第十一節『研修』 Abschnitt Ⅺ: “Ausbildung”
第拾壹節『研修』
Der elfte Abschnitt : “Ausbildung”
皇女付きのメイド達の朝は早い。三交代で日勤・準夜勤・深夜勤に振り分けられ、日勤の者は朝5時には叩き起こされる。田舎から上京してきたばかりの新人メイド:ヴィルヘルミナも例に漏れず早朝から叩き起こされた。……これまでは、自分の方が使用人達に働かせて、朝七時の食事の直前までは惰眠を貪っていた身分だったのだが……此処ではそれは通用しないようである。
「ね、眠いのじゃ……まだ、こんな朝早く……太陽も出ておらぬではないか。……」
「貴女も国許ではお嬢樣だったかも知れないけれど、此処では皆そう……通用しないわ。皆……ただのメイド……皇女樣のただの使用人よ。お日さまが昇る前から働いて、お日さまが沈んだ後も働くのは当たり前……これでも、此処は巷のメイド業よりは随分と待遇がいいのよ。」レベッカの優しくも厳しい台詞はヴィルヘルミナに現実を突きつける。
「確か、貴女の実家は、ロスカスタニエの騎士だったっけ?」
「……いや、あの……」
「どんな噂を聞いて、どんな甘い夢を観て上京してきたのかは知らないけれど、此処では兎に角、ちゃんと皇女樣のメイドとして振る舞えないと命に関わるわ……万が一でも皇女樣のご不興を買ったりしたら……貴女は即日斬首刑、貴女の実家はお家断絶、一族郎党九族まで桀獄門……よ。覚悟しといて。特に皇女殿下の前では……昨日のような、無礼なお巫山戯は厳禁よ。」殺気の籠ったレベッカの語調に、ヴィルヘルミナは言葉を失う。
「はい……。」
「解ればいいわ。……じゃ、新人の最初は掃除からね……その有り樣じゃ……どうせ、実家では掃除もしたことないと思うから……これがハタキ。はい。」
「ゑ?」
「ああぁ⁈‼、どんなお嬢樣よ……『え?』、じゃないの、ちゃんと手に持って、こう。」
「は、はい……。」
「掃除は先ずはハタキ掛けから……。部屋の片付けが終わったら、拭き掃除、掃き掃除の前に、ハタキで部屋の埃を落とすの。」
掃除の『そ』の字も知らないヴィルヘルミナ……慣れない手つきで扱うハタキはただ振り回しているだけ……。
「違う‼まるでなってないわ、ハタキの使い方はこうよ、こう‼」
すかさず指導が入る。
「ダメダメ、こうよ、こう……あああああぁぁ……っつ‼」
呻きに近いレベッカの声。
「こらっ‼下から上にハタキを掛けるんじゃない‼埃は上から下に落ちるから、上から下に掛けるの……そうそう。」
「コラーッ‼もっと絞ってモップ掛けしないと、床がびちゃびちゃで、通る人が転んじゃうでしょうが‼万が一にも皇女樣が此処で滑って転倒なさって、お怪我でもされたら、貴女は斬首刑よ、うちくび‼」
「はいっ‼」
「あああああああああぁ‼全然汚れが取れてないじゃない‼ダメ、やり直し‼」
「はいっ‼」
レベッカのストレス度が上がっていく……。
「こらっ‼腰が引けてる、もっと腰を入れて‼」
「はいっ‼」
そして……特訓は続く。
「もうだめじゃぁ~。」
ヘロヘロになって倒れそうなヴィルヘルミナに、
「次は厨房の皿洗いね……。」冷酷無比なレベッカの言葉が……。
何から何まで慣れないことばかり……身も心もボロボロである。
ボロボロになりながらヴィルヘルミナが半べそを掻きながら皿を拭いていると……。
「大丈夫だぁ~か?」優しく声を掛けてくるものが居た。
振り返ると……ツェツィーリエ(改)……。
「私もぉ、田舎から出てきたばかりの時は、毎日泣いてばっかいたョ。」
ツェツィーリエも布を手にとって、ヴィルヘルミナと一緒に皿を拭き始めた。
「ほら、ここは、こんな具合にしてみっせ。」やんわりとヴィルヘルミナの手つきを直してくれる。
「おお……オヌシは優しいのぅ……。」
ヴィルヘルミナの頬を温かい液体が伝う……。
「み~んな、優しいよォ、ちょっくら怖いけんど、そりゃあ、一所懸命に仕事さしとったら皆そうなんべ。」
その笑顔の眩しさに心が洗われる思いだった。
