032 来訪者と薬剤店店主
前回のあらすじ
Q 聖水を売ってくれた行商人さん、ごめんなさい……。指名手配になりました
A 反省して下さい
「なんて一日だったんだろう……」
既に日は傾き、窓から差し込む光は暗い茜色になっている。
客足も無くなったアセリア薬剤店の中で、ルリー・ルーレルは長い溜め息を吐く。
いきなり店に現れ、嵐を巻き起こしていった少年。エイル・ラインと名乗った彼は、その年齢に不相応な程に言葉遣いや仕草が大人びていた。そのせいで幾度か、相手が子供とも考えずに話していたのでは、とルリーは考えてしまう。
例えば、エリクシアについて。例えば、魔王の石について。依頼の件に関してはしっかりと出来ていた、と当初は思っていたものの、それさえも今では自信がない。結局、依頼はエイルから、といった形で処理されてしまったのだ。ルリーは先ほどから、そのような形になってしまったことを悔やんでいる。
「本当に、どうしてこうなったんだろう……」
あんな小さな子供に30万ブールもの大金を請求するなど、ルリーの中では言語道断なことだ。それを易々とやってのけた辺り、あのミシェルとかいう受付嬢も相当な大物なのだろう、とルリーは溜め息混じりに思う。
確かに、現在のエイルにとって30万ブールは負担にならないとも言える。だがそれでも、と思ってしまうのは、ルリーもまた意固地になっているのかもしれない。
彼女自身、そういったところは薄々ながら感じていた。しかし、何もかもが彼女にとって常識外れの一日だったのだ。それを責める者など、誰もいないだろう。
そして、現在もまだ混乱を引き摺っている理由が、此処にはあるのだから。
「勇者の遺物……魔王の石。やっと手に入ったのに、1個だけではね……。はあ、明日は王城か……どんな嫌味を言われるやら……いやだなぁ……」
失われたとされていた魔王の石。最初の人間であり、最初に竜を殺した勇者が遺した物。文献を読み解き、その作成方法を知ろうとした者は多かっただろう。
ルリー本人もまた、そんな人間の一人だった。しかし、誰一人としてその知識の片鱗にさえ手が届かなかったのだ。
そんな物が、現在この店にある。信じられないことだった。
賢者の石は、頻度こそ低いものの、現在でも定期的と言ってよいほどに見つかっている。ある程度の位に居る竜が死ねば、その体内から得られるからだ。死ぬ理由はなんだろうと構わない。人が打ち倒したとしても、寿命だとしても、病や怪我だったとしても。
ルリーが賢者の石に見出す価値とは、詰まるところ、万病の薬の材料という一点でしかない。それ以外の利用法があるのは彼女にも分かっているが、それは些細なことでしかなかった。
高位の竜は、国の騎士団が総出で挑まなくてはならないほどの魔物だ。そして、そこまでしても大勢の死者を出す。『人を癒す為の薬を作る為に、大勢が死ぬ』そんな馬鹿げたことになるのならば、と考えるルリーだからこそ、その由来には頓着していなかった。
だが、魔王の石に関しては違う。それは、彼女が望む事を可能にしてくれるかもしれない物だからだ。
「2つ以上あれば……そうすれば、私の手元にも残ったのかもしれないのにね」
そんな『もしも』を口にしつつ、けれど彼女自身も分かっている。夢物語に出てくるような物が、1つあるだけでも奇跡と言ってよいのだ。それ以上は贅沢なのだろう、と。
そして、彼女にとって夢にまで見た物を運んできたのは、小さな子供だった。それに何かの因果を感じてしまうのは、彼女の過去があってのことなのかもしれない。
だが、たった一つしかない魔王の石を独占できるなど、ルリーにはできなかった。
これは、勇者と呼ばれた最初の竜殺しが作り出した物なのだ。
