま、
もう一人が葛城の背後に音もなく近寄っていて、
「な――」
静かに、かつ的確に葛城の背後から左胸にかけて短刀を突き立てた。
その正面からはもう一人の女が今度は葛城の右胸を刺し貫く。
「この女、一体……」
視界が赤く染まり、意識が朦朧としていく中で一言だけ呟くと、
葛城はその場で倒れ伏した。
いつの間にか、外では雨が降っていた――