035 お城とルリー
前回のあらすじ
Q ミシェルさんはケチンボです。シロヨモギ採集依頼の裏技を教えてくれませんでした
A なにか理由があるんですよ
広々とした横幅のある廊下を、ルリーは歩いている。
色の違う大理石を互い違いに敷き詰めたそこは、誰の目にも美しい光景に映るだろう。
だが昔を知る彼女にとって、その廊下は随分と質素に見えていた。
「賢王、か……」
随分と大層な呼び名だ、とルリーは苦笑いと共に呟く。そして、先ほどまで正面に居た人物を思い出していた。
サイナード・ウォル・ミッドラル。
このミッドラル王城の主であり、この国の王。
ルリーが歩いているこの場所は、ミッドラル王城謁見の間から後宮へと続く廊下だ。
先王であるエリック・ウォル・ミッドラルは、この場所に分厚い真紅の絨毯を敷いていた。ともすれば歩きにくいとも感じるほどだったそれは、一体どれほどの金を積んで手に入れた物だったのだろう、とルリーはぼんやりと記憶を巡らせる。
しかし、そんな物は随分と昔に取り払われており、彼女のブーツの底から響く音は、彼女が歩く空間の隅々にまで響き渡っていた。
先王の敷いた悪政を廃した賢王。
ミッドラル国民の多くは、サイナードをそう讃える。だがルリーは、それはあくまで王としての一部分だと知っていた。
「立派にはやっているみたいだけれど、まだまだ英雄譚は好きみたいだったね。まあ、男の子なら仕方がないか」
クツクツと一人小さく笑うルリーは、頭の中で先ほどのサイナードを思い浮かべる。
見た目は20台前後といったその青年は、今年で203歳となった人物である。年齢からくるものなのか、はたまた国を背負う者としての自覚故か、彼から放たれる威圧感は、王の持つそれであった。
謁見の間へと通されたルリーも、最初はそれに気圧されそうになった。
だが、彼女の顔を見た途端、サイナードはその顔を見た目相応のものへと変えた。
「お久しぶりです、先生」と、サイナードはルリーに向けて言った。
それは、彼女に昔の記憶を思い起こさせるに十分な言葉だったのだろう。懐かしい呼び名で呼ばれたことで、ルリーも昔の笑みで返した。「お久しぶりです、サイナード様」、と。
ルリー・ノエイル・ルーレルは、元宮廷魔道師だ。
宮廷魔術師は、王城を守る盾であると同時に、王族へ魔法の教育を施すのを役目としている。その中でも頭抜けていた彼女は、王子の魔法教育係だったのだ。
現在は薬剤店を営んでいる彼女は、王城へと顔を出すことが少ない。用があったとしても、ほどんどは代理の者で済まされてしまう。なので、懐かしい顔を直接見ることができたのは、サイナードにとって喜ばしい出来事だった。
ルリーにとっても、それは同様だ。
いくら現在の彼が王だったとしても、自分の教え子に会うのが嬉しくないはずがない。まして、未だに自分を師と言ってくれるのだ。表情が綻ぶのも無理はなかったのだろう。
そんな再会はしかし、サイナードの横に佇む側近の咳払いによって阻まれた。
サイナードは先ほどの言葉はただの軽口だ、と笑って返し、ルリーも慌てて背筋を伸ばしていた。
「古い知人への冗談も許されないとは、窮屈な生活を送っているみたいだね……」
だがそれも、仕方のないことだ。本来あの場において、王が下の位に居る人間に取るべき態度ではなかったのだから。諌めた側近は褒められこそすれ、悪態を吐かれるのは間違っている。そこはルリーも弁えていたので、用件を手短に済ませることにした。
今、魔王の石はサイナードの手の中にある。城下町の薬剤店ではなく、王の元に。
そして、行商人調査依頼は、国からの正式なものとなった。
ただ、国からの助力があるだけで、エイルが先に支払った30万ブールは返ってこない。あくまでも個人の依頼に力添えをする形とし、何かしらの功績があった時の余地を残しているのだろう。そんなことを望んでいないエイルにとっては、哀れなことである。
それでも、一応はベターな形に落ち着いたと言ってよいだろう。
だが、それでもルリーの内心は複雑だった。
勇者の遺物である魔王の石。
それを手にした時、サイナードは目を見開いていた。きっと、御伽噺から出てきた代物に、王としての立場を忘れてしまっていたのだろう。その表情は、いつかルリーが魔法書を読み聞かせた時と同じものだった。
