005 疑われる獣と泣く母
前回のあらすじ
Q 目を開けると自分の知らない世界に居たんですが
A そういう事もあるかもしれませんね
「よしよし、痛かったわよね~……」
こんにちは。野口明改め、エイルです。ああ、旧名は野口明だったんですよ。転生したせいで、もう過去の物となっちゃいましたけどね。
現在私は豊穣の地にて、自身の平静を取り戻そうと努力しております。
「……ねえテッド、なんで……エイルは怪我したの?」
なのですが……先ほどから母上様の声は震えており、体まで強張っていらっしゃる。
私は双つの幸せ山がプルプル震えているので、紳士らしくその感触を楽しんでいるのですが……どうにも、新しい両親の雰囲気が重苦しい物に思えてならないのです。
「俺には……初級の風魔法に見えた。いや、もしかしたら初級より上位の……下級だ。あれが『風刃』だとしたら、魔力暴走の可能性がある」
「嘘よ!!!」
「うギョ!?」
(おほっ!?)
強く抱き締められ、幸せ双子山が俺の視界を埋め尽くして下さる。
母上様はなかなかの物をお持ちですな。これ以上強く抱き締められると、その重圧に笑顔が零れ落ちてしまいますぞ。
「ねえテッド、嘘って言ってよ! こんなに幸せそうに笑ってるこの子が、魔力暴走なんて……」
「俺だって信じたくないさ! でも、あれは……」
「嫌よ! まだ産まれたばかりなのよ!? 魔力暴走なんて!!!」
しかしまあ、この修羅場はどうにかならない物か。
現状を知る為に使ったMP……いや、両親の言を借りるなら『魔力』か。とにかく、それがこんな事態を招くとは思いもしなかった。
先ほどから聞こえる魔力暴走とは、文字通り魔力が暴走した状態なのだろう。
俺は前世の記憶がある為、自身の魔力を完全に意のままにできている。先ほどの現象にしても、完全に故意でやった事だ。
なので、その可能性は無いと思うのだが……。
「テッド……貴方、魔法の専門家でしょ? どうにかできなの……?」
とうとう母上様が泣き出してしまわれた。
これは本当によろしくない。親父は渋面作ってるだけじゃなく、母上様に何かフォローしてやってくれと思う。
しかし、『魔法』とは大きく出たものだ。しかも親父は魔法の専門家らしい。ちょっと良い事を聞いた。
「魔力暴走は最上級闇魔法『封魔の理』を一日中掛け続けないといけない。そんなの……宮廷魔道師でも無理だ」
「じゃあ、この子を見殺しにするって言うの!?」
いやいや、それは困る。産まれたばかりでまた死ぬとか、本当に洒落にならない。こちらは一度死んでいる身であって、あんな嫌な経験は当分御免だ。縁起でもない事を言わないで頂きたい。
(しかし、魔力暴走か……)
もしこれが、考える力も無い赤子の場合だったらどうなるか。……おそらく、全身傷だらけになって死ぬだろう。母上様が心配しているのは、そういう事だと考えて間違い無さそうだ。
自分のお腹を痛めて産んだ子供が、その子自らの魔力を扱いきれずに死ぬ。考えただけでも悲惨だ。
赤子はその現象が何故起こっているのか良く分からず、無為に死んでいくのだろう。
「おうおうギャー」
(大丈夫だから)
何とか泣き止ませようと手を伸ばそうとしても、上手く手を差し伸べられない。赤子なので当然と言えるのだろうが、もどかしさを感じてしまう。
「大丈夫、大丈夫だからね……エイル」
正直、やってしまった感が尋常ではない。母上様は泣き、親父は震える拳を握り締めて渋面を濃くしている。
俺にとっては異常なこの世界は、両親にとって常識の世界なのだ。完全に俺の都合で引っかき回してしまった。
それも、魔力暴走とやらの疑いである。自分の子供が死ぬかもしれないと思っている二人の心境は、俺には想像すら出来ない。
バツも悪く、獣の鳴声を上げる事さえ許されない雰囲気が漂っている。
「出来る限り……調べてみるよ。魔力暴走じゃない可能性もある。本来、魔力暴走はもう少し経ってから始まる物のはずだ」
「じゃあ……」
「断定は出来ない。俺だって魔力暴走じゃないと信じたいが、産まれてすぐに発病した例もある。けど……続け様に魔法が発動している様子も無い。とにかく、この病気は調べないと分からない部分が多すぎるんだ」
「……うん」
「大学から資料を集めてくる。レイラはエイルを見ていてくれ。もし魔力暴走が始まったら、気絶させてでもエイルの意識を飛ばすんだ」
「……わかったわ」
母上様が弱々しく頷くと、親父は俺と一緒に母上様を抱き締めた。
それは状況を考えなければ、暖かな心休まる家族風景であって……。
(冷た!?)
