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第13話 熱くて、溶ける

 

 僕がまだ雅楽方うたかた 海琴みことという人間をやっていたころ。現代の日本もまた、僕にとって不条理な世界だった。


「恋人ができた」

「は?」


 夏は日長。

 時刻は夕時でも、太陽はいまだにさんさんと照りつける。

 等間隔で植えられた街路樹の影をふみしめながらひと言だけ発すると、おなじ帰り道の一歩先を行く天斗そらとが、足を止めてふり返った。


「まったまた、面白い寝言でちゅねー? みこちゃん、おねむなのかなぁ?」

「本気だよ。だから、そうやって絡んでくるのはやめて。距離おこう」

「……あ?」


 ふだんの僕は、反論しない。

 思いどおりにならなかったことが、天斗は気に障ったんだろう。


「俺を差しおいて恋人つくって、青春謳歌? 生意気なんだよ、海琴のくせに」


 木もれ陽の下、僕を見つめる黒の瞳に、ほの暗い影が落ちた。


 ほどなくして、いっしょに登下校をしていた恋人から避けられるようになる。

 天斗は上機嫌になって、「まだ一週間だろ? かわいそー」と爽やかに笑いとばした。

「俺が慰めてあげよっかー?」とも。


 そうして鼻歌をうたいながら、これみよがしに僕の手を引いて、帰路につく日々。

 さながら、手首に枷をはめられた罪人のような心境だった。



  *  *  *



「また恋人できたの? 節操ないよね」


 断れる雰囲気じゃなかったの。


「どうせ一週間ももたないんだから、諦めれば?」


 わかってる……わかってるよ、そんなこと。


「……は? おまえなんで、俺の許可なく放課後デートとかしちゃってるわけ?」


 逆に、なんで許可が必要なの? 天斗には関係ないでしょ。


 恋人のことが好きかというと、わからない。

 その気もないのに、思わせぶりな態度をとることがよくないのは、わかってる。

 だけど僕のそれには、少なからず、天斗への抵抗が含まれていた。


「手をつないだし、その先もしたから」


 ヤケになって吐き捨てた次の瞬間、すさまじい勢いで視界が回る。

 呼吸ができない一瞬。


 じりじりと、足もとから灼けつくような猛暑の日は、憎たらしいほどに快晴だった。


 瑠璃色の空。

 白い入道雲。

 蝉の鳴き声。


 どさり、とアスファルトを叩くスクールバッグの音で、止まっていた時が動き出す。

 さやさやとそよぐ木もれ陽の下。

 両肩を街路樹の幹に縫いとめられた僕は、身じろぎひとつゆるされない。


「……むかつく」


 黒髪がなびく。


 いつもの、小学生がちょっかいをかけてくるようなそれじゃない。

 間近にせまった天斗には、一切の表情もなかった。

 このときようやく、僕はじぶんの過ちに気づく。

 口からでまかせを言った代償は、大きかった。


「むかつく、むかつく」

「天斗」

「あぁもう、最悪」

「そらと……そら」

「ほんと、なんなんだよおまえ」

「まって、おねがい、そら……」


 胸を押し返そうとすれば、


「──だまれよ」


 ドスのきいた低音とともに、こわばる唇へ、ふたたび噛みつかれる。


「んぅっ……」


 あぁ……痛い。

 ギリギリとつかまれた両肩が。

 グサリと貫かれた心臓が。

 にじむ視界は、陽炎のせい?