厳粛な空気でさえ、簡単に崩れ去る。それほどに、魔王の石とは異常な物だったのだ。
その場に居た者全てが魔王の石に見入り、時が止まったようであった、とルリーは思い返して苦笑する。
どこにも無いとされていた、真の意味で最高位の魔石。国宝となるのは間違いないだろう。
ルリーにとって久しぶりとなる登城は、多くの人間に眉を顰めるものであった。だが、そんな理由があったのだと分かると、謁見の間には驚きのみ広がっていた。
「あの子は……本当に、とんでもない物をくれたものだよ……」
溜め息を一つ吐き、ルリーは曖昧な表情を浮かべる。
そうして、彼女は立ち止まった。
ミッドラル王城の後宮。その中にある、1つの扉の前だ。
「シンシア様……どう思われますか?」
重厚な扉を、けれど壊れ物のように、優しげな指で触れる。
その扉の向こうには、誰も居ない。それを、彼女自身が嫌というほどに分かっている。
そしてルリーが魔王の石を手放したくなかった理由こそ、シンシアと呼ばれた人物にあった。
「あれがあの時あったのならば、貴方をお救いできたのでしょうか……?」
答える声はない。ただ静謐が支配する廊下に、ルリーの呟きが響くのみだ。
ルリーが産まれた森族の里にのみ伝わる伝承。そこには、最初の竜殺しである勇者の末路がある。
人が歪め、否定した物語。
勇者達は、竜王達に負けた。その時、人の手から多くの魔法が失われた、と森族の里では伝えている。
それこそが、歴史の始まりだった。
だが、自分達の歴史の始まりがそんなものであったのが許せなかったのだろう。現在のミッドラルを含む多くの国では、勇者は竜王に勝ったとしている。
しかし、よくよく考えてみれば分かるはずなのだ。
最初の竜の中に、一度も死んだとされていない『死竜王』と呼ばれる竜がいる。その最強の竜王という存在に対し、矛盾している、と。
確かに、他の竜王は全て一度は死んでいる。それは勇者の手によってでもあり、後の魔王の手によってでもある。
だが、死竜王は死んでいない。最初の竜の一匹である死竜王が討たれず、最初の魔王である勇者が死んでいるという事実は、ルリーの中で里の伝承を確固たるものにしていた。
ならば、一度人の手から零れ落ちた魔法が、なぜ今も在り続けるのか。その秘密こそが、勇者の遺物である魔王の石にあるのではないか、とルリーは考えていた。
それが最上級魔法だろうと、記憶し続ける魔石。
彼女が古い文献を読み漁り、そこにある矛盾を解消させる為に出した、魔王の石に対する仮説である。事実、そのような描写と思われる一文も発見していた。
それは、誰もが最上級魔法を使えることを意味している。一人では魔力が足りないならば、複数人で魔方陣を使えばよい。発動させる魔力さえ満たせば、魔王の石自体が魔法を記憶しているので、そこにその魔法を扱える人間は必要ないだろう。
人間の真の歴史は、ミッドラルの王族ならば知っている。もちろん、魔王の石が実在していたことについてもだ。
そして、ルリーは宮廷魔道師だったことからも、この仮説を知る者は多い。
あの魔王の石は、ルリーの後輩達の手によって研究されるだろう。だから、ルリーはもう魔王の石に触れることができない。
エイルから魔王の石を渡された時、ルリーは石に魔力を流していた。そうして分かったのは、あの魔王の石には魔法が記憶されていない、ということ。つまり、ルリー自身が魔法を記憶させることも可能だったかもしれないのだ。
賢者の石の延長線上にある魔王の石に、他者が魔法を記憶させることができるか、という疑問はある、事実、手元にあった間では不可能だった。もちろん、魔王の石が魔法を記憶するという仮説自体が間違っている可能性も否定できない。
だが、今まではやろうと思ってもできなかったことでもある。可能性が僅かでもあるのならば、彼女が試したいと思うのも無理はない。
そして、もしそれが叶ったのならば……と、ルリーは思わずにいられなかった。
「もしあの時、『封魔の理』を記憶した魔王の石があったなら……この国も、少し違った未来を歩んでいたのでしょうね……」
今のミッドラルは、ルリーの目から見ても豊かだ。犯罪も減り、貴族の圧政もなく、民が飢え死にすることも少なくなった。
そこにケチを付けるつもりはない。サイナードが王として卓越した手腕を振るっていることも知っている。
