第一話 プシー
この物語は、三十分アニメをコンセプトに作られています。
しかし、今回は初回ということなので、一時間スペシャルという感じです。なので、長いです。
次回から短くなるので、よろしくお願いします。
それでは、どうぞ
プシー・デイズ
ψ
春の陽気が漂う朝。玄関の前で、野良猫がまどろんでいた。ゴロゴロと声を上げ、右足で顔を何度も撫で回している。高校へ入学してから、毎日見ている光景だ。最初は可愛くてなでたり、残り物のカツオ節などを与えたりしていたが、もう一ヶ月も経つとそれも飽きてくる。
何を思ったのか。高崎光は右手を猫に向かってかざした。
一寸の時が流れる。
すると、急に野良猫がニャッ、と威嚇と恨みを一緒にしたようなうなり声を上げた。そして、そそくさと退散するように何処かへ行った。
光は退散していく野良猫を微笑み混じりに見送ると、歩き出した。未だに慣れない革靴の感触が足全体を包み込む。
通学路はまだ、桜に包まれていた。入学式の時にはまだ桜は咲いていなかったが、ここ二週間で急に咲き出した。といっても、もう八部咲きなので、散っていき、青葉に包まれるだろう。そうなれば、夏は近い。
春の陽気でしばし睡魔が襲うなか、桜並木の下を歩いていると、右手の方向に自動販売機が現れた。喉が渇いたので、財布を片手に歩み寄る。せっかく高校に入って小遣いが上がっても、無趣味のためか金は溜まっていく一方だ。こんなときにしか金の使い道はない。
小銭を投入すると、歓迎するかのようにボタンが赤くなった。
光は首を振って辺りを見回した。一回では信用できないので、二、三度見回す。やがて人が来ないことを確信したのか、二メートルほど自動販売機との間合いをとり、また手をかざした。そしてまた、一寸の時が流れる。
聞きなれた落下音が鳴り響く。光はしゃがみ込んでいつもの炭酸飲料を取り出すと、また桜並木の道を歩き始めた。
これが、毎朝の光の習慣だ。
高崎光。十五歳。県内の普通の高校に通う、普通の高校生。無趣味で不器用、そして地味なファッションセンスを持つ。どこの高校にも居そうな、いつも机に寝ているようなキャラクター。いてもいなくていいような存在。
そんな光だが、適材適所と言うべきだろうか、常人には無いモノを持っていた。いや、その『モノ』があるから故に、そんな存在になってしまったのかもしれない。
彼は超能力が使えた。俗に言う、『サイコキネシス』と呼ばれるものだ。自分の身体からエネルギーを発生させ、そのエネルギーの流動によって、目に見えない力を発生させて様々な運動に応用することができる。今光が自動販売機で手を使わずにジュースを買ったのも、その能力を使ったからである。
―ここまで説明してしまうと、あたかも高崎光が、『裏の顔を持っていて、夜になると彼は覚醒して、日夜悪の為に戦う―』とか、『預言者に予言されし最強のサイキッカーで、世界の存亡を賭けた戦いを日夜―』などと考えてしまうのだろう。いかにも、中学二年生ぐらいの子達や、オカルト・ミステリー研究部などが喜びそうな話だ。しかし、そんなことはない。光からしてみれば、そんなことはありえない話だった。
光は生まれてこの方、一回もNASAや日本の有名機関から通達を受け取ったり、預言者に出会ったこともなければ、悪の組織と日夜奮闘したこともなかった。超能力でケンカなど、ありえないことだ。光は超能力を隠しながら、生きているのである。
それは組織の戒律でもなければ、親に言われたからでもない。自発的に行っているのだ。光は自分以外の誰かが、超能力を使っているのを見たことがない。テレビではよく見るが、せいぜいスプーン曲げ程度。あんなものは、努力すれば誰だってできる。もし自分の他に超能力を使えるような強者がいたら、是非、一杯やりたいと考えている。
通学路で買った炭酸飲料を飲み終える頃、光は校門へと辿り着いていた。
創立三十周年。築十年を迎えるこの高校の校門には、しっかりと年季が入っている。
いつものように校門をくぐろうとした瞬間、光の頭の中を、悪寒が走った。
「おーっす!ヒカルゥ!」
ブンッっという音が鳴ったかと思うと、肩に手を置かれ、しかもその手で揺さぶられ、光は驚いて飛び退いた。思わずあらぬ声が出る。
さっきまで誰も居なかったのに。と、いつものように、光の頭に疑問が浮かぶ。
「またお前か」
光は思わずため息混じりに言う。光の目の前にいるこの男は毎朝、光の心臓に悪影響を与える元凶だった。高校に入ってからというもの、光はいつも驚かされる。引っかかってしまう光もそろそろ考え時だが、何故か校門の前に行くと忘れてしまうのだ。
「お前のリアクション、面白いんだよな」
目の前の友人、いや、親友はそう言って悪戯な笑みを浮かべる。
益田浩。中学からの親友で、地味で目立たずパッとしない光の、唯一の親友である。光とは相対的に、クラスの中心にいるタイプで、性格も付け替えたばかりの電灯のように明るい。服装のセンスもあり、派手な服装がよく似合うと評判だ。どちらかというと黒色が強いタイプのブレザーであるこの高校の制服も、さりげなく着こなしている。
やや整った顔に、光と正反対に全く鋭くない温和な目つき。ややグチャッとしたヘアスタイルをしていて、聞いてみると、フレンチショートという髪型らしい。髪形の名前など、光にとっては別世界での話なのだが。
光の最近の悩みといえば、気配も出さずに背後に立ち、眠気眼で歩く自分を驚かしてくる浩の存在だ。毎朝心臓が止まりそうになって、完璧に目が覚める。
「眠気が取れていいんじゃないの?」
そんな理由で、浩は光を驚かせるのだった。
しかし光はそんなことよりも、気配を隠して近づいてくる術を教えてほしかった。
入学してからもう数十日経つが、相変わらず光は平常運転だった。中学校の時とまるで変わらない生活と存在感を維持し続け、友達が出来たわけでもなく、彼女が出来たわけでもなく、ぼんやりと机に向かう日々が続いている。
三十代半ばの哀愁漂う教師が、黒板に数式を書いていた。光はその数式をノートにそっくりそのまま書き写す。隣の席のメガネの女子生徒は、十本ほどのマーカーを使い、何度も何度も同じページに線を引いていたのだが、光はたいした感心もせずに、あとで見難くなりそうだと心配していた。
そんな女子生徒を横目に、光はさっさとノートを写し終え、コロコロとペンを転がしていた。もちろん、手など使わない。超能力でだ。
―塵も積もれば山となる。という言葉があるが、これをやっていれば、サイコキネシスの能力も上達するのだろうか。
光はそんなことを考えてしまう。光は自分の腕力の三分の一程度の力しか、サイコキネシスによって発動できないのだ。普通物語の中の超能力者は、腕力の数倍増しの力を持て余し、時には空を飛ぶものだが。光からしてみれば、ありえない話だ。物語の中の超能力者達が、近辺の物体を投げて戦ったりしているのを見ると、歯がゆいような、嘲笑したくなるような気持ちになる。空を飛ぶなどもってのほか。ジャンプしたほうが、高く飛べるはずだ。
現実はこんなものなのだ。どんなに特異な能力を神から授かっても、それを社会のために活かす事は出来ないのである。精々、ビックリ人間ショーでもやって儲けるぐらいしかない。
そんなわけで光は、自分の能力を人前で披露したこともなければ、不安になって誰かに相談したこともなかった。全ては自分の心に秘めている。
光はペンを五センチほど宙に浮かせると、それをクルクルと旋回させた。左回転、右回転を交互に、規則的に行う。また教師が黒板に数式を書き出すが、今度は書き写さない。気分がのらないのだ。入学早々こんなことを言ってしまうのも考えものだが、中学の時と何ら変わりがないので仕方が無い。
そんな光を、浩は後ろの席からずっと見ていた。
チャイムが鳴った。委員長が号令をかけ、十分間の休憩が始まる。光は筆箱に筆記用具を全てしまうと、立ち上がろうとイスを引いた。
「おい、光」
背後から呼びかけられ、振り向いた。浩だ。浩は光の後ろの席なので、度々話し相手になっている。
何だ、と光はつぶやいた。再びイスに座る。
「お前、部活どうすんの?」
浩が疑問形で光に話しかけるなど、何年ぶりだろうか。
「部活?」
「あぁ、そうだよ。部活。お前、どこいくの?」
考えていなかった。この高校は部活に関しては自由なのだが、やはり入らないというのは気が引ける。勉強に専念したい学校生活をおくる気でもなければ、遊びほうけたいほどの財力もない。仲間もいない。だから、何かしら部活動はしておきたい。
ちなみに、光は中学校時代、演劇部に所属していたのだが、三年間舞台に立つことはなかった。別に演技が下手な訳でも声が小さい訳でもないのだが、光が自分から希望したことだったので、周りは何も言わなかった。そのため、光は三年間大道具担当。中学二年の後半には、『大道具の番町』という異名が部内で命名された。
「また演劇部か?いい加減飽きねぇの?」