「うギャ!?」
なんだこれは。
親父の体温が異常に低い。死人か何かの様に感じる。
「あ……そうね、テッドは夜族だから冷たいわよね」
「ああ、すまん。そうか、冷たいよな……」
親父は何処か弱々しい笑顔で、俺を見て微笑む。
やめて欲しい。その体温と相俟って、俺よりヤバイ状況に立たされているのではないかと勘繰ってしまうから。俺に魔力暴走の疑いさえなければ、おそらくこの中で一番ヤバイのは親父だとさえ思う。
しかし、親父の瞳の奥には、本気で我が子を心配している親の感情と不安が色濃く滲んでいる。
「……行ってくる」
「ごめんね、お仕事休ませちゃって……」
「大丈夫だよ」
言葉少なげに、親父は部屋から出て行った。
それを見送った母上様は、俺をベッドへと降ろす。そして、脱力するようにして、その手摺りに持たれかかってしまった。
「エイル……エイル……」
小さく、俺の名を呼ぶ声。
そこには母親としての強さは欠片も無く、弱々しさのみを感じさせた。
「大丈夫だから……パパがきっと何とかしてくれるわ」
本当にやってしまったかもしれない。新しい家族になるはずの二人に、申し訳ない気持ちで一杯だ。
視界の端に映る母上様のお顔は、目元が赤く腫れ上がってしまっている。……魔力でどうにかできないだろうか。
(いやいやいや、さっき失敗したばかりだろうが!)
赤子が魔力を使うという事は、真っ先に魔力暴走を疑われると見て間違いない。死へと至る病なのだ、これ以上心配させてどうするのかと。
しかし……
「うぅ……ぐすっ……」
また泣き出しそうなその声を聞くと、どうにも我慢できなかった。
最近始めたばかりなので微妙な効果しか得られないかもしれないが、それでも、と思ってしまう。
だが、これで更なる勘違いを巻き起こしたとしても、もう俺への不安は確かにあるのだ。ならば、今更でしかない。
「ギャう……」
体外へ魔力を放出し、癒しという方向性を与える。
癒しとは、細胞が回復していくイメージだ。魔力と呼ばれたこの不可思議な力。魔法と呼ばれた説明出来ない現象。
「ギャオー!」
まだまだ分からない事まみれだが、早速役に立ってもらおう。
獣の咆哮と共に、風は癒しを運ぶ。目元が赤く腫れてしまったのならば、元の綺麗な顔に戻せば良い、そう願って魔法を使った。
「っ!? ……へ? ……へ!?」
どうやら、母上様は自分に起こった異変に気付いたらしい。
だが、再び俺を見据えるその目は、先程よりは若干赤みが引いている程度だ。どうやら、あまり上手くいかなかったらしい。
親父が使った魔法とは大違いである。
「これ……テッド! テッド来て!!!」
母上様がそう叫んだ瞬間、遠くからドタドタとした足音が再び近づいてきた。
「どうした!? まさか!!!」
壊れる程の勢いで扉を開き、親父が姿を現す。
無残にも、ドアノブは壁に叩きつけられた勢いで曲がってしまった。あの弱々しい見た目からは、とても想像出来ない力である。
「か、かかか……」
「か? ……また魔力暴走が始まった……って訳じゃなさそうだな。一体何が……」
「回復魔法よ!!! エイルが使ったの!」
「なっ!?」
たどたどしい母上様の説明を聞き、親父の目が見開かれる。
唖然といった表情を隠しきれないらしく、口が呆けたままに開かれて……言っては悪いが、その青白い顔と相俟って、本当に危険な人にしか見えない。
「回復魔法……本当なのか? 『風治』なら『風刃』とは同属性だが……。あれは中級だぞ? 肉体の再生を知らないと使えない代物なんだぞ? それも、かなりの想像力と知識が要るんだ」
なるほど、それなら俺が使えて当然な訳だ。
現代日本で生きていたというのもあるが、俺は医療系の研究室に居たのだから。原理とまではいかなくても、人の肉体がどの様に出来ていて、どのように再生していくかくらいは知っている。
