1話 「依頼」
「幇助員篠崎」の後の話。
一応独立させてるつもりではあります……
「お邪魔します」
「は、はい……どうぞ」
依頼者の女性は恐る恐る答える。女性の背後で郵便物の山が崩れた。
「わたしはASCより参りました、不破と申します。これから依頼者様の担当をさせていただくので、よろしくお願いしますね」
「……波谷、です」
初回ミーティングは彼女の自宅で、との指定だった。床には衣類やゴミが散らばり、シンクにはコップが5個ほど、箸は一見では数え切れないほど散乱している。心做しか空気も淀んでいるように感じる。
不破にとっては別段珍しくもない光景なのだが、波谷はかなり気にかけているようだ。先程からかなり視線が泳いでいる。
「す、すみません散らかっていて……」
「構いませんよ。仕事柄見慣れています」
部屋の散らかり具合を気にするなら、どうしてこの場所を指定してきたのだろうか、という思考が不破の頭をよぎるが、必要以上の詮索はタブーである。依頼者が話したいことのみを聞き、それに基づいて行動に移す。それがASC創設者のポリシーであり、研修で委員が最初に叩き込まれることでもある。
(まあ、皆が皆それを遵守してるわけでもないけどねぇ)
委員ひとりひとりへの裁量が大きいため時折暴走する者も現れる。とはいえ、不破は比較的優良な側である、と自称している。
「と、とりあえずこちらに……」
勧められたのは奥まったところにある座布団だった。ゴミの積み上がったちゃぶ台はもはやその機能を果たしていないようで、波谷は衣類をかき分けちゃぶ台に背を向けて座る。
「それで、えっと、何から話せばいいんでしょうか」
「何からでもよろしいですよ。どうぞ、話したいことから話したいように話してください」
「で、では……」
波谷は訥々と語り出す。不破にとっては聞き慣れた、ありきたりな話である。要約すると、田舎から上京してきて右も左も分からない時に、悪い男に引っかかった。案の定こっぴどく捨てられ、心を壊して仕事も失った。現在は貯金を切り崩しながら何とか生活している、といったところだ。
波谷は声を上擦らせながらも、決して口を休ませることをしなかった。堰を切ったダムのように、とめどなく、目から口から、感情が溢れ出てくる。最後に、波谷はこう言ってその放水を止めた。
「私は、ずっと、誰かに聞いてほしかったのかも知れません。不破さんみたいな仕事をしていればよくある話かもしれないけど、それでも私にとっては、私の人生を決定づける、そんな出来事だったから」
胸中を的中させられた不破は一瞬目を細めたが、すぐに表情を貼り戻し、
「……事情なんて人それぞれです。それを比べる理由も必要もありませんよ。わたしはただ波谷様の話を聞いて、わたしに許された範囲で仕事をするだけです」
少し長い静寂が場を支配した。言葉選びを間違えただろうか、と不破は思った。何かフォローをと考えていたところ、
「……ふふっ」
波谷が耐えきれないといった様子で笑いだした。
「不破さんって、結構お節介なんですね。あっ、すみません。悪く言うつもりじゃなくて。こんなに人に気にかけて貰えたのって久しぶりで」
「……そうでしょうか、わたしはただマニュアルに従っているだけですが」
「そうかもしれませんけど、どっちかというと不破さんの元々の性格な気がします。そうやってぶっきらぼうな振りしてマニュアルだって言っちゃうところとか。あーあ、こんなに面白かったのっていつぶりだろうなぁ」
淀んだ空気に似合わない、カラカラとした笑い声が空間に染み渡る。「感情を持ち込まず、意見せず、かつ依頼者が自然体で話せるような聞き手であれ」という委員としての教えがあるが、不破はどうもそれが苦手だった。自分でも仕事に差し支えない限りは半ば諦めている。
「あはは、あーさっぱりしたぁ。何だかすごく気が楽になりました。長々と聞いてもらってありがとうございます。」
「それは何よりです」
波谷が笑うのを辞めたことで、再び鈍重な空気が充満し始めた。しかし先刻よりかは些か居心地よく感じる。小窓から西日が刺し始めたためだろうか。心地良さに身を浸らせていた波谷だったが、はっとして、再度その静寂を破りにかかった。
「じゃあ早速、本題を──」
「ただいまー」
扉の鍵が縦に捻られ、現れたのはランドセルを背負った中学年程度の子だった。
「あら? おかえりなさい。今日は帰り早いんだね」
「水曜日は5時間目で終わるんだよ」
「そうだったっけ? 最近は曜日感覚が狂っちゃって……」
「……その人は?」
「あっ、えっと、この方は……」
「初めまして。わたしは不破と申します。お母さまと大切なお話をするために参りました」
「あ、そうなんですね。えっと、娘の真理です」
不破はやんわり濁して自己紹介をした。子どもに聞かせるには少々障りがあると思ったからだ。
