婚約破棄された王宮香料鑑定士は、残り香で毒杯の嘘を暴く
香りは薄れても、嘘の調合までは消えません。
「クラリス・ロワン。君との婚約を破棄する」
王宮晩餐会の中央で、婚約者のオスカー伯爵令息は銀杯を掲げた。
杯の中には、赤い果実酒が揺れている。
その隣で、妹のミリアが青ざめた顔をしていた。けれど彼女の手袋には、さっきまで香水瓶を握っていた跡がある。
「理由を伺っても?」
「毒だ。君がこの杯に毒を入れた」
広間がざわめいた。
わたしは王宮香料鑑定士だ。
香水、薫香、薬草酒、保存香。王宮で使われる香りの調合と記録を管理している。
華やかな舞踏より、調合室の静けさが好きだ。
それをオスカーは、ずっと地味だと笑っていた。
「証拠はありますか」
「ミリアが見た。君が杯へ小瓶を垂らしたと」
ミリアが涙を浮かべる。
「お姉様、ごめんなさい。でも、わたし、見てしまったの」
彼女は泣く時も、香りを選ぶ。
今日は白百合と蜂蜜。
弱さを演出するには、少し甘すぎる。
「では鑑定いたします」
わたしは銀杯を受け取った。
オスカーが勝ち誇る。
「逃げられないぞ」
「逃げません。香りは、持ち主のところへ帰りますから」
杯の縁へ、鑑定紙を近づける。
赤い酒の奥から、三つの香りが立った。
熟した果実。
眠草。
そして、夜明け蘭。
わたしは顔を上げた。
「これは毒ではありません。眠気と軽い発熱を起こす薬草酒です」
「つまり有害だろう!」
「問題は、誰が入れたかです」
鑑定紙に薄紫の線が走る。
「夜明け蘭の保存香は、今月、王宮調合室から三本だけ出ています。一つは王妃陛下の寝室用。二つ目は薬草園の試験用。三つ目は」
わたしは台帳を開いた。
「ミリア・ロワン様の舞踏会用香水に、下香として混ぜています」
ミリアの涙が止まった。
オスカーが叫ぶ。
「妹が姉を助けようと香水を」
「杯の内側から検出されています。香水ではなく、小瓶で直接入れた量です」
王宮薬草園長のセドリック様が、静かに前へ出た。
「その薬草酒は、試験用として私の管理下にある。クラリス嬢は今日、調合室へ入っていない」
彼は警備局へ合図した。
「逆に、ミリア嬢が薬草園へ入った記録はある」
ミリアの顔が真っ白になる。
わたしはもう一枚、鑑定紙を杯へ近づけた。
今度は、苦い油の匂いがした。
「持参金契約書に使われる封蝋の油です。オスカー様、今日、契約書をお持ちですね」
オスカーの胸元がわずかに動く。
セドリック様が近衛に目配せし、内ポケットから書類が出された。
『クラリスの不祥事による婚約破棄時、持参金の返還を免除する』
広間の空気が冷えた。
ミリアが崩れるように膝をつく。
「だって、お姉様ばかり王宮で認められて」
「認められたくて、誰かを毒殺未遂にする必要はありません」
声は震えなかった。
香料鑑定士は、強い香りに流されてはいけない。
薄く残った真実を、最後まで拾う仕事だから。
セドリック様がわたしへ向き直る。
「クラリス嬢。薬草園と香料室の合同監査に、あなたの鑑定を借りたい」
「わたしでよろしければ」
「あなたがいい。香りを言い訳に使う者が、王宮には多すぎる」
オスカーが連れていかれる。
「クラリス、待ってくれ。婚約者だっただろう」
わたしは銀杯を置いた。
「婚約は破棄されました。それに」
鑑定紙を一枚、彼の前へ置く。
「あなたの言葉には、もう信用の香りが残っていません」
晩餐会の花は、夜更けには萎れる。
香水も、朝には薄れる。
けれど、自分の仕事で取り戻した名誉だけは、簡単には消えない。
わたしは調合室へ戻り、新しい台帳の一行目にこう書いた。
『毒杯偽装事件。残り香鑑定により、濡れ衣を解除』
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