人の歴史の最初にあった物。ならば王族が持つべきだ、と考えて、ルリーはかぶりを振る。王族でも相応しいとは言えないのかもしれない、と。これは本来、魔王が持つべき物なのだから。
しかし、魔王はもう居ない。だからこそ、こうして自分は城へ赴く予定を立てているのだ、とルリーは堂々巡りを繰り返す。
彼女がそんな暗澹たる気持ちに沈む中、軽やかな鈴の音が鳴った。扉の外に取り付けられていた鎖が引かれ、それに繋がれた店内の鈴が揺らされたのだ。
日も沈みかけており、閉店間際となっている時間。こんな時間に来る人間となると、とルリーはおおよその当たりを付ける。
「……どうぞ」
入店を促すと、そこにあったのは、幾人か浮かんだ中にあった顔だった。
「久しぶりだな、婆さん。元気してるか?」
「おじゃまします。お久しぶりです、ルーレルさん」
「私はまだ婆さんって歳じゃない。元気も何も、まだまだ若いんだから元気なのは当たり前だよ。久しぶりだね、アルト坊。それにテッド坊…………テッド……坊……?」
アセリア薬剤店に入ってきたのは、大人の男二人。
豊かな顎鬚を持った壮年は、アルト・バネット。
そしてもう一人の痩身は、夜族特有の病的なまでに白い肌を持ち、目に悪い緑の髪色をした、テッド・ラインである。
共に魔法大学で教鞭をとる身であるが、彼等はルリーにとって、まだまだひよっ子だという印象が抜けきれていない。普段ならば、落ち着いて対応しているところである。
だが、今のルリーの顔には、明らかな動揺があった。
「テッド……テッド・ライン、だよね? ライン……」
「んん? はい、僕の姓はラインですけれど……どうかしました?」
テッドにとっても見知った顔なのだろう、ルリーに対して、彼が昔使っていた一人称で返している。
だが、当のルリーにとっては、そんなことはどうでもよかった。
「ライン!!! あぁぁあああ、君の子かぁぁぁあああああ!」
「うぇえ!?」
彼女にとって、二人の顔は驚くようなものではない。その出会いも、である。だが現在、彼女は自身を混乱の渦へと叩き落した、一人の少年の顔を思い出していた。
そして、そのルーツが目の前に居るのだ。ルリーは、本当に数年ぶりになる大声を上げていた。
「信じられない。そう……テッド坊も、あんな大きな子供の親になったんだね……」
「いやまあ、そうなんですけど……。それより、本当にエイルの奴が此処に来たんですか?」
感慨深げなルリーと、困惑を隠せないテッド。
一方、早々に蚊帳の外へと追い出されたアルトは、所在なさげに店内を物色している。
「ああ、来たよ。君達も大概困った子供だったけれど、あの子はそれの一歩も二歩も先を行く子供だね」
「そんなに!?」
冷や汗を掻くテッドに、ルリーは首肯して見せた。
確かに、賢者の石やエリクシア、はたまた魔王の石まで持ち歩いていたこと、それに冒険者ギルドでの一件もある。だがそれを除いたとしても、ルリーの中でエイルの評価は変わらなかっただろう。
「ああ、だって会ってから早々……ぷっ……この私に……あはは、求婚してきたんだからね」
変わった面白い子供だ、と。
「きゅ、求婚!?」
しかしながら、そんな事を聞かされたテッドの方は、目を見開いている。彼の中でのエイルは、変わってこそいるが聡明な子供だったからだ。異常なまでの早さで魔法を覚え、知識にも貪欲。だからこそ、ルリーにそんなことをしたのが信じられなかった。
「ああ、本当に……あはは、あんなに可愛い告白は初めてだったよ。会って早々というのも初めてだね。本当に初めて尽くしだった」
「ア……アイツなにやってんだ……」
「いやいや、私は嬉しかったよ? 人から好意を向けられるのに否やはないからね。それにしても、本当に久しぶりだった。最後にあんなことを言われたのは、100年以上も前だったか……」
「そりゃそうでしょう。ルーレルさん、年齢を考えて下さ……」
