悪魔の相談
私の友人に悪魔がいる。ただし、誤解しないでほしい。彼は本当に善い奴だ。とは言うものの、彼は本当に「悪魔」の仕事をしている。彼は、一日一人人間を選び、その前に姿を現し、こう尋ねる。
「いなければいいと思う人間は誰だ」
そして、彼は指名された人間の命を食べる。
しかし彼はこんな仕事はしたくない。彼は神によって造られ、神の命令でこういうことをさせられている。彼は言っていた。いつもいつも善良そうな人間を選んでいると。「いなければいいだなんて、そんな人はいないよ」と言ってくれそうな。
だが彼の質問は、神の力によって人間が嘘をつけないようになっている。だからほとんどの場合彼の期待は裏切られてしまう。そりゃ、そうだ、憎しみを持たない人間なんていない、と私はいつも言う。すると、彼はいつも決まって、ただ一言「いません」と言われれば、また一つ罪悪感を背負わなくて済むのだけどね、と言う。
だから彼は時々私のところに来る。そして、胸にたまったものを吐き出し、いつもすまない、と言って帰る。世間では悪魔と言えば悪い印象しかないが、私はこの様な悪魔にしか会ったことはない。
しとしとと雨が降った日にまた彼が来た。彼の顔はマネキンのような無表情になっていた。彼が限界に近付いている証である。私が、いつものように紅茶を出すと、彼も、いつものように語り出した。
ある新月の夜のこと。ある人間がこう言った。
「この世で最大の悪がいなけりゃいいと思う。そいつの命を食ってくれ」
「それは俺のことか」
つい口から出てしまった。
「あんたじゃあねえよ。あんたは自身が悪だと気付いているじゃねえか。あんたは悪であっても、そんなに悪じゃねえ。最大の悪は、自身が悪だと気付かずに、自身を正義だと信じ込んでいる奴だな。大抵善いことをやっている奴がこれだ」
「とするとおまえは善いことをしている人間を殺せというのか」
「いや、違えよぉ。光があるから陰ができるんじゃねえか。悪を生むのは善なんだよ」
「しかし、善がなくなったらこの世は悪だらけになってしまう。悪を正すべき存在が善だ。善が悪を生むならば、悪を善に変えることができるのが善だ」
「分かってねえなぁ。よく考えれば分かることだろう?光が無ければ陰はできねえんだよ」
「それはつまりこの世全てが悪になるということだろう。それはおかしい。光が無ければ真っ暗だ。未来は無い」
「いいか?全てが悪なら、その中に於いて悪というものは存在しなくなる、ってのは理解できてるよなぁ。例えばよぉ、現に人間は尊い命を、食事のためだけに自然の摂理を無視して造り出し、檻の中に閉じ込めて見世物にし、あるいは食い、自己中心的な癒しのために飼ってるが、そうでなけりゃあ、ハエたたきで潰し、ひき逃げしても放っておき、生きている命さえガス室へ放り込んでいるじゃねえか。この地球の生態系はな、ヒトから人間に進化するまでは食うか食われるかだけだったんだ。それなのに、人間はこの地球を要るか要らねえかっていう目で見てるんだぜ。それまで非現実だったものを現実にしちまった人間は、まさに地球にとって最大の悪だな。そうだ。最大の悪は人間だ。まさしく人間は自分たちがさも正義の味方のように振舞っているじゃあねえか。さあ、早ぇとこ人間をこの世から全て消し去ってくれ」
「しかし…不可能を可能にする能力は悪ではないだろう。むしろ善だ。医学というものは何億何兆という生命を救ってきたんじゃないのか」
「本当にあんたは分かっていねえなぁ、感心するぜぇ。医学が今のように発展するまでにはな、まだ地球が人類を護ってくれていたんだ。病気にかかりやすい人間、能力の劣る人間は淘汰されて人間はこれまで進化してきたんだよぉ。それが今じゃあ病気になった人間を治し、劣った人間までも『人権』という言葉で生き残らせちまっているじゃあねえか。つまりさぁ、負の遺伝子が残されるわけだよ。その結果今まさに人間は退化し始めているだろぉ。地球からの罰だよ、こりゃあ。人間は罪を犯したんだ。地球から与えられた遺伝子という仕組みで、間違いなく人間はこれから暗~い未来を進むぜ、地獄を見た方がいいくらいのさぁ。そうだなぁ、さっきの話は無しにしてくれぇ。人間を今ここで殺しても罰には足らねぇや。この辛い道をこのまま歩ませようじゃねえか。それが最大の悪に対する最大の罰だろぉ?」
悪魔は呆気にとられてしまった。人間が、人間を否定し、消し去ろうとして、人間の未来に存在する暗黒を見出すと、そこへ向かわせようとする。悪魔は聞かずにはいられなかった。
「どうしてお前は人間をそんなに憎むのか」
その人間は嘲笑を浮かべてこう言った。
「人間さえいなけりゃあ、俺は人間に生まれ、人間に苦しめられることは無かったからだよぉ。ヒトだったら良かったんだけどよぉ」
この人間の眼だけを見れば、この生物が人間だと証明できる要素はどこにも無かった。
「今から楽しみじゃねえか。俺は見れないだろうから、あんたが見ておいてくれよぉ」
この人間はこう言い捨てると、のそのそと去って行った。
しばらく立ち尽くしていた悪魔はふと気付いた。仕事はどうしようか。あの人間は、撤回はしていたが、確かに人間がいなければいいと言った。自分の仕事は、対象となる人間の、いなければいいと思う人間の命を食うことだ。つまりここでは、全ての人間の命を食うことだ。だが彼にはできなかった。全ての人間の命をいっぺんに食うことなんて容易いことだ。たった60億の命である。
それでも彼にはできなかった。
彼は結局あの人間の命を食ったという。あの人間は最大の悪がいなければいいと言った。だから彼はあの人間の命を食った。そう言った。
私が、それで正しかったと思う、という感じのことを言うと、「そうか、いつもすまない」とだけ答え、残りの紅茶を一気に飲み干すと、またいつものように帰って行った。
空の色は相変わらずだったが、しとしと雨はもうやんでいた。
どうも、作者の亀です。読んでみていかがだったでしょうか。
この「悪魔の相談」は、思いがけずできた作品です。メッセージが強めに表れているのではないかと、勝手に思っています。
実は、この作品中で男が言う次のセリフ、
「…医学が今のように発展するまでにはな、まだ地球が人類を護ってくれていたんだ。病気にかかりやすい人間、能力の劣る人間は淘汰されて人間はこれまで進化してきたんだよぉ。それが今じゃあ病気になった人間を治し、劣った人間までも『人権』という言葉で生き残らせちまっているじゃあねえか。つまりさぁ、負の遺伝子が残されるわけだよ。その結果今まさに人間は退化し始めているだろぉ。地球からの罰だよ、こりゃあ。人間は罪を犯したんだ。…」
これなんですが、どっかの某市長さんがブログで書いて問題になっているのに似てるんですよね。もちろん、こっちの方が先ですよ。かなり前から書いてあった小説ですし。
偶然、なのでしょうか。とにかく差別はいけないことです。
もしかしたら、続編なんてのもあるかもです。その時もまた読んでいただけると嬉しいです。
それでは。