だが、ルリーは思わずにいられないのだ。
もし、シンシア・ラウォル・ミッドラルが女王となっていたならば、と。
ルリーは筆頭宮廷魔道師だった。魔王にすら迫ると言われた魔力量を誇り、風と水の全ての魔法を操る彼女は、その名を世界中に轟かせる存在。誰もが羨み、或いは嫉妬し、そして誰もが憧れていた。
その歯車が狂ったのは、202年前のことになる。
当時、ミッドラルの王宮は喜びの声で溢れていた。待ち望まれていた第一王女が産まれたからだ。
王女の名は、シンシア・ラウォル・ミッドラル。
古い森族の言葉で『王の血族』という意を指す『ラウォル』を与えられた、正当な王位継承者。そしてルリーが魔法を教えるはずだった、彼女の主となるべき子でもあった。
当時のルリーはというと、シンシアの誕生を第一王女よりも喜んでいた。 いずれは国を担い、導く存在の誕生。そして、その子供に魔法を教えるという名誉もあった。
だが、当時を知る人間は口を揃えて言うだろう。あの時のルリーは、そんなことなど考えておらず、まるで妹が生まれた姉のようであった、と。
出産の際、母体である第一王妃に何かが起こった場合を考え、高位の回復魔法を扱えるルリーは、出産に立ち会っていた。他にも国一番と言われている助産婦や医者が揃う中、シンシアは何一つ問題なくアマツチに生を授かった。赤子としても十分に大柄で、既に王としての貫禄があるようだ、とその場に居た人間が笑ったほどだ。
そして母である第一王妃も、安堵と歓喜がない混ぜになった顔をしていた。
「これで、私も役目を果たせました。この子がいずれ王となり、この国を正しき方向へと導いてくれるでしょう」
静かなその言葉に、誰よりも早くルリーは頷いた。
当時のミッドラルを知る者は、その過去を苦渋に満ちた顔と共に語る。王都こそ豊かであったものの、そこから外れた貴族領の村々は、領主である貴族達の圧政によって苦しんでいからだ。
当時の貴族は世襲制であるという部分が大きかったのだろう。次々と輩出される若き貴族達は、私腹を肥やすことに執心していた。
当時の王であったエリック・ウォル・ミッドラルは、そうした貴族達を罰してはくれなかった。他国間との緊張もあり、いつ戦争になってもおかしくない状況だったこともある。エリックはいつ始まるやもしれない戦争を重視し、貴族領から差し出される金品にのみ目を光らせていたのだ。
それは、当時のルリーとて弁えていた。戦争となれば、金や食料は絶対に必要になってくる。だが、このままでは国が暗い未来を辿るだろうということは、多くの者が感じていた。
そんな中での第一王女生誕だったのだ。この瞬間は誰もが笑顔を浮かべ、そして明るい未来を思い描いたことだろう。
特にルリーは、自らがその未来を創る子を導く立場にあったのだ。嬉しさも一入だったと言える。
王妃の手を取るルリーは、その手を労わるように、けれど力強く握り締めていた。
「必ずや、シンシア様を良き王女にしてみせます」
その誓いを受けた王妃は、華のような笑顔をルリーに送った。ただ、頼みます、と添えて。
もちろん、第一王女であるシンシアを教えるのは、ルリーだけではない。数学や帝王学といった分野では、他の人間が担当するからだ。
だが、ことアマツチにおいては、魔法は何よりも重要視される。血統を証明する1つの指標という部分も大きいからだろう。
王族は魔力量に富んでいる。最上級魔法とて、簡単に扱えるほどなのだ。
だが、それも教える者が在ってこそである。それ故、魔法を教える者に対する期待も大きい。
おそらく、自分が王女と一番接する時間が多く取られるだろう、そうルリーも考えていた。そして、正しく導いていこう、と。
しかし、その期待は脆くも崩れ去る。
シンシアが産まれて1年が経った頃、その世話をしていた侍女の指が切り落とされたのだ。
その光景を見て、誰もが最悪の病名を頭に思い浮かべた。
魔力暴走。
非常に稀に起こる、赤子が患う病。
優れた魔法適性によって引き起こされると言われているその病は、王侯貴族に起こりやすい病でもある。
制御しきれない魔力を、赤子本人が無意識の内に消費しようとするのだ。周囲の人間や物だけでなく、自身すらも傷付けてしまう最悪の病である。
だがこの時、多くの者は楽観視していた。
