完璧な婚約者が私を殺そうとする理由
【プロローグ】
誰もが言った。長谷川蓮に気に入られたのは、私の上世の善行のおかげだと。
けれど、それが間違いであることを私だけが知っている。
なぜなら、彼が私と結婚するのは、私を殺すためだからだ。
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第1章 婚約者の白月光
土曜日の午後、私は渋谷の百貨店一階にあるオープンカフェでコーヒーを神妙に飲んでいた。
蓮が現れたのは、ちょうどその時だった。彼はテラス席の椅子を引き、私に完全に背を向けて座った。
私は彼を驚かせようと、スマートフォンを開いてLINEのメッセージを打ち込んだ。
送信ボタンを押す直前、ふと顔を上げた私の目に、彼の向かいに座る宗方茉莉の姿が飛び込んできた。
茉莉は高校時代のクラス委員長兼生徒会長であり、誰もが憧れる学園の女神だった。
私たちは幼い頃から、世田谷区にある同じ団地の一棟で育った。
茉莉は親たちの間で「よその優秀な子供」の代名詞だった。
対して私は、両便の目には「厄病神」としか映っていなかった。
占い師は、私が子年、子月、子日、子刻に生まれた「三子の刻」の命であり、不祥な極陰の体を宿しているため、下手をすれば家族全員を大不運に巻き込むと言った。
両親は表向きには否定したものの、生活のあらゆる場面で姉や弟と私を意図的に遠ざけた。
家にいても惨めなだけだった私は、放課後になるといつも高円寺の古い路地をあてもなく彷徨っていた。
そんな孤独な徘徊の最中、たまに茉莉と出くわすことがあった。
彼女は小さな石を拾い、団地の下の乾燥したコンクリートの地面に、黙々と複雑な数学の数式を書き連ねていた。双子の妹である莉莉が階段を駆け下りてきて「お姉ちゃん、ご飯だよ」と呼ぶまで、彼女はただひたすら解き続けていた。
幼馴染とはいえ、私たちは高校になって初めて同じクラスになった。
蓮は私たちより一学年上で、高三の時にある理由で留年し、私たちの通う都立高校へと転校してきた。
その行動は当時、学校中で多くの好奇の目を集めた。なぜなら、彼がそれまで在籍していた市二高は、都内でもトップクラスの偏差値を誇る名門私立だったからだ。
新学期が始まるとすぐに、蓮は委員長である茉莉に対して猛烈なアプローチを開始した。
彼は当時、茉莉の周りに群がっていた無数の崇拝者の中で、最も眩しく、家柄も良い存在だった。
しかし、茉莉が蓮の告白を受け入れることは最後までなかった。
それどころか、高三の一年間、茉莉はどこか精神を病んでいるように見えた。いつも席でぼんやりと虚空を見つめ、まるで魂が抜けてしまったかのようだった。
――時間を現在に戻す。
私の婚約者と彼の初恋の女神は、実になごやかに談笑していた。
午後の木漏れ日が二人の髪に降り注ぎ、その光景は眩暈がするほど美しかった。
そして私は、光の届かない薄暗い店内に一人で座っている。
一枚の巨大な透明な落地ガラス窓が、まるで残酷な障壁のように、世界を光と闇の二面に分断していた。
私はうつむき、スマートフォンに入力した文字を一つずつ消去していった。
LINEの画面には、二時間前に蓮から送られてきたメッセージが冷たく残っている。
「思遠、急に呼び出しがあって、今日は新宿の総本社で緊急の残業になった。夜はご飯を待たなくていいよ。PS:新居の家具の手付金、今日が期日だからコンビニで振り込んでおいてね」
私はガラスの向こうで茉莉に優しく微笑む婚約者を見つめ、胸の内で冷笑した。
「総本社で残業? ――長谷川蓮、あんたはこうやって渋谷のオープンカフェで初恋相手と『残業』してるわけね」
その時、胸の奥から割れるような激しい痛みが容徽なく襲ってきた。まるで生錆のやすりで心臓を抉られているかのような感覚、キリキリとした激痛だった。
「くっ……!」
私は呻き、声を押し殺して座席に身体を丸めた。冷や汗が一瞬で額から噴き出し、頬を伝う。
これが初めてではなかった。
半年前、蓮のプロポーズを受け入れ、港区にある彼の高級マンションに引っ越してきて以来、私の心臓は頻繁にこの鋭い刺痛を起こすようになっていた。
最初は仕事の過労かと思い、順天堂大学病院で精密検査をすべて受けた。しかし、検査結果はどれも異常なし。医師からは「ストレスによる心身症の可能性もあるため、一度精神科の受診をお勧めします」と遠回しに告げられた。
蓮が食事に何か混ぜているのではないかと疑ったこともあったが、私たちは毎日同じものを食べており、彼にそんな隙はなかったし、証拠も一切なかった。
やがて私は自暴自弃になり、あの占い師の言葉を思い出すようになった。「三子の刻」の極陰の命格が天生のもので、その呪いが私の身体を蝕ばみ始めているのではないか、と。
私は血の気の失せた唇を噛み締め、この窒息しそうな痛みが去るのをただじっと耐えた。
どのくらいの時間が経っただろうか、胸の中で暴れていたズキズキとした痛みがようやく引き潮のように収まっていった。
私はぐったりと椅子の背もたれに寄りかかった。水から引き揚げられたばかりのように、着ていたグレーのセーターは冷や汗で完全に濡れていた。私は額の汗を拭い、呼吸を整えてから、再び顔を上げた。
窓の外では、蓮と茉莉が立ち上がり、並んでカフェを出ようとしていた。
しかし、二人が通りへ向かって背を向けたその刹那、茉莉が何かに気づいたように足を止め、ガラス窓のこちら側を振り返った。
その美しい桃花眼が微かに瞬き、厚いガラスを透過して、私の目と真っ直ぐに衝突した。
彼女の瞳には驚きの色はなく、ただ深く冷たい、見る者を戦慄させるような深い光が宿っていた。
ブルブル――。
次の瞬間、手の中のスマートフォンが激しく震えた。
画面が明るくなり、通知欄に「宗方茉莉」の文字が浮かび上がった。
LINEを開くと、極めて簡潔なメッセージが届いていた。
「明日午後三時、昔よく行った表参道の茶室で会えない? 時間ある?」
