かわいいは食べれる
なくしたと思っていた2番目くらいに書いた作品を見つけたので投稿します。
書き始めたばかりの作品で諸々間違いがあるかと思いますが、記念的に投稿しているものですのでご容赦ください。
「そんなに美味しいんだ、それ」
とても気持ち悪くて、けれどそれ以上に幸せそうだったからつい聞いてしまった。何を食べているのかなんて聞きたくもないけれど、このまま逃げたくなかった。
「ううん、まったく。骨は固くて疲れるし。血は喉に絡み付くよ。それにお洋服だって血と毛で汚れちゃって気持ち悪いな」
「あら、なんで食べてしまうの」
「だってかわいいでしょ。ウサギってモフモフで暖かくて、それになにより長いお耳がとってもかわいいから」
目の前の肉の固まりはウサギだったのか、と驚く。と、同時に変な納得をしてしまった。野良猫はもう食べ尽くしているだろうし、外で飼われている犬もだいぶ数が減っているらしい。それに、まだ鳥を捕まえられるほど素早くもないだろうから。
「あなたのせいだったんだ。近くの小学校でウサギがいなくなったの。ちょっとしたニュースになってるって、妹から聞いた」
「ええ、ちょっと大変だったけど心配ないよ。金網は破れるし、塀だって飛び越えられるもの」
やっぱり、この場所でじっとしてもらうことは出来ないのか。これから何が食べられていくのだろう。これからここでどんなものを見ていく事になるのだろう。そう思うと、とてつもなく恐ろしい事が起こっているのを目の当たりにしているようで、形ばかりの別れの挨拶を残して私は回れ右をして走り出してしまった。
こんなことしないと決めたはずなのに。
「おやすみなさい」
聞かせるつもりのない別れの挨拶だったけれど、初めて返事が帰ってきた。そんなことだけで私はこれからの出来事を、考えてすらいないのに認めてしまった。
もう怒ったりしないと決めた。もう止めないと誓った。だって彼女の笑顔が見られるのは私だけだから。逃げるように家に向かって駆けている今だって、吐き気を押されられないのにあの子を愛しいと思ってしまっているのだから。
だからもう一度決める。私はあの子が大好きだから。
塾の帰り道の途中にある建物から聞こえてくる童謡を聞く。小さな女の子の風に乗せられたように聞こえてくる歌声を、ほとんど毎日通っているにも関わらず気づいたのは数日前のことだった。
建設途中のまま手つかずになってしまった建物でどんな子が歌っているのかを考えるとこれ以上は踏み込まないようにしようと思う反面、忙しいこの時期の数少ない気晴らしにもなっていた。たくさん問題を解いて、色々な単語や解法を頭に詰め込んだ掠れきった頭に、その透き通るような声がとても心地よかった。歌を聞いている間は不安なことも遠い昔のはるか彼方の出来事に思えるし、心配事も大して気にならなくなっていた。
受験もいよいよ佳境、あと一月というころに私は遂にその廃屋に入ってしまった。打ちっぱなしのコンクリ―ト、そのままの状態で放置されているいくつかの工具。ところどころ割れている窓から差し込む街灯の光や、スマホのライトを頼りに進んでいくしかなかった。とても怖いことをしているのは分かっていたけれど、一歩進めるたびにあの歌声へ近づいていく喜びに抗えなかった。私は自分の足音にすら怯えながら右に左に声を頼りにしてどんどん奥のほうへと向かっていった。
建物の奥にある小さな部屋に声の主はいた。見た目だけならそれは小さな女の子だったけれど、雪のように白い肌と伸びっぱなしの黒い髪にうっすらと積もる埃がこの子が人間じゃないことを分からせた。部屋に入ってしばらくすると、その子は歌うのを止めてしまった。それがどうにも悲しくなって、その子の前に立ってみる。
ハンカチで埃を拭って、余ったヘアピンで視界を作ってみる。なにかを見ているようには思えなかったけれどとても綺麗な目をしていて、澄んだ湖面を見つめているような気分になった。鼻も、耳も、口もどれもがとても愛らしい。跪いて、同じ目線に立って紅葉の葉っぱみたいな小さな手を優しく握る。人間の手だとは思えないほど熱がなかったけれど、石のように冷たいわけでもなかった。
生き物ではないけれど、機械でもない。ならば何なのだろうと思ったけれど、そんなことは気にならなくなった。この子の所にまた来ることにしたから。
