第二節『開発』 Abschnitt Ⅱ: “Weiterentwicklung”
第貳節『開発』
Der zweite Abschnitt : “Weiterentwicklung”
てるまがホーエンテムペル城の主となって三度目の夏が訪れようとしていた。
風光明媚なだけが取り柄の辺鄙なこの城を訪れる客人が最近見かけられるようになった。
その多くは見るからにやんごとなき身分のご婦人方である。
避暑やら、神殿参拝やら、湯治などの樣々な理由をつけて……別方面に旅に出た筈の貴婦人達なのだが、不思議と遠く寄り道してこの鄙びた城を訪れている樣なのである。
澄ました立ち居振る舞いのご婦人方なのだが、当主のテルマが出迎え香茶と茶菓子で饗し、しばし談笑した後、彼女らは必ず人払いを所望する。
使用人達を退出させた後、彼女らは面白いほどに豹変することが多い。
大抵、(人払いをしたあとで)彼女等はギラギラした欲望を剥き出しにしてテルマに迫るのである。
『鼻を高くして欲しい。』
『目をもっと大きくぱっちりと……』
『皺を取りたい。』
『最近食べ過ぎて太った、痩せたい。』
『もう少し胸を豊満に……』
『歯並びをもっと綺麗に……』
『美しい肌を取り戻したい……』
『最近白髪が増えた……』
などと……。
いい加減……流石に……てるまも慣れた。……彼女達の際限のない欲望に……。
最初は緊張して力を入れすぎたり、心労の余りポカをやってしまったりしたものだが。
不満が出ない程度に、でも適当に手を抜いて、自分の技術を永く高く売りつけることに腐心するようになる。
あまり綺麗にし過ぎると、他の後宮の貴婦人達の反発が怖い。でも手を抜き過ぎると自分の首が物理的に危ないので、その加減が意外と大変なのだ。
だがその貴婦人たちの欲望の落とす金銭のお蔭で、本来貧相な筈のてるまの懐事情は大幅に好転し、色々と自分の趣味のための開発に資金を投入できるようになった。
✳・……・✳・……・✳・……・✳・……・✳
切り立った崖の上に建設された古めかしい意匠の美しい白亜の城館:ホーエンテムペル城。
館の主がてるまになった当初から、現在に至るまでその外観にこそほとんど変化はないが、今では、魔改造を施されて、内容的には二年前とは全く別な建築物に変化している。
……一見……崖の上に建設された古風で瀟洒な城館:ホーエンテムペル城、今も、その地上部分は従来と大きく変化はない。外観的な変化もせいぜいが屋敷部分から少し離れた処にヘンテコな風車塔が三つ建設された程度である。目に見えにくい部分としても、せいぜい、屋根瓦を全て太陽電池もどきの光咒力変換システムに置き換え、一見自然石を組み上げて作られたその壁の内側を、高い硬度を持つSiC/炭化ケイ素のセラミックスのブロックに置き換えたり、内部の支持構造を純鉄製の鋼材とナノカーボンチューブ・ワイヤーで補強しているぐらいだ。処置室が幾つか有ったり、オーシャンビューの露天風呂が造設されている他は特殊用途に使う部分は殆ど無い。
だが、……人目に触れない地下部分には大きく手を加えた。先ずは、崖を形成する巨大な岩盤を刳り貫いて、幾つもの大小の地下室を建造した。そして、そこに樣々な施設を建造……例えば、汲み上げた海水から半透膜を利用して、淡水と食塩を生成する海水淡水化プラント。樣々な植物を完全管理された屋内で人工大気と咒紋式を利用した人工照明によって水耕栽培し、季節に関係なく野菜や果実の収穫を可能にする地下農場。家庭排水を完璧に浄化する汚水浄化施設。樣々な廃棄物を99%以上再利用するゴミ再処理工場。そして……樣々な研究開発に大きく貢献した、樣々なタイプの人工頭脳群が所狭しと林立する情報処理室。旧式の半導体基板を使用したものから、真空管もどきを利用したアナログコンピューター、生物の神経細胞を組み合わせた文字通りのニューロコンピューター、そして通常半導体素子とはケタ違いの因数分解計算能力を有する量子コンピューター。更に、これだけの研究施設に十分な量のエネルギーを供給する……更なるエネルギー源、地熱⇒電力・咒力変換システム。地下深く掘りマグマ溜りに近く設置された高熱伝導セラミック製の熱交換器に液体ナトリウムを循環させ地表近くまで高熱を誘導。その熱を地表近くに設置したもう一つの熱交換器から加熱シリンジに送り込む。加熱シリンジの中で膨張した高圧ヘリウムがピストンを押し、クランクシャフトを回し、その物理的回転運動の力が変換器に伝えられ咒力や電力に変換される、エネルギーを伝え終わった高圧ヘリウムは、冷却シリンジに送り込まれ、その中で海水に冷却され再びセラミック製の管に戻り加熱過程に送られる……。向うの世界で言う処のスターリング機関の原理である。高度な咒紋による素材加工技術で高度なシーリングが行われ、樣々な技術的困難をチートテクノロジーをふんだんに使うことで一挙に克服して見せた浪漫の作品である。ただ、実用化の手間暇からすれば、単純な蒸気タービンにしたほうがはるかに簡単で効率的であったのでは?……と言う意見は、言わないで置いて頂いた方がテルマの精神衛生の為には平穏かも知れない。
