29.大型リュートの練習
フリッツは大型リュートを所有しておらず、だからといってヨハネスのために購入することはしなかった。使用人が主人に楽器をねだる訳にはいかないので、頼りはフェルナンダだが、魔法と音律の関係を調べるために所有している可能性はゼロではないものの、部屋にリュートがなかったので望みは薄い。
夕方の仕事帰りにフェルナンダの家へ駆け込んだヨハネスは、何事かと訝しがる彼女に藁をも掴む思いで大型リュートの所有を問うた。
「小さいのならあるけど」
それは要らない情報だ。大型と小型では張ってある弦の数が違っているのはもちろんのこと、調弦がまるで違う。互換のない楽器で練習したところで意味がなく、答えは慰めにもならなかった。
「大型を持っている人をご存じでしょうか? ご存じならお借りできますでしょうか?」
「急に言われても……」
「1週間後に演奏会があるのです」
「何? そこで演奏しろと?」
「そうは言われていませんが、『すぐにでも弾けるように』と言われていますので、おそらくは――」
「ヨハネスは、せっかちと早とちりと水銀を調合して生まれたようなものだからな」
「人を錬金術で生まれたかのように言わないでください」
「近くに住むマレルダなら大きいのを持っていたな。一緒に頼みに行くか?」
「はい!」
フェルナンダの家から歩いて5分ほどの距離にマレルダの家があり、ここに大型リュート――13コースのもの――があって、ヨハネスは驚喜する。しかし、ちゃっかり者のマレルダは、物損事故保険と称して毎月5タレルを要求した。足下を見られたヨハネスは、粘り強く交渉し、3タレルにまで値下げする。フリッツからもらったお金がそっくりそのままマレルダに行くことになるが仕方ない。彼は手持ちの金がないので、フェルナンダから借金をした。
二人がフェルナンダの家に戻ると、ヨハネスは練習場所としてここを借りられないか、彼女に交渉する。夜中にフリッツの家で練習すると、フリッツの家族から苦情が出る怖れがあるからだ。
「なら、1日2曲、チェンバロを弾いてくれることで手を打とう」
「えっ? 授業料の代わりに1日1曲だったのに、倍に値上げでしょうか!?」
「それが早とちりなのだ。増えた1曲は、ここを練習場所として貸す代金だ。リュートの曲はタダで良いぞ」
「タダかどうか、それを決めるのは私のような気がしますが……」
さっそく、チェンバロで2曲弾いた後、魔法を練習し、リュートを弾いてから帰宅する。練習の分、作曲の時間が削られるが、それは一時的に諦めた。
ヨハネスは、小さい頃にハンスの家でチェンバロ、バイオリン、リコーダー、フルート等を習ったことを思い出す。短期間で習得したので習う楽器がなくなり、つまらない思いをしたものだ。この大型リュートもその頃と同じ、いや、それ以上に上達が早く、1週間後の演奏会会場では1曲は弾けそうなくらいに腕を上げた。
リュートの豊潤な音色は、極上の酒を愉しむかのようだ。豊かな表情は恋歌から哀歌まで幅広く、深い音が心に染み渡る。弾き語りに適しているのだが、ヨハネスは喉には自信がないので、音色で表情をつけることになる。ドロテーアと出会ったとき、彼女が「歌うように弾くのです」と言った言葉を噛みしめて、表情の付け方を何度も試してみた。ただ、いくらヨハネスが天才とはいえ、独学、試行錯誤、かつ短期間では納得がいくまでには至らない。
「何だ? 諦めたような顔をしているが?」
「頭に描く音が出ないのです」
「1曲弾けたからいいのではないか?」
「いえ、それでは納得出来ないのです」
「ならば、上手な演奏を聴くしかないな?」
「当てはあるのでしょうか!?」
「それは自信を持って言える。ない、とな」
ヨハネスが、楽器をかばうようにしてずっこけた。
「まあ、その演奏会とやらで、うまい連中が来るだろうから、よく聞いて演奏ぶりを観察するのだな」
「はい!」
「その心意気だ。頑張れ。めげたら、そこで何事もおしまいだから」




