人魚
ガラクタが砂に埋もれる物寂しい波打ち際に一匹の人魚が横たわっていた。
まだ子供らしきその人魚は半身から青い血を流していた。
見つけた男は可哀想に思い、血を流す人魚の少女を抱きかかえ、自宅の木造アパートへ拾って帰る事にした。
小ぢんまりとした浴室の半分を占める浴槽に水を溜め、弱っていた人魚をそこに移してみる。
するとどうだろう。
蒼白だった顔色は蜂蜜色となり、かさかさに乾いていた肌は潤いを取り戻して惜しみなく瑞々しく輝いた。
人魚は尾鰭を波打たせて男に礼を告げた。
まだ血が幾筋か水の中を漂っていたが、どうって事はないらしい。
安堵した男はあどけなく笑う人魚の頭を撫でた。
人魚は、益々嬉しそうに笑んで尾鰭をばたつかせ、無数の飛沫を薄暗い浴室に煌めかせた。
男はしばらく人魚の面倒を見る事にした。
一日に一度は水を取り替え、おはじきやビー玉を沈めるなどして人魚に遊ばせたりする。
不思議な事に水中に漂う血はなくならず、人魚を濁すでもなく青い陽炎のように揺らめいて、まるで小さな海が出来上がったかのようだ。
戯れに指の腹に掬って舐めてみると、本当に潮の味がする。
人魚が元気なので、男は然して気にもせず、甲斐甲斐しく世話を続けた。
しかし男の恋人は人魚を薄気味悪がった。
仕舞いには燃えるゴミの日に捨ててこいと言い出す。
男はそんな恋人をたしなめて、浴槽の隅に縮こまった人魚の頭を撫で、そっとため息をつくのだった。
空が灰色に呑まれた昼下がり、男が仕事へ出かけている間、恋人の女は浴室に入り、項垂れる人魚に壊れた髪留めを投げつけ、高々と笑った。
仕事から男が帰ると恋人は喉を切り裂かれて死んでいた。
人魚の口の中は恋人の血で染まり、ひどく赤く濡れていた。
男は悩んだ。
警察。罪。死体。監獄。
それらの言葉が浮かんでは消えたりした。
人魚は長い黒髪を弄りながら悩む男を見つめていた。
水音が、宵の迫りつつある浴室に響いていた。
その夜、男は人魚を抱きかかえ、潮騒の鳴る海へと帰した。
その足で町の交番に出頭し、たいへん重い刑に処せられた。
海に放された人魚は、遥か頭上で太陽と月が入れ代わる様を見上げながら、小さな舌の上でおはじきを転がした。
男に拾われる少し前から溢れ始めた、止め処ない月経の血を暗い海原に溶かして。
男の優しさによって和らいだはずの痛みを持て余しながら。
あの人がいつまた見つけてくれるのか。
ただそれだけを想った。