「あ・ありがとう……。」
その日から、ヴィルヘルミナはメイドの仕事に真面目に、精力的に取り組むようになった……。
彼女の中で何かが変わった。
そして、そんな彼女を同僚や先輩達は、厳しくも暖かく見守ってくれるようになった……。
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ヴィルヘルミナが始めてブリュンヒルト皇女にお目通りが叶ったのは、新人研修が終わり、すっかりメイド姿も板についた三ヶ月後の事だった。メイド頭のフロレンツィアと上級レディースメイドのレベッカに伴われ、入った部屋の中央……頑丈な造りの豪華なソファーの上には……はち切れんばかりの肉塊が着飾った……醜悪な……何か……物体。思わず眉を顰めそうになる。
「この度、新たに殿下の身の回りをさせることになりました新人です。さあ、……ご挨拶なさい。」
それでも、フロレンツィアの紹介に応じ、レベッカに指導されたとおりに笑顔で挨拶。
「こ、この度、殿下の身の回りのお世話をさせて戴くことになりましたヴィルヘルミナです。よろしくお願いいたします。」
「先月辞めたウルリーケの代わりかぇ?」
「左樣に御坐位ます。」メイド頭は簡潔に答える。
「あれは……本当に使えなんだのぅ……。何をやらせても失敗するし、必要なことには気が付かぬ上に、余計な一言が多かったし、あんなメイドを持つと妾が恥ずかしい思いをする。居なくなってせいせいしていたところじゃ。……今度のも……どれだけ役に立つやら……少々心配じゃが……。」
「確かに、まだまだ未熟なところはたくさんありますが、私共レディースメイド一同が精一杯フォロー致しますので、皇女樣におかれましては心配ご無用と存じます。」レベッカが深々と頭を下げる。
同時に後ろで突いて合図してくるので、ヴィルヘルミナも深々と頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。」
睥睨するように暫く視線を漂わせていたが、急速に関心を失ったように……。
「まあいい、せいぜい……首が飛ばぬように頑張ることじゃ。」吐き捨てるように言った。
「レベッカさん……私大丈夫だったかしら?」
脂汗を掻きながら退出してから、不安に駆られ訊くヴィルヘルミナ。
「大丈夫……皆最初はあんなものよ。さ、それよりも、これからは大変よ。一緒に頑張りましょう。」
「は、はい‼」
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朝の五時から目が覚める。身の回りの片付けを手早く済ませ、寝間着から制服兼作業着たるメイド服に着替え、ホワイトブリムを冠って準備完了。
ここ数年ですっかり身についたヴィルヘルミナの生活習慣である。
お掃除も随分上手になったし、お茶の淹れ方もマシになったな…と、メイド頭のフロレンツィア樣からもお褒めを頂けるようになった。
相変わらず人を人と思わない皇女樣の傍若無人ぶりは少し目に余るけれど、それでも皇女付きのメイドとして宮廷内でも一般の使用人たちに比べれば随分と優遇されているのは理解できるようになった。
メイドの中には仲のいい友達も出来たし、毎日が充実している実感がある…。メイド道の師匠と慕うレベッカも、最初は鬼のように見えたメイド頭のフロレンツィアも、厳しくはあるがとても温かい人柄なのだと分かった。
ヴィルヘルミナは日々仲間たちと働けることの倖せを実感して過ごしていた。
皇女樣が食事を召し上がられた後のテーブルのテーブルクロスを片付け、布巾掛けをしながらも自然と鼻歌が出て来るほどに倖せ…。
「随分と楽しそうですね…」
誰もいないはずの背後から声を掛けられてヴィルヘルミナは、心臓が飛び出すかと思うぐらいびっくりした。
振り返れば、姚精のように美しい少女…その長い髪は暗銀色、その瞳は琅玕の色……その額には虹を帯びた翡翠のような色合いに煌くカボンションの咒晶石……。
「…そなたは、テルマ…」呟いた途端、視界が暗転する。