3.それぞれの道
戦禍を避けたヨハネスたちは、これからどうやって生きていくかで言い争いになった。土地に縛られないで昔みたいに諸国を渡り歩き、音楽で生活していきたいと願う母ニーナ。流しの音楽師よりはお金になる酒場で踊り子として働きたい四人の娘たち。
「ヨハネス。お前は母さんと一緒に来るんだろう?」
息子まで去ってしまってはアカペラで歌うことになってしまうのが心配なのではない。客の目当てが自分の歌ではなく子供たちの踊りと楽器演奏であることが痛いほどわかるから、少なくとも息子だけは引き入れたいのだ。だが、ヨハネスは、うつむいて首を左右に振った。
「母さん。僕は……独り立ちしたい」
「何だって? そんな竈の薪に火を付けるような魔法で商売になるのかい? それとも、魔物討伐の旅団に参加して死にに行くのかい?」
「いや。僕の……僕の音楽で食っていきたい」
言い終えるや否や、母親の平手打ちが容赦なく飛んだ。
「馬鹿言ってんじゃないよ! お前に流行りの歌なんか、書けるもんか! こないだの、なんだいあれ!? チロリーン、チロロローンって曲!」
「……ニ短調のトッカータ」
「お前の曲か?」
「うん」
母親の手の跡が赤く腫れる頬を左手で押さえながら、ヨハネスはボソボソッと答えて携帯オルガンを右手で弾いた。
『ラソラ――、ソファミレド#――、レ――』
「そんな指慣らしみたいな音楽で誰が歌えるんだい!?」
「トッカータって……そもそも指慣らしだから」
さらなる平手打ちが三発飛んで、ヨハネスが地面にドッと倒れた。
「くだらない曲の説明を聞きたいんじゃない! お前たち! 今まで誰のおかげでここまで大きくなれたと思っているんだい!? 亡くなった父さんの意志を継いで、この稼業は続けるよ!!」
母ニーナの激しい一喝に、子供たちは項垂れる。だが、唇と口内が切れて鉄の味がするヨハネスは、より一層、自分の夢を叶えようと決意するのだった。
いやいやながらも音楽を演奏するヨハネスと踊りに身が入らない娘たちの態度は、母親の怒りを買った。
「あの魔女に会ったのがそもそもの間違いだったよ。人間は厳しい生活から一度でも抜けると、堕落の一途を辿るのさ」
それは酒場で歌ったあんたもその一人だろうと姉たちは思ったが、口には出さなかった。誰の目にも、今の自分たちの苦しい生活を美化する理由付けでしかないことは明白だった。
そんな母親に不承不承従ったヨハネスの我慢の限界は十七歳の春の時に訪れた。酒癖が悪くなって暴力を振るう母親に対し、堪忍袋の緒が切れたヨハネスは携帯オルガンとシターンを手に夜逃げを図った。もちろん、黒猫――使い魔のシュヴァンツも一緒だ。ただし、シュヴァンツは、ヨハネスが魔法を使わないときは姿を消して眠っているが。
その現場を目撃したのは、長姉のエレーナだった。彼女は走る寸前のヨハネスを小声で呼び止め、耳打ちする。
「母さんを説得しておくから。自分の道を信じて進みなさい」
一座に楽器がなくなるから、その説得とは姉たちと一緒に酒場で働くことである。
「それに、領地の外へ行くなら通行税とかかかるでしょう? 持って行きなさい」
エレーナが、幾ばくかの硬貨をヨハネスにソッと握らせる。
涙で視界が滲むヨハネスは、エレーナに一礼して背を向け、星明かりを頼りに街道をひた走った。