34.旅立ち
翌日、フックスヴァルトの使者がフリッツの家にやって来て、ヨハネスとドロテーアは「3日後の朝にフックスヴァルトの屋敷へ来るように」との伝言を受け取った。
いよいよ旅立ちかと心が弾んだのも束の間、いろいろと金に羽が生えて飛んでいくことに気づいて青くなった。
まず、迎えの馬車が来るのではない。自分たちで乗合馬車を使って行くのである。これには、当然運賃がかかる。
しかも、フックスヴァルトは伯爵で、フックスヴァルト伯爵領の領主。ここでも、他の国や領地と同じく、伯爵領へ商売人が入るときは税金を納めないといけない。ヨハネスとドロテーアは、フリッツの使用人を解雇されるので、音楽師一座にいったん逆戻りする。すると、商売人扱いになり、税金を納めることになる。フックスヴァルトにこれから雇われに行くにも関わらずだ。
さらに、「みすぼらしい格好で屋敷に来ると入れないぞ」と使者から釘を刺された。広場で歌って演奏していた格好では、門前払いになると言うことだ。これに対して、フリッツは何も援助をしてくれなかったので、服も靴も自分のお金で購入することになる。それどころか、使用人の服を返すときに洗濯代として一人1タレルも徴収された。
まだある。フェルナンダに立て替えてもらった大型リュートの保険料の3タレルだ。
フリッツはヨハネスに月給として3タレル、ドロテーアに2タレルを支払ったが、餞別は渡さなかった。これに、ヨハネスが褒美としてもらった5タレル金貨2枚と合わせて、15タレル。それまで二人でコツコツと貯めたお金の2タレルは使いたくないから、勘定には入れず、この15タレルの中から上記の支出をすべて賄うよう、頑張ることになる。
ヨハネスは、なんとなく懐が不安であることと、もう流しの音楽師から決別したいという思いから、持ち歩いていた携帯オルガンとシターンを売り払うことにした。これらをいつまでも持っていると、将来、挫折したときに「また流しに戻ればいいや」と安易に逃げる場所を確保していることになるからだ。逃げ場があると、苦境に立たされたときの踏ん張りが利かなくなる。
楽器は古くて痛んでいたため、合計で2タレルにしかならなかった。これで使えるお金は17タレル。なお、自作の曲の楽譜はまだ売らないことにした。
保険料3タレル、洗濯代2タレル、服代と靴代と下着代は物価高騰のため二人分で7タレル、馬車代15銀グロシェン(0.5タレル)、税金15銀グロシェン。これで残りは、4タレルだ。
ヨハネスとドロテーアは、今まで二人が貯めた2タレルとこの残金4タレルを半々に分けて、それぞれ3タレルを手にした。
「師匠。こうしてお金を二人で分けましたけれども、これでお別れではありません。いつでも師匠についていきます!」
「ありがとう、ドロテーア」
ヨハネスは、ドロテーアに心から感謝した。
思えば、自分の音楽が認められず、騒音扱いされていたのに腹を立てて自作の曲を弾きまくっているときに、彼女に出会った。
彼女だけが、自分の曲を理解してくれた。師匠と呼んでくれた。それが心の支えになっていた。
だが、いつでも注目されるのはドロテーアの歌声が先。
フリッツに出会ったときがそうだ。フックスヴァルトに出会ったときも同じである。
二人に召し抱えられたのは、ドロテーアが「師匠と一緒に」という条件を出したからだ。その後で、自分の演奏の凄さを知ってもらった。決して、自分の演奏に惚れ込んで抱えられたのではない。
思い起こせば、ハンスの時も長姉エレーナの踊りが注目されたのがきっかけだ。魔女ヒルデガルトは、自分の演奏を気に入ってくれたのだが、それもエレーナの踊りに目が留まったのが最初だ。
こうして考えると、自分は女性への注目のついでに注目される立場にいつもいたことになる。
『よく考えると、自分の演奏で人を惹きつけたのは、ドロテーアしかいないんだな。他はみんな、ついでで注目されただけ。……こんなことをしていると、彼女がいなければ何も出来ない自分になってしまう。彼女が呼び込む幸運に頼るだけになってしまう』
独り立ちするために家を飛び出したのに、未だに独り立ちしていないのと同じだ。
ヨハネスは拳を固く握りしめた。
『この運命の流れを、新天地で変えてみせる!』
決意の後、ヨハネスはフェルナンダの所へ借金を返しに行った。彼女は、ヨハネスがフックスヴァルトの楽団に迎えられたことに大層驚いた。
「何だって!? あの凸凹楽団の所へ行くのか!?」
「えっ?」
「先に言ってくれれば引き止めたのに……」
「凸凹って、どういうことですか?」
「下手くそな貴族の子弟と、上手な平民出身が適度に混ざった音楽隊ってこと」
「そんな……」
少し前の決意が、不安という鉄槌の一撃で音を立てて崩れていく。
「元の雇い主は、引き止めなかったのか?」
「いいえ、喜んでいました。どうも、使用人を引き抜いてしまうので悪いと思ったからか知りませんが、『今後のことを考える』ってフックスヴァルト様がおっしゃったのですが、後でヴァルトシュタイン様に聞いたら、取り引きを増やすみたいな条件だったようです」
「こう言っちゃ悪いが、売られたようなものだな」
「…………」
「まあ、決まったものはしょうがない。後は、どうするかだ」
「どうするかって言われましても……」
「考えろ。その凸凹の中に入って、どう頑張るかを」
ヨハネスは突如として閃いた。
「そうだ! 指揮を頼まれました! あっ……合唱団か」
「あそこの合唱団は、かなりうまい」
「どうしよう……」
「楽団の指揮権も乗っ取れ」
「えっ?」
「楽団を立て直すってこと」
フェルナンダは、ウインクをした。
「なるほど! チャンスを見て頑張ります!」
「その域だ。……それにしても、せっかくの弟子が途中で去ってしまうのは寂しいな。ここまで通うわけにもいかないし」
「そうなんです。申し訳ありません」
「いっそのこと、この師匠も引っ越すか? フックスヴァルト伯爵領へ」
「本当ですか!?」
「と言いたいところだが……」
「すでに言っていません?」
「引っ越しの費用を出してくれるか?」
「いえ、無理です」
「なら、知り合いを紹介しよう。伯爵領にカロリーナという魔女がいる。話を付けて置くから」
「ありがとうございます!」
「強くなれ。必ず、道は開かれる」
ヨハネスは、フェルナンダの言葉を噛みしめた。




