7.少女との出会い
ヨハネスは、心の中であの尊大な貴族と要らぬお節介の平民を足蹴にした後、はらわたが煮えくり返るので、忌ま忌ましいゾンネンシュタイン伯爵領からも出てしまおうと思った。だが、無一文では税金が払えず、隣接する他の領地へは入れない。町の外の道ばたで演奏するにしても必ずどこかの領内なのだから、何としてでも今の領地に踏みとどまるしかない。
とりあえず領内の隣町へ移動することにしたヨハネスは、自分が目指すものと現実とのギャップに悶々としながら歩いていた。
今でも頭の中で鳴っている自分の曲は、町で耳にした音楽、ハンスやヒルデガルトの所有していた楽譜から得た古今の音楽、教会のオルガンの音楽が下地になっている。それらを咀嚼し、消化し、自分の音としてアウトプットしているのだ。
そのプロセスに誤りがない限り、デタラメな音楽ではあり得ない。何せ、自分の曲に自分自身が心を揺さぶられ、肌が粟立ち、時には涙を流すのだから、奇妙きてれつな音楽であってたまるものか。
学校に行っていないので無教養な点は痛いところを突かれたが、教養と音楽にどんな因果関係があるのかわからない。学校に行けば誰でも作曲が出来るわけでもないだろう。そもそも、ローテンヴァルト帝国内の諸国は、親方制度が根強く残っていて、多くの子供は学校に行かず職人から技能や教養を教わる。読み書きまで教わるのだ。学校に行くのは、多くが役人を目指す平民か、教養をひけらかす貴族だ。
と、ヨハネスが息巻いて考えていたところに、空腹が意識を現実世界へ連れ戻す。彼は、道ばたに腰を下ろした。
「金にならないことをしているって言いたいんだろう? 畜生め!」
怒りで拳に力を入れると、またもみぞおち辺りがグルルルッと鳴るので、この言うことを聞かない胃袋を何とか黙らせないといけない。
「なぜ、誰もわかってくれないんだろう……」
ヨハネスは、はたと膝を打った
「それは、きっと、僕の音楽が時代を超えているからなんだ。……ということは、いつかは僕の時代が来る」
そう思うと心の中は満たされるが、腹は満たされない。膝を抱えたヨハネスが、膝頭に額を乗せて盛大に吐息を漏らしたその時、
「あのー」
聞き覚えのある女の子の声がする。ハッとしたヨハネスは、顔を上げた。今度は失敗しないように。
「ちょっと聞いてよろしいでしょうか?」
「いいよ」
黒ローブの出で立ちから魔女を連想させるが、魔力は感じない。おそらく、魔法と無縁の平民だ。尖った耳が可愛らしく、空のように青いコバルト色の目が愛くるしい。幼顔なので、自分より年下であろう。姉が四人もいたので年上の女性には慣れているが、年下だとどう接すればいいのかわからないので、ちょっと緊張する。
「貴方様の音楽ですが――」
「ああ、デタラメって言いたいの?」
つい卑屈な言葉が出てしまい、ヨハネスは大いに後悔する。
「いえ、北方を旅していたときに聴いたオルガンの名手の演奏を思い出しました」
「誰それ?」
「ブクステフーデです」
聞いたことがない名前だった。でも、オルガンの名手という言葉に心が躍る。
「その人の方がうまいんでしょう?」
本当は「同じ曲なのか?」と聞くつもりが、またもや卑屈になってしまった。
「その携帯オルガンでは比較になりませんが――」
「あっそう」
「最後まで言わせてください。教会オルガンと携帯オルガンでは歴然とした差があるので比較になりませんが、おそらく互角だと思います」
「……つまり、僕がオルガンの名手だと言いたい?」
「はい」
「でも、弾いている音楽はデタラメ」
「演奏を思い出したと申し上げたではありませんか。デタラメなら、名手とは比較いたしません」
「へー」
ヨハネスは、満更でもないという顔をする。
「あのー、弾き語りはなさらないのですか?」
「歌は、からきしダメ。弾くだけだよ」
少女の顔がパーッと明るくなる。
「では、私と組みませんか?」
「組むって……歌えるの?」
「はい。楽器は、からきしダメなのです」
少女は眉をハの字にして笑った。