波谷の娘はこれといった特徴のない平凡な少女に見える。ただ、瞳のハイライトが薄く、また表情筋は怠慢なようで、感情が読み取りにくい。
「……真理、お母さんちょっと不破さんとお話をしないといけないから、今日はどこかへ遊びに──」
「いえ、また別の機会を設けましょう。どうぞ真理さんとの時間を大切になさってください。またご都合のつく日にご予約をいただければ結構ですから」
正直なところ、不破はこの娘とは何となく合わないような気がしていた。これといった根拠はないが、時折直感的にそう感じることがある。そしてそういった人物とはなるべく関わらないようにしていた。もちろん仕事であればやむを得ないが。
「そ、そうですね。では……またの機会に」
「はい。あ、無理に依頼する必要はないですからね。本当に必要だと感じたのであれば、またご連絡ください」
波谷の不安げな瞳と、娘の温度のない瞳に見つめられながら、不破は波谷家を後にした。
─────
後日、思いのほか早く波谷から依頼が入った。指定された場所は波谷家から少し離れた喫茶店だった。一度家に上げたのだから、今更部屋の惨状を恥じることもないと思うが、何か心境の変化でもあったのだろうか、などと考えながら、ぴったり15分前に重い木製のドアを開ける。小気味良い音の呼び鈴が、不破を迎え、腰の曲がった老女がのそのそと奥から現れた。
「いらっしゃい、好きなところに座ってちょうだい」
「すみません、15分ほどしたらもう1人来ますので、注文は後ほどでもよろしいですか?」
「えぇ、構わないよ」
不破は軽く会釈して、入口から最も遠い席に座った。
ほどなくして、呼び鈴が鳴った。
「こんにちはおばあちゃん、スーツのお姉さんってもう来てる?」
「いらっしゃい、奥にいるよ」
「ありがと、うちはいつものやつで」
「はいよ、お連れの方にも注文聞いておいてちょうだい」
「おっけー」
親しい者同士の会話である。どうやら波谷はここの常連だったようだ。しかし先日聞いた声より、幾分幼く聞こえる。不破がその違和感を吟味する間もなく、その理由は向こうから訪れた。
「あら、真実さんでしたか」
「こんにちは、不破さん。あ、注文どうしますか?」
「そうですね、ではブレンドコーヒーをいただこうかしら」
「スコーンも美味しいですよ」
「ならそれもお願いします」
「わかりました。おばあちゃーん! コーヒーとスコーンだってー!」
店主の返事は聞こえなかったが、真実は別段気にしていない様子である。
「来てくれてありがとうございます」
「いえいえ。ところで、お母様は?遅れてくるのですか?」
「あ、お母さんは来ません」
「……ええっと」
「今日は私が依頼を出したんです。お母さんには内緒で名前使って」
ASCは公に活動が許されている組織ではないため、依頼を必要としている人物に対して間接的にコンタクトを取る方式が採用されている。
接触方法の一例として、インターネットの検索履歴等から選定された依頼者候補に対し、検索結果にASCのホームページを表示する。そしてそこから実際に依頼をしてきた者と、電子メールや手紙にてやり取りを開始するといったものがある。波谷はこのパターンに則って依頼を送ってきたのであるが、まさか娘が母親を騙って依頼をしてくるなどとは全く想定していなかった。
「お母さんのスマホ、パスワードがお父さんの誕生日なんですよ。それで、それらしきメールの履歴を辿って、文体真似て送りました。」
果たして、その種明かしは真理によって即座になされた。
「そういうことでしたか……」
真理の年齢不相応な聡明さに感心しながらも、不破は気持ちを切り替え、新たなる依頼者候補に相対する。
「イレギュラーな形にはなるけど、つまり真理さん。この依頼は貴方からのもの、ということでいいのかしら?」
「はい、私みたいな子どもじゃあまともに取り合って貰えないと思って、騙すような真似をしました。すみません」
「それは……確かにあまり良くないことではありますけど、それだけ差し迫った事情があったってことでしょう。ひとまず本題を進めましょう」
「……安心しました。じゃあ早速……」
「でもその前にひとつ確認させてもらいます」
ASCに依頼を出すということがどういう意味を持つのか、彼女は理解出来ているのだろうか。
「真理さん、貴方はわたしたちがどんな組織で、どんなことをしてるのか、ちゃんと分かっていますか?」
ここまで綿密に策を弄してくる子だ。理解していないはずはないと思うが、念の為確認はしておきたかった。
「もちろんです」
真理の返答は、正確に、不破たち「ASC」に依頼をするということの意味を分かっている証左であった。
「あたし、死にたいです」
設定はフワフワ、世界観はガバガバ、更新はノロノロ
不定期に気の向くままに……