第2話 意識下のシアター。
*** ケンとアオイの家。
アオイはベッドの中で目を閉じながらも、眠りの扉を開けることができずにいた。
──ミオの声。
──ミオの表情。
──ミオのしぐさ。
どれもヒューマノイドとは思えないほど、あまりに人間ぽかった。
……いや、人間そのものだ。
その自然さが、逆に恐ろしかった。
まるで、誰かが中に入って操っている“着ぐるみ”のような、うっすらとした違和感。
それが頭の奥底からじわじわと染み出し、じくじくと侵食してくる。
寝返りを打つたびに、胸の奥がざわつく。
まぶたを閉じても、その感覚は消えなかった。
……むしろ、より濃く、より近くに、ミオの“存在”が迫ってくるようだった。
やがて、意識がふっとほどける。
眠りの境界を、薄いガラスの膜のように破って──アオイは、夢の中へ落ちていった。
*** <アオイの夢・春の公園>
そこは、どこまでも穏やかな午後だった。
アオイは、ケンとミーナと3人で、千鳥ヶ淵の満開の桜の下にいた。
薄紅色に染まる空。
花びらが雪のように、静かに、舞い落ちていた。
制服姿のミーナがケンの腕に笑顔でしがみつく。
その無邪気さがまぶしくて、切なくて、少しだけ痛かった。
「ねぇ、アオイ、写真撮ってよ!」
スカーフが風に揺れ、ミーナの美しい白い首筋がのぞく。
その一瞬に、ケンの頬が赤らんだように見えて──
心の奥で、小さく棘が刺さった。
「ちょっとくっつきすぎ~!」
笑いながらスマホを構えたけれど、
その笑顔の奥に、誰にも見せられない嫉妬の感情が渦巻いていた。
(近いよ、二人とも……ケンの幸せそうな顔、過去一だぁ……)
ほんの一瞬、息をのむ。
けれどその想いを、アオイはすぐに飲み込んだ。
(でも……ケン、幸せそうだから、許す。
ミーナのこと、大好きだもんね、私。
この時間が壊れるくらいなら……私の気持ちなんて、どうでもいい)
カシャ。
スマホの画面に収まったふたりの笑顔を見つめながら、
アオイも笑顔を作った。
……上手に、気づかれないように。
(だから私は……この気持ちを、胸の奥に沈めていく)
桜吹雪の中、ひとり、自分の役割を演じながら、アオイは微笑んでいた。
*** <アオイの夢・病室>
場面が、唐突に変わる。
雨の夜。
病室の窓の外で、濡れたアスファルトがぼんやりと街灯に照らされていた。
ミーナは、もう動かない。
白いシーツの下に隠されたミーナの顔。
その輪郭が、どれだけ見ないふりをしても、まざまざと脳裏に浮かぶ。
「ミーナ……?」
ケンの声が、崩れるようにこぼれ落ちた。
ベッドの脇で、そのまま膝をつき、床に額を押しつけて泣き叫ぶ。
言葉も出せず、ケンの背中にしがみついた。
悲鳴のような泣き声が、病室の中で、こだまする。
どれほどの時間が過ぎたのか。
やがて、涙が枯れ、声が途切れ、ただ静けさだけが残った。
その沈黙の中で、スマホを取り出し、ケンにミーナからの一通のメッセージを見せた。
──それは、ミーナからの最後のLINE。
> さっき、ケンと喧嘩しちゃった。
> 私が悪いの。
> ケン忙しいのに、寂しくなっちゃって。
> 「今すぐ来て、来なかったら死ぬかも」ってメッセージ送っちゃったの。
> 最低だね。私。
> 私、どうかしていたの。スルーで大丈夫だからってケンに伝えてくれない?
ケンはスマホを胸に抱き、天井を見上げて叫んだ。
「……俺、最低だ。寂しい想いさせて……ごめん、ごめんなミーナ……!」
原因が交通事故とはいえ、どこにも行き場のない想いが、心を深く裂いていった。
*** <アオイの夢・ケンの部屋>
病室が、いつの間にかケンの部屋へと変わっていた。
ケンは、ミーナの写真を両手で握りしめたまま、じっと見つめている。
その顔に、もう笑顔はなかった。
アオイは彼の隣で膝を抱え、ただ、肩を寄せていた。
何も言わず、何も聞かず──でも、心は叫びたがっていた。
「……俺さ、ミーナのこと、ずっと守れるって思ってた。でも、何ひとつ守れなかった。俺なんか、生きてる価値ないんだよ……死にたい」
その声を聞いた瞬間、アオイの中で、何かが切れた。
立ち上がって、ケンの前に仁王立ちになり──
何も言わず、思い切り、頬を打った。
乾いた音が部屋に響く。ケンが崩れるように床に倒れ込む。
「馬鹿野郎……!しっかりしろよ……!
ミーナのために、生きるんだよ……!