私はスマートフォンを握りしめ、指先が白くなるほど力を込めた。窓の外に目をやったが、渋谷の雑踏は一瞬にして並んで歩き去る二人の背中を完全に呑み込んでいた。
私はそのトーク画面を凝視した。茉莉とのやり取りは三年前で止まっている。当時は両親と共に京都の実家へ戻ると言い残し、それきり連絡が途絶えていた。
この突然の招待を見つめながら、私は深く息を吸い込み、胸の動揺を抑えて、一文字だけ返信を打ち込んだ。
「いいよ」
その日の夜十時、蓮が帰宅した時、私は書斎の机に座り、デスクライトの柔らかな光の下で、月曜日の教案を黙々と修正していた。
玄関の開閉音を聞いても振り返らず、何気ない风を装って声をかけた。
「本社の用事、そんなに長引いたの? ずいぶん遅かったね」
蓮はネクタイを緩めながら部屋に入ってきて、疲れと敷衍を孕んだ声で答えた。
「ああ、グループチャットでも言っただろ、新宿の方で急な涉外プロジェクトの会議があって、今までかかったんだ。スマホ見てないのか?」
私は教科書を閉じ、彼を振り返って、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「ごめんね、月曜日に区の公開研究授業で私が主講をすることになっていて。今日は資料作りに追われて、スマホを全然見てなかったの」
私の釈明を聞いた蓮の完璧な美貌に、一瞬、極めて明確な不快感が走った。彼は西装をソファに放り投げ、声を冷たくした。
「じゃあ、コンビニで振り込んでおいてって頼んだ家具の手付金、まさかそれも忘れたわけじゃないよね? 業者から催促が来てるんだ。入居が遅れたら面倒なことになる」
この瞬間、彼が普段維持している「完璧な未婚夫」の仮面が、私の目の前で酷く醜くひび割れた。
私は彼を見つめ、底に冷ややかな嘲笑を浮かべながらも、優しく微笑みかけた。
「まさか。蓮が言ったことを忘れるわけないじゃない。午後二時過ぎにちゃんとファミリーマートで振り込んできたよ。さっきのはちょっとからかっただけ」
金が振り込まれたと知り、蓮は目に見えて安堵したようだった。彼は自分の態度が硬すぎたことに気づいたのか、すぐにいつもの優しく深情な面持ちに戻った。彼は私の後ろに歩み寄り、私の肩を両手で優しく包み込み、頭頂部に顎を乗せて小さく擦り寄せた。
「ごめんね、思遠。さっきはあんなキつい言い方をして。実は、うちの会社が大手企業との核心プロジェクトのコンペを控えていて、相手の担当者がすごく気難しい人なんだ。プレッシャーが大きすぎて、感情をコントロールできなかった。許してくれるかい?」
私は彼の手に触れ、従順に囁いた。
「大丈夫、気にしてないよ。お仕事が一番大大切だもんね」
深夜十一時半、洗面を終えた私は寝室へ向こうとした。いつもは鍵が閉まっている蓮の作業部屋の前を通りかかると、ドアが僅かに開いており、中に微かな明かりが見えた。
私は足音を潜めて近づき、ドアの隙間から中を覗き込んだ。
蓮の姿はなかったが、整然としたデスクの正中央に、三十センチほどの木彫りの人形がぽつんと立っていた。
この人形は、半年前、彼のプロポーズを受け入れてこの高級マンションに引っ越してきた初日から、ずっと気になっていたものだった。
当時、蓮は「京都の古い職人から学んだ伝統工芸で、ただの趣味だ」と言っていた。
最初は、その桃木の人形は目鼻も定かではない粗削りな輪郭に過ぎなかった。然而、この半年間で私の心臓病が悪化するにつれ、その人形の五官はどんどん鮮明に、どんどん精緻になっていった。
今や、それは極めて秀麗で完璧な女性の顔を持っていた。木目が生き生きと彫り込まれ、まつ毛や唇のわずかな歪みまで視認できるほどだった。精緻すぎて――一目見ただけで、これが魂を持たないただの木片であることに不気味な違和感を抱かざるを得ないほどに。
私はドアの外に立ち、ライトに照らされたその奇妙な人形を凝視した。あまりに長い時間その木彫りの眼球を見つめていると、自分の魂が目に見えない力で頭頂から生々しく吸い取られていくような感覚に囚われた。
胸のいつもの部位が再びチクチクと痛み出す。私は息を呑み、それ以上見るのを恐れて視線を外した。
その時、後ろから軽い足音が聞こえ、蓮が温かい水の入ったグラスを持って歩いてきた。
私は向き直り、半分冗談、半分本気でデスクの人形を指さして笑った。
「ねえ、蓮。あなたが彫っているこのお人形、私たちの高校の宗方委員長にどんどん似てきていると思わない?」
言葉が落ちた刹那、廊下の空気が一瞬にして完全に凝固した。
蓮がグラスを持つ手が猛然と硬直した。彼がどれほど隠そうとしても、その瞳に一瞬走った驚恐と慌てふためきを、私の目が逃すことはなかった。
「そうかな?」彼は口元を歪め、生硬な笑みを無理に浮かべた。声には何の抑揚もなかった。「芸術制作の過程での無意識の投影だろう。ただの偶然だよ」
私は目を細め、意味深に感嘆した。
「だとしたら本当に奇遇ね。そういえば、宗方委員長は高校卒業後に京都へ引っ越したきりだけど、今頃どうしているかしら」
蓮は歩み寄り、極めて優しく私の髪を撫でた。その声は微かな風のように軽かった。
「さあね、俺ももう何年も彼女に関する噂なんて耳にしていないよ」
私は目を細めて彼を横目で見た。
「そう? でも私の記憶が確かなら、高校の時、長谷川大少様は彼女を追いかけて校舎中を騒がせていたじゃない。彼女のことに、本当に完全に関心がないの?」
蓮の指先がかすかに震え、それから不自然に手を引っ込め、グラスを机に置いた。
「まさか。何年も前の昔の話だし、もうすっかり忘れたよ。さあ、時間も遅いし、明日も学校の準備があるんだろ、早く寝なさい」
私は端麗な彼の後ろ姿を見つめ、瞳の奥の温度を完全に冷え切らせた。
忘れた?
――長谷川蓮、あんたが本当に忘れたのなら、今日の午後、渋谷のカフェで宗方茉莉にあんな深情な笑みを向けていた男は、一体誰なわけ?