大道具を作るのは別に嫌いじゃなかった。元々光は工業系なので、何かが作り上げられのは嫌いじゃなかった。
「そうだな、演劇部だな」
光はそっけなく答えた。浩はそれを聞くと、すこし口元をゆるませた。
「お前、美術で1とったことあんだろ?よく中学で大道具作れたな」
浩の言うとおりで、光は中学校の美術で1を取ったことがある。元々絵は不得意だったし、その頃は美術の時間を貴重な睡眠時間に当てていた。
「デザインは他の人が考えてくれるからな。俺はただデザインどおりに作るだけ。だから出来る。美術の先生が言うには、俺は創造性が足りないんだってさ」
さすがは工業系、と浩がつぶやき、苦笑いをした。光の創造性のなさは折り紙付きだからだ。
「それならさ、もっと別の部活に入れば?」
浩が提案するが、光はウーン、とうなった。そして、おでこに手を当て考える。
運動部はもっての外だった。文化部といえば、吹奏楽部、放送部、茶道部、軽音部、美術部ぐらいしかない。
「ダメだ、演劇部ぐらいしかねぇよ」
光は顔をしかめながら答えた。浩といえば、そうだよな、みたいな顔をしている。
吹奏楽部や軽音部をやるほどの音楽知識もセンスも皆無に近いし、放送部は目立つし声に自信はないし、茶道部は性に合わないし、女子ばっかりだし。やはり自分の居場所は演劇部か自宅ぐらいだろう。かといって、自宅でニート同然の生活は遠慮したい。
すると浩がいきなり身を乗り出した。危うく額と額がぶつかりそうになる。目が輝いている。
「なぁ、俺と一緒にどっかにはいんねぇか?」
どっかでどこだ、光はため息混じりに呟いた。
「いや、まだ考えてないんだけどな」
浩はケロリとして答えた。
「じゃあ言うなよな・・・」
光はそう言い捨てると、クルリと前を向いた。そろそろ休み時間も終わる頃だろう。
「まぁ、待っててくれよ!」
背後で浩が捨て台詞のように言い、光は肩をすくめた。勝手にしろ、のサインだ。
光は教科書を出すと、ヒジをついて窓の外見た。
確かに、そろそろ真剣に考えないといけないのかもしれない。もう五月になれば、部活体験の期間も終わるので、期日までには入っておきたい。遅れて入部すれば独りぼっちになるのは目に見えている。
やや憂鬱ぎみに外を見ていた。窓の外では大量の桜の花びらが舞っている。桜の木が校庭の周りに植えられているため、春の時期はテレビで紹介されるほど綺麗な景色となる。これでも花びらは減った方であるが、恐らくこれでも多い部類に入るのだろう。
綺麗な花びらのダンスを見ているうちに、授業中にも関わらず睡魔に襲われた。早速光の脳内で会議が始まり、様々な葛藤の中、満場一致で「寝ろ」と決断が下される。光はそれに従い、ヒジをついて頭を傾けた。
春の陽気に包まれ、やがて光はゆっくりと目を閉じる。
昼休み。光が弁当を食べ終える頃、机を付けて向かい側で一緒に弁当を食べていた浩が、突然大声を上げだした。
「なぁ、図書室いかねぇ?」
光は目を細めた。
「またかよ・・・そんなにお前・・・」
「いいだろ、別に。俺の青春を壊さないでくれよ〜」
と、浩は光の肩をバシバシ叩く。
入学して数日も立てば、浩はもう自分の縄張りのように行動範囲を広げていた。ついでに、許容範囲も。
「なら一人でいけよ」
と冷たく突き放したが、
「図書室に一人?無理無理!オーラに押しつぶされるわ」
浩はそれをさりげなく受け流した。
光は、浩が本を読めない人種であることを思い出した。小学校の頃からずっと休み時間に遊び続けていた浩は、本を読むという能力や忍耐力を持ち合わせてはいなかった。中学の時に何回が挑戦していたようだが、ことごとく投げ出し、結局三国志の漫画に没頭していた事を思い出す。
どちらかというと本が読める人種の光は、しかたなく浩に着いていくことになった。時おりスキップする浩の背中を見ながら、ゾロゾロと廊下を歩いた。
浩が行く気満々の図書室は、校舎の最上階、つまり三階に位置している。冷暖房完備で一日中快適。蔵書の数は県内有数。勉強のしやすい静かな環境で、学校説明会では必ず取り上げられるほど。そしてなにより人気の理由は、司書の先生にあった。中学までその噂が届くのだから、よほどであろう。
浩が勢いよく扉を開け、ハツラツと足を踏み込んだ。光はその後を着いておずおずと入る。
勢いが良過ぎたのか、扉は勢い余って壁に激突し、鈍い衝突音が響かせた。
「まずっ・・・」
浩がそう呟いたが、もう遅かった。ペンの筆記音がピタリと止まり、図書館内の生徒達が一斉に顔を上げる。その視線は二人を捉えている。
「そ・・・そんなに睨まないで?」
浩が釈明の意をこめて両手をブンブン振る。光は条件反射で頭を下げたが、恐らく生徒達は二人を睨んでいたことだろう。
長々と―それは光と浩の体内時計の時間だから、恐らく三秒ほど―時間が流れた後、生徒達はまた勉強をし出した。いつものことだ。入学してから、浩はこれを最低三回はしている。
―頼むから、学習してくれ。と光は思う。いや、自分が学習するべきなのかもしれない。次から先頭に立って行こう。
「もう・・・また?」
背後から美しく澄んだ声が聞こえた。浩が瞬間的に息を呑み、やがて、鼻の下を伸ばした。―それはもう、長々と。光もポーカーフェイスを装っていたが、口元のゆるみはどうしても抑え切れなかった。生理現象だろうか。
浩は息を整え、表情を瞬時に凛々しく切り替えた。効果音をつけるなら、「キリッ」と。そして、第三者から見ると格好付けとも取れる振り向きをした。光もそれに習い、顔を正してから、浩を反面教師と捉えた振り向き方をする。
「益田君に高崎君、そんな元気が有り余ってるなら、運動部に入れば?きっと活躍するはずよ」
どうもすみません。これがスイッチだったのか、それとも先生の顔がスイッチだったのか。浩の顔が雪崩のごとく崩れ、また元のニヤニヤ顔へと変貌した。―光も我慢出来なかった。
「お前、いい加減にしろよ」
光も遂に我慢できず、ニヤニヤ顔で浩を叱責した。しかし、この叱責は崩れた顔をごまかすための口実である。
光と浩の目の前に立つ、才色兼備な女性の名は東原恵という。二十五歳である。
透明感のある肌に、つぶらで真っ黒に輝く瞳、肩にかかるくらいの丁度いい長さの艶しい髪。しかも某有名大学卒業で、元陸上部でスポーツ万能。その全てが人々を振り向かせる要因になっていた。浩もその一人だ。
「恵先生、今日もまたいいファッションですね」
浩がほめると、恵は素直に喜んだ。
「えへ、そう?」
「はい、とっても似合ってます」
恵はその美形な顔とは裏腹に、地味な服装をしていた。カントリー風、というべきだろうか。浩に言わせて見ると、それもまたいいらしい。光もその意見に異論はなかった。
考えてみると、この学校ではおばさんの先生ほど派手な服装をしている。特に国語や音楽の教師は飛び抜けて派手だ。生徒を威嚇しているとしか思えないほどの。
浩が仲良く話しながら、視線をこちらに向けてきた。外せ、の合図だ。
光は小さく敬礼した。
―分かった。そちらで仲良くやってるんだな。
光は心の中で吐き捨てると、波風を立てぬようにその場を後にし、図書室の最奥へと向かった。最奥には小説コーナーがある。
図書室は学校が売りにしているだけあって、最上階の大半を占めるほど広い。
まず、扉を開けると、その扉を囲むようにして雑誌コーナーがある。その部数は三十。メジャーな雑誌からマイナーな雑誌までほとんどが揃えられている。雑誌コーナーの向こうには、カウンターがある。そこに、いつも恵はいる。浩が最も立ち寄る場所だろう。
カウンターを横切ると、そこからは本棚だけが並ぶ殺風景な空間になる。学校が傾きやしないかと心配になるほど分厚い本が無数にあり、それでいって面積が広い。恐らく死体を人気のないコーナーに隠しておけば、一ヶ月は見つからない。完全犯罪の成立だ。
光は鼻歌を歌いながら小説コーナーに向かった。最奥だけに、長く歩かねばならない。様々な種類の蔵書を読んでほしいために考え出された配置だろうが、これではめんどくさくて行く気がなくなる。関門のようなものなのかもしれない。
小説コーナーの本棚が目視できる位置まで来た時、分厚い本を抱えた女子生徒と目が合った。
通路を阻まれているため、光は足を止めるしかなかった。
尚も、女子生徒はこちらを見る。上目遣いだ。
「あの・・・どうかしたんですか?」
女子生徒の上目遣いに耐え切れなくなった光は、吐き出すように言った。
「本棚の一番上にある本が届かないのよ・・・取ってくれない?」
初対面でこの口調とは、上級生だろうか。光はそう思って女子生徒の胸元をさりげなく見た。さりげなくないかもしれないが。
―違った。胸元に輝くバッジには、確かに1とある。おまけに、お隣のクラスだ。
「・・・ねぇ、聞いてる?」
女子生徒が溜め込んだ物を放出するかのように言った。
光はハッとして女子生徒と再び目を合わせた。女子生徒の目は鋭く、軽蔑のまなざしになっていた。
―誤解されたか?
光の心を、ジワジワと不安が押し寄せる。
「えっと、なんていう本ですか?」
とりあえず、空気を切り替えなければ。
「そこの、『統計学から見た超心理学』ってやつ」
光は一瞬驚いたが、表情は平静を保った。そして素直に返答し、背伸びをして目的の本を引っ張り出した。長い間読まれていなかったのか、ホコリがハラリと舞い落ちていく。
「どうもありがとう」
光から本を受け取った女子生徒は、作ったような笑顔で言い、元々持っていた分厚い本と重ねた。その本の背表紙には『超心理学の信憑性』と書いてあった。
この人変わり者だ。
人のことを言えない光だが、素直にそう思った。あんなに素直そうで瞳の青い子なのに、口調と読む本で一気にイメージが変わる。
「ありがとね」
女子生徒はもう一度光にお礼を言うと、二冊の本を脇に抱えて足早に歩き出した。なんともいえないアンバランスな後ろ姿だ。
そんなことよりも、誤解されたかどうかが気になり、光は引き止めて聞きたかったが、そこまでの関係でもない事に気付いた。
仕方なく光が再び小説コーナーへ向かおうと方向転換をした時、女子生徒は身を翻して光を呼んだ。
光がまた振り返ると、女子生徒の表情は真顔になっていた。青い瞳の輝きが、何割か増して綺麗に見える。
「大丈夫。誤解してないわ。あなたにそんな気がないことを今知ったから」
揺ぎ無い声。光は思わず疑問の声を上げた。女子生徒はそんな光をよそに、スタスタと去っていってしまった。
―彼女には読心術でもあるのだろうか。光はうなったが、すぐにやめた。たまたまだろう。誤解が解けてよかった。
多々疑問が残ったのだが、しかし、それよりも気になったのは、女子生徒が去った後に残った空気だった。
光はあたりを見回し、深呼吸をした。
何かが突っかかる。ゴミが肺に入ったのだろうか。
「何だろう・・・この感じ」
思わず呟いていた。
ψ
放課後も浩に図書室へ連れて行かれたので、校門を出たときにはもう幾つも星が輝いていた。いい加減、浩を待ちながら小説を読むのは飽きる。光の固定概念としては、『本は家でコーヒーを飲みながら読むもの』だったからだ。
「―で、何か進展はあったのか?」
光は呆れながら言った。学校指定のカバンには小説が五冊詰め込まれているため、今朝より足取りが重い。
「あぁ、あったぜ!色々とな!」
浩は満足げに、自慢げに笑う。
「それは良かったな」
そうは言ったが、腹の底での気持ちは違った。―コイツは絶対本気じゃない。かといって、ここまでノリ気になっている前例もない。光の気持ちは複雑だった。
「なぁ、光。部活どうしよっか」
「お前が待てっていうから待ってるんだぞ」
光は仕方なく言った。
「そうだよなぁ・・・どうしようか」
「恵先生が顧問の部がないから悩んでるんだろ」
浩はハハハ、と自然な笑いを見せた。
「それもあるかな、まぁ、近いよ」
何か引っかかる言い方だな、そう思った光は顔をしかめた。
「どういうことだ?」
光が尋ねると、浩は立ち止まった。光も一緒に立ち止まる。
しばらくして、浩が重々しく口を開ける。
「・・・あのさ、お前ってさ・・・」
浩にしては珍しい口調。そして真顔だ。何か戸惑っているように見える。
「どうしたんだよ。珍しいな」
光まで困惑してきた。こんな浩は久しぶりだ。浩がこんな風になったといえば、中学の時に彼女にフラれた時ぐらいだ。―それもわずかな時間で治ったが。
「いや、なんでもない!・・・もう俺、帰るよ」
そう言って、左に分かれる道を指差す。
「・・・あぁ、じゃあな」
光はそれしか言葉がかけられず、浩と別れた。
ゆっくりと歩く浩の後ろ姿を、光はただ見つめていた。
浩は何が言いたかったのだろうか―分からない―考え付くとしたら―アレだろうか。
今日の数学の授業中、遊びすぎたのだろうか。浩は後ろの席だから、目に付いてしまったのではないか?
光は必死に考えを巡らせた。
様々な憶測が脳内で飛び交う中、光は浩の背中から目を離し、空を見ることにした。星が光り輝いていて、今日は満月か、などと思いながら、不思議と頭が冴えていくのが分かった。
光はため息を付き、再び浩の背中に目を戻した。
―戻したはずだった。
光は、図書室で青い瞳の女子生徒に対して上げた、あの声と同じ声を思わず上げてしまていた。
それもそのはずだ。浩の姿はもう、そこになかったのだから。わずか、二秒ほどしか目を離してないにも関わらずに。忽然と、その姿を消したのだ。
例え光が目を離した隙に、浩が走り出したとしても、二秒ではまだ姿が見えていたはずなのに。そこまで道が短いはずがないのに。街灯が所々で道を照らしているので、暗闇に紛れることなどありえないのに。
涼しげな風が光の頬をなでる。光の心を落ち着かせようとする安らぎの風だが、その安らぎの風が、戸惑う光に更なる追撃を与えた。
風に乗ってきたのは、図書館であの女子生徒が去った後の、あの空気―いや、匂いとでも言うべきか。とにかく説明のできない何かだった。
光は思わず息を詰まらせる。体中が騒ぎ出しているような気がする。
悲鳴か?それとも共鳴か?―頭の中を、鉛のようなものが走りぬける。
こんな違和感、初めてだ。
「・・・今日は早く寝よう」
疲れているんだ、それが結論だった。
浩は降り立った。わずかな空間のブレが発生するが、すぐに終息する。
「浩、どうだった?」
視界のブレが治まる頃、落ち着いた女性の声が耳に入ってきた。
浩は笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「確定だな、ありゃ。数学の授業中、ペンをクルクル浮かせていたよ。昔からその片鱗は見せていたけどね」
「じゃあ・・・やっぱり、あなたと私が予想したとおり・・・」
浩は相手にも分かるように頷いた。
「そうだ、凛。俺等と同じく、超能力者だ」
浩の前に立つ、凛と呼ばれた青い瞳の女性がうなる。
青い瞳の女性―そう、光が図書室で出会った、変わり者の女子生徒だ。
「今日図書室で会ったけど・・・全然超能力者らしいオーラはなかったわよ」
「当たり前だ。あれは、ヒカルが一生懸命能力を隠そうとした結果だ」
マリエールが目を丸くする。浩はその目をジッと見つめる。
普通、超能力者は超能力者にしか分からない異様なオーラを発しているらしい。感覚的な問題だが。光は、それを極限までに抑えていた。
「あら・・・よく知ってるのね」
「あたりめぇだ。あいつとは十数年親友やってんだよ」
それもそうね、と凛は言うと、腕を組んだ。
「ペンを浮かせるってことは・・・サイキッカーね」
「超能力者らしくねぇやつが、一番超能力者らしい能力を持ってやがるとはな」
浩は笑ったが、凛は笑っていない。
浩は話題を変えた。
「―で、公園に呼び出しといてどうするつもりだ?」
凛は顔を上げた。
「あぁ、そうね。ちょっと話があるの。あと二人呼んだんだけどね・・・」
浩は一歩退き、まさか、とつぶやいた。凛は思わず笑みを浮かべる。
「・・・能力者があと二人?」
「うん。一人は私の幼馴染なの。それで、もう一人は、私の能力で見つけた」
「ここは密集地帯か何かか?それとも、何かの組織の実験場なのか?何でこんなに―」
凛がフフッと鼻で笑った。黒くて長い前髪がかすかに揺れ動く。
「ありがちな考えね。大丈夫。私もそれを考えて、調べたことがあるから。もちろん、そんなことはなかったけどね」
浩はため息をつくと、腕を組み、夜空を見上げた。そして、空に語りかけるように呟く。
「・・・運命、ってやつかな?」
凛は頷いた。
「そう考えるのが自然よね。超能力を超える、更なる未知の存在・・・ってとこかな?」
凛が言い終えると同時に、浩は視線を元に戻した。
「はたまたそれは、神なのか」
―浩の視線の先には、一組の男女がいた。カップルのように寄り添ってではなく、お互いを警戒するように歩いていた。
「あれか?お前が呼んだってのは」
凛は浩の指差す方向を見ると、手を振った。
「おーい!待ってたよぉ」
「ばか、夜に大声出すな」
浩は凛を右手で制したが、目線は男女を凝視していた。
小柄なショートヘアの女性と、長身で長髪、そしてメガネをかけている男性が一人。二人の身長差は大分あり、パッと見、シルエットで見れば親子に見える。男の方は、かなりの美少年だった。
二人が近くまで来ると、凛は満足げに鼻息を荒げた。腕を組み、二人を見る。
「こんばんは、凛さん。・・・なんで呼んだんですか?」
小柄な女性が、か細い声で凛に尋ねたが、凛はサラッと受け流し、青い瞳をギョロギョロと動かして三人を見た。
「全員集まったわね」
そう言って、腰に手を当てる。
「とりあえず、皆、私以外は初対面ね?」
凛以外の三人はうなずいた。浩は凛を見ると、小柄の女性に視線をスライドした。―これが同世代か。
「じゃあ、とりあえず自己紹介からしてもらおうかな?」
凛の青い瞳が、浩を捉えた。浩は仕方なくうなずくと、凛の背後にある滑り台を見ながら、自己紹介をした。
「東中出身、益田浩。どうぞ、よろしく」
そう言って、横目で長身の男性を見る。
男性といえば無表情で、空を見上げていた。
―うわ、コイツ、俺の苦手なタイプだ。浩は反射的に思った。どうやらその感情が表情に出たらしい。凛の睨み攻撃が浩に浴びせられた。
凛は場を切り替えるように咳払いをした。
「オホン、それでは次」
そう言って、長身の男性を指差す。
長身の男性は凛の指をしばらく見つめたあと、重々しくその小さな口を開いた。
「・・・東京の方から越してきた。徳永勇作。よろしく」
長身の男性は徳永勇作というらしい。名前から言うと情熱的なイメージだが、現実はとても冷酷な感じだ。その長髪で目がほとんど見えないのだが、目が死んでいるのか、凍り付いているのか分からない。メガネのせいでもあるのだろうか。
凛が呼ぶ前に、小柄の女性が一歩前に進み出た。
浩は驚いた。―小柄で幼く見えるものの、顔つきはしっかりしているからだ。
「南中出身、神園由香と言います。マリエール・凛ちゃんとは同じ中学校の出身です。どうぞ、よろしく」
そう言って、神園由香は微笑む。浩はその可愛らしい表情に見とれそうになったが、凛のハツラツとした言葉にかき消されてしまった。
「じゃあ、私ね?知っての通り、南中出身、マリエール・凛よ。どうぞ、よろしく」
凛はそう言って、誇らしげに自分の胸に手を置いた。
浩と凛は、入学してすぐに、超能力者という共通点で友人関係になった。―その出会い方は浩にとって屈辱的だったのだが。
凛・マリエールは有名な財閥の令嬢で、自信と気品と知力に富んでいる。おまけに祖父はフランス人ということで、外国人特有のスタイルを持っており、それが瞳が青い理由でもある。高校ではマドンナとして名が通っているが、本人はその自覚も、興味もない。無意識にお嬢様気質がにじみ出る。
「それで?なんで俺達を呼んだんだ?」
突き刺すように浩は言った。夜も深けたので、早く帰りたい。
凛は艶のある髪をすきながら、微笑んだ。一見天使に見えるが、益田浩、徳永勇作、神園由香はその微笑みを、注意深く見るしかなかった。
「やっぱり、超能力者って、一緒にいるべきだと思わない?バラバラで生活して、秘密を隠しながら生きるよりも、やっぱり共有しながら生きていくべきだと思うの。よくアニメとかでは、こういう運命的な出会いから、壮大な物語は始まるのよ。」
由香はとっさにうなずいた。これには同意なようだ。
浩も同意だった。最後の例え以外は。
「そ、そうですね。肩身の狭い生活より、やっぱり広々とした生活の方が・・・」
「そうでしょ?それで、部活の件なんだけど、いい部を見つけたのよ」
凛は人差し指を立て、浩に視線を移した。
「ほ・・・本当か?」
凛はうなずくと、更に続けた。
「浩は恐らく喜ぶわね。まぁ、とりあえずその話は置いておくわよ。もう一つ話したいことがあるの」
「あのことか?」
「・・・あのこと?」
浩が言うと、由香は首をかしげ、上目遣いで凛を見た。
「あぁ・・・そうよね、由香と勇作には初めて言うけれど、実は、―実は、もう一人超能力者を見つけたの。しかも、浩の身近な所にね」
由香は視線を浩に向けた。その可愛らしい上目遣いに、思わず心が躍る。
「あぁ・・・俺の親友さ。本人は必死に隠していた模様で、俺も最近やっと気付いた」
「その人って・・・」
「隣のクラスの子よ。多分、影が薄すぎてわからないんじゃないかしら」
由香はウーン、と唸った。
「そんなの片鱗も感じなかったんですけど。そんな空気を感じなかったし」
凛と浩は同時にうなずき、仕方ないよ、と両手をあげる。
「本人が必死に隠してきたんだ。その成果だよ。まぁ、超能力を使えばどうしても空気は濁るし、ゼロとまでは隠しとおせなかったけどな」
「そろそろ本人も気付いているんじゃない?高校に入学してから、吸いなれない空気を大分吸わされているかと思うから。主に浩によって」
今まで黙っていた勇作がいきなり、口を開いた。
「すいません、早く用件をお願いします。凛さん、あなたはその人を、どうしたいんですか?」
―やっと喋ったと思ったら、そんな事言うのかよ。浩はそう思ったが、顔には出さなかった。
それよりも、別の感情が湧き出てきたからだ。恐らく、凛と由香もそれを感じている。
―コイツ、いい声しているな。例えるなら、アニメの美少年役の人物の出す声、といったところだろうか。
凛は唇に折り曲げた人差し指を当て、勇作の背後に見える街灯を見つめた。
「やっぱりあの人も加えるべきだと思うの。一人で孤独に暮らすなんて、悲しいと思わない?―他にも理由はあるけどさ」
「確かに・・・そうだが」
「何か心配なの?」
あぁ、と浩は首を縦に振った。
「あいつは、自分以外に能力を使える人間がいない、ということを前提に生活して、能力を隠しとおしているんだ」
そして、凛と由香を一辺に見る。―勇作は見ないでおく。
「そんな奴が、簡単に信じてくれるとは思えないんだがな」
浩が見る二人の女子高生は下を向き、黙ってしまった。勇作といえば、デフォルトである無表情を保ちながら、浩を見ている。
公園の街灯の周りに群がる、蛾の大群の羽音が、嫌に響く。夏になればカブトムシもやってくるのだろうか、今度蜜でも電柱に塗っておくか―と、そんな考えをめぐらせ、浩は沈黙を紛らわせていた。
湿っぽい風が四人の頬をなでる。梅雨の訪れを感じさせる風だ。
「―いや」
凛が顔を上げ、浩をギロッと見た。中々の目力だ。
「私は嫌。そんなの。面白くない」
「待て、何が嫌なんだ?」
「嫌なもんは嫌なの!私には考えられないのよ、そんな孤独を抱えること。だから、彼の幸せのためにも、私達の存在を証明する必要があるのよ」
なんという理由か、と浩は言いたくなったが、喉の手前で止めておいた。
「・・・じゃあ、何をするんですか?」
「・・・・・・」
凛は由香の質問に返答できなかった。
「考えてないんだな」
浩がズバッと言う。
「え、か、考えて―」
凛が反論しようとした時、勇作が割り込んできた。
「僕の能力でなんとかしましょうか。一発ですよ」
浩はとっさに手を横に振って反対する。
「バカ、そんなの強制的だろ」
「そうよ、勇作。あなたの能力は最終兵器として残しておくんだから」
「お前は使う気だったのかよ!」
凛は、なんで?という目を見せた。―お嬢様はみんなこうなるのだろうか。それとも性格か。
「とにかく強制はなしだ。それこそ、アイツのためにならん」
そう言う浩を横目に、凛はフフッ、と笑った。また何か思いついたらしい。
「でも、勇作のおかげでいい案を考えたわ」
浩は疑問の声をあげ、凛を凝視する。
凛の表情は、なんともいえない―例えるならば、イタズラをけしかける前の子供の表情のような―期待と不安が入り混じり、それを快感に感じているような―そんな表情をしていた。
ψ
次の日、前日の疑問を残しながらも、光は何事もなかったかのようにいつもの日常を過ごしていた。ただし今日の朝、恒例である浩の脅かしは珍しく無かった。
光は、緑色の黒板に引かれていく白い線の集合体を、ヒジをつき、遠い目をしながら見ていた。頭から、昨日の事が離れないのだ。頭の中を洗浄したい気分だが、あいにくそんな機器はない。だから、自力で洗浄するしかない。
―そういえば、今日は浩と話してねぇな。
今日の浩は、やけに静かだった。いつもだったら、そこらの男子生徒と輪になって、くだらない話を繰り広げているのに。今日の浩は、毎時間ごとの休み時間に、教室を早足で抜け出していた。
恐らく、隣のクラスに友達でも作ったのだろう。そうでなかったら、恐らく図書室でアプローチ中だ。光は上の空で、教師の背中を眺めていた。
チャイムが鳴った。光は周りの生徒が勉強道具を片付け始めているのを見て、昼休みということに気が付いた。今日は一日が短く感じる。
―仕方ない、弁当でも。
そう思って伸ばした右手を、何者かに掴まれた。光はとっさにその手を辿り、顔を確認する。
「ねぇ、あなた、ちょっと来てくれない?」
昨日の図書室で出会った、青い瞳の女子生徒だった。これが告白なら嬉しいのだが、表情を見る限りそれはなかった。
―まさか・・・昨日誤解されたのがこじれて・・・。いや、あれは解けたはずじゃ―。光はとっさに考えた。自分の脳が、言い訳を考えるためにフル回転する。
「なぁ、光。頼むよ」
凛の背後から、ヒョイッと浩が顔を出した。
「え・・・何?」
光は疑問の声を上げた。そして、イスに座ったまま一歩後退する。ヒジが机に当たった。ファニーボーンだ。痛い。
「大丈夫。変なことはしないから」
青い瞳の少女はケロリと言った。いや、何かあるだろ。浩の微笑み顔も何か引っ掛かる。
「まぁ、ちょっとこっち来いよ」
青い瞳の女子生徒が、女性にあるまじき鼻息の荒さで、グイグイと光の腕を引っ張る。浩は光の背中を押し、それをサポートする。この二人って、こんな関係だったんだと、光は認識した。
腕がちぎれるかと思うほど引っ張られ、連れてこられたのは、自分の在席する教室と同じ階にある、理科室だった。
「もっといい場所ないのかよ?」
「ないわよ。他は上級生が使ってるもの」
「だからってこんな場所でさ・・・ウワッ、ホルマリン・・・」
「あんた男でしょうに。そんなホルマリンぐらいで・・・ヒャッ!アルコールランプ!」
「なんでそれが怖いんだよ!」
光は浩と青い瞳の女子生徒によるトークショーをしばらく聞いていたが、突然二人は黙った。そして、ゆっくりと二人は目を見合わせる。
長い沈黙が流れ、そして、二人は同時に頷く。
「いいよ」
二人の心はシンクロしたようだ。ピッチもスピードも全て同じに言ったのだ。
不意に、ガラガラ、とドアがスライドし、小柄でショートヘアの女の子が入場した。
―中学生?と光は一瞬思ったが、その制服姿から高校生だと認識した。
「光、頼みがあるんだ」
浩はそう言うと、小柄な女の子の肩に手を置く。そ、そんな馴れ馴れしく・・・。と、光は浩の交友網に愕然としたが、その動揺を感じ取れないように必死に抑える。
「あの・・・いきなり・・・なに?」
どうやら動揺が出てしまったようだ。突然理科室まで連れてこられてこの展開では、動揺するのも無理ないが。
「簡潔に言うと、この子と話して欲しいんだ」
そしてこの急展開である。光の頭の中を様々な憶測が迷走し、頭が焼けるほどフル活用される。
「へ?」
光の目が、―例えるとしたら、目が点になった。
「だから、この子と話して欲しいの」
青い瞳の女子生徒がそう言い、小柄な女の子の背中を押す。女の子はヘッと声を上げながら、前に押し出された。
光と小柄な女の子は対峙した。二人の間に、重々しい空気が流れる。背後で浩がなにやら呟きかけている。
異様な雰囲気が漂いだした。
「あの・・・お名前は?」
最初に口を開いたのは、女の子の方だった。
「えっと・・・高崎光といいます・・・」
「私は、神園由香といいます」
そう言って、神園由香という名の女の子は、ペコリと頭を下げた。光もそれに習って下げ返す。
「えっと・・・趣味はなんですか?」
いきなり何を聞いてんだ。と光は思ったが、悪い感じはしないので許す。
「基本的に無趣味ですね。はい、家に帰ったら専ら、寝るかネットですね。ネットでは、ゲームとか掲示板に入り浸ってます」
「ゲームってどんな・・・」
「RPGですね」
そうですか、と由香は言うと目線を下げた。
「じゃあ、俺が聞き返しますけど、あなたの趣味は?」
ここで沈黙は耐えられないので、とりあえず聞いておく。
「私は・・・絵を書くことですかね。勉強もせずにいつも・・・描いているんです」
由香はフフッ、と笑った。まるで子供のような純粋な笑顔だ。きっと、育ちがいいに違いない。
「絵ですか、どんな感じの絵ですか?」
「水彩画から漫画まで。いろんなところに手を出してます」
―ちょっと待て、これってお見合いによくある会話じゃねぇか。光はそう思った。何故高校生が理科室などという不気味な場所で、お見合いをする必要があるのか。何か企んでいるのか。
「おい、浩」
光は浩を呼んだ。浩は微笑を浮かべながら応答した。
「なに?」
「一体何を企んでいる」
浩は肩をすくめ、隣にいる青い瞳の女子生徒を見た。
「別に、何も企んでないわ。ただ、この子と話してほしいだけなの」
「なんでこの子と話す必要があるんだ?」
空気が止まった。女子生徒がぎこちなく目線を浩に向け、浩はロボットのように首を振る。
―こいつら、分かりやすいな。
「あ・・・あのね?この子、引っ込み思案だから、ちょっと、外の世界に出してあげようかと思って」
―あ、もう駄目だこいつら。光は思った。何かを企んでいるのは明確だったし、ヒナドリか、とツッコミを入れたくなる余裕まで作り出してしまった。これ以上の詮索は止めておこう。見た目で引っ込み思案なのは大体予想がつくが。
浩が由香の背後に立ち、何やら小声で話しかけた。
「え・・・無理ですよ。これだけじゃ。もうちょっと・・・」
由香はそう言い、首を振る。
「おい、一体何の話をしてんだ」
「いや、別に。・・・ほら、由香ちゃん。もっと話さないと。外の世界には行けないよ?」
浩に言われ、由香はうなずく。力の抜けたような目が、キリリと輝く。
浩はいつからカウンセラーに転職したんだ。
「光さん、私とジャンケンしましょう」
由香の背後で、浩と女子生徒がずっこけた。光もずっこけそうになる。
断る理由もないので、光はうなずいた。
「いいですよ」
由香はありがとうございます、と眩しい笑顔を見せ、右手を差し出した。光も追うように右手を差し出す。
―そして。
「最初はグー、ジャンケンポイッ」
光がグー。由香がチョキ。光の勝ちだ。
「あ、負けちゃった。あの、もう二、三回いいですか?」
なんと不自然な返答だろうか。光は渋々従うしかなかった。不思議なことに、もう完全にこの場の空気は由香のものになっていた。天然が故の能力であろう。
その後ジャンケンは数回続くが、全て光の勝ちだった。
―なにやってるんだろ、俺。光は心の中で呟いた。―いや、叫んだ。思わず、涙腺がゆるみそうになる。深い理由は無い。
なんと奇妙な光景だろう。恐らく、光が監視カメラで自分のこの光景を見ていたら、笑い転げていたに違いない。
こうして、大事な昼休みはジャンケンで終わった。
光は頭を抱えながら自分の席に着くと、ため息をついた。自分の重みでイスがギシギシと音をたてる。
高校に入学する時、少しは青春エンジョイライフを理想としていたものだ。しかし、高校に入学して十日も立てば、それは妄言だったと悟った。現実はそう甘くない。自分が手を伸ばさなければ、目的を掴み取る事は出来ない。
そしてさっき、手を伸ばさずとも向かってきたものが、アレだった。裏で何かが画策されていると感づきながらも、抗えなかった。ただ、相手の言うことに渋々従うだけ。
―浩、お前は何をしようとしているんだ。いつもならそう聞けたのに、今日は聞けなかった。後ろの席に座っているというのに、振り返られなかった。遠くに感じた。
色々と考えても無駄だぞ、光。光はそう自分に言い聞かせた。
しばらくすると、教師が入場した。クラス長が自動的に透き通るような声で号令をかけ、全員が起立する。
―苦悩はまだ、続くことになった。
教師がニヤニヤしながら小さなプリントを取り出し、ヒラヒラとさせた。
「じゃあ抜き打ちテストやるぞ」
エー、とクラス中に悲鳴が上がる。教師の本能か何かなのか、教師は笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。昨日の授業をちゃんと受けていれば分かるから」
教師はそう言い、プリントを配りだした。
光はギョッとし、とっさに教科書に手を伸ばす。―が、教師の投げかける視線に気付いて、おずおずと教科書をしまう。
テスト用紙を見て、昨日の授業中にペンで遊んでいた事を、光は悔やんだ。恐らく昨日ちゃんと聞いていれば解けるほどの、簡単な問題だ。しかし、光には分からない。
こんな時ほど、自分の超能力を恨むことはない。何故、サイコキネシスなのか。瞬間記憶能力でも、千里眼の能力でもいいから、もっと知力的な能力が欲しかった。サイコキネシスなど、持ってるだけ無駄だというのに。
それか、悪の組織と戦っている身分でいてほしかった。こんな時、悪の組織が襲撃してきて、教室をメチャメチャにするのだ。光は立ち上がって敵と戦い、勝利し、テストなど蚊帳の外で祝福されるのだ。―鳴り止まない、光コール・・・。鳴り止まない、歓声―。
そんな妄想を繰り広げている間に、テストはもう終わっていた。一番後ろの席である浩が、テスト用紙を後ろの席から前の席に順々に回収していく。
浩は頭を抱える光からプリントを受け取り、光と目線を合わせた。そして、かすかに口元を歪める。
光はその瞬間を見逃してなかった。やり切れない思いが、心の器に流し込まれていく。
「点数低い奴は放課後職員室な」
教師が平然と言い放った。目に見えない矢が光に突き刺さり、光は思わず仰け反りそうになった。
冷静になろうと光は深呼吸をした。段々、ことの不自然さが分かるようになった。
―落ち着け。これは、おかしいことだぞ。何か、引っ掛からないか?
光は教師を見た。教師はプリントを整理しているが、その目には、力がこもっていない。人形のような目をしている。
光の周りにいる他の生徒達も、次々と声を潜ませ話し合いを始めていた。教師の異常に気付いているのだろうか。
―この教師は、抜き打ちテストをしないと公言していたはずだったのだ。
どうも腑に落ちないことが多い。昨日の図書室で出会った青い瞳の少女、下校途中、突然姿を消した浩。それから何かがおかしい。自分の周りを、感じたことの無い不穏がうずまいている気がする。さっきの神園由香との会話も、奇怪極まりない事だ。―とりあえず話せ、だなんて。
光の心に、大量の不安物質が引っ掛かっている。何故だろう、いつもならこれぐらいで、こんなに不安になることは無い。
―そうか、やはり。
光は手の平を広げ、掌をジッと見た。そして、息を止める。―間違いない。この感じだ。
光はより深くため息をつくと、昨日超能力遊びに使ったペンを握った。
何よりの不安材料は、この空気なようだ。この学園中で、今まで味わったことの無い―しかし、何処か懐かしい、それでいって自分の一部なような空気が―蔓延している。
授業は順調に終わり、一日は終わった。生徒達は部活に行くか、下校するかのどちらかだ。
光は未だに部活を選択していないため、下校するはずだったのだが―。
「高崎、職員室に来なさい」
帰り際に教師がそう言った。そう言われるのは大体予想していたのだが。やはり落ち込む。
光は通学カバンを机に置きっぱなしにしたまま、教室を出た。重い足取りのまま、職員室を目指す。
それでも尚、不穏な空気は光に付きまとっていた。
ψ
外はすっかり暗くなっていた。生徒はもう一人も学校にいないだろう。光はゲッソリとやつれた顔つきで職員室を出てきた。
まさか、こんな事で教師に熱弁されるとは、光は微塵にも考えていなかっただろう。どうやら、教師の変なスイッチが誤作動を起こしたらしい。
ずっと相槌を続けるのは、案外疲れるものだ。教師はここぞとばかりに自分の人生観などを語りだし、光はそれを聞くしかなかった。何が祟ってこんなことになったのだろうか。
光は階段を上り、自分の教室にカバンを取りに行った。足が重く感じる。精神的なものもあるだろうが、ずっと座っていたからだ。恐らく、むくみは必至だろう。男だからそんな事気にしないが。
光は真っ暗な教室の電気を付けると、自分のカバンを手に取った。
今日は早く帰ろう。なによりも、鼻腔の奥を突っつくこの空気が奇妙で嫌だった。
「なんだろうな・・・」
光は思わずつぶやいた。虚しく声が誰もいない教室に響き渡る。
その刹那、視界が真っ暗になった。誰かが自分の目の上にアイマスクをかぶせたかのように。
光は驚きの声を上げ、後退した。腰に誰かの机がぶつかる。
ブレーカーが落ちたのだろうか?そうだとしたら、廊下の電気も消えるはずである。何故、この教室だけ電気が消えたのか。
とりあえず、廊下に出よう。光は手探りに進み、途中でつまずきながらも、廊下に出た。
しかし、光が廊下に出ると同時に、廊下の電気も消えた。
光は壁にもたれかかった。思わず肺の中の息が全て吐き出される。
「なにが起きているんだ・・・」
何がどうして行われているのか、分からなかった。本能が危険と判断している。
窓ガラスから見える街灯だけを頼りに、光は廊下を突き進んだ。早く学校を出たいのだ。
早足で歩いていると、何かにぶつかった。光は思わずうめき、その場にへたり込む。
・・・机?
光が手探りで確認すると、それは机だった。いつも教室で使っているあの、机だ。なぜこんなところに。
悪態をつき、立ち上がろうと地面に手をついた。
―その瞬間だった。
耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。光は驚いて飛び退き、辺りを見回した。不思議と、光の心は平静を保っている。それもそのはずだ。こんな異常事態を、光は何処か期待していたからだ。
轟音は右手方向の教室から聞こえてきたようだ。何かを引きずるような音だ。
警戒しながら光が教室を覗くと、綺麗に配置されていたはずの机が散乱していた。まるで重機が通ったかのように、中心が一番酷く散乱している。
俗に言うポルターガイストというやつだろうか。光は目をこらして教室中を見回した。暗闇しか目に入らない。
すると、二回目の轟音が響いた。今度は落下音も聞こえる。
轟音は尚も続く。光は音の源を探したが、聞いているだけじゃ分からない。とりあえず、今まで歩いてきた道を引き返すことにした。
光が再び廊下に出ると、消えていた電気が一斉に付いた。まるで、光を歓迎しているかのように。
霊が誘っているのだろうか。
「分かったよ・・・」
霊に聞こえるように呟く。恐怖心が心のほとんどを占有しているが、同時に期待もしていた。―やっと会えたのだ、自分以外の異能の力に。
光は上の階を目指して歩き出した。恐らく、そこに霊は誘っているのだと光は直感的に考えた。轟音が自分を包み、―そして、止まった。
一瞬にして、怒涛の津波のような静寂が襲ってきた。頭の上に疑問符が円を描いて並べられる。
無音は、轟音より更に強い恐怖を生み出した。無という状態は、何が起きてもおかしくない。
階段を上り終えると、さらに静けさに包まれていた。この階は三階で、最上階に当たる。
霊も疲れたのだろうか?満足したのだろうか?だとしたら、座敷わらしか何かだ。この学園も恵まれるに違いない。
そう思った矢先、何かに当たった。今度は机の感触ではない。
暗闇に目が慣れていたため、それが何かすぐに分かった。自分がヒステリックを起こす体質じゃなくてよかった。
目の前にあったのは人体模型だった。暗闇で見ると、内蔵などがよりリアルに見える。さすがに、これは怖かった。光は目を閉じ、胸に手を当てて必死に呼吸を整えた。
人体模型は無機質な手を上げて、指を何処かに指し示していた。光は目線をスライドさせ、そちらを見る。
そこには図書室があった。昼間のような明るい雰囲気はそこには存在せず、ただ重苦しい、漆黒のオーラが流れ出ていた。これが、本来の図書館のあるべき姿なのだろう。この学校の図書館は特殊だったのだ。東原恵という絶大的美人司書から溢れ出る、爽やかで華やかなオーラが、本来の図書館にあるべき重苦しさを何とか前線から退けさせていただけなのだ。
図書室のドアをスライドさせ、光は重苦しさの湖へ飛び込んだ。
腕を組んで、仁王立ちする。
「なんなんだオマエらはー。そろそろ正体を―」
まるでアニメのヒーローのように格好つけて言ったが、それは不自然な物音に妨害された。
疑問符を頭の上に作り出す暇もなく、光はあの嫌な空気を吸いこんだ。思わず目を見開く。これまでより異常なほど濃厚だ。
―いや、これは『嫌』ではない。もっと、違う心情だ。
光は自分の身体が上げるメッセージを感じ取ろうと必死になったが、安易には読み取れなかった。
その時。
危機感を感じたと同時に、無数の本が回転しながら光に向かってきた。
光の防衛本能が一瞬にして開花する。光は飛んでくる無数の本をサイコキネシスで防ぎ、一歩後退した。
―かなり強い力だ。恐らく、本が回転している事から考えて、本は人の手によって投げられているはずだ。
光は暗闇を見つめた。
だとしたら、あの暗闇の中に、首領はいる。首領がカーブを投げられるなら別だが。
また無数の本が飛んできた。―中には分厚い本も混入している。光はまたサイコキネシスで防いだ。飛んできた本は四冊だった。
光はその本に目線を移したあと、再び暗闇に目を戻した。
―恐らく首領は二人以上だ。これぐらいの厚さの本をコントロールするには、一本の腕に一冊持つのが限界であろう。であるとするならば、四本の腕が必要になる。手がいっぱいある幽霊が相手だとしたら、また状況は変わってくるのだが。
それにしても、本を投げるとは信じられない話だ。光はある程度本を愛好しているので、足元に散乱する本たちが可愛そうでならなかった。恵先生が見たら、発狂するかもしれない。
「おい!いい加減にしろ!幽霊でもなんでもいい、早く向かってこいよ!」
応答はない。ただ、暗闇の中に自分の声が響いただけだった。
そうかい、そうですかい。と、光は手を暗闇にかざした。いつまでも踊らされているだけの自分ではない。
光は能力を発動した。今回はある程度力を強めた。本気でやらないのは、反撃に備えてだ。自分にもエネルギー波は見えないが、恐らくもう少しで到達する。
ガコッと鈍い音がした。何かが倒れたようだ。うめき声もする。
光は笑みを浮かべ、首領を人間と定めた。少しだが安心感が湧く。
だが、その時だった。突然黒板を引っかいたようなノイズに脳内を埋め尽くされ、光は吐き気を催した。
『よくも・・・よくもやってくれたなぁぁぁぁぁぁ!呪い殺してくれるわぁぁぁぁ!』
女性の怒号が頭の中に響いた。耳をふさいでも、音量は全く変わらない。この声は、頭の中だけで響いているようだ。
光の恐怖心は最高潮に達した。思わず声を上げ、二歩、三歩、と後退する。
―まさか、幽霊だったのか。
『ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!』
今度は悲鳴だ。光は心臓の高鳴りを抑えられない。無意識に嗚咽がこみ上げる。
しかし、光の目つきは豹変した。光を駆り立てる何かが、無意識に活動を始めたのだ。ここでやられている場合ではない。―これが期待していたことではないのか。
光は足を肩幅に開き、両手を突き出す。
「きてみろやぁ!」
大声で叫んだ。エネルギーを最大限まで引き上げ、見えない敵に目をこらす。これから何が起きるか分からないが、とにかく目の前の何かをどうにかしなければならなかった。
エネルギーの大きさは過去最高だ。光はついに発射する心構えをし、歯を食いしばった。
―しかし、その体勢は、一筋の閃光によって崩されることとなった。
ブヴンッ、と某SF映画で使われる武器の衝突音のような音が鳴った。―と思うと、何かが目の前に突き出された。それは何かの動きをし、バチンッという音を発する。
光は驚いて仰け反った。
―ねこだまし?
そう思ったのもつかの間。光は何者かに足をすくわれ、その場に倒れた。生理現象でうめき声を上げる。
恐らく現実の時間は一瞬だっただろう。しかし、光はその一瞬が三時間以上に感じられた。頭の中を、これまでの人生が流れ出す。
光の頭が動転するなか、一筋の光線のように、声が聞こえてきた。
「おかえり」
聞き覚えのある声だった。
ψ
図書室内の電気が付けられた。今まで暗闇の中にいたせいか、目が痛い。光は思わず目をつぶった。
「驚かせてスマンな」
男の声―浩だ。光はゆっくりと目を開け、目の前に立つ浩を凝視する。
「・・・お前だったのか」
浩は笑みを浮かべ、ゆっくりとうなずく。
浩の両隣には、あの青い目の女子生徒と、神園由香がいた。そして浩の背後には、見た事もない長身の男がいる。―ブレザーを着ているのを見る限りは、恐らくこの学校の生徒だ。
「どうやってやったんだ?あれだけの事をやるには、五人じゃ不可能だぞ」
青い瞳の女子生徒が笑みを浮かべた。
「その答えは、あなたもよく考えれば分かるんじゃないかしら」
「どういうことだ?」
光は顔をしかめた。五人じゃないのか?もっといるのだろうか?
「このイタズラを仕掛けたのはここにいる五人だけよ」
「イタズラ?これが?・・・なんで俺に」
思わず悪態をつく。光は目を細め、浩の隣にいる由香に目を向けた。
「あなたに、イタズラをかける必要が・・・あったんです」
由香が浩に視線を向けながら言った。浩はそれを聞いてにこやかにうなずく。
「このイタズラを仕掛けなきゃ、光の心は開かなかったと思うな」
光は首を傾けた。
「どういうことだ?」
「考えてみなよ。君は、昨日から今日まで―いや、それ以前にも、違和感を感じたことがあるはずだ」
昨日から今日。そしてそれ以前。
昨日の空気。今日の空気。毎朝何気なく感じる、あの空気。―重苦しくて、どこか懐かしいような感じ。嫌だと思っていたが、実はそれが恋しくなっていた。
光は目の前にいる四人を見渡した。何かが見えてきた気がする。
「光は、この四人の中の誰よりも、感覚が鈍いようだね。ま、仕方ないか」
浩がそう言い放ち、手を差し出してきた。光はとても、その手を掴む気にはなれなかった。その手から、顔をそむける。
しかし、その手を見て光は思い出していた。この図書室の床に転ぶ瞬間、光は誰かにねこだましを受けたのだ。
一瞬にして誰かが目の前に現れ、ねこだましが行われた。そして同時に、あの空気が爆発のように光を襲ったのだ。
光はもう一度、浩を見た。
浩は笑みを浮かべ、差し出された手を強調するように左右に振った。
「まさかな。お前も・・・」
光はその手を掴み、立ち上がった。
そして、四人をもう一度見渡した。一人一人の目を見る。
「もう一度言うよ」
浩は掴んだ光の手をより強く、握り締めた。
「おかえり」
光は首を振った。
「いや、おかえりじゃない。むしろ、ようこそと言うべきだな」
光はこれから、この四人の世界に飛び込むのだ。独りぼっちの閉ざされた世界から。
世界観が変わった、というべきだろうか。
ここには、同じ境遇を抱えた者達がいる。それだけで、光は心のどこかに、安息の地を作り出すことに成功していた。
「・・・で、分かってくれたかい?」
学校に長居は無用だったので、公園に集まる事になった。今は、光の家から近いこの公園に、図書室にいた五人全員が集まっている。
ここに来るまでに、大分時間が必要だった。何せ、グチャグチャになった机を整理したり、徳永勇作と呼ばれる長身の男が、職員室にいる先生全員を正気に戻したりと、事前に盛大にやってしまっただけに、事後はそれが跳ね返ってくる結果となった。
しかも、机の整理は大部分を光が行った。サイコキネシスという能力を持つが故に起きた悲劇だ。
「よく分かった。お前らが超能力者だということだけだけどな」
浩はフフッと笑い、一歩前に出た。
「じゃあ、もう一度自己紹介しようか!」
それがいい、と光は賛成した。何せ、光は浩以外の人物とは全く面識がない。
それじゃあ、と浩は光を指差した。
「お前からな。とりあえず名前と能力、あと趣味」
俺?と光は言ったが、周りの四人はもう聞く体勢になっていた。自己紹介など、人生で何回目だろう。もちろん、超能力の紹介は初めてだ。
頭の中でまとめながら、光は口を開いた。
「えっと、名前は高崎光。光、って呼んでくれていい。趣味は無い。これから見つけられたらいいな、と思ってる。え〜と・・・それで」
「能力」
青い瞳の女子生徒が割って入った。
「あぁ、そうだったな。もう知っていると思うけど、俺の能力はサイコキネシス。空間にエネルギーを発生させて、そのエネルギーの流動を利用して、物体を動かす。まぁ、俺の考えに過ぎないけど」
「いつからその能力に気付いたんですか?」
由香が透き通るような声で聞いた。
「幼稚園の頃にはもう、薄々気付いていたかな?スプーン曲げをする番組が流行って、俺もしてみようかなぁ・・・って思ったら出来たってヤツ」
光は幼稚園の頃を思い出した。もうほとんど忘れているが、スプーンを曲げた時のあの父親の顔は忘れない。もっとも、父はその後酒を大量に飲んでしまい、光がスプーンを曲げた記憶が吹き飛んでしまったのだが。
一通り話し終え、光は浩を見た。
「次は、お前だな」
浩はうなずき、この場にいる全員を見渡した。いくら浩の本当の姿を知ったといっても、やはり浩は浩だった。
「皆さんお知りの通り、俺の名前は益田浩。浩って呼ばれてるけど、浩にゃん、とか呼んでくれてもいいんだぞ。趣味は色々あるな・・・ゲームとか、ギターとか、まぁ流行によって変わるよ」
フラフラしたやつだ。しかし、それは出会ったときからそうだったので不満には思わない。それが浩なのだから。
「能力は瞬間移動。今回のイタズラで、机をガガガガガガガッ〜ってやったのは俺。最後にねこだましくらわせて、倒れさせたのも俺。ちなみに、毎朝お前を驚かせるのも俺」
そうでしょうね。と光はつぶやいた。アレを能力を使わずに出来ていたら、光は浩を忍者協会に推薦していただろう。そんな協会があるかは不明だが。
「あの、じゃあ、浩にゃんさんはハワイとかに行ったことあるんですか?」
場の空気が凍りついた。全員が生ぬるい視線を由香に向ける。
―浩にゃんって。浩の冗談を、由香は真剣にとらえたようだ。素直な子なのか。それとも、天然なのか。
当の本人である由香はケロリとしていた。
「あ・・・うん、えっと・・・いい質問だね」
浩もさすがにうろたえている。
「実は、この能力、むっちゃ体力使うんだよね〜。ここから学校に飛んだだけで、多分バテバテだと思うよ。だから、ハワイなんてとんでもない。死んじゃうよ」
「へ〜、もったいないですね」
由香が残念そうに呟いた。
それは、本当に残念な事だった。浩は中学時代、体力が無いことで有名で、短距離走なら陸上部にスカウトされるほどだったが、長距離はいつも最後尾の軍団に混じって走っていた。―俺ならもっと行けるのに、と光は思い、同時に―交換してくれ、と思った。光は短距離が苦手だが、長距離は得意だった。
「だから、俺をあんましパシリに使わないでね?」
そう言い残し、浩は青い瞳の女子生徒に顔を向けた。
「次は、お前」
そうね、と女子生徒は言い、光を見て笑みを浮かべた。
「私の名前はマリエール・凛。名前の通り・・・まぁ、見ての通りでもあるけど、フランス人と日本人のハーフ。でも、ちょっと日本の血の方が濃いかな?趣味はバイオリンとか、オカルトサイト巡りとか。最近は、超心理学をよく勉強してるわ」
言われて今一度見てみると、やはりそうだったと確信した。瞳が青いのは目立っていたが、今流行りのカラーコンタクトだと思っていたし、髪の毛の色が少し赤みがかっているのは、染めているからだと思っていた。背が高く、スタイルが良いのも理解できる。
光は図書室での出来事を思い出した。凛が取ってと言ったその本には、超心理学と題名に書かれていた気がする。
「能力はサイコメトリーっていうの。え〜と、人には残留思念というものがあって、触れた物とか、その人の居た場所に思念の痕を残すの。それを読み取れるのが、私の能力」
そういうことか。あの時、俺に言ったのも―。
「光、あの時の事覚えてるでしょ?私が『誤解していない』って言ったやつ。あれは、あなたが誤解されたくない、って気持ちを本に焼き付けたからよ。意識が無くてもね。それを感じ取ったから、私はあなたに言ってあげたの。だってそれまで、あなたのこととんだスケベ野郎と思ったもん」
光は安堵の息をついた。
「誤解が解けてよかったよ。名札を確認しただけなんだ」
「これからは気をつけた方がいいわよ」
そうする、と光はつぶやいた。凛が超能力者で、それでいって寛大で良かった。
視線をジリジリと受けている気がしてそちらを見ると、浩が目を細めてこちらを見ていた。―なんでお前が怒ってんだよ。
凛が由香に視線を向けた。由香はうなずき、邪魔そうな前髪を退けた。
「えっと、神園由香といいます。趣味は、光さんにはこの前言いましたけど、絵を書くことです。親の影響もあるかな。他に趣味といえば、機械いじりとかですかね」
機械いじり、と思わぬワードが飛び出した。光と浩は驚いて由香を見る。
「そうなのよ。この子、無線とか自走式のロボットとか作っちゃうのよ」
自分のことでもないのに、凛が誇らしげに由香の肩に手を置いた。そのギャップに驚かされ、光と浩は目を見合わせた。そして、互いに思う。―俺とお前は文系さ。
「能力は、テレパシーっていいます。自分の念を、相手に送ることができるんです。でも、送れるのは、私が脳波を感じ取った人のみに限ります。だから今日の昼休み、あなたとジャンケンしたんです。あれが一番、脳波を感知しやすいですから」
「ってことは・・・あの図書室での叫び声は・・・」
「はい、私の声です」
将来は声優だな。と光は勝手に決め付けた。地声といい、悲劇な女性の声といい、―恐らく可愛らしいアニメ声も平気で出来そうだ。
場の空気が一回落ち着いた。残すは一人。光の目の前にいる、長身でメガネをかけ、―認めたくはないが、無口な美少年が残った。
「・・・僕ですか」
ようやく口を開いた。初めて声を聞く。なんと、声まで美少年だった。天は二物を与えるものだと、光は思った。
「僕の名前は徳永勇作。趣味はよく分かりません。能力はトランスといいます。相手を変性意識状態にさせる能力です。平たく言えば、催眠術師みたいなものです」
「催眠術・・・」
凛が勇作と隣まで歩き、肩に手を置いた。どうやら凛はこの動作が好きらしい。
「補足だけど、勇作は他にも、『自動書記』とか、『瞑想』の状態にさせることも出来るの。今日、あなた、先生に長々とお説教されたでしょ?それは、勇作がさせたの。あと、抜き打ちテストを行わせたのも勇作」
「抜き打ちテストも?」
どうりで教師がおかしかったわけだ。しかし、ここで一つ疑問が浮かぶ。
「他に点数が低いヤツがいたらどうするつもりだったんだ?もしいたら、イタズラなんて出来なかったぞ」
すると、浩が軽く笑った。せせら笑うに近かったが。
「昨日、授業を聞いていなかったのは光だけだよ?みんな、入学してまだ間もないからね」
「それに、もし他に点数が悪いヤツがいても、勇作が催眠させるから」
光はやりきれない気持ちになって思わず赤面した。浩は見てないようで、ずっと光を見ていたのだ。
「と言うことで、全員の能力を駆使して、今回のイタズラは大成功ってこと」
浩が満面の笑みを浮かべる。
簡単にここでまとめておく。
まず、光が授業を聞いていないことに気付いた浩は、それを凛に報告。凛は直ちに作戦を立案、決行。あらかじめ由香に光の脳波を掴ませておき、勇作に能力を使わせて教師達を洗脳。抜き打ちテストを行わせ、放課後職員室に来るようにさせた。そして放課後。暗くなり、光がようやく解放されたのを頃合いに、浩が能力を使って光を驚かせ、図書室に誘い込む。そして由香が追い討ちをかけるように、悲痛な女性のさけびを、能力を利用して光の頭に送り込む。光はまんまと引っ掛かり、怯えてくれたというわけだ。
単純な光は、陥れやすかったに違いない。
「私はあんま活躍してないけどね」
凛が腰に手を当てて悔やむ。由香はそれを見て、凛をかばう様に言った。
「凛さんは司令塔でしたよ?そもそも、この作戦を考えたのは凛さんじゃないですか」
「確かにそうだな。俺達四人の存在を光に知らせようと提案したのも、凛だ」
浩も由香に続く。
「凛が?」
光は首を傾け、腕を前に組んだ。昔から交流のある浩なら分かるのだが、何故会って間もない凛が。
「当たり前。一人で隠し通しているなんて、同じ能力者としては放っておけないわ。そんな孤独な生活を送ってるなんて、かわいそうじゃない」
凛は、光を見てウインクする。
「―それに、どうしても五人必要だったのよ」
浩と由香はうなずいた。
「そうだな」
「そうですよね」
光は勇作を横目で見た。勇作はさっきから黙って光を見ている。時おり見せるメガネからの反射光だけが、首が動いていると知らせるサインだった。
「五人必要?どういうことだ」
「部活の創部条件」
「・・・部活?」
そう、と凛はうなずいた。
「光、どうだ?俺達と部活してみないか?部員全員が超能力者だ。狭苦しい思いはしなくていいんだぞ」
それは言えていた。同士達が集う部室というのも、光が夢見た理想の一つである。
「だからか。部活に入るのを待て、って言ったのは」
「そう。あの時は、交渉の途中なんだよね」
ね、と浩は凛を見る。凛はうなずき、右手で後ろ髪をすいた。
「浩が図書室に通い、私が生徒会室に通い・・・色々あったわね。ま、結果的に恵先生が了承してくれてよかったわ」
「ちょっと待て、その部って・・・何部なんだ?」
由香がフフン、と笑い、光を上目遣いで見た。無論、上目遣いの理由は背が低いからである。誘惑とかそういうことはない。
「何部だと思いますか?」
なぜ引っ張るんだ。と光は思ったが、そんな事をか弱い由香に言うつもりは無かった。光は、素直に考えた。
―運動部はありえない。五人じゃバスケ部とかしか出来ないし、バスケ部はもう既存している。個人で戦うような部は、今の空気的にありえない。文化部だ。文化部で、部員数が少ないといえば、何処だろうか。
「じゃあ、正解な。凛、どうぞ」
浩は一歩下がり、凛を見た。由香や勇作も、凛を見る。
凛の目は、自信に満ちていた。
「新聞部よ」
凛の言葉を聞いて、まず光の心に湧き上がったのは、クエスチョンマークだった。本当は、エクスクラメーションを期待していたのだが。
「新聞部?なんだそれ?」
「まぁ・・・実は数年も前に不人気で廃部した部なんだけどね。よく小学生の頃作ったじゃない。壁新聞みたいなやつ。それを作るの」
「それが部か・・・」
楽しいそう、とはお世辞にも言えない部活だった。
「もちろん、部だけにレベルはハイレベルよ。それに、私達はただの記者じゃないの。超能力者なのよ?私のサイコメトリーや、由香のテレパシーを使えば、スクープも簡単に入手できるわ」
もっともな意見だった。光はうなずくしかなく、凛の熱いまなざしを受け止めた。
「それもそうだな」
「でしょ?住めば都で、一見詰まらなさそうな部でも、活動しだいで大分変わるのよ。そうね・・・例えるなら、恋愛シュミレーションゲームみたいなものかしら」
凛のとなりにいた浩が、ガクッとうなだれた。それを見た由香が、慌てて凛に言う。
「凛さん、例えが良く分かりません」
そう?と凛は苦笑いを浮かべる。確かに、この比喩表現としては適切ではない。
光はこのシチュエーションを見て、思わず笑みを浮かべてしまった。
浩が場を作り、凛が進行し、時おり由香がボケたり、ツッコンだりと、その場に応じてはたらきかける。―勇作はずっと黙っているが、しっかりとそこには、キャラクターに応じた役割が決まっていた。本人達は気付いていないようだが。
なんとも居心地がよさそうな空間だった。自分で自分を隠しながら交流するよりも、本性を露わにして語り合ったほうが面白い。
「で、光。・・・どうするんだ?」
光は浩を見据えた。
浩、凛、由香、勇作が、いっせいに光を見つめた。
光は唇を噛んだ。
「そうだな―」
答えは一つだった。
ψ
朝。光はいつもの道を歩いていた。しかし、昨日とは鮮やかな色彩も延々と続く道も違って見えた。思わず足が軽く感じる。恐らく、光の頭の中はエンドルフィンやアドレナリンで満たされていることだろう。
自販機の前を通り過ぎた。今回は缶ジュースを買わない。
光は金の無駄遣いは止めようと決めた。こうして習慣を変えていかなければならないと思ったからだ。
そういえば、今日は猫に超能力を使わなかった。猫は何か物足りなさそうに光を見たが、それはそれで満足げに見えた。
いつもの校門の前にさしかかる。光はふと足を止め、校舎を見渡した。
―これからどうなるんだろうか。好奇心と不安が入り混じる気持ちが、ようやく光に訪れた。
校舎全体を見回していると、目の隅に、女性の姿が映った。光が慌てて視界の中心をそちらに修正すると、そこには三階の図書室の窓から顔を出す、由香の姿があった。
―少しは確実性を求めたようだな。
光は思わず笑みを浮かべると、両手を広げ、サイコキネシスを利用し、足元にエネルギーの大きな帯を作り出した。
―今日からが、俺のターンだ。
思わず笑みがこぼれる。光はその表情を保ったまま、図書室の窓から顔を出す由香を一瞥すると、ゆっくりと振り向いた。
「おはよう」
皮肉を極限まで混じらせた言葉だ。声を出して笑いたいが、そこは我慢する。
目の前には、浩が派手に倒れていた。
To be continued…
【次回予告】
ついに創部を果たした超能力者集団・新聞部!しかし、その裏には思わぬ思惑が見え隠れしていた。果たして、嵐の生徒総会を勝ち抜くことはできるのか?
次回、プシー・デイズ
『創部宣言のススメ』
お楽しみに!
どうぞこれからもよろしくお願いします