「ハッ、嫌がらせに決まってんだろ」


 おそろしいほど整った顔をゆがませて、天斗はささやいた。


「自意識過剰だねぇ、みこちゃん?」


 間違った、間違った、間違った。

 選択を、間違った。


「おまえは俺の、オモチャなんだよ」


 でも、もう遅い。なにもかも。


 蝉の鳴き声が遠い。

 じりじりと灼熱にさらされて、僕たちをつないでいたものが、いびつに折れ曲がった。


「──海琴。おまえは、俺のものだ」


 ファーストキスはレモンの味だなんて、大嘘だ。



  *  *  *



 それから天斗は、たびたびキスをしてくるようになった。

 僕が殻から抜け出そうとすると、締めつけるように。


 しきりに「上書きするぞ」とこぼしていたけど、その意味がいまだに理解できない。

 だって僕は、天斗以外のだれとも、キスしたことなんてないのに。


 ふつうではない距離感のふれあいがあっても、僕と天斗は恋人ではない。恋人にはなれない。

 だって、僕らは。


「……天斗」


 クーラーのファンが上下するじぶんの部屋で、天井をあおぐ。

 ようやく唇を解放された僕は、ベッドに転がされた体勢のまま、僕を組み敷く天斗を見上げた。


「ねぇ、僕を思いどおりにできて満足? 天斗──そらにぃ


 意地悪で、自分勝手で、強引で。

 そのままどこまでも嫌なやつだったら、めいいっぱい悪口を投げつけて、突き飛ばしてやれるのに。


「っ……」


 どうして、なんで、僕を翻弄してきた天斗が、いまにも泣きそうな、悲痛な顔をするのか。


「海琴……海琴」


 天斗は、完全な悪にはなれない。


「おまえは、俺の、だろ……?」


 独りで怯える迷子みたいに、たよりなく声をふるわせて、ふいにしがみついてくる。

 痛いくらいに腕をまわされ、肩口に顔を押しつけられて。

 小刻みなふるえをじかに感じたら、伝染したみたいに、僕の心臓までふるえ出してしまう。


「なぁ、海琴。……なんで俺たち、兄妹きょうだいなんだろうな」


 ……わからない。


「なんでおまえが、俺の妹なんだろう」


 ……わからないよ。


 幾度となく問いを投げかける天斗の求めるものが、僕にはわからない。

 いまさら神さまが答えてくれるとも思えない。

 諦めに似た気持ちで、心が麻痺していく。


「こっち向いて……海琴」


 もう何度目かもわからないキスは、じわりとにじむたがいの汗のせいで、しょっぱかった。


 ……あつい、暑い、熱い。


 ベッドサイドに放置された冷房のリモコンを探りあてようとすれば、手を枕もとに引き戻され、指を絡めるように、シーツへ縫いとめられる。


「俺だけだ。おまえを守ってやれるのは、俺だけ」


 うわ言のようにくり返される言葉が、暑さで茹だった脳内では、くぐもってきこえる。

 あぁ、熱い。抱かれた境界線がわからない。

 溶けてしまったみたいだ。


 ──規則的にきしむベッドのスプリング。

 ぴたりと密着した天斗の、艷やかな熱吐息が、絶えず鼓膜をふるわせる。

 余すところなくふれられたからだは、熱をはらんでいない場所など、どこにもなかった。


「海琴……海琴、海琴……っ」


 激しく揺さぶられ、視界がチカチカと明滅をくり返した。

 生理的な涙で、なにもかもがかすんで見える。

 もう、どうにかなってしまいそうだった。


 これは夢だ。救いようのない妄想。

 そうでしょ? だって。


「……俺から離れるな、いなくなるな……」


 僕みたいに冴えない女が天斗にかまわれるなんて、ぜったいおかしい。

 意地悪な天斗。だけどほんとはやさしい天斗。

 僕の……私のお兄ちゃん。


 なんでもできるきみがコンプレックスで、『私』は『僕』になったのに、これじゃあ意味がないじゃない。


「海琴……俺はおまえが、おまえがいなきゃ……」


 ひと夏のあいだに殻を抜け出せなかった蝉は、飛ぶことも、鳴くこともできない。

 のしかかる想いを受けとめきれずに、ぐしゃりとつぶされるだけ。


「海琴っ──!」


 ──熱で、満たされる。


 僕にすべてを叩きつけても、天斗が「好きだ」と愛をささやいてくれることは、なかった。

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