あれほど長く感じた受験も終わり、春休みになると毎日あの子の所へ行くようになった。あの子の居る部屋の掃除をしたり、ときおり呟く歌に合わせて一緒に歌ったり。そうして過ごす間に少しずつ変化が起こるようになった。
関節が少しずつ柔らかくなって立ちっぱなしだったのを、持ってきていたマットの上に座らせられるようになった。次に目が合うようになって、数日後には動くものを視線で追いかけられるようになった。そうして触れ合うようになった。そうやって言葉を交わしあうようになるまで、あまり長い時間はかからなかった。
そのころには私にとって彼女は歌を歌うかわいいなにか。という存在以上のものになっていた。
けれど突然動かなくなって、壁を見つめたまま、糸の切れた人形のように一日を過ごしていた時があった。動きもしないどころか、歌を歌おうともしなかった。
ただ友達が欲しくて、寂しいんだと思っていた。
だから猫を連れてきた。「ルドルフ」という名前の小さくて、とてもかわいらしい猫だった。人懐っこい野良猫で私によくなついていた。下校時に唐揚げや半分にした卵焼きやらをあげたりしたのもあるだろうけれど。
暖かくてとても柔らかくて、元気一杯な猫だったからきっとあの子の素敵な友達になると思った。そしてあの子に元気を分けてくれると信じていた。
そしてその予感はその通りだった。
「かわいいわ、かわいいわ。ミーミーニャーニャーとってもかわいいわ。」
今でもよく覚えている。そう言ってあの子は子猫を思いきり抱きしめた。とても愛らしい笑顔で、白い肌が淡い薔薇に染まって、目は星が瞬いていると思える程に輝いていた。とても嬉しかったんだと思う。とても楽しかったのだとも思う。
その日、私は喜んで家路に着いた。その日から餌やりの方法や、トイレのしつけ。猫用のオモチャとか色々なことを教えた。とても楽しい時間だった。とても大切な時間だった。
初めて自分から動いた日をよく覚えている。喜んでもらおうと指輪を作った。シロツメグサで作った小さな指輪だった。嵌めようと手を取ったら握り返してくれた。羽の一枚が落ちてきたみたいに弱々しかったけれど、彼女は私に触れてくれたのだ。それが嬉しくて抱きしめた。それからは会うたびに抱きしめて、そのたびに抱きしめかえしてくれた。
だから思いきり抱きしめたのだろう。
「やめて、死んじゃう」
嫌な予感を感じて、止めようとしたときにはもう遅かった。ルドルフは二度と忘れられない鈍い音をたてて、あの子の細い腕の中で二つに畳まれた。半分飛び出した目は赤いビー玉のようで、しっぽの付け根と口の端から赤い泥のようなものが垂れていた。
「だからどうしたの」
何事もないようにあの子が聞いてくる。こんなつもりはなかった。私はただ彼女を笑顔にしたくて、友達を作って欲しくて、こんなことをさせるつもりじゃなかった。
「死んだらかわいくなくなるの?動かなくなっちゃったらもうかわいくないの?」
あの子はどうして私が止めようとしたのかわからないらしい。だらり。と垂れた前足を掴み持ち上げて人形のようにゆらゆらと揺らす。伸びきった体が揺れる度に床の赤い染みが増えて、そのたびに目の前がどんどん歪んでいく。
「ほら、動かないだけだけどかわいいでしょ」
何事でもないように、あの子が笑顔でまたルドルフを抱きしめる。あの元気いっぱいのかわいい野良猫は体の中を微塵に砕かれて、ただの血と肉と骨の詰まった皮袋になってしまった。あまりの光景に呆然としていたはずの意識が戻されて、もう涙が押さえられない。
「血で汚れちゃったけどかわいいでしょ。赤いのがはみでてるけど柔らかいし、暖かいよ」
目鼻口耳、ありとあらゆる場所から汁が垂れて、肉が飛び出ている。初めて嗅ぐ生きた血と肉の臭いに喉がつまり、耳鳴りが起きる。目の前の死を私は全力で拒否しているのに、目の前の女の子は人形のようにそれと遊び親しんでいる。
ああ、人間とは違うんだ。この時になって初めて私はあの子を少しだけ理解した。人間は未知を恐れる。と聞いたことがあったがあれは嘘だ。私は彼女を知って初めて恐ろしく思ったのだから。だから、ぶるぶると震える体で首を横に振るのが精一杯だった。
「そうなの、ならどこからかわいくなくなったのか教えて」