残された私のことも……ちょっとは考えろよ……!」
涙が、止まらなかった。
ミーナを失った痛みと、ケンを守りたいという想いと、
そして──自分の中に芽生えた、裏切りにも似た“ケンに対する愛しさ”が、アオイを飲み込んでいく。
ケンは我に帰ったかのように、すくっと立ち上がって、いままで見たことがないくらい優しい目を向け、髪をそっと撫でてくれた。
その優しさに、崩れ落ちそうになった。
ふたりの唇が、自然と触れ合った。
その夜、ケンは“親友の恋人”ではなくなり、”自分の恋人”になった。
ミーナに対する罪悪感と、ケンの優しい心に包まれている安心感が入り混じったまま──
一枚の毛布に、共犯者のように包まった。
毛布の中に頭をすっぽりと沈めると、
真っ暗で、静寂の中、遠くからミーナの声が聞こえてきた。
「ケンを取るなんて....酷い」
声は、突然、大きくなり、目の前に、鬼の形相のミーナが現れる。
今まで見たこともない、怒りと恨みに満ちた恐ろしい顔。
「裏切るなんて酷い....信じていたのに......絶対に許さない.......絶対に!」
驚いて毛布から頭を出して、隣を見ると、ケンの姿が”丸太”に変わっていた。
「え!.........」
アオイは驚きすぎて、声が出ない。
叫び声を上げる前に、急に眩しい光に包まれ、辺りが真っ白に塗り替わる――
*** 目覚め。
息を切らせて跳ね起きた。
(夢だったんだ........ほっとした。良かった。でも──ありえないぐらいヤバ過ぎる悪夢だ)
視界がぼやけ、呼吸は浅く速い。まるで水の底から無理やり引き上げられたような苦しさが、喉の奥に残っていた。
手は無意識にシーツを握りしめ、ぐしゃぐしゃに皺を刻んでいる。額には冷たい汗が浮かび、首筋をつたって背中へと流れていた。
胸は壊れそうなほど早鐘を打ち、耳の奥で脈の音が反響している。心臓がまだ夢の中に取り残されたままのようだった。
重たい瞼を上げると、カーテン越しにやわらかな朝の光が射し込んでいた。窓の外からは小鳥のさえずりと、遠くで車が走る音が微かに届く。いつもと変わらない、穏やかな朝のはずなのに、その平穏がどこか嘘くさく思えた。
隣を見ると、ケンが穏やかな寝息を立てている。
その寝顔を見ていると、さっきまで見ていた夢の光景がぶり返してきて、吐き気に近い動悸が襲った。
アオイは震える手で髪をかき上げ、静かに体を起こす──と。
足元に、ひっそりと誰かが立っていた。
──ミオ。
その姿を見た瞬間、心臓がひときわ強く跳ねた。
「びっくりした……脅かさないでよ! なんでここにいるのよ……勝手に入ってこないでっ!」
声はうわずり、震えていた。ミオが“ただのヒューマノイド”だと分かっていても、人の姿をしているので、機械には見えなかった。
「驚かせてしまい、大変申し訳ありません。お水をお持ちしました」
銀色のトレイの上に、冷たい水の入ったグラスが置かれている。ミオの手はブレ一つなく差し出されていた。
だがアオイは、その透明な水の奥に、ミーナの涙のようなものを見た気がして──飲む気分にはなれなかった。
夢と現実の境界がまだ曖昧なまま、思考がうまくまとまらない。
そのとき、隣で寝ていたケンが体を起こす。
「……何の騒ぎ?」
「ミオが……勝手に部屋に入ってきたの」
アオイは、夢のことには触れなかった。 うまく言葉にできそうになかったからだ。
「あ、お水か。寝起きには最高だな。もらうよ」
ケンはアオイの頭をポンポンと優しく叩きながら、ミオに向かって微笑んだ。
「かしこまりました」
ミオは無表情のまま、水のグラスを差し出す。
アオイは布団の中で、膝を抱えた。
体を丸め、顔をうずめた。
ゆっくりと、夢を回想した──心をかくしながら。
ケンは水を一気に飲み干し、空のグラスを返すと、ミオは無言で部屋を出ていった。
扉が閉まる音がやけに静かで、その静寂に胸がざわついた。
「どうしたんだよ、アオイ。らしくないぞ。……ミオはただの機械だ。円形の掃除ロボットと同じだよ。あまり存在を意識しない方がいい」
「……許可なく、寝室に入らないように言って。お願い」
「わかった。わかったよ。僕から、タスクの指示を与えるタイミングで伝えておく」
ケンは軽く肩をすくめると、ミオのあとを追って部屋を出ていった。
静寂が戻る。
アオイは、うつ伏せのまま、目を閉じた。
脈打つこめかみの奥で、さっきの夢がフィルムの逆回転のように、色と音を擦り合わせながら焼き付いていく。
──ミーナの声、泣き顔、ケンの叫び、自分の裏切り。
映像は色褪せず、音も匂いも温度もそのまま――まるで、誰かが脳内の“再生ボタン”を押したかのように鮮明だった。
(どうして、ここまでリアルに思い出せるの……? 私の記憶に、あんな細部は残っていないはずなのに)
枕元に残る冷たい水のグラス。
その表面に揺れる光が、プリズムのように虹色の干渉縞を描き出していた。さっき夢の中で見た、病室の照明の光とどこか似ていた。
見るたび、こめかみの奥がチクリと痛んだ。
ミオが去った直後から、頭の内側で微かなノイズがさざめいている。
耳鳴りでも神経の疼きでもない、言葉にできないノイズのような波が、脳の内側をゆっくり撫でている……。
胸元を押さえる手が震えた。
『あまりにも、リアル過ぎる……あれは、夢と言うより “記憶を流し込まれた” みたいだった』
ゾクリと背筋が粟立つ。息を吐くたび、肺から冷気がこぼれる気がした。
(私の頭の中で、いったい何が起きているの?)
遠ざかる足音はもう聞こえない。
それでも、部屋のどこかに“ミーナの気配”だけが、残されているようで、アオイは毛布を強く抱きしめた。
人生で、こんなにも現実と夢の境目が溶けた夜はなかった。――いや、違う。これは“私の記憶”ではなく、第三者の視点で、記録された動画そのもの。
だが、その動画は──誰が、いつ、録画し、どうやって、私の夢の中に入り込んで再生したのだろう?
アオイの呼吸は浅く、朝の光の中でただひとり震えていた。
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