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第2章 奇怪な木人形
大学卒業後、宗方茉莉と彼女の母親は京都へと完全に拠点を移したらしかった。世田谷区にあった彼女たちの持ち家も、すでに賃貸に出されている。私は彼女がまだ両親の離散という家庭環境の陰影から抜け出せていないのだろうと思い、それ以上は追求しなかった。
別れ際、茉莉は私に一枚の名刺を差し出した。
「来週の金曜日、蓮の会社の慶功宴があるの。私は今回の提携プロジェクトの責任者として出席するわ。彼からは聞いていないでしょうけど、もし興味があるなら、見に来るといいわ」
それからの五日間、蓮は一度も慶功宴について口にしなかった。
毎日、まるで生気のない假人のように私の前をうろつき、見ているだけで胸が塞がれるようだった。
逆に、彼のあの桃木の人形は、彼とは対照的にどんどん本物の人間に近づいていくようだった。
眉目含春、笑顔を満面に湛え、嘴唇は瑞々しく赤みを帯び、今にも呼吸を始めそうだった。
時折、人形の関節が微かに動いたような錯覚さえ覚えた。やはり私は精神科に行くべきなのだろうか。
人形が茉莉に似ていくにつれ、私の胸の圧迫感は増していった。
心臓の痛みは日に日に悪化し、時には激痛のあまり一時的に意識を失うことさえあった。
あの不気味な木の人形と、蓮のコソコソとした不審な行動。私は金曜日の慶功宴で、すべての真相を突き止めることを決意した。
金曜日の夕方、市中心部にある五つ星ホテルの豪華な宴会場は、煌びやかな光に包まれていた。
茉莉は高価なイブニングドレスを身に纏い、完璧なメイクを施して、名流たちが集まる会場の中央で、キャリアウーマンとしての圧倒的なオーラを放っていた。
しかし次の瞬間、蓮の背の高いシルエットが、影のように彼女の隣に現れた。
ふん、タキシードとドレス、他人の目には実にお似合いの美男美女ね。
私は会場の隅の暗がりに身を潜め、蓮が優雅にシャンパングラスを揺らし、茉莉の耳元に顔を寄せて低く囁くのを冷ややかに見つめていた。
その言葉を聞いた刹那、茉莉の完璧な顔に、一瞬の拒絶と躊躇が走るのを私は明確に捉えた。しかしどういうわけか、数秒の沈黙の後、彼女の瞳は霧に包まれたように虚ろになり、最終的には機械的に従順さを取り戻して、頷いた。
蓮の瞳に得てして歪んだ狂喜が走り、彼はジャケットのポケットから小さな木製のブローチを取り出すと、茉莉の胸元の最も目立つ場所に優しく、そして執拗にピンを留めた。
距離が離れていたため、それが何であるかは判別できなかった。
然而、周囲の企業幹部たちの下俗な冷やかしや口笛の声は、騒がしい音楽を突き抜けて、私の耳にしっかりと届いていた。
続いて、蓮は茉莉の髪を整えようと手を伸ばした。
私の知る彼女のプライドの高さなら、冷たくその手を叩き落とすか、そのまま立ち去るはずだ。
私は蓮が衆人環視の中で恥をかくのを、暗がりの中で静かに期待して待っていた。
しかし、現実は私の予想とは完全に真逆だった。
茉莉はその手の愛撫を拒むどころか、嬉しそうに蓮の腕に自ら手を絡ませ、寄り添った。
周囲の祝福に笑顔で応える二人は、まるで熱恋の中にある完璧な恋人同士のようだった。
私は遠くの隅で完全に眉をひそめた。
茉莉のあの従順で甘えるような姿は、まるで理性を失って恋に溺れる無知な少女そのものだった。
何かがおかしい。これは私の知る宗方茉莉ではない。一体何が起きているの?
やがて、茉莉が蓮の側を離れて化粧室へ向かうのを見て、私は躊躇なく彼女の後を追い、豪華な女子化粧室へと滑り込んだ。
鏡越しに私の姿を見た瞬間、茉莉の瞳に、极めて奇怪な挑発と敵意が爆発した。その目は、お気に入りのおもちゃを奪われるのを恐れる子供のように、私を狂暴に睨みつけていた。
そして、彼女の襟元に留められたあの桃木のブローチが、明るいライトの下で異様に刺さるように輝いていた。
そのブローチには見覚えがあった。このパーティーの主催者が来場者に用意した、ありふれた記念品だ。
しかし間近で見ると、配置された彼女のブローチの材質は明らかに違っていた――それはプラスチックの量産品などではなく、あの蓮的作業部屋にある人形と同じ、不祥な桃木の独特の紋理と暗い光沢を放っていた。
極めて荒誕で、しかし極めて恐ろしい仮説が、私の脳内で急速に形を成した。
私は狂ったように脈打つ心臓を抑え、何事もないように隣の洗面台へ歩み寄り、蛇口を全力で捻ると、わざと指で出水口の大部分を塞いだ。
高圧の水流が瞬時に制御を失い、凄まじい水花となって四方に飛び散った。水は茉莉の高級ドレスの胸元を激しく濡らし、彼女を狼狽させた。
茉莉は激怒し、私に向かって怒鳴り声を上げた。
私は口で慌てて謝罪しながら、バッグから紙巾を取り出して彼女のドレスを拭うフリをした。そして、混乱に乗じて彼女の襟元へ手を伸ばし、全身の力を込めて、その桃木のブローチを力任せに引き剥がした。
茉莉が反応する隙を与えず、私はそれを大理石の床に激しく投げつけ、靴の底で粉々に踏み砕いた。
「パキッ」
鈍い破裂音が響き、ブローチは一瞬で二つに裂けた。
ブローチが完全に破壊されたその刹那、目の前の茉莉はまるで魂を抜かれたかのように、その場に不気味に硬直した。
私は足を戻し、彼女の肩を強く掴んだ。
「委員長、そんな頭の悪い悪毒女配(悪女)の役回りは、あなたにはこれっぽっちも似合わないわよ」
肩に伝わった衝撃が効いたのか、数秒の後、茉莉の魂がようやく彼女の身体へと戻ってきた。
彼女は呆然として私を見た。
私は二つに割れ、かすかに生臭い匂いを放つブローチを掲げた。
「さっき外で、自分が何をしていたか覚えている?」
彼女は顔を青ざめさせ、木然と首を振った。
「彼、やっぱり何か呪いを使っているわね」
私はそれ以上の反応を待たず、化粧室の外へ歩き出した。
茉莉が後ろから慌てて呼び止めた。「どこへ行くの?」
私は振り返りもせず、最後の言葉を冷たく言い放った。
「先家へ帰るわ。あなた、長谷川蓮から絶対に遠ざかりなさい」
私は急いでタクシーを拾い、蓮よりも早く港区の高級マンションへと帰り着いた。
然而、当私が蓮のあのいつもは鍵が閉まっている作業部屋に飛び込んだ瞬間、私の心は凍りついた――いつもデスクの正中央に立っていたあの不気味な人形が、どこを探しても見当たらなかったのだ。
私は作業部屋を出て、静まり返ったリビングの中央に立ち、蓮が設計したこの新居を冷ややかに見回した。
フローリングを踏む足音がガチガチと鈍く響き、死寂の夜の中で異様に鮮明だった。胸の不祥な予感は最高潮に達していた。