そういうと彼女は死体を解体し始めた。飛び出た目を抉って、鼻を千切り、歯を引き抜いて様子を伺う。背骨を逆向きに曲げ、頭を捻る。はみ出た物を無理矢理元に戻したり、引きずり出したりして感想を聞いてくる。
答えられるはずがなかった。あれほど仲良くしていたおともだちをバラバラに毟り、ちぎり、潰している。そしておぞましい光景はそれで終わりにはならなかった。
小さな口で皮を裂き、肉を貪り始めた。紅葉のような手で骨を砕いて、臓物を引きずりだす。薄い唇で血を吸い出す。初めて抱き合った時のように、やっと言葉を交わしあえた時のようにその目は光が映って星のように輝いていた。
「やめて」
精一杯怒鳴り付けるように叫んだはずなのに、出てきたのは絞り出したようなとても情けない声だった。大切な友達が、自分の中でわけのわからない得体の知れない何かになっていくのが嫌だった。あれほど楽しい時間を過ごしたはずなのにどんどん彼女を気持ち悪く思う自分に吐き気を感じた。それこそ、今のこの情況以上に。
「なんでなの」
なぜか。おともだちを食べてはいけない。とか、生きたままたべるなんて残酷だ。とか、言おうと思えば理由なんていくらでも言えた。ただ、何を言おうとしていたのかは今ではもう分からない。
「おなかがくうくう鳴ってさみしいの。のどが渇いてくるしいよ」
あの子が言ったのはそんな単純な理屈だった。たったそれだけで彼女の側にいる事を決めてしまった。そう決めた。細い腕で背骨を折ったとき吐き気がした。その小さな口で心臓を食い破った時には嫌悪感さえ抱いた。だとしても、だからこそ、私以外に誰があの子の友達でいられるのだろう。化け物なんかじゃない。悪いことなんかしていない。そうだと私は信じているから。
「それもそうね。お腹が減っちゃうよね」
深く息をして、失神しそうなのを抑える。まだ息は荒いし、地面があちらこちらに揺れている。けれど話をするだけの余力は残せた。そうだ、これからはご飯も持ってくればいい。毎日、猫を持ってくるのは大変だろうけれど、それでもご飯ならやりようはある。
「ううん、違うの。わたし、かわいいでしょ」
「ええ、勿論」
事実としてとてもかわいらしかった。とても愛らしく愛おしい。目はパチリと開いていて、瞳は星が入っているように眩やいている。まだ低い鼻は子供らしくあどけなくて。薄い唇からいつの時代のものかわからないけれど、古めかしい童歌が流れるのをいつも楽しみにしていた。細い手足にはそこはかとないか弱さを感じて抱きしめて守ってあげたくなる。この子が普通の女の子だったら。そんなことを思ったのは、こんなことが起きてしまった今日が初めてじゃない。
「そうでしょ、あたしはとってもかわいいの。かわいいものがたくさんあって、かわいいってたくさん誉められてきたの。だから、食べるものまでかわいいのは当たり前でしょ。それにわたしはかわいいものが大好きよ」
「だから食べるの」
それだけの理由であの子は食べてしまう。それだけの理由がないとあの子は食べられないで辛い思いをし続ける。あの子は生きているわけじゃない。けれど苦しいのだという。話せばその考えかたを変えてくれるとは思っていない。だけど、誰が側にいられるのかというのをふと考えてしまって。だから。私は決めた。あの子のために、私はあの子を拒まないと。
「あれ、今日はバックに何が入ってるの。またおともだちを連れてきてくれたの」
ウサギや犬か猫、もしかしたら小鳥の類いを連れてきた。と思っているのかもしれない。鞄の中から袋を取り出して、中に入っているものを目の前で広げる。
軍手、綿、ビーズ、針と縫い糸と飾り糸に指あて。その他諸々の裁縫道具。あまり子供の興味を引くものでも無いだろう。事実として、持ってきたビーズをコロコロと掌の上で退屈そうに転がしている。まあ、横やりを入れられるよりは良いかもしれない。
少し待っててね。と言って手袋の指を切って、縫って繋げて胴体と頭を作る。それに綿を詰めて、縫い口を閉じる。それにビーズや刺繍で目鼻を付ける。家庭科の授業で学んだ知識がこんな形でそのまま役に立つとは思わなかった。
「ほら、あなたの好きなうさぎだよ」
できあがったうさぎを抱えさせて様子を伺う。
手に何か触れている事に気づいたらしく。指で腕に抱えているものを確かめる。