「あぁあ!?」
鬼の形相とドスの利いた声に、テッドは思わず押し黙る。
それに満足したのか、ルリーは声を落ち着かせ、彼にとって懐かしいものとなる説教を始めた。
「テッド坊は昔っからそうだった。頭でっかちで、人に言っちゃいけない事をズバズバと言って……つい最近になって結婚したんだろう? もっと落ち着いたらどうなんだい?」
「いえ、結婚したのはつい最近じゃないですし……」
「またそれだ……なんだい? 私が耄碌してるとでも言いたいのかい? まあ、あんな大きな子供が居るからね、君の感覚だとつい最近じゃないのは分かっているよ。でもね、そう思っても言っちゃいけないことっていうのはあるんだよ。その点、エイルは良く出来た子供だった」
「聞くのが怖いんですが……」
「私の外見を褒めて、この胸のことも馬鹿にしなかった。触りたいとか、そんなのも言っていたかな……? まあ、それは置いておくとしても、だよ。私が老け顔なのは重々承知しているさ。ああ、しているともさ……昔からこんなだったからね。けれどもね、そう感じたとしても、相手にそれをそのまま言うのはよくないんだよ。エイルみたいに褒めるくらいの器量があってもいいんじゃないのかい?」
「それって本心なんでしょうか……?」
「本心だとも! ああ、間違いないね。私は長いこと、この店の店主をやっているんだからね。子供の嘘くらいはすぐに分かるよ!」
力説するルリーは、その拳に力を込めている。
それが自分に牙を剥くのではないか、とテッドは気が気ではない。普段は大人しい人物として通っているルリーだが、怒ると怖いのは有名なことだからだ。
なので、テッドは反論しないことにした。そうしてルリーに言いたいことを全部吐き出させてやれば、この場は治まるだろうという経験則もある。
「けれども、あの子にはもう少し色々と教えてあげた方がいいかもしれない。妙に大人びているし、頭も回るんだろう。度胸もあった。でも、ちょっと向こう見ずだ。危なっかしい」
「はい……そういうところもありますね……」
「ああいう子は、危険なことにも平気で首を突っ込む。君も親になったのなら、言って聞かせるくらいはやったらどうなんだい?」
「言って聞いてくれるとよいんですが……」
「それを聞かせるのが親の役目!」
ルリーの握り拳は、その矛先を机へと向けた。
ミシリ、と嫌な音が響く。どうやら、彼女自身も知らず知らずの内に力が入っていたらしく、『チャージ』を使ったようだ。
その音に傍観を決め込んでいたアルトの顔が引き攣り、テッドは一層の冷や汗を掻く。
当のルリーはと言うと、備品の寿命を縮めたことに焦っていた。
「うわぁああ、どうしてこんなことに……なんて一日なんだろう……」
「あの、ルーレルさん……ど、ドンマイ?」
息子がたまに言う言葉を、テッドはその口調まで再現してみる。場を和ませる為に茶目っ気を見せたつもりだったのだが……それを向けられたルリーはというと、整った眉を震わせていた。
「……なんだい? お偉くなった学者様は、人様をおちょくる才能まで身に付けたのかい?」
「ちちち、違いますよ! これは息子がたまにいう冗談でして! ひ、響きがよくないですか? 元気を出して下さいって意味らしいんですけど」
「むぅ……」
子供が言ったのならば、とルリーはどうにか矛先を収めたようだ。剣呑な雰囲気が薄れたのを感じ取り、テッドは胸を撫で下ろす。
いくら今のテッドが名声を得た立場だろうと、それでもルリーに対しては頭が上がらない。それは年齢的な差や、幼少の頃から世話になっているという部分も含まれるが、単純に身分の違いがあるからだ。
押し黙る二人。
その沈黙を一段落と判断したのか、アルトが横から声を掛けた。
話し掛けられたルリーはというと、アルトの存在を忘れかけていたらしい。