もうすぐ蓮が帰ってくる。私は彼に見つかる前に人形を見つけ出すことを、絶望的な心持ちで祈るしかなかった。
心臓が太鼓のように狂ったように打ち鳴らされ、時計の針が進む音と共に、强烈な焦燥感と名状しがたい不安が私を完全に呑み込んだ。
家中をひっくり返すように探したが、人形は見つからなかった。
その時、胸のいつもの部位から、過去のどれよりも激しい、凄まじい絞痛が毫无預兆に襲ってきた! 全身の生気と生命力が強制的に引き抜かれるような痛みに私は窒息し、身体を支えきれず、冷たい床の上に激しく倒れ込んだ。
私は床に倒れて激しく喘ぎ、自分のこの脆弱な身体を激しく呪った。
しかし、意識が剥ぎ取られ、完全に昏睡するその直前、静まり返った玄関から、鍵穴が回る冷酷な音が突如として響き渡った。
長谷川蓮が、帰ってきたのだ。
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第3章 木偶の巫術
あの魂を裂くような激痛から目が覚めた時、氷のような麻痺が私の四肢を凍らせていた。私は恐怖に駆られて動こうとしたが、なんと自分の両手両足が、太いナイロンの縄でベッドの鉄枠に死に物狂いで縛り付けられ、身動きが取れなくなっていることに気づいた。
長谷川蓮は、ベッドの端にある高背の椅子に優雅に腰掛けていた。彼は余裕たっぷりに私を見つめていた。その高級な西装には、シワ一つ付いていなかった。
「あんた……ついに、これ以上優しい婚約者のフリを続けるのをやめたわけね」
私は彼を死に物狂いで睨みつけた。一言発しただけで、自分の喉が酷く干からび、声が擦れて破れていることに気づいた。
蓮は無造作に肩をすくめ、口元に冷徹な笑みを浮かべた。
「君がパーティーでブローチのことにまで気づいた以上、俺がこれ以上優しい婚約者を演じ続ける必要もないだろう?」
私は深く息を吸い、胸の動揺を抑えて、言葉で彼を試して時間を稼ごうとした。
「実は、あんたがこんなことをする必要なんて全くないのよ。あなたがそんなに宗方茉莉と一緒にいたいのなら、いつでも私が婚約を破棄して身を引いてあげるわ。絶対にあなたに執着なんかしない」
蓮は、まるで世界で最も荒誕な冗談を聞いたかのように、虫けらを見るような冷酷な目で私を見下ろした。
「彼女に同意してもらう? ――水野思遠、もし茉莉が当時、俺の告白を受け入れて、大人しく俺に従ってくれていたなら、俺が彼女にあの木彫りのブローチを使う必要なんてあったと思うか? 君をわざわざここに連れてくる必要なんてあったと思うか?」
私は無理に冷静さを保ち、黒漆のような瞳で彼を真っ直ぐに見つめた。
「あんたが好きなのは彼女でしょう。なら、なぜ私を選んだの? なぜ私じゃなきゃいけなかったの?」
蓮の瞳の奥に、突如として見る者を戦慄させるような狂熱が湧き上がった。彼は低く呟いた。
「俺が丸五年探し続け、無数の手段を講じて、ようやく膨大なアーカイブの中から君を見つけ出したからさ。君は子年、子月、子日、子刻に生まれた『三子の刻』の生まれだ。この世界に、君以上に完璧な極陰の体は存在しない。君の鮮血と肉体は、俺のあの桃木の人形を育てるための、最高の苗床なんだよ」
蓮は自嘲気味に笑い、その瞳に得意げな光を浮かべた。
「だから、君の命格を確認した後、俺はすぐに相親(お見合い)の仲介人を通じて君の家族に連絡を取り、君と結婚したいという意志を伝えたんだ。何の意外性もなく、君の両親は俺の家柄和資産を聞いて、大喜びで俺を迎え入れようとしたよ」
我は自嘲気味に口元を歪めた。瞳の奥は悲涼に満ちていた。
「彼らが喜ぶのは当然だわ。普通の公立小学校の教員家庭が、あなたのような海外留学帰りの名門の富二代に玉の輿に乗れるなんて、彼らにとっては階級上昇の奇跡だもの。夢の中でさえ笑い転げるわよ」
蓮はゆっくりと立ち上がり、ベッドの上の私を冷酷に見下ろした。声には一切の温度がなかった。
「君が神不知鬼不覚に死んだ後、俺はただ適当な事故の言い訳を作って、君の両親に彼らが一生拒めないほどの巨額の慰謝料を差し出すだけでいい。彼らは俺という『深情』な未婚夫に間違いなく感激し、それから三、五年も経てば、あんたという出来の悪い二女のことなんて完全に忘れるさ」
私は蓮を死に物狂いで睨みつけ、奥歯を噛み締めた。
「警察は馬鹿じゃない。誰かが必ず異常に気づく」
蓮は突如として戯虐的な大笑いを爆発させた。
「ハハハハ! 誰が気づくんだ? 君のあの愛する両親か? ――水野思遠、それ以上自分を欺くのはやめろ。あの狭い家の中で、最初から最後まで、彼らの目には君のあの愛する弟しか映っていないことを知らないわけじゃないだろう? 彼らの目には、君なんて最初から無価値なんだよ」
私の奥歯がガチガチと音を立て、内心の最深部の傷が彼によって无情に引き裂かれた。私は言葉を失い、ただ彼の最も痛い部分をストレートに刺激するしかなかった。
「たとえあんたがその卑劣な陰謀で私を杀したとしても、宗方茉莉があなたのような悪心な狂人を好きになることなんて絶対にあり得ないわ!」
蓮は怒ることもなく、逆にゆっくりと身をかがめ、その氷のように冷たい手を伸ばして、極めて優しく私の髪を撫でた。彼は私の耳元で低く客いた。
「俺が君をこの世界から神不知鬼不覚に蒸発させる方法を持っている以上、彼女を俺に死に物狂いにさせ、永遠に俺の側に留まらせる方法がないとでも思うかい?――手段を講じれば、彼女は遅かれ早かれ俺に死に物狂いになるさ」
彼の歪んだ、しかし美しい顔を見つめていると、胃の奥から激しい悪心が込み上げ、私は目を閉じて彼を見るのをやめた。しかし、その死寂の対峙の中で、アパートの玄関のチャイムが突如として、急激に鳴り響いた。
意外なことに、チャイムの音を聞いた蓮は慌てる風もなく、逆にゆっくりと手を伸ばし、私の両手を縛っていたナイロンの縄を解いた。私は赤く腫れた手首を擦りながら、極めて不解に、そして警戒を強めて彼を睨みつけた。
「何しろ、総て今夜のすべての主役が一人残らずここに揃わなければ、この長く準備してきた最高の芝居は完璧に幕を開けられないからね。そうだろ?」
蓮は私に向かって意味深に微笑み、その言葉を言い残すと、西装を整えて寝室のドアを押し開けて出て行った。
私の胸は重い疑惑と不安で満たされ、無理に虚弱な身体を引きずって彼の後を追った。しかし、リビングの中央に立ち、顔を青ざめさせている宗方茉莉の姿を見たその瞬間、私の心の奥底は、なぜか微かに安堵した。
