第3話 ヒューマノイドは嫉妬しないはず。
*** ケンとアオイの家。
薄いレースのカーテンを透かして、まだ柔らかな陽がテーブルを斜めに照らしている。新しい朝の匂い――炊きたての米の甘い湯気と、出汁の立ちのぼる味噌汁の香りが、眠気を残した脳をやさしく揺さぶった。
ダイニングには、思わず息をのむほど整然とした朝膳。雪のように白いごはんは粒が立ち、湯気が陽光のラインを受けて銀糸のように揺れる。脂が “じゅっ” と弾けたあとの焼き鮭には黄金色の照りが宿り、ひじきには油揚げの飴色が混ざって小さな宝石のよう。箸袋の折り目は鋭利で、真っ直ぐに揃った二膳は職人の定規で測ったかのようだった。
ケンは椅子に腰を下ろすと、鼻腔をくすぐる磯のにおいに思わず口角を上げた。
「お! ひじきだ。嬉しい。ミオ、ありがとう」
アオイがくすっと笑う。
「地味だよね。ケンは。大好物が“真っ黒い添え物”なんだから」
ケンは箸袋をほどきながら目を細めた。
「真っ黒じゃないよ。ほら、油揚げが入ってるから――この甘じょっぱい出汁が米に染みてさ。こいつさえあれば生きていける」
「ミオ、偉いぞ。リクエストしてないのに。天才だ!」
ミオは控えめに一礼し、ガラスの器に反射した朝陽を背に立つ。「ありがとうございます」
「じゃあ、私の好物は?」アオイが顎を引き、挑むような視線を送る。
ミオは瞬きひとつせずに答えた。
「エッグベネディクト、でございますね?」
空気が一拍――凍る。アオイは背筋に小さな電流が走るのを感じた。情報を与えた覚えはない。けれど“的中”だった。
「リクエストいただければ、すぐにお作りします」
金属的な抑揚の薄い声が、湯気の向こうから滑り込む。
「え、どうして私のだけ『リクエストが必要』なの?」アオイはスプーンの柄を指で弾きながら子供のように頬を膨らませる。
「失礼しました。ただちに調理に移ります」
ミオの声色がほんの僅か、機械にはあり得ない“焦り”の振幅を帯びたように聞こえた。
ミオは静かに一礼し、まるで影のようにキッチンへ溶ける。足音は吸い込まれるように消え、ダイニングにギスギスした空気だけが残った。
アオイは目を細め、湯気の向こうに揺れるミオの背を追った。心の奥で、説明のつかないかすかな“ざらつき”が転がる――。
だが、その朝の静けさは長くは続かなかった。
ふたりが食後のコーヒーを手にソファへ移った。ケンは空気を変えようとして、アオイを抱き寄せた。二人の唇が触れようとした瞬間――
「ガチャーン!」
食器が砕ける音が。
驚いて、二人はキッチンに向かう。
アオイが、眉を寄せてミオに声をかける。
「割っちゃったんだ……」
ミオが淡々と答える。
「……すみません。手が滑ってしまいました」
シンクの底で一枚の小皿が真っ二つになっていた。ミオは、異様なほど静かな手つきで割れた皿の破片を拾っている。
「安物だから気にしなくていいよ」そう言って、アオイが、片付けを手伝おうと、近づくと、ミオは背を向けたまま―“怒気”を孕んだ声で遮った。
「……いえ、結構です。私の仕事ですから」
冷えた空気がアオイの首筋を撫でた。“機械だから感情はない”――頭ではそう分かっていても、背中の硬さは人間のそれと同じ“苛立ち”を帯びていた。ミオは、機械なので、人に対する好き嫌いなどあろうはずがないのだが、明らかに、嫌われている気がし、複雑な想いが交差した。
***
週末――
その日は、アオイとケンは寝室にこもり、二人の時間を過ごしていた。壁の向こうでは、くすくすと笑う声や、楽しそうにじゃれあっている声が響いている。
リビングにいたミオは、掃除機のスイッチを切った。
しばらく黙って立ち尽くしたあと、テレビの電源を入れる。
画面には、ロックバンドの派手な演奏シーンが映し出されていた。ギターがかき鳴らされ、ボーカルがシャウトする。ミオは、音量をゆっくりと上げていく。
ボリュームは10……15……20……
やがて、部屋中に爆音が鳴り響いた。
「なに!? テレビの音、どうしちゃったの?」
アオイが驚いてケンの顔を見る。ケンは慌ててベッドから飛び出し、リビングへ駆け込んだ。
テーブルの上に置かれているリモコンを手に取り、急いで電源を切る。
「ダメだよ、こんな大音量にしたら! そもそも、ヒューマノイドなんだから、テレビなんか見る必要ないだろ」
ケンは、わかりやすく叱責したが、内心では、怒りはなく、逆に凄いと思って感心していた。
ミオが赤外線でテレビを操作することもできる高性能な電気機器であることに。
電波も発信できるに違いない。
最新のヒューマノイドの性能の凄さを見せつけられた。
ミオは一瞬、黙ったあと、淡々と呟いた。
「……すみません」
視線は床に落ちたまま、まばたきひとつせず。
ケンには、ミオの背中はどこか悲しげに見えた。
アオイは、同情どころか、不信感が増した。
「ねえ。ケン、少し早いけど、メンテナンスをした方がいいのかもよ。バグが多くない?、マジで勘弁だわ」
「そこまで言わなくていいんじゃない。人間だってミスをするのに、ヒューマノイドのミスは許さないという発想は間違っていると思う」
ミオを庇うようなケンの態度に、アオイは苛立ちを隠さなかった。
ケンは、その表情を見て、あわてて、言葉を続けた。
「す、すぐに、メンテナンス費用調べてみるよ」
ケンは、苦笑いしながら、軽くうなづくと、調べるフリを始めた。
***
翌週の黄昏。
夕暮れ時、柔らかなオレンジ色の光がリビングに差し込む。
アオイとケンはソファに腰かけ、寄り添いながら笑い合っていた。
その斜め向こう──
ダイニングの隅では、ミオがモップをゆっくりと動かしていた。
アオイがケンの頬に手を添えて、そっと唇を重ねる。
その瞬間だった。
「ガチャーン……!」
乾いた音が部屋に響いた。
ミオの手が、リビング棚に飾ってあった写真立てを弾いてしまったのだ。床に落ちたガラスの破片が光を反射してきらめく。
二人が一斉にミオに視線を送る。ミオは床に膝をつき、淡々と破片を拾っていた。
「また、割ったの?」
「失礼しました。すいません」
写真は、裏の状態で棚の上に置かれ、割れたガラスは丁寧に拾っていた。
アオイは、その姿を見て、確信した。
(嫉妬だ。間違いない)
アオイは、ケンの袖を掴み、ベッドルームに誘導した。
部屋に入るなり、ドアを閉め、ケンと向かい合う。
「おかしな事を言っているなんて思わないで聞いてほしい。私にも、ミオはロボットであり、機械だという事はわかっているから。
でもね。“アレ”は私たちに嫉妬してる」
ケンは苦笑しながら肩を抱く。
「確かに、ミオが何かをしでかしたタイミングは君の言う通りかもしれない。100歩譲って、僕たちに嫉妬するようにプログラムされているとしよう。誰が何のためにそんな事するんだ?少なくとも、このヒューマノイドの製造メーカーや運用会社にとってなんの利益も生まないよ。
僕も、もう少し考えてみるけど....」
ケンの腕を振り解いて、一人ベッドに腰を下ろす。
「もう、いいわ。やめましょう。この話は」
アオイは静かに決意する――必ず犯人を探し出してやる。
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