「婆さん、話は済んだか? 早く帰らないと、女房に冷たい飯を食わされる羽目になるんだが……」
「そ、そうでしたそうでした。僕も早く帰らないといけないんですよ!」
これが助け舟とばかりに、テッドはアルトの言葉尻に乗っている。
かくして、ルリーは完全に落ち着いたようだった。アルトの言葉を汲み、話を本題へと向ける。
「あ、ああ……ごめんね、君達も忙しい立場になったんだった。それで、どれくらいぶりだったか……二人はどんな用があって来たんだい?」
先程までの険しい表情とは打って変わり、ルリーの表情は柔らかい。
それを向けられた二人も、妙に力の入っていた肩を脱力していく。それはつまり、安堵である。アルトは内心で胸を撫で下ろしつつ、用件を口にした。
「まあ、いつも通りだ。賢者の石が入荷していないかと思ってな」
アルトとしては、お決まりの冗談のつもりでしかない。本当の用件は別にあるのだ。ただの軽口、会話の潤滑剤として口にしたつもりだったのだ。研究材料として賢者の石が欲しいのは山々なのだが、簡単に手に入る物でもないのは、アルト自身も重々に承知している。
だが、ルリーの垂れた耳がピクリと動いたのを、アルトは見逃さなかった。
「お……おいおい、本当にあるっていうのか?」
「……何処から聞きつけてきたんだい? ……いや、そうか。テッド坊が一緒に居るんだから、そういうことか」
「あの……僕は今日、ただの付き添いなんですけど……。僕が一緒に居ると、何かあるんですか?」
「知らなかったのかい? ん? ……ああ、そもそも子供が一人で持ってきたんだ、親が知ってる筈がないか」
訝しむテッドを他所に、ルリーは納得顔で店の奥へ引っ込む。
そして程無くして、その手に厚いフェルトの布を乗せて戻ってきた。フェルトの布の上には、淡い桜色を湛えた石が乗っている。
その光景に、アルトとテッドは面食らったようにして顔を見合わせた。
「え? アルトさん、入荷してたの知ってたんですか?」
「知るか。知ってたとしたら、もっと財布が重たくなってる」
「……なんだい、要らないのかい? どうせ研究と言っても、最終的にはエリクシアにするんだろう? それをこちらに流してくれるなら、今回はタダでよかったのだけれど」
ルリーの何気ない一言に、二人は更に面食らう。
以前テッドが大学に寄付した賢者の石とは比べるべくもないが、それでもそこそこの大きさを持った賢者の石だ。それをタダと言うのだから、面食らうのも無理はないだろう。長年賢者の石に触れてきたアルトは、ルリーが手にする賢者の石が60万ブールはするだろうと読んでいたのだ。傍らに立つテッドも、少々唖然としている。
「……タダってどういうことなんだ? いつもならちゃんと請求するだろうが。正気か婆さん」
「そ、そうですよ! もしかして、この店潰れるんですか!?」
「縁起でもないことを言うんじゃないよ。この店は潰れないし、私は正気だからね。これはテッド坊、君の息子がウチに持ってきた物なんだよ。エリクシアと一緒にね」
ルリーが賢者の石をタダで手放すことに決めたのは、何も相手がアルトとテッドだからという理由だけではない。依頼料をエイルに支払われた負い目が、彼女の中で大きかった事に起因している。つまりは意固地になっているのだ。
「……………ちょっとなに言ってるか分からないです」
「おいおい、本当か婆さん!? やっぱりお前の息子は賢者の石と縁があるんだよ! 間違いない! 大精霊の加護か何かあるんじゃないか!?」
ルリーの話した賢者の石の出所は、二人の想像の斜め上だった。ジンクスを好むアルトは興奮し、出所の父親であるテッドは放心している。
「婆さん、前にコイツが大学に寄贈した特大の賢者の石があっただろ? 実はそれも、そのテッドの息子が使っていた玩具の中から見つかったんだ。あれだ、テッドの息子には賢者の石を惹き付ける何かがあるんだよ!」