然而、まだその声を完全に吐き出す前に、蓮の低く冷たい一言が、私の心を瞬時に再び喉元まで跳ね上げさせた。彼は茉莉に向かって言った。
「茉莉、俺はついに……莉莉を完全に復活させる方法を見つけたんだ」
復活莉莉? 我は驚愕万分に首を巡らせ、茉莉を死に物狂いで見つめた。彼女から合理的な説明が得られることを切望して。しかし茉莉はただ下唇を死に物狂いで噛み締め、顔色は紙のように白く、心白(後ろめたさ)から視線を私から外し、目を合わせようとしなかった。
蓮は余裕たっぷりに私たちを見つめ、適時、穏やかに微笑んだ。
「茉莉、どうやら君のこの幼馴染にして同級生は、まだ何も知らないようだな。どうだ、俺が自ら彼女に説明した方がいいか、それとも君が自分で口を開くか?」
私は茉莉の顔に、ほぼ絶望に近い客を明確に捉えた。
長すぎる、そして死寂に包まれた数分の後、茉莉はまるで全身の勇気をようやく振り絞ったかのように、干そび(かわいた)声を絞り出して私に言った。
「思遠……あなた、私の、あの双胞胎の妹を覚えているわよね」
彼女の問いに対し、私は声を出さず、その事実を肯定した。
茉莉は自嘲気味に、目頭を赤くしながら言葉を続けた。
「私たちが高三に上がる前のあの学年、確かに一人の女子生徒が深夜に学校の屋上から飛び降りて死亡したわ。そしてその女の子……私の実の妹、宗方莉莉だったのよ」
この言葉は、まるで時間を跨いで放たれた一発の銃弾のように、何の予兆もなく私の心臓を激しく撃ち抜いた。
その瞬間、過去のすべての断片的で古怪な線索(手がかり)が、私の脳内で轟然と爆発し、完璧に一本に繋がった。高三の時の茉莉の理由なき精神の恍惚と情緒の低落、名門私立二高のエリートであった長谷川蓮が、なぜ突然、心白から私たちの普通の都立高へ転校してきて、猛烈なアプローチを開始したのか。
そしてその後何年もの间、世田谷の団地の下に二度と現れなかった双子の妹、莉莉……なぜなら彼女たちは双子であり、コピー&ペーストしたかのように寸分違わぬ、一模一样的顔を持っていたからだ。
可哀想なことに、彼が本当に執着していたのは、姉である宗方茉莉ではなく、ただその死んだ初恋相手と一模一样的皮嚢に過ぎなかったのだ。
私は必死に呼吸し、目の前のこの大きすぎる、そしておぞましい情報を処理しようとした。私は少し不可解そうに言った。
「じゃあ……あんたが彫っているあの人形、本当の本体は……宗方莉莉なわけ?」
蓮は堂々と私を見つめ、賛許の微笑を浮かべて頷いた。
「没错。俺は丸五年探し続け、ようやく彼女を現世に復活させる陰陽の秘法を見つけ出した。俺は秘術を用いて、彼女の残存する灵魂を召喚し、あの桃木の人形の中に禁錮したんだ。そして、死人の魂に再び生気を与えるためには、子年、子月、子日、子刻に生まれた『三子の刻』の命格を持った人間の精血と魂を育てる苗床として、ゆっくりとそれを滋養しなければならない。水野思遠、君こそがその最も核心的な薬引なんだよ」
私は救いようのない狂人を見る目で彼を死に物狂いで睨みつけた。怒りで目頭が热くなった。
「私の命を使って死人を復活させるなんて、あんた、一度でも当事者である私の同意を得たことがあるわけ?!」
蓮は、まるでどうでもいい些事を聞いたかのように、冷淡にせせら笑った。
「像君のような平凡で目立たない人間が、莉莉の復活のために肉体と魂を捧げ、彼女の『温床(器)』になれるなんて、君のこれまでの人生において最高至上の光栄だと思わないか?」
私は地面に向かって激しく「ペッ」と唾を吐き、視線をナイフのように鋭くした。
「私の命を生贄にするなんて、私はあなたに感謝でもしなきゃいけないわけ?! ありがとうって、あんたの一族にお礼でも言えって言うの?!」
蓮は私の怒りを相手にしなかった。彼はそのまま向き直り、蠱惑と狂熱に満ちた眼差しを、傍らで震えている茉莉へと向けた。その声は低く、誘惑に満ちていた。
「茉莉、俺の目を見ろ。まさか……君は本当に、死んだ莉莉がもう一度この世界に、君の元に戻ってくることを望まないのか?」
茉莉は下唇を死に物狂いで噛み締め、身体の両側で両手を震わせながら、言葉を発しなかった。蓮はその様子を見て、瞳の奥に冷酷な冷笑を走らせ、親情という名の欲望の炎に、さらに薪をくべ続けた。
「当時のことはただの意外だ。この数年、俺も君も罪悪感の中で生きてきた。今夜、俺に協力してくれれば、神不知鬼不覚にやり遂げられる。儀式が終われば、莉莉は身体を借りて重生し、君と俺の元に戻ってくる。それでいいじゃないか、茉莉?」
茉莉は身体を激しく震わせた。彼女は極度の驚恐と躊躇を孕んだ目を、チラリと私に向け、声を震わせて蓮に尋ねた。
「じゃあ……もし莉莉が重生したら、思遠は……彼女はどうなるの?」
蓮は無造作にせせら笑った。那笑いはライトの下で異様に醜悪に歪んでいた。
「莉莉はこの容器を完全に占有する必要がある。莉莉が彼女の身体の中で重生する以上、元の主人である水野思遠に、一体何が残ると思う?」
茉莉の顔はこの瞬間に冷え切った。彼女は蓮を死に物狂いで睨みつけた。
「もし私が今になって反悔(翻意)して、あなたのやり方に同意しないと言ったら?!」
蓮は気に留めない風に肩をすくめ、その口調には確信と脅迫が満ちていた。
「もし君が今更反悔しても、もう遅すぎる。時間がいけば、儀式を行わなくても、水野思遠は体内の生気が尽き、今夜中に突発性の『心臓病発作』で完全に死ぬさ」
不快そうに微笑みながら、蓮は最後の致命的な一撃を付け加えた。
「君たちに考慮する時間は本当に残されていないんだ。今夜のこの『三子の刻』の極陰が交差する逢魔の時、子時を逃せば、媒介の身体は枯れ、莉莉が半年かけて集めた魂は完全に消滅する。そうなれば維持するのは難しい。また新しい身体を探さなければならなくなる」
リビングは死に体のような、窒息しそうな静寂に陥った。極めて長く、まるで一世紀も続くかのような数分の後、私は茉莉の青白い唇から絞り出された、私を底なしの氷の淵へと突き落とす、冷え切ったその一言を聞いた――「好」。
私は蓮によって強引に車の後部座席へと押し込まれた。
今夜の蓮は機嫌が最高潮に良いようだった。彼はハンドルを巧みに操り、深夜の誰もいない東京の街を猛スピードで駆け抜け、カーステレオの音楽に合わせて、名前も知らない歌を静かに口ずさんでさえいた。
後部座席に座る私は、血の気の失せた唇を死に物狂いで噛み締め、脳内で思考を狂ったようなスピードで回転させていた。すべてのカウントダウンが私の耳の中で角音を立てていた。私は一体どうすればいい?