「かわいい。とってもかわいい」
頬擦りをしてさっそく遊び始めた。気に入ってくれたようでとてもほっとしている。とりあえずもう一つウサギを作って今日はこの子と遊ぶことにした。久しぶりに心の底から楽しむことができた。またちょっと前みたいに抱きしめてあげることができた。そして手を振ってお別れを言うことができた。
次の日になるとウサギのぬいぐるみはなくなっていた。やっぱりか。
「こんにちは。ウサギが一匹いなくなっているけど失くしちゃったかな」
「ううん。食べちゃった」
「そっか。美味しかった?」
「わからないけどかわいかったよ」
「これからはもっといっぱいのかわいいに会えるから、心配しないで」
このくらいの子には針と糸の扱いは難しいかもしれない。不器用な自分でもできたし、案外この子は器用なのかもしれない。これからもこの子のことをわかってあげられないかもしれない、けれど私はいつまでも寄り添いたい。
あなたはとてもかわいいから。
「えぇ、あなたもとってもかいいわ」
あの子が私の手を握る。もちろん、あの子がその言葉を私に告げると言うことの意味は分かっていた。まだあの子は早く走れないから、振り払って逃げだせば助かれる。その後にどうするかはそれから考えればいい。そんな事は分かっていた。
けれど、その小さな手を繋がずにはいられなかった。
右の人差し指が半分ほど無くなる。もう無くなっているはずなのに人差し指がとても熱く感じる。怖くて悲しくて目の前が白い闇に覆われる。それでも耳なりがしているのに口のなかで骨を砕く音が聞こえてくる。
私はこのまま食べられてしまうのだろう。
もう掌の感覚は無くなっていた。もうおかしくなってしまったのか。不思議と痛くはない。無くなってしまった物が訴える奇妙な疼きと、あの子の服に滴り落ちる自分の血が自分の理性を遠くまで吹き飛ばしてしまったのかもしれない。
まだ残っている方の手で涙を拭う。過呼吸で頭が鐘のように揺らぎ、平衡感覚すら無くしていたがあの子の顔だけはよく見えた。これが最期と思って、思いきり抱きしめる。ああ、相変わらずなんてこの子はこんなにも壊れていってしまいそうなんだろう。私を貪っている小さな掌や唇のか細さを私はどうすることもできなかった。抱きしめても血の臭いすらしない体が瞬く間に紅く染まっていく。
あの子が私の胸元を引っ張る。黒い髪。白い肌。血で染まった赤い唇。なんて綺麗でなんておぞましい。ついに私はあの子を受け入れる事ができなかった。私にできないから、他の誰がこの子を慈しめるのだろう。誰がこの子を分かってあげられて、優しい言葉をかけてあげられるのだろう。
彼方へと飛んでいきそうな意識を集めてせめて最後に笑おうと思う。もう引き付けを起こしているこの体で笑ったところで、それはもう笑顔に見えないかもしれない。けれど、この子が見られる笑顔はこれが最後かもしれないから。
「わたし、気づかなかった」
「なに」
お互いの頬に手を添えあっていた。鮮血に浸かっていたあの子の掌がとても暖かい。私が触れている頬にもこうして私の熱が伝わっていけばいいのに。頬に散っている血糊を拭き取ろうとしたけれど、あまり上手くいかなかった。けれど、紅をさしているみたいでとても綺麗に映った。もしこの子が人間の女の子だったら。と今まで考えないようにしてた事が今更浮かんでしまう。もし、人間だったなら私は。
「あなたの目とってもかわいい」
小枝のような指がいとも簡単に私の片目を摘んでいく。そうして瞬く間に口の中へ消えていった。なんて幸せそうな顔なんだろう。大好きな果物をひとりじめして食べてるちいさい女の子みたいなとても愛らしい表情。愛しいものを食べて生きていく。なんて残酷でこれほど幸せな生き方が人間にできるだろうか。
ようやく、体の痙攣も収まってきてとても静かな状態であの子と向き合える。もちろん、その意味は分かっている。
わたしたちともだちだよね
最後の最後で言えなかった問いを投げ掛けようと思ったけれど、それは止めた。もう答えはわかっているから。
「だいすき」
とだけ告げると、私は奈落の底へと堕ちていった。
こういうキレのある作品をいつでもかけるようにしたいですね。
人形はあの後どうなったのかは、いまだにこれというものが浮かびません。