墜ちる
パーカーにコートにマフラーに、耳あてまでも着込んでもまだ痛いほど冷える1月の京都
1月8日月曜日の午前7時半
通勤時間、通学時間と重なる為か人通りの多い商店街を抜け、去年から常連となりつつある喫茶店へ珈琲の一杯でも飲みに行こうかと足を進めている私は思い出した
何かきっかけがあったわけでもなく思い出した
1月1日私は魔女になったのだ
「あー、寒い」
何度目かになる呟きも聞いてくれる人が周りに居なければひとり言
何度言おうが寒さは変わらないのにどうしても言ってしまう
顔の前で両手を擦り合わせながら歩く私は周りからは一体どう見えているのか
こんな時間に歩いているのだから、通勤途中だと皆思ってくれているのかもしれない
だが私は知っている
私は通勤している訳では無い
では通学?
いや、まさか
今年32歳になる私はただただ時間を潰すために喫茶店へとこの寒い中足を運んでいるだけなのだ
今日はお休み?
いや、今日もお休みなのだ
私は生まれて一度も働いたことが無い
喫茶店のドアを開けると一気に暖かい風が向かってくるため私は外の冷気を改めて実感する事になり、大きく身震いする
手頃な席へ座り直ぐに暖を取らねば、と店内を見渡す
カウンター5席にテーブル席が2席
テーブル席はお年寄りのご夫婦とコンピューターに向かうスーツ姿の女性がいた為、テーブル席を抜けた先にある1番奥のカウンター席へと向かう
20代後半に見える女性の店員さんにホットを1杯頼むと、上着を脱ぎ腰掛けた
漂ってくる豆を挽く香り
いつもこの女性の店員さんしか見たことが無いが、まさか一人で切り盛りしているのだろうか?
働いたことが無い私からすれば考えられない
何も出来ない私だが何故か応援したい気持ちになり追加でたまごサンドを注文する
人を応援出来る立場でもないのに何をしているんだか
ましてや親の金だというのに
朝から、おきまりのルーティーン
頭の中で自分の価値を下げ続ける葛藤に没頭する
止め方を知らない
知ろうともしない
だがここで珈琲が出て来た為思考が中断する
喫茶店へ来てよかったと思う瞬間だ
一口珈琲を飲んだあと、軽く目を閉じその場でじっと耳を澄ませてみる
たまごサンドに挟む胡瓜を切る軽快な包丁の音
コンピューターのキーボードを叩く作業音
ご夫婦の旦那さんが珈琲を啜る音
奥さんが旦那さんへ話しかける声
今外出しているという実感と共に家では楽しめない妄想を私は始める
今もしも強盗犯が喫茶店へ来たら?
実はご夫婦は某国のスパイだったら?
たまごサンドの玉子が実は恐竜の卵だったら?
こうした妄想を楽しむ癖は私が小学生の頃からあった
ある日突然不思議な力を手にしたらどうする?などと授業中にまでも妄想し、バツだらけのテストを持って帰るだなんて日常茶飯事だった
幸か不幸か当時から友達の1人も居なかった私は誰に邪魔をされることも無く楽しみ続けた
32歳になってまでも楽しめている、ただそれだけだ
幼き頃からの趣味活動
受け取ったたまごサンドはゆで卵が潰されマヨネーズと和えたタイプのもので、アクセントに柴漬けが使われている
是非オススメしたい1品だが給食以外に誰かと食事をしたことがない私は一人で平らげてしまった
残念では無い
比べる対象が見知らぬご夫婦なのだから
ふとそこで奥さんの投げかけが耳に入った
「あなた、今日は月曜日ですか?」
旦那さんは暫し考え込んだ後、「今日は燃えるゴミの日だったはずだから、、、月曜日だったと思うが」と答えた
それに倣って私も心の中で答える月曜日だよ、と
奥さんは誰かが尋ねてくる日だった、と、旦那さんに急いで家へ戻るよう急かし始めた
一瞬眉間に皺を寄せた旦那さんも一口珈琲を飲んだ後に慌ただしく立ち上がる
そこでふと私は想像してみた
我が家にも尋ね人が来るとしたら誰だと嬉しいか
亡くなった母や父
会ったことのない祖父母
学生時代のクラスメイトや担任
喫茶店の店員さん
いや、会ったことのない人物はどうだろう?
芸能人や宇宙人、未来の旦那様、なーんちゃって
この想像は寂しくなる
これ以上は止めよう、と私は席を立ち手早く会計を済ませ店を出た
途端に寒さに包まれ自然と足が早くなる
帰ろう、帰ろう
帰っても予定は無いけど
そうだ、こんな寒い日は蕪のシチューを作ろう
冷蔵庫の中身を思い出しながら歩いていると曲がり角で誰かにぶつかってしまった
「あ、すみません」
「大丈夫ですよ、こんな小さなこと僕は気にしません」
咄嗟に謝ったものの、声が低い位置から聞こえてきたため改めて相手を確認する
青いランドセルを背負った利発そうな男の子だった
白いカッターシャツに紺のズボンの制服を着ている為、私立の小学生なのかもしれない
髪型は肩までのおかっぱの為、ズボンを履いていなければ女の子と間違えていたかもしれない
年は10歳前後に見える
男の子は軽く頭を下げるとそれ以上言葉は続けずに去ってしまった
小さなこと気にしません、なんて話し方、当時の私なら出来たかな?
きっとすみませんと早口で言って走り去ってしまっていたに違いない
兎にも角にも同じ過ちは繰り返さないでいよう、と私は残りの道はシチューの事は忘れ用心深く歩く事にした
ようやく我が家である8階建ての茶色いマンションが見えて来た
私はこのウリ坊マンションの8階に住んでいる
横から見ると茶色い壁に焦げ茶色のハシゴが2つ並んで付いている姿が猪に見える為、私は勝手にウリ坊マンションと愛称で呼んでいる
と、屋上に誰かが居ることに気付いた
屋上は立ち入り禁止の筈だから管理人さん?
それにしては小さいような、、、
そんな際に立つと危ないよ?
その時影がまるで降り立つ様に動いた
落ちた、と気付くのに0.1秒
腕を前に出すのに0.2秒
「浮かべ!」
私が叫ぶのと同時に影の動きが止まり、ゆっくりと地面へと下ろされる
影は驚いた様に私を見ている
「あっ、あの、怪我は無いですか?」
「僕が怪我をしているかどうかは貴方には関係ありませんが、あえて答えるのであれば怪我はありません」
改めて堅苦しい返事
人と距離を取りたいと聞こえてくる言葉選び
落ちてきた小さな影は先程の小学生の男の子だった