しかし、この狂暴な悪魔は私に自救の思考の時間など残してはくれなかった。キィィと刺さるようなブレーキ音と共に、車は静かに、しかし確実に停車した。
時計に目をやると、時間は夜の十時ちょうど。因果が交差し、儀式が始まる深夜の十一時まで、ちょうど残り一時間だった。
深夜の廃校内には何の明かりもなく、ただ風が雑草を揺らすサササという音だけが聞こえ、その死寂の雰囲気が見る者を心底から怯えさせた。
ここにいる全員が、かつて一人の少女の若い命が、永遠に、残酷にこの冷たい場所で終わったことをはっきりと知っていた。
私は無意識に首を巡らせ、暗闇の中で茉莉の顔の表情を読み取ろうとしたが、夜が深すぎて、何も見えなかった。
「それで……当時、彼女は一体この校舎の、どの場所で……亡くなったの?」
蓮は慢条斯理に(落ち着き払って)手を伸ばし、風に揺れて僅かに乱れた自分の髪を整えると、こちらを振り返って不気味に微笑んだ。
「別焦な、思远。君もすぐに……身を以て体験できるさ」
その言葉を言い残すと、蓮は冷酷に向き直り、うつむいて言葉を発しない茉莉に向かって言い付けた。
「儀式にはまだ少し準備が必要だ。君はここで待っていなさい」
その指示を終えると、私の腕は彼によって死に物狂いで掴まれ、身体ごと強引に引きずられて、あの漆黒の校舎へと連れ去られた。
広大な廃校舎内には生気の気配が一切なかった。空っぽの死寂の廊下に、私の乱れた足音と、蓮の沈着で密集した足音だけが響き渡り、一声声が人間の神経線を叩き割るようだった。
廊下の両側のどの教室もドアが開いており、微かな光の下で、古い机の中に当時の一部の生徒たちが持ち帰り損ねた教科書がまだ詰まっているのが明確に見えた。
一階、二階、三階、四階……蓮の私の腕を掴む力には一寸の緩みもなく、彼が足を止める気配も全くなかった。
「あんた……私を一体どこへ連れて行くつもりなの?!」
蓮は手電筒の光を真っ直ぐに前方の暗い階段の上を射し、その美しい顔には人間が持つべきいかなる感情の表情もなく、冷たく数文字を吐き出した。
「当然、莉莉が墜楼した(飛び降りた)場所へ連れて行くのさ」
私は瞳孔を激しく震わせ、奥歯を死に物狂いで噛み締めた。
「あんたが彼女を突き落としたの?!」
「そんなところさ」
蓮の声は小さく、空っぽの廊下で非常に軽々しく、何の罪悪感もなかった。
蓮は私を引きずり、教学大楼の最高層の天台(屋上)へと向かうあの階段を荒暴に踏みしめた。
天台のドアが荒暴に押し開けられた。深夜、奥多摩の山脈の方向から吹き下ろす夜風は、骨の随まで凍るように冷たく、私の全身を激しく震わせた。天台の中央で、私は蓮によって椅子に激しく押し付けられ、死に物狂いに縛り付けられた。
蓮は天台の縁に立ち、遠方の曖昧な夜色を見つめながら、突如として無限の懐かしさと病的な深情を孕んだ口調でゆっくりと話し始めた。
「俺たちは昔、放課後にここへ来て夕日を見るのが一番好きだった。未来を語り合ってね。かつては永遠に未来なんて来ないと思っていたけれど、でも今、君のおかげで、俺はまた新しい希望を見出すことができたんだ」
私は冷漠無情に、彼の自己満足の偽善の白日梦を大声で叩き割った。
「長谷川蓮、それ以上あんたの独りよがりで人をヘドが出そうにさせるのはやめなさい! あんた一体何がしたいの? もし単に宗方莉莉を復活させたいだけなら、なぜ姉である宗方茉莉までこの計画に完全に引きずり込んだわけ? あなたのさっきの言い方なら、彼女がこの現場に現れる必要なんて最初からないはずでしょう!」
蓮は、彼の核心的な陰謀を突き刺す私のこの問いに直接答えなかった。彼は陰冷な笑みを浮かべ、一歩、また一歩とゆっくりと、鉄の椅子に死に物狂いに縛り付けられている私の前まで歩み寄り、身をかがめて私を見つめた。
「君は本当に聡明だな、なら、君が当ててみたらどうだ?」
彼の瞳の奥のあの隠そうともしない病的な占有欲を見つめていると、一つの極めて恐怖で荒誕、しかし完全に論理に合致する思考が、私の脳内で轟然と形を成し、全身のあらゆる毛穴から狂ったように冷や汗が噴き出した。私は喉が酷く締め付けられ、声が原型を留めないほど震えた。
「あんた……この徹頭徹尾の狂人め。あなた最初から、俺のこの普通の身体を借りて現世を生きようとなんて思っていなかったのね。あなたが本当に彼女の復活の魂を収めるために求めていた容器は……彼女の実の姉、宗方茉莉のその身体だったのね、そうだろ?!」
深夜の天台は、一瞬にして死に体のような寂静の沈黙に陥った。数秒の後、蓮は突如として低くせせら笑い、月光の下で手を伸ばして私の頬を叩いた。
「大正解だ。でも残念ながら、ご褒美はないよ。なぜなら、君という『温床(媒介)』の人生も、もう大体ここまでだからね」
蓮はゆっくりと立ち上がり、最後の魔法陣の配置に向かおうとした。
そのとき、胸のいつもの部位から、突如として過去のどれをも超越する激しい絞痛が排山倒海のように襲ってきた! 全身の生気と生命力が狂ったように引き抜かれる痛みに私は一瞬で窒息した。私は瞳を死に物狂いで噛み締め、ただ不甘な眼差しで、月光の下を少しずつ去っていく蓮の背中を死に物狂いで睨みつけた。劇烈な痛みに、私は椅子の上で完全に昏睡しそうだった。
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第4章 真実の身代わり
混迷の中で、私の前に一つの曖昧な影が現れた。
風の中に、あるかなきかの呼び声が漂ってきた。
私は必死に不適を堪え、目を開けようとした。
そして、十七歳の宗方莉莉の姿を見た。
相手は幅広の古い校服を着て、墨のような黑髪を頭の後ろで一つのポニーテールに結んでいた。
「あなた本当に、宗方莉莉の幽霊なわけ?」
黒い影は私に背を向けていた。言葉を発しなかった。
彼女が永遠に口を開かないのではないかと思ったその时、彼女は静かに言った。
「あなた、蓮が何をしているか分かっているわよね?」
「分かっているわ、あいつは私を殺そうとしているのよ」
「彼は私のお姉ちゃんも殺そうとしているの」