「でも使ったのよ! それも、私に触れないで!」
「いや、それは流石に馬鹿げてるだろ。それは遠隔回復って言ってるような物なんだぞ? 大学でも使える奴は少数だって、俺が前に話したばかりだろうが」
「でも!!! …………わかったわ」
言い争う両親に、おろおろしてしまう獣が一匹。
そして何を決心したのか、母上様は凛々しい顔で立ち上がると、手首を俺に見せてきた。
「レイラ?」
「テッドはちょっと黙ってて!」
母上様は親父を鬼の形相で黙らせると、その手首にもう一つの手を添える。
嫌な予感がした。
「っぅ~~~!!!」
「お……おい! 何やってんだ!」
……予感的中。あろう事か、母上様は自分の手首を引っかいたのだ。皮膚が捲れ上がり、プツプツと小さな血玉が浮き上がってくる。
「ウギャー!!! ギャー!?」
(おいおい!!! 何やってんだよ!?)
「ごめんねエイル……怖い所見せちゃって。でも、お母さんとっても痛いの。痛くて堪らないの。治してくれる?」
「何を馬鹿な真似を……いいから見せろ!」
「テッドは黙っててって言ったでしょ! 魔力暴走は本人の意思とは無関係に魔法を発動させてしまう事だって、私も知ってるわ! もしエイルが私を心配して回復させたら……回復どころか遠隔回復もできるって分かったら、何も心配しなくて良いって事でしょ!?」
確かに、魔力暴走が母上様の言う通りの物だとしたら、理屈は通っているのではないだろうか。回復魔法は肉体が回復していく様を知っていなければならないと、先ほど親父も言っていた。
赤子がそれを知るはずもないだろう。魔力暴走は母上様が言う通り、無意識に攻撃魔法を連発してしまうのが症状と考えて良い。
なればこそ、やはり俺には全く関係の無い話だ。
「そりゃそうだが、お前わかってるのか? 相手はまだ産まれて間もない赤ん坊だぞ」
「良いから!」
……美人が怒ると怖い。横顔ですらこれなのだから、向けられた親父様が黙ってしまうのも頷ける。
ともあれ、これ以上母上様を痛々しい姿のままに放置しておく訳にもいかない。
「ギャう!」
咆哮を上げ、先ほどと同じ手順を踏む。
「見てなさいテッド……本当なんだから……」
「お前なぁ……意固地になってないで……」
「黙っててって言ったでしょ!!!」
「……ごめんなさい」
親父が可哀想に思えてきた……。
そうこうしている間に、プロセスは完了する。後は魔力で作った風に乗せて、傷口へと運ぶだけだ。
そして、そこまで事を運んでから気付いた。この異常な雰囲気の中だったからか、自身の異変に今まで気付かなかったのだ。
魔力で風を作り上げた時点で、俺の魔力残量がスッカラカンになりかけていたのである。
「う、うギャう~……」
(き、気絶する……)
癒しの力となった風は優しく吹き、母上様の傷口をゆっくりと……本当に苛々するほどに、ゆっくりと癒していく。
「ほ……ほら! 回復魔法よ! それも遠隔の!」
「…………何だこれ……何が起こってるんだ……」
母上様は大喜び、親父は茫然自失と言ったところか。
なんにせよ、これで俺の魔力暴走の疑いは晴れたと信じたい。
テレビの砂嵐画面の様に、俺の意識が散り散りになっていく。
もうじきパツリと意識は切れるのだろう。重くなる目蓋を閉じ、遠くなっていく両親の声を聞きながら、小さな溜め息を吐く。
「どうなってるんだ……」
「どうもこうもないわよ! この子は、まだ赤ちゃんなのに魔法を使ったのよ!? エイルなら『禁呪』だって夢じゃないかもしれない……『魔王』よ、魔王になれるわ!」
俺は落ちていく意識の中で、「ちょっと意味分かんないです」とツッコミを入れていた。




