第6話 死の定義を塗り替えた7月5日。
*** 株式会社ロボティクス・研究所ー2035年7月5日。
無機質な白い壁と銀色の金属ラックが並び、冷たい空気が漂う。地下深い静寂に包まれた部屋の中央には一台のベッドが置かれていた。その上に横たわるのは、眠る少女の姿だが、
彼女は、血管ではなく、”赤いコード”が詰まっているヒューマノイド。
白髪のボブ、白磁のような肌、静かに閉じられた瞼。
ベッドを囲むように数人の研究者が緊張した面持ちで集まっていた。
彼女の顔の前に立つのは、このプロジェクトの責任者・木下。ヒューマノイド開発に携わっているエンジニアだ、白衣のポケットからはスマートグラスがはみ出し、手には汗が滲んでいた。
その隣に立つのは、落ち着いた物腰の男性、ドクター西村。ブレインマシンインターフェイス(BMI)の第一人者であり、プロジェクトに技術支援という立場で加わわり、特注仕様のこのヒューマノイドの所有者となる人物だ。
ミオの中に宿る“ある女性”の脳情報——脳死直前にBMIで取り出した張本人である。
「いよいよ、ですね……」
木下が、唇をかすかに震わせながら言った。視線は、まだ目覚めぬヒューマノイドに釘付けだ。
「これで我々は、神の領域の入口に立ちましたね」
木下の助手が、眼鏡の奥の目を細めて呟く。その声音には、畏怖と敬意がないまぜになっていた。
「……十年。長い道のりだった」
木下が深く頷く。手元のタブレットを握る指に、ぐっと力がこもった。
「先生のBMIの技術がなければ、このヒューマノイドに命を吹き込むこともできませんでした。先生のおかげです。ありがとうございました」
彼は隣の西村に視線を向ける。感謝と尊敬がその言葉に宿っていた。
「いえ……」
西村はゆっくり首を振る。
「私は……ただ、もう一度だけ会いたかっただけです。あの子に」
木下が、少しだけ息を飲む。“あの子”はすでにこの世にいない。
「人間の脳がそっくりヒューマノイドに移植された……これは間違いなく、ノーベル賞ものの大発明です」
別のスタッフが感嘆のように呟いた。
そのとき——
ヒューマノイドの瞼が、パチリと開いた。
瞼の奥から現れたのは、人間と見紛うほどに自然な光を宿した瞳だった。
「動いた……!」
誰かの声が、静寂を破る。
ゆっくりと上体を起こしたその動作は、まるで少女が夢から目覚めるかのように滑らかで柔らかい。その仕草に、思わず研究員たちは息を呑んだ。
「す、すごい……ヤバイ……!」
木下がベッドに近づき、声をかけようとしたが、その前に西村が、一歩、彼女の前へと出た。
「おはよう。気分はどう?」
ヒューマノイドは、ふと西村の顔を見る。その目には戸惑いと、世界を初めて見るような純粋な不安が浮かんでいた。すぐに視線を逸らし、あたりを見回し、かすかな声で呟く。
「……私……わたし……」
西村は穏やかに微笑み、手を胸元に当てて言った。
「慌てなくていい。初めての経験だから、混乱するのは当然だ。すぐに慣れる。大丈夫」
「自分の名前がわかるか?」
木下が二人の間に割って入り、尋ねる。
ヒューマノイドは、木下に視線を移して、ゆっくりと口を動かした。
「ミ……オ……」
部屋の空気が一瞬静まり、その後、拍手と歓声が巻き起こった。木下の目には、うっすらと涙がにじんでいる。
「すごいね……ミオ」
木下は深く息を吐き、優しく微笑んだ。
「まだ、フル充電になっていないので、今晩は、ゆっくりここのベットで寝なさい。明日には、体が自由に動くようになるから」
ミオはゆっくりと頷いた。その表情には、人間に限りなく近い“安心”の色が浮かんでいた。
そしてそれは——技術が、生と死の定義を変えた瞬間であり、2035年7月5日は、不死界のはじまりの日となった。
荒削りの小説ですが、興味を持っていいただけるようでしたら、評価ポイント、ブクマ、率直な感想など頂けると、大変ありがたいです。