「蓮は狂っているわ。彼は私をお姉ちゃんの身体の中で重生させようとしているの。彼は自分が木偶(人形)に禁錮したのが私の魂魄だと思っているけれど、違うわ」
「あんたのその言い方なら、人形の中にあるのは誰なわけ?」
「私よ、でも私じゃないわ。あなた知っている? 人には陽魂と陰魄があるの。彼が人形の中に禁錮したのは私の七魄(陰魄)だけよ。七魄は年中、北方の幽暗な地を彷徨い、鬼魅と結託し、機会があれば現世に来て活人の生気を呑み込もうとする悪霊なのよ」
「じゃあ、あいつが復活させようとしているのは、ただの半分出来損ないの化け物って意味?」
彼女は一文字だけ答えた。「そうよ」
「じゃあ、どうやってその巫術を破ればいいの?」
黒い影がゆっくりと振り返った。
現れたのは血肉が潰れた顔だった。ただ一対の目だけが真っ黒で、まるで夜色と一つに融けているようだった。
「七魄を制約するには、ただ一つの方法しかないわ」
「どんな方法?」
「あなたの身体を私に貸して」
「絶対に嫌よ、私があんたを信じる筋合いなんてないわ」
「魂は陽に属し、魄は陰に属する。魂は人の生を欲し、魄は人の死を欲する。魂魄はもともと一体の表裏なのよ。だから私だけが、あの陰魄を制衡し、それが邪気と相通じるのを防ぐことができるの。私は一人でこの天台を離れることはできないけれど、あなたはちょうど子年、子月、子日、子刻に生まれた極陰の体の持ち主よ。陰陽が統一して対立しているから、私は一時的にあなたの身体に依附(憑依)できるの」
私が声を上げて質そうとしたその時、遠くから突如として茉莉の尖叫(悲鳴)が聞こえてきた。
影は急激に言った。
「早く決めて、時間がないわ! お姉ちゃんが危ないのよ! あなたが彼女のためでなくても、自分自身のために決めなさい! 一度陰魄がお姉ちゃんの身体の中で重生すれば、あなたの魂魄と肉体は自動的に生贄の献祭を完了するわ。そうなれば、すべてが完全に終わりよ!」
遠くから再び茉莉の哭泣(泣き叫ぶ声)が聞こえた。
最終的に私は奥歯を噛み締め、一文字を絞り出した。「好!」
黒い影は一筋の煙となって消えた。
私の影が変わっていた。あの黒い影の姿に変わっていたのだ。
莉莉の声が響いた。
「私の時間は多くないわ。子時になれば、北方の鬼門が大きく開き、陰魄の力が最も盛んになる時よ。この機会を逃せば、すべてが完全に終わりよ!」
私はよろけながら、下の階へと猛烈に走り出した。
「去教学楼后面的巷子(校舎の裏の路地へ行って)!」黒い影が道中、私に方向を指示し続けた。
私は裏の路地に走り込み、極めて見たくなかった光景を目撃した。
私は全身がその場に釘付けになったようになった。
蓮が私に背を向けて茉莉を抱きしめていた。
茉莉の頭は蓮の肩に埋まり、距離があるため一対の目だけが見えていた。
その眉目が奇怪に、歪んで笑っていた。
「まずい! 陰魄がもうすぐお姉ちゃんの身体を完全に占拠してしまうわ!」影が急激に言った。
影が私に警告した。
「お姉ちゃんの手にあるあの桃木の人形を見て! それを奪い取って破壊するのよ!」
私は百メートル走のように彼らに向かって突進した。
茉莉は私が何をしようとしているか予期していたようで、蓮の抱擁を振り切り、蓮を私に向かって激しく突き飛ばした。
蓮は突き飛ばされてよろめいたが、しかしすぐに体勢を戻して向き直り、手を伸ばして私の首を死に物狂いで締め上げた。
私は首を絞められて息ができず、蓮の顔に向かって拳やキックをめちゃくちゃに浴びせた。
生理的な涙が私の目角から滑り落ちた。
私は茉莉が手の中の人形を掲げるのを見た。
彼女は私に向かって歪んだ笑みを向けた。
「人偶受損(人形が傷つけば)、あなたも傷つく。人形が破壊されれば、あなた自身がどうなるか当ててみたら? ――死ね」
私は茉莉を睨みつけ、激しく足掻き続けた。
茉莉はゆっくりと地面から尖った石を拾い上げ、人形の心口(胸)の位置を狙って、激しく突き刺した。
グサッ――!
激しい劇痛が私の心臓の部位から伝わってきた。
私は呼吸が激しくなり、脳内が真っ白になった。
完全な絶望の中で、私は昏迷しかけていた。
人征の過往が、走马灯のように私の目の前を流れ始めた。
私の人生は、最初から最後まで「透明人間」の二文字で埋め尽くされていた。
家では愛されない二女、学校では成績が平凡な生徒。
両親は私を免学費の給付型奨学生(国立大学の教育学部)に行かせ、しかし弟のためには高昂な塾の費用を惜しみなく支払った。
私はまるで社会全体の中で透明人間になっていた。
私の感受は重要ではなく、私が何を経験するかも重要ではなく、私という人間そのものが重要ではなかった。
でも、なぜなの? なぜ私はこんな風に、ひっそりと消し去られなければならないの?
そんなの、誰の差し金よ? ――私は絶対に甘んじない!
私は無理に両目を開けた。私ははっきりと見届けたかった。
そのまさに一瞬、私は茉莉の顔に一閃した悲傷を見た。
私は数時間前、茉莉から受け取ったメッセージを思い出した。
「私は妹の死の真相を見つけたいの」
茉莉は一体どんな不甘な気持ちで、この可怕の渦中に足を踏み入れたのだろうか。
私には分からなかった。
ただ分かっていたのは、もし私が今ここで何もしなければ、私たちは二人とも、永遠に望む答えを得られないということだ。
私は暗闇の中で、体内の反骨と野獣を完全に覚醒させ、声を上げて笑った。
蓮は私を見て眉をひそめた。
私は喉から千切れた言葉を必死に絞り出した。
「私は、拒否するわ。私の、血肉と、魂を、あんたの思い通りに、させるなんて」
蓮は不解な表情を浮かべた。
「地獄に落ちろ、この最低のクズ男――!!」
ボキボキッ――!
私は目を閉じ、自分の左手(腕)を力任せに生々しくへし折った。
少し離れた場所から、一陣の尖叫(悲鳴)が上がった。
蓮はすぐに私への圧制を解き、向き直り、奇異な骨折を起こした茉莉の元へ走った。
茉莉は左腕を抑えて激しく哭嚎(泣き叫び)していた。
私は床に跪いて激しく呼吸し、顔に血まみれの凄惨な笑みを浮かべた。
「時間はまだ来ていないわ。あんた忘れないで、あなたにはまだ私が必要なのよ!」
言葉が落ちるより早く、私は再び地面から鋭い石を拾い上げた。
グサッ――!