「本当かい!? テッド坊、ちょっと詳しく話しておくれ」
「……少しは僕を気遣うとかないんですか? はあ、前回のは違いますって。よくよく考えてみれば、あれは僕が行商人から買ってきた物ですし、妻が力一杯にそれを放り投げたせいで見つかったんですから」
疲れを隠せない口調で話すテッド。それを慮ろうとするアルトだったが、別の方向へと視線を走らせて、押し黙った。
ルリーの表情が、先程以上に険しいものとなっているのだ。
「……行商人? そいつはどんな外見をしていたんだい?」
殊更に真剣みを帯びた声音に、テッドは身が竦む思いだった。自分は一切悪い事をしていないのだが、それでも過去の記憶が蘇る。売り物を勝手に開封して、ルリーにしこたま怒られた記憶だ。
だからだろう、テッドは素直に説明をすることにした。
「え、ええとですね、60台位の老人でした。男性の方でしたね。それがどうかしたんですか?」
「別人か……いや、変装していたとも考えられるかもしれない。もしそうなら、頬のほくろというのも……いやいや、考えすぎなんだろうかね? でも……」
俯きながらブツブツと口の中で言葉を響かせているルリーに、テッドは直立不動で次の言葉を待っていた。
「おい婆さん、少しくらいは説明してやれよ。テッドが可哀想だろうが」
またもや、見かねたアルトが助け舟を出す。
それで正気に戻ったのだろう、ルリーもまた顔を上げた。
「ああ、ごめんね。実は、エイルがエリクシアと賢者の石を買ったのも行商人だったんだよ。今、冒険者ギルドの連中が調べてくれているはずだから」
「ちょっと待ってくださいよ! エイルが賢者の石とエリクシアを買った!? アイツ、一体どこからそんな大金を……」
またもや混乱の渦に引きずり込まれるテッドに、ルリーは小さく首を振る。そして、口元に悪戯心の溢れる笑みを浮かべた。
「30ブールだったそうだよ。エリクシアと賢者の石を併せて、ね」
「「30ブール!?」」
しかして、ルリーの思惑は的中する。二人は目を見開き、先程の言葉を口の中で反芻しているのだから。
「30……30ブール? 桁が間違ってませんか?」
「30って……おいおい、とんだ掘り出し物じゃないか! 本当なのか? は、ははは! やっぱりだよ、その子は本当にツイてる! エリクシアと賢者の石が? とんでもないな!」
それだけではなかったのだが、とルリーは口に出さなかった。その部分まで話をすれば長くなるのもあるが、エイルとの約束もあるのだ。
魔王の石に関しては、秘密にすること。依頼をエイル本人が出したことについてもだ。帰り際に母親から言いつけられていたらしいダイコンを選んでいる時、彼はそんなことを言っていた。
大人であるルリーにとって、子供の言っていたことだ、と跳ね除けるのは容易い。だが、彼女はそれを望んでいなかった。相手が子供だろうと、約束は約束だ。まして、エイルは年齢に不相応な精神構造をしている。それは背伸びとも取られるものではあるが、可能な限り尊重すべきだとルリーは考えていた。
だが……
「で、でもですよ? それがルーレルさんの手元にあるってことは、買い取ったんでしょう? アイツがタダでそれを手渡すとは思えないんですが……」
「そうだね。だからエイルは今、冒険者ギルドにかなりの貯金があるよ。一緒に口座を作りに行ったからね。歳のわりにはしっかりしているとはいえ、まだまだ母親からお使いを頼まれている子供だ。お金の管理はテッド坊、君と奥さんでするといい」
今回、エイルは子供が持つべき金額を大幅に超える金銭を手に入れてしまった。大金は簡単に人を狂わせてしまう。ましてそれが、あぶく銭ならば尚のことだ。何より、エイルはまだ6歳である。それを心配しないなど、ルリーにはできなかった。