兎も角この時期、てるま:ホーエンテムペル女城伯こと、ホーエンテムペル・テルマ・アンジェリーク・フォン・ホーエンテムペルは、形式的には皇帝家の監視下にあるにも関わらず、かなり好き放題やっていた。発明大好き、研究大好きのてるまであるが、面白ければ、特許・実用新案・著作権の侵害、といったパクリも大好きである。法的規制のない異世界であれば尚のコト。特にグロテスクな趣味があるわけではないが、宗教的・道徳的倫理観にもあまり関心がない性分であり、必要と有らば、いや、必要と感じれば何でもやってのける異常な行動力の持ち主でもあった。
本来、城伯は、ある程度の規模の城塞都市・城邑を支配する大地主か、要塞の司令官に送られる爵位・称号であり、統治する民も居らず、防御力も全くない城とは名ばかりの辺鄙な別荘の主に冠せられる称号ではない。だがそれを皇帝は屁理屈宜しくテルマに安い俸給とともに勿体をつけて押し付けたのだ。その分、自分には好き勝手にふるまう権利がある。てるまは柔軟にそう考えるタイプの人間であった。何処までも自己中心的で身勝手で利己的な人間である。
✳・……・✳・……・✳・……・✳・……・✳
晴れやかな笑みを顔面に貼り付け、上品かつ恭しく頭を下げ、てるまは丁寧に余所行きの声を発した。
「それでは、皇后陛下、またのお越しをお待ちしております。」
「ほほほ、ホーエンテムペル女城伯や、次も期待しておりますよ……。」
「身に余る有り難きお言葉、感謝に耐えません。」
テルマに声を掛けてから、二十代にしか見えない美しき貴婦人が馬車の舷梯を登る。皇后づきの侍女が扉を占め、御者に合図を送ると、館前の石畳を豪華な馬車は進み始めた。
シワ取りアンチエイジンング処置を終えたクリームヒルト皇后が馬車で帝都への帰途につく……そのお見送りである。馬車が見えなくなるまでテルマ以下、高級使用人達、上位衛士達も揃って不動で車影に深く頭を垂れる。
我ながら儀礼的な愛想笑いが上手くなったものだ……と、少し皮肉に考え、軽く肩を竦める。
隠してはいるが実年齢50歳を軽く超えると予測されるクリームヒルト皇后の、頻回のアンチエイジング処置はてるまの大口収入源の一つである。彼女と双璧を成すのが第二皇妃のヴァーリア樣だ。二人が競うようにアンチエイジングを繰り返すので本業は大忙しである。
本業が大忙し……は、いいのだが、余りに忙しいと大好きな大好きな大好きな研究・実験ができないので……てるまは、向こうで輝真だった頃の研究を再開、復刻しました。量子コンピュータを使った人格エミュレーターの制作です。量子コンピュータは完成していたので、これはあっさりと成功。これで、その次に、量子コンピューターの中に再構築されたテルマの人格は、次なる研究……咒紋術を操作する要、『咒晶石』を人格エミュレータ内部から操作する……。……に取り掛かった。
この摩訶不思議に人体と親和性の高い咒紋関連素材『咒晶石』は、世界に数える程しか生えていない世界樹から採取される果実『世界果』……の加工品である。帝國:ゾーネヴルツェルには古来より一本だけ自生している、天まで届くと見える巨木に実る虹色の輝きを放つ果実は年間十数個、加工の過程で多くは失われ十個足らずの『咒晶石』だけが市場に出回る。これらは皇帝家によって完全に管理され、上級貴族の子女や高位の咒術師の家系にはコネで優先的に回ってくるが、フリーの市販品は殆ど無く、皆無に等しい。だから、てるまはとある名家のご子息が、『咒晶石』の移植を行ったにも関わらず、咒力適性がなく必要に迫られて摘除したものを、多額の金子を積んでこっそり貰い受けた。多くの闇『咒晶石』入手ルートと同樣の過程である。それはテルマが父親から教えてもらった過程でもある。
自分の脳をモデルに解析する血反吐を吐くような人体実験の結果、おおまかな咒晶石と人間の脳のインターフェイスを大まかにではあるが理解。試行錯誤で人格エミュレーターからの咒晶石操作技術をモノにした。これによって32,000倍で駆動する擬似人格内部から超高速高精度に咒晶石を操作することで、本体が本業で大忙しの時期も、更なる高速で実験・研究を行う技術を手にしたのであった。
※ 登場人物
❶ クリームヒルト皇后/Kaiserin Kriemhild
現皇帝の皇后、推定50歳余。
❷ ヴァーリア妃/Frau Wallia
第二皇妃。
※ 用語解説
❶ 世界樹/Yggdrasil
帝國に一本だけ生えている巨大な樹木、年に十数個だけ不思議な果実を実らせる
❷ 世界果/Frucht des Yggdrasil