その理由が、王女の使った魔法が風の下級魔法である『風刃』だったからだ。王族らしく強力な魔法ではあったが、それでも下級である。闇魔法の最上級にある『封魔の理』を使えば、簡単に発動前に打ち消せるものでしかない。
王宮には、数多くの宮廷魔術師が居る。その中でも闇の最上級魔法を扱える者となると少なくなるが、それでも居ない訳ではない。彼等がシンシアから目を離さなければ、いずれは魔法を完全に習得た時に治まるだろう、と多くの者が考えていた。
だが、ルリーはそう考えていなかった。
考え得る最悪の展開に頭を巡らせ、その時への対抗策として、ルリーはこの時から闇魔法の習得を始めた。寝食さえ忘れるほどに没頭し、宮廷魔道師としての職務を放棄した行いから聞こえる非難の声さえも無視して。
そうまでして彼女が闇魔法の習得に心血を注いだ理由は、ルリーの闇魔法に対する適性にあった。既に風と水に多くの属性容量を費やした上、何より彼女には闇魔法の才能が無かったのだ。
だが、そんなことは彼女にとって些細なことでしかなかった。もし最悪の事態が起これば、彼女の力が絶対に必要になってくると思っていたからだ。
選択肢などなく、他に道は見当たらない。
そんな考えにルリーを追い込んでいた原因は、シンシアの魔力量にあった。ルリーにしてみれば自身の半分にも満たない程度ながら、歴代の王としては破格の魔力量だったのだ。
風魔法は、他の属性魔法のサポートとしての側面もある。下級しか発動していない今ならばよいが、その先はどうなるか分からない。そんな不安が、彼女を追い詰めていた。
そして、ルリーの予想は最悪の形で的中する。
その日、王女の世話をしていた侍女一人と、二人の宮廷魔道師が焼け死んだ。宮廷魔道師が扱う『封魔の理』でさえ抑えきれないほどの魔法が、彼等を襲ったのである。
魔法を行使したシンシアも重症だったが、犠牲となった二名の宮廷魔道師のおかげか、幸いにして一命を取りとめた。
この段になって、皆がルリーの焦っていた理由を悟った。
王族が使う上位の魔法を打ち消すというのは、並大抵の魔道師では不可能なほどに困難を極める。まして、シンシアは二人の宮廷魔道師を含む三人もの人間を消し炭に変えたのだ。そんなものを止められるとすれば、ルリーを置いて他には居なかった。
シンシアが使った魔法は、上級火魔法である『欲深き爆炎』によく似ていた。闇の最上級である『封魔の理』とて、込められる魔力の量によっては打ち消せないほどの威力を誇る魔法だ。
ルリーは焦った。自身が持っていなかった闇魔法への才能に歯噛みし、呪うほどに。
だが、それでも彼女は諦めなかった。膨大な魔力量と属性容量にあかせて、取り込んだ知識と共に『封魔の理』を何度も繰り返した。王女の魔力暴走に巻き込まれた犠牲者が増える中、ただただ幽鬼の如く、魔法を覚えようとして。
何度も何度も繰り返し、自身の髪が闇魔法を操る者特有の紫に染まるまで繰り返し、そうして漸く『封魔の理』を扱えるようになったその日。
第一王女シンシア・ラウォル・ミッドラルは、息を引き取っていた。
ルリーが取った僅かな仮眠、その短い時間に起こったことだった。
シンシアは産まれた時と同じようにして手足を折り曲げ、けれどその体を黒くして死んでいた。周りには、三人の宮廷魔道師の死体もあった。ルリーが『封魔の理』を習得する間、絶対に持ちこたえてみせると言っていた後輩の変わり果てた姿だった。
その光景を呆然と、ただ涙を流しながら眺めるルリーに、誰一人声を掛けることはなかった。王であるエリック・ウォル・ミッドラルも、シンシアの母である王妃も。
ルリーだけが、その光景が起こると信じていなかったからだ。シンシアが三人もの人間を焼き殺した時、多くの人間はこうなることを予想していた。時間の問題だ、とも。
きっと、ルリーは間に合わない。ルリーの知らぬところで、誰もが囁いていた言葉である。むしろ、短期間で闇の最上級魔法を習得しようとするルリーを讃える者さえいたほどだ。
第二王妃が出産間近ということも、多くの人間にシンシアの死を認めさせる助力をしていたのかもしれない。
「嘘だ……」
ルリーの震える声が響き、惨状の広がる部屋へと溶けていった。
誰もが言葉を失う光景の中、彼女に聞こえたのは、轟々と流れる自身の血の音だけだった。
「ルーレル殿、いい加減にお忘れになってはどうですか?」
突然掛けられた声に、ルリーは現実へと引き戻された。
そして、射殺さんばかりの目付きで、そんな言葉を投げかけてきた相手を視界に捉える。
「……サリブ卿か。随分と老け込んだものだね」
ルリーに声を掛けてきた人物は、ルリーと同じ森族の人間だ。
彼女から『サリブ卿』と呼ばれたその人物は、森族らしからぬ肥えた体をしている。随分と良い暮らしをしているのだろう。
「ルーレル殿も、もうすぐですよ。30年もすればこうなるでしょう」
「……悪い冗談だね。なぜ君がこんな場所に居る?」
ルリーの訝しむような目付きは、不機嫌さを露わにしている。
サリブ卿の方が年上なので無礼とも取られかねない態度だが、実際の立場はルリーの方が上だ。腐っても世界最高位の魔道師なのだから、当然と言えるだろう。
「領地の税について、陛下に助言願おうかと思いましてな。なにゆえ、バッタの季節が近いものでして。此処に居るのは、侍女をしている妹に会っていたからですよ」
「そうかい、精の出ることだね」
「ええ、それが私共の務めですので。陛下のおかげで随分とこの国も豊かにまりました。本当に、過去のミッドラルからは考えられないほどですよ」
「ああ、その通りだよ」
「……私は、サイナード様が王位を継がれたことを喜ばしく思っています。貴方が陛下に教えたことも、今のミッドラルを形作る一つなのでしょう」
「あまり褒められている気分にはならないんだけれどね……」
ルリーがそう言うのも、尤もなことだ。サリブが言った言葉は、口上こそルリーを讃えるものだが、その声には一切の感情が篭っていない。平坦な声で言われては、それが褒め言葉だったとしても喜べないものになる。
「ルーレル殿、貴方は宮廷魔道師を辞し、それでも尚、貴族としての名を与えられている。そして、その部屋という『領地』まで自由にしてよいと言われているのですよ。なればこそ、そこまで与えて下さった陛下に感謝し、過去のことを忘れて陛下に尽くすべきなのではありませんか?」
だが、このシンシアの部屋こそが、ルリーをミッドラルに縛り付けている鎖なのだ。世界でも指折りの魔道師である彼女を他国に渡さない為の、束縛とも呼べるもの。
エリックがそう決め、サイナードも保険として彼女の『領地』を残し続けているのだ。
「尤もな言い分だね、サリブ卿。しかし、陛下が王となった時点で、私は義を果たしている。ノエイルの名とて、捨てるつもりだったのだよ。それに、君が心配せずとも、アタシは他の国には行かない。この部屋が在ろうと無かろうと、アタシの国はミッドラルだよ」
「左様ですか。ふむ……失礼、ルーレル殿。そろそろ陛下との謁見の時間のようです。またお会いしたいものですな」
サリブの視線の先には、こちらへと小走りに近付いてくる侍女の姿があった。こんな所で無駄話をしていた彼を呼びに来たのだろう。
それでよく王への忠誠を誓う言葉を吐いたものだ、とルリーは思っていた。
「そうだね、そう願うよ」
ルリーもまた、自身の思いとは裏腹の言葉を吐く。こうして嫌味混じりの言葉を浴びせられるのも、城に来れば毎度のことだった。
だが、そこには自分の非もあるので強くは言い返せない。前を向く人達の中、自分は後ろを向いているという負い目があるのだ。
それでも、ルリーは忘れることができない。忘れられるはずがなかった。
遠ざかっていくサリブの背を眺め、ルリーは嘆息する。
「ノエイルの名は、意地でも口に出したくないらしい……」
サリブもまた、過去を忘れられない人間なのだろう。甘い汁を吸い続けた末に肥大した矜持は、今もなお根強く残っているのだろう。
一気に頭角を現し、貴族の地位を手に入れたルリーに対し、サリブのように不満を抱く者が多かったのは、当時とてルリーの知るところだった。
過去を忘れられぬルリーと、過去を引き摺るサリブ。両者にどれだけの違いがあるのか。
閉じた目と共に、ルリーは再び息を吐く。ままならないものだ、と思いながら。
「帰ろう……」
敢えて口に出し、ルリーは自分のもう一つの居場所へと足を向ける。
きっと、今日も忙しくなるのだろう。夕方までには気分を入れ替えておきたいものだ、と考えるルリーだった。
過去の部分から分割しようとしてましたが、纏めてみました。