今日という一日の締め括りとしてダイコン1本を買っていったエイルにとっては、その心配は不要なのかもしれない。だが、それでも親が手綱を握ってやるのが筋と言えるだろう。そう考え、ルリーは助言という形に留めた言葉を口にしたのだ。
「はあ……外出二日目でこれですか。なんにせよ、ルーレルさんにはご迷惑を……本当に申し訳ありません」
「へえ、しっかりと父親してるんだね。そんなに落ち込まずとも、迷惑というほどではないよ。……ちょっと困った程度だね。うん、買い物の後で家まで送っていった時も、『母上様に会ってやってくれますか?』とか言って、なかなか離れようとしなかったし」
「婆さん、懐かれてるな」
「僕はアイツの頭の中が知りたいですよ……」
三者三様の息を漏らしたところで、店の外から鐘の音が聞こえてきた。それは、各商店に終業を告げる音だ。魔法大学とは違い、ルリーの営むアセリア薬剤店を含む各商店は、この鐘と共に一日を終える。
「いかん、話が脱線しすぎた。婆さん、聖水を300ノード程頼む。大学まで届けてくれ」
漸くとばかりに、アルトは今日の来訪目的を口にする。テッドが持ち込んだ賢者の石のおかげで、彼は聖水の改良に成功していた。それ故、更なる研究に力が入っているのだ。
ちなみに、ノードとはこの世界における重さの単位であり、1オールが10グラムに相当する。
「ああ、そっちが本命だったんだね。わかった、明日にでも届けさせるよ」
ルリーはその注文を、手早く紙に書き記す。
本来ならば、この程度の時間で済むはずだったのだ。原因はと言えば、それは家で父親の帰りを待っているであろう、テッドの息子に他ならない。その事実が、テッドの顔を難しいものに変えている。
「ルーレルさん……今日は息子のこと、本当にありがとうございました。どうやら買い物にまで付き合って頂いたようで……」
「いやいや、本当に気にしなくていいんだよ。だから、家に帰っても怒らないでやってほしい。その顔だと難しいかもしれないけれど、なるべくエイルの言い分も聞いてやってほしいんだ」
「……わかりました」
「よし。それじゃあ、俺達も家に帰るか。じゃあな婆さん、また宜しく頼む」
「聖水は正午までに届けさせるよ。またね、アルト坊」
「ありがとうございました、ルーレルさん。また」
「君も早く帰ってやんなさい。またね、テッド坊」
家族の元へと帰る二人を見送り、ルリーは自分以外誰も居なくなった店の中で、小さく溜め息を零す。
先程までの賑やかさが嘘の様に、その音はやけに響いた。
「……今日は色々と忙しかったね」
溜め息と共に疲労が抜け出てくれれば、と願わずにはいられない。静かになった店内にて、ルリーは緩慢な動作で頬杖をつこうとする。
しかし、それさえも叶わない。
「スン!」
乾いた音と共に、カウンター代わりに使っていた机の脚が折れたのである。置き場所を失った頭は重力に引かれ、なんとか寸での所で持ちこたえたものの、鼻水が出そうになっていた。
「……とんでもない一日だね、本当に……」
散らばった紙の中から、白紙を手にとって鼻を拭う。
しかし、それは先程のアルトの注文用紙だったりするのだが……彼女には、それに気付けるほどの気力がなかった。
ふて腐れながらも、住居である2階へと足を運ぶ彼女。
『寵愛』を意味する古い森族の言葉である『ノエイル』を冠した、立派な貴族でもある。だが、その本質はそれだけではない。彼女が持つ魔力量は世界最高峰であり、だからこそ今でも人は影でこう呼ぶのだ。『大精霊の寵愛を授かる魔法使い』、と。
彼女の名は、ルリー・ノエイル・ルーレル。
かつて誰もが耳にした筆頭宮廷魔術師『寵愛の魔女』であり、数日前に316歳になったばかりの、フレッシュな気持ちを忘れない女性である。




