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異世界風ヤング・バッハ(第1部)  作者: s_stein
第1章 貧困からの脱出
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33.破格の待遇

 ヨハネスの超人的なチェンバロの演奏は、大広間に集まった貴族たちや、その貴族と取り引きのある商人――全員が上流の平民――を虜にし、強烈な印象を与えた。ただし、リュートの演奏の方は「器用だ」という印象を加えた程度で、そちらに心を奪われた者は皆無であったが。


 この誰もが見たことのない曲芸師のような奏者の出現で、それまでたわいもない世間話に終始していた人々は、羨望と嫉妬の言葉を口にする


「あの男は、魔法を使って弾いていたのではないか?」


「いや、魔法は感じなかった。あれは本当に弾いていた」


「平民の流行りの音楽で暮らしているバッハ一族に、あんな秀才が生まれるはずがない」


「元貴族の孤児を拾ったバッハが育てたのかも知れないな」


「演奏は素晴らしくても教養は身につけているのだろうか?」


「流しの音楽師に教養のある奴など、おらんて」


 耳に飛び込む心ない会話に(はらわた)が煮えくり返り、嫉妬の視線に耐えがたい苦痛を感じるヨハネスは、ドロテーアの笑顔がなかったら、床を蹴って駆け出し、館を飛び出したかも知れない。


 そこへ、すっかり酔っ払った狼族の貴族が近づいてきて、酒臭い息を吹きかけて笑う。


「おい、バッハとやら。逆立ちして足で弾いてみろ」


 断ろうとすると、フックスヴァルトが割り込んできた。


「ハイリゲンシュタイン殿。いつからこいつに命令を出せるようになったのかな?」


「おっと、これは失礼。では、フックスヴァルト殿が命じてはくれぬか? 貴殿も名人芸を見てみたいであろう?」


「ならば、ハイリゲンシュタイン殿が逆立ちをして手を使わずに、足で酒瓶の酒を一滴もこぼさず飲み干したのなら命じよう。今すぐやってみてはくれぬか?」


「うぬぬ……。考えたな?」


「さあ、ヨハネス・ゼバスティアン・バッハ。もうヨハネスでよいかな?」


「はい、フックスヴァルト様」


「泥酔狐など相手にせず、こちらへ来い」


 フックスヴァルトは、酔ってはいるがしっかりした足取りでヨハネスを応接間の窓の方へ連れて行き、近くに人が寄ってこないことを確認してから、


「さて、ヨハネス。褒美だ」


 そう言って差し出された5タレル金貨2枚が、シャンデリアの光を受けて目映いほど輝いた。


「有り難く頂戴いたします」


 ヨハネスは(うやうや)しく受け取って、ゆっくりと顔を上げた。目が合うのを待って、フックスヴァルトが真剣な眼差しで語り始めた。


「正直に言おう。わしは、ソプラノの空席にドロテーア・フォイエルシュタインが欲しかったが、『師匠も一緒に』と条件を付けたので、お前を雇った。本当はザックスがいるから雇う必要はなかったのだが」


 フックスヴァルトが目の動きを観察して心を読もうとしているので、ヨハネスは目を()らさず、落胆の表情は微塵も見せなかった。


「何も弾けないのに雇うわけにもいかず、リュートで合格とした。だが、その後でよく考えたのだが――」


 まさか、いきなりクビはないだろうとヨハネスが心の中で警戒していると、


「合唱の指揮が出来るのではないかと。それと、教会のオルガンの代理も出来るのではないかと。指揮者は高齢で引退したがっているので引き受けてもらうと助かる。オルガン奏者は無理をしてでも一人でやりたがる男なので、代理の機会は少ないと思うが」


「指揮も出来ます! オルガンの代理も出来ます!」


 もちろん、どちらも嘘。なりふり構わずチャンスにしがみつくため、反射的に出てしまった答えである。ヨハネスは、後付けで、合唱団の指揮はドロテーアから情報をもらえばいいと考えた。オルガンは、携帯オルガンではなく教会のオルガンなのでかなり構造が違うが、今の奏者の技術を盗めば何とかなるだろうという直感である。


 危険な判断かも知れないが、迷って後ろ向きになるくらいなら、前向きに突っ走れ! 心の中でそう叫ぶ声が聞こえる。


「それは頼もしい。期待しておるぞ。……そうだ、リュートの給料は月2タレル。食事付きの宿舎に入ってもらうが、宿舎の利用料と食事代は不要だ。それ以外は自分の金から支払え。合唱の指揮を引き受けてくれるのなら月6タレル加算し、オルガンの代理は――機会が少ないから月2タレル加算だ」


 この金額設定は、合唱を絶対引き受けろと言っているようなものだ。先ほど褒美でもらった10タレルがそのまま月給になる計算である。フリッツの月給から見て3倍強の金額に、ヨハネスは喜びを隠せなかった。

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