それを自分の太ももに向かって突き刺すと、鮮血が瞬時にズボンの裾からドクドクと溢れ出した。
茉莉は足をひきずりながら狂気的に叫んだ。「あなた狂ってる! この頭のおかしい狂人!」
私は片手で地面を支え、ハハハと大笑いした。
「あんたたちが一人の人間を絶路(どん詰まり)まで追い詰めておいて、それから彼女を狂人呼ばわりするなんて、本当に滑稽わ!」
私は目を血走らせ、蓮を見た。
石を自分の頸動脈の側に当てた。
「あんた信じる? 私が今ここで一押しすれば、あなたの白月光を完全に魂飛魄散(消滅)させてあげられるわよ!」
蓮の仮面はついにこの瞬間、床に粉々に砕け散った。「冷静になれ! 君がそんなことをして、お前に何のメリットがある?!」
「――だったら、全員で地獄へ行きましょうよ」
次の瞬間、変故が横生(突発的な事態が起きた)した。
北方の天空から黒い邪気が翻弄し、茉莉の顔に得てして満足げな笑みが浮かんだ。
子時が近づいていた。
影が焦って私に向かって大声で叫んだ。「早くお姉ちゃんのところへ行って、私があの陰魄を圧制できるわ!」
私は茉莉に向かって狂気的に突進した。
蓮を突き飛ばし、両腕を伸ばして彼女を強く抱きしめた。
その瞬間、私が抱きしめたのは茉莉であり、多年前に死んだあの少女であり、打开された自分自身だった。
私の影子がようやく正常に戻った。
妹の陽魂が、姉の身体の中で合一なった。
世界が一秒、静止した。
金色の光が、邪悪な陰魄の黑気を一瞬で駆逐した。
ただ一目見ただけで、蓮はこれが自分が日思夜想(日夜思い焦がれ)、生涯執着し続けた少女・莉莉であることを知った。
彼は涙を流し続け、しかしどうしても相手に一歩近づく勇気がないようだった。
少女が沈黙を破るまで。
「久しぶりね、蓮。あなたが私の死のせいで、あまり傷ついていないことを願うわ」
蓮は失神したように相手を見つめ、最終的には「ごめん」という一言しか発せなかった。
「私の死は、あなたのせいじゃないわ」
「そんなわけないだろ! 俺のせいで、お前が……!」
「あなたとは無関係よ。私は言わなかったけれど、実は私の心臓は、とっくに深刻な問題を抱えていたの」
「あなたは私があなたと喧嘩したから墜楼した(飛び降りた)と思っているけれど、本当は、私は心臓病の発作が起きたから墜楼したのよ」
「私は、地面に落ちる前に、すでに死んでいたのよ、蓮」
蓮は、かつて自分の心を最も打ち砕いたこの場所に立ち、泣き崩れた。
「もう手を引きなさい、蓮。これ以上痛苦と遺憾を長引かせないで。お姉ちゃんたちは無辜の人間よ」
長い沈黙の後、蓮はライターを取り出し、あの人偶(人形)に火をつけた。
炎が彼の手に迫るまで、彼は木然として手を離した。
人間全体が魂を失ったかのようになり、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
炎はそのまま廃校の裏路地の雑物に引火し、後半夜には大火となってすべてを焦土へと帰していった。
茉莉は支えを失ったかのように床の上に進倒(気絶)した。
私は右手で彼女を引きずり、足をひきずりながら一歩一歩立ち去った。最初から最後まで、蓮に一度の視線も与えなかった。
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再び蓮に会ったのは、すでに警察署の留置所の中だった。
前塵の往事は一縷の煙と化し、重く私たちの全員の心の中に落ちた。蓮は非合法監禁と故意の建造物等放火の容疑で、数年の有期刑に処されることになるだろう。
私は鉄格子の窓越しに蓮を見つめた。彼の顔には無精髭が伸び、瞳の奥の光は完全に消失していた。噂では、あの夜以来、蓮は誰に対しても一言も言葉を発していないという。
留置所を出ると、私のスマートフォンが激しく鳴り響いた。
スピーカーからは、私の父親(毒親)の怒鳴り声が聞こえてきた。
「長谷川蓮が逮捕されたってどういうことだ?! 弟のあの大手企業への縁故採用(コネ入社)の話はどうなるんだ?! あんた本当に役立たずの金食い虫だな、男一人まともに繋ぎ止められないなんて!」
私は冷静に分析して言い返した。
「弟の能力は、お父さん自身が一番よく知っているでしょう。三流の野良大学卒のレベルで、一体どんな大手企業に入れると思ってたのよ」
父親の声は瞬時にオクターブ跳ね上がった。
「お前、なんて口の利き方だ! 弟が上手くいけばあんたの利益にもなるんだろ、俺たち二人が目を閉じたら、あとは姉弟で助け合うしかないんだぞ!」
私は一つ大きなため息をついた。
「あいつが私の足を引っ張らないだけで御の字よ、私が引き立ててもらうなんて指一本期待できるわけ?」
父親はそのまま私に向かって、恩知らずだの役立たずだのと罵詈雑言を浴びせた。
私は無表情にその言葉を最後まで聞き、そして無情にLINEの通話を切断し、彼の番号をブラックリストに叩き込んだ。
数日後、弟からメッセージが届いた。
「姉ちゃん、親父が怒りすぎて病気になりそうだよ。お袋が家に帰って一言謝れば、この件は水に流すって言ってる」
私はコーヒーを置き、スマートフォンに文字を入力した。
「メッセージは送信されましたが、お相手の受取設定により拒否されました」
弟「……」
視界の内に、一対の黒いハイヒールが現れた。
顔を上げると、太陽の光が茉莉の顔を暖かく照らしていた。
「待たせちゃったかしら?」
私は首を振った。「ううん、私も今着いたところ」
茉莉は椅子を引いて座った。「蓮のマンションから引っ越して、これからどうするつもり?」
私は手の中のコーヒーを置いた。「やっぱり、なるべく早く新しい部屋を見つけなきゃね」
「実家には帰らないの?」
私は自嘲気味に笑った。「帰らないわよ。私の部屋、とっくに弟の荷物置き場の物置部屋に改造されちゃってるもの」
私のその言葉を聞き終え、茉莉は手の中のコーヒーを見つめて沈黙した。
私は少し雰囲気が気まずいと感じ、話題を変えようとした。
その時、茉莉が突如として顔を上げ、非常に真剣な顔で言った。
「実は……私の借りているアパート、もう一つ部屋が空いているのよ」
私は目を細めた。「あなた、私を同情しているの?」
茉莉は背筋を伸ばし、眉目を美しく曲げた。
「まさか! 私は本当に、信頼できるルームメイトを必要としているのよ。それに私、絶対にあなたの部屋を物置部屋になんて改造しないって保証するわ」
私は少し気恥ずかしそうにうつむいたが、しかし口元のニヤけを止めることができなかった。「いいわよ」
茉莉は微笑んだ。「よかった」
帰りの路地で花屋の前を通りかかると、ショーウィンドウの中の白い百合の花が今にも咲きそうに蕾を膨らませていた。
茉莉は私の視線の先を追い、尋ねた。
「一束買って、私たちの新しい家に飾らない?」
私は少し考えてから、力強く頷いた。
あの日の風は少し冷たかったけれど、太陽の光は本当に暖かかった。
私はあの長すぎる、传统(伝承)の黒夜をようやく跨ぎ越した。
これからはついに、あなたと一緒に、暖かい晴天の下に並んで